第151話 銀眼の魔物
石の扉が開いた瞬間。
冷たい風が、ソアたちの頬を撫でた。
「……寒っ」
ソアは鎧の襟元を押さえた。
全身を魔法鋼で覆っているため、普通の冒険者より寒さには強い。
それでも、扉の向こうから流れてくる空気には、どこか身体の奥まで冷やすような感覚があった。
「この先に、何があるんだろうね」
「記録庫だろう。少なくとも、そう名乗っていた」
ヴァルトが剣を抜き、先頭に立つ。
「全員、警戒を怠るな。ここが安全だという保証はない」
「分かってるわ」
ミレイユが指先に小さな魔法陣を浮かべた。
「それに、さっきから魔力の流れが妙なのよね。生き物の気配とは違うけれど、完全に止まっているわけでもない」
「魔物がいるってこと?」
「それも含めて、まだ分からないわ」
「そっか……」
ソアは剣を握り直した。
そして、扉の向こうへ一歩踏み出す。
ガシャッ。
「……あ」
足元から、嫌な音がした。
ソアが恐る恐る視線を落とす。
石床の隅に、小さな破片が転がっていた。
「鎧の破片じゃないよね?」
「……石だ」
ヴァルトが即答した。
「よかったぁ……」
「そこは安心するところなのか?」
「鎧が壊れたら修理代が増えるじゃん!」
「今は遺跡の調査中よ」
「分かってるってば!」
レイナが小さくため息をついた。
「……本当に、あなたは変わらないわね」
「それ、褒めてる?」
「褒めていないわ」
「即答!?」
◇
記録庫の内部は、思ったより広かった。
壁一面に並ぶ石板。
天井から吊り下げられた銀色の結晶。
そして、部屋の中央には大きな円形の台座があった。
台座の表面には、村の入口や地下遺跡で見たものと同じ紋章が刻まれている。
王冠と七本の線。
「ここに、村の記録が保存されているのかしら」
レイナが石板を見渡した。
「そうだろうな」
エリアスが頷く。
「王都の記録装置と同じ系統だ。ただし、こちらは規模が小さい。村ごとに記録を保存し、必要なときに王都と接続する仕組みだったのかもしれない」
「じゃあ、王都がなくなったあとも、ここだけ残ったんだね」
「……その可能性はある」
エリアスは、どこか複雑な表情で台座を見つめた。
「いや。残されたというより、残すことを選んだのかもしれない」
そのときだった。
カチリ。
部屋の奥で、何かが動いた。
「!」
全員が振り返る。
壁際に並んでいた銀色の結晶が、一斉に光り始めた。
キィィィィン……。
高い音が響く。
続いて、床の溝を銀色の光が走り始めた。
「魔力反応!」
ミレイユが叫んだ。
「ソア、下がって!」
「えっ!?」
次の瞬間。
壁の一部が開いた。
そこから現れたのは――
四本の脚を持つ、狼に似た魔物だった。
銀色の瞳。
首元に埋め込まれた、淡く光る結晶。
その姿には見覚えがあった。
「……また、あいつら!?」
ソアが声を上げる。
以前、北方街道で遭遇した銀眼の魔物。
あのときと同じ姿だった。
ただし、今回は一匹ではない。
一匹。
二匹。
三匹。
さらに、奥の通路から二匹が姿を現した。
「五匹か……!」
ヴァルトが剣を構える。
「前回と同じ個体とは限らない。油断するな」
「分かってる!」
ソアは盾を前に出した。
「今度こそ、ちゃんと戦って――」
ドンッ!
「きゃっ!?」
言い終える前に、一匹が床を蹴った。
ソアの胸当てに、鋭い爪が叩きつけられる。
ガァン!!
「うわっ、重っ!」
衝撃で身体が後ろへ押し戻された。
しかし、銀眼の魔物は追撃してこなかった。
代わりに、ソアの脇をすり抜けて走っていく。
「えっ、ちょっと!?」
魔物が向かった先は、部屋の中央。
円形の台座だった。
そして――
ガキンッ!
別の一匹が、台座の前に立ちはだかったレイナの盾へ体当たりした。
「くっ……!」
レイナが踏ん張る。
「こちらを倒すことより、台座へ近づかせないことを優先している……?」
ヴァルトが目を細めた。
「まさか……」
エリアスの顔色が変わる。
「こいつらは、記録庫を守っているのか?」
◇
戦闘は、すぐに混戦となった。
「右から来るわ!」
ミレイユの呪鎖が伸び、魔物の前脚に絡みつく。
しかし、魔物は身体をひねり、鎖を引きちぎろうとした。
「……っ、なんて力!」
「レイナ!」
「任せて!」
レイナが盾を構え、魔物の突進を受け止める。
ドォン!!
床が震えた。
その隙にヴァルトが横から斬り込む。
ガキィン!
剣が、魔物の首元に埋まった銀色の結晶をかすめた。
その瞬間。
魔物の動きが止まった。
「……?」
ヴァルトが剣を引く。
銀色の結晶が、一度だけ強く光った。
そして魔物は、苦しむように身をよじった。
「待って!」
ソアが叫んだ。
「今、結晶に当たったよね!?」
「そうだが……」
「もう一度、そこを斬れば倒せるかもしれない!」
「それはそうかもしれないが――」
「よし!」
ソアが剣を構える。
「結晶を狙えばいいんだね!」
「待て、ソア!」
エリアスの声が響いた。
しかし、ソアはすでに踏み込んでいた。
「えいっ!」
剣が銀色の結晶へ振り下ろされる。
キィィィィン!!
甲高い音が鳴り響いた。
剣先が結晶に触れた瞬間、部屋全体が銀色に染まる。
壁に並んでいた石板が、一斉に光り始めた。
そこに浮かび上がったのは、文字だった。
――警告。
――記録領域への損傷を検知。
――保存記録の消失率、上昇中。
「……え?」
ソアの動きが止まった。
「記録……の、消失?」
魔物の首元に埋め込まれた結晶が、不規則に明滅している。
ミレイユが目を見開いた。
「まさか、この結晶そのものが記録装置と繋がっているの!?」
「そうだ!」
エリアスが叫ぶ。
「そいつらは、記録庫の防衛機構だ! 結晶を破壊すれば、守っている記録まで損傷する可能性がある!」
「えええええっ!?」
ソアは慌てて剣を引いた。
「先に言ってよぉぉぉ!!」
「私も今、気づいたのだ!」
「じゃあ仕方ないけど!」
「納得が早いな!?」
ヴァルトが叫ぶ。
しかし、安心している暇はなかった。
結晶の明滅が激しくなる。
五匹の魔物が、同時に低く唸った。
グルルルル……。
そして、ソアたちから一斉に距離を取る。
まるで、次の行動を選んでいるようだった。
「……待って」
ソアが呟いた。
「こいつら、私たちを倒したいんじゃないのかも」
「どういうこと?」
レイナが盾を構えたまま問い返す。
「だって、最初に攻撃してきたのは私たちが台座に近づこうとしたときだった。今も、結晶を壊そうとしたら反応した」
ソアは剣先を下げた。
「もしかして、記録を壊されないようにしてるだけなんじゃない?」
ミレイユが魔物たちを見つめる。
「……あり得るわね。魔力の流れも、攻撃というより、何かを遮断しようとしているように見える」
「なら、どうする?」
ヴァルトが尋ねた。
ソアは少し考えた。
そして――
「……話しかけてみる?」
「魔物に?」
「うん」
「……ソア」
レイナが慎重に言葉を選ぶ。
「魔物が言葉を理解するとは限らないわよ」
「でも、試してみないと分からないじゃん」
「……確かに、そうね」
レイナは少しだけ笑った。
「あなたらしい考え方だわ」
ソアは一歩前へ出た。
剣を鞘に戻す。
盾も床へ置いた。
「ちょっと、ソア!?」
ミレイユが声を上げる。
「大丈夫。何かあったら、みんなが助けてくれるでしょ?」
「……そういう問題じゃないのよ!」
それでも、ミレイユは呪鎖を消さなかった。
いつでも助けられるよう、魔力を保っている。
ソアは両手をゆっくりと上げた。
「ねえ。私たちは、この記録を壊しに来たんじゃないよ」
魔物たちが、じっとソアを見つめる。
「この村の人たちが何を考えて、何を守ろうとしたのか。それを知りたいだけなんだ」
銀色の瞳が揺れた。
首元の結晶が、かすかに光る。
ソアは続けた。
「だから、お願い。少しだけ、調べさせてくれないかな?」
沈黙。
誰も動かない。
やがて、一匹の魔物がゆっくりと前へ出た。
「……!」
レイナが息を呑む。
魔物はソアの前で立ち止まると、首を少しだけ下げた。
そして――
コツン。
ソアの胸当てに、額を軽く押し当てた。
「……え?」
魔物の結晶が、淡い銀色に輝く。
《巡りの雫》も、それに応えるように光った。
その瞬間、ソアの視界に文字が浮かび上がった。
――記録防衛機構。
――外部接触を確認。
――敵対判定、保留。
――記録保持者の意思を照合します。
「……敵じゃない、ってこと?」
ソアは小さく呟いた。
魔物は返事をしない。
ただ、首元の結晶がゆっくりと明滅していた。
その光は、どこか悲しげに見えた。
◇
しばらくして。
記録庫の中央にある台座が、静かに動き始めた。
銀色の光が広がり、石板の文字が次々と浮かび上がる。
――帰還者記録、断片的な復元を開始。
「記録が……戻っている?」
エリアスが息を呑んだ。
銀眼の魔物たちは、台座を囲むように移動した。
まるで、長い間守り続けてきたものを、ようやく誰かに託そうとしているかのように。
やがて、光の中に一人の女性が映し出された。
古い衣服をまとい、幼い子どもの手を握っている。
背景には、荒れ果てた村の風景。
女性は、誰かに語りかけるように口を開いた。
『……もし、この記録を見ている人がいるのなら』
『どうか、私たちを哀れまないでください』
ソアたちは、息を潜めた。
『私たちは、世界樹との繋がりを失ったあとも、生きることを選びました』
『誰かに助けてもらうことだけを望んだのではありません』
『自分たちの手で暮らしを作り、次の世代に何かを残そうとしたのです』
女性は、隣にいる子どもの頭を優しく撫でた。
『けれど、私たちの記録が王都に戻れば、私たちが守ろうとしたものまで、再び誰かの管理下に置かれてしまうかもしれない』
『だから、私たちは記録を閉じることにしました』
映像が揺れる。
『これは、王都への恨みからではありません』
『私たち自身の暮らしを、私たち自身で選ぶためです』
そこで、映像が途切れた。
「……」
ソアは、しばらく言葉を失っていた。
記録を閉ざした理由。
それは、誰かを罰するためでも、歴史を隠して世界を支配するためでもなかった。
自分たちの生き方を、自分たちで選ぶため。
「……そっか」
ソアは、魔物の首元にある結晶を見つめた。
「だから、今までずっと守っていたんだね」
銀眼の魔物は、静かに目を閉じた。
まるで、長い年月を越えて、ようやくその言葉を受け取ったかのようだった。
しかし。
台座に浮かび上がった文字は、まだ消えていなかった。
――記録復元率、十二パーセント。
――未復元領域、残存。
――記録保持者の最終意思、未確認。
「……十二パーセント?」
ソアは首を傾げた。
「まだ、ほとんど残ってないってこと?」
「いや」
エリアスが、険しい顔で台座を見つめた。
「これは単なる記録の欠損ではない。誰かが意図的に閉じた領域が、まだ残っているのだ」
「じゃあ、そこを開けば……」
「この村が最後に何を選んだのか、分かるかもしれない」
そのとき。
記録庫の奥から、低い音が響いた。
ゴゴゴゴゴ……。
銀眼の魔物たちが、一斉に顔を上げる。
そして、今までとは明らかに違う反応を示した。
首元の結晶が、激しく明滅する。
グルルルルル……!
「……何?」
ソアが振り返る。
記録庫のさらに奥。
閉ざされていた通路の先で、何かが動いていた。
エリアスの顔から血の気が引いた。
「……そんなはずはない」
「エリアス?」
「この先にあるのは、記録を閉じるための最終装置だけだ。動くはずがない……!」
次の瞬間。
通路の奥から、機械のような声が響いた。
『記録への不正接続を検知』
『防衛機構を再起動します』
銀眼の魔物たちが、ソアたちと装置の間に立ちはだかった。
先ほどまでとは違う。
今度は、明確に何かから守ろうとしている。
「……っ!」
レイナが盾を構える。
「全員、警戒して!」
ミレイユの呪鎖が展開され、ヴァルトが剣を握り直した。
ソアも盾を拾い上げる。
「……せっかく、ちょっと仲良くなれたと思ったのに!」
「今はそんなことを言っている場合か!」
「分かってるよ!」
ソアは奥の通路を見つめた。
記録を守る魔物たち。
そして、記録を閉じるための最終装置。
この村の最後の意思を知るためには、まだ越えなければならないものがある。
ソアは一度、深く息を吸った。
「……よし」
剣を構え直す。
「今度は、壊さないように戦おう!」
「最初からそうしなさい!」
ミレイユの声が響いた。
銀色の光が、再び記録庫を満たしていく。
そして、忘れられた村の最後の記録を巡る戦いが、始まろうとしていた。




