第150話 帰還者の村
銀色の光が消えたあと。
ソアたちは、しばらく誰も口を開かなかった。
目の前にあるのは、古びた石造りの部屋。
壁には無数の文字が刻まれ、中央には第八の記録へと繋がる装置が静かに佇んでいる。
先ほどまで映し出されていた、かつての北方王都。
世界樹の力に満ちた、輝かしい都市。
そして、その力を誰に分け与えるのかを巡って、人々が選択を迫られた歴史。
すべてが消えた今、残されたのは静寂だけだった。
「……なんか、考えさせられる話だったね」
ソアがぽつりと呟いた。
「力を集めた人たちが悪かった、ってだけじゃないんだよね」
「そうだな」
ヴァルトが腕を組む。
「最初は誰かを守るためだったのかもしれない。だが、一度握った力を手放せなくなった」
「守るために始めたことが、いつの間にか誰かを苦しめていた……ということね」
レイナの言葉に、ミレイユも小さく頷いた。
「厄介なのは、本人たちがそれを正しいと信じていた可能性があることよ」
「……うん」
ソアは胸元のペンダントに触れた。
《巡りの雫》は、淡い銀色の光を返している。
その光を見つめながら、ソアはエリアスへと向き直った。
「ねえ、エリアス」
「何だ?」
「さっきの記録に出てきた人たちって、みんな王都にいた人なの?」
「いや」
エリアスはゆっくりと首を振った。
「王都に暮らしていた者もいれば、王都の外にいた者もいる。世界樹との接続が制限されたあとも、この地に残った者たちがいた」
「この地に……?」
「そうだ。彼らは王都から離れた村々に住み、限られた魔力で生活を続けた」
エリアスは、部屋の壁に刻まれた文字を見上げた。
「その者たちを、王都の記録ではこう呼んでいた」
一瞬の沈黙。
「――帰還者」
ソアは目を瞬かせた。
「帰還者って……どこから帰ってきたの?」
「それは、彼ら自身が決めた名だ。世界樹との繋がりを失ったあとも、いつか再び世界の循環へ戻ることを願った者たち。あるいは、一度離れた繋がりを、自分たちの意思で結び直そうとした者たちだ」
「……そっか」
ソアは考え込んだ。
帰還者。
単に王都から逃げた人たちではない。
失われたものを、もう一度取り戻そうとした人たち。
「じゃあ、この村も……?」
「その可能性は高い」
エリアスは頷いた。
「だが、正確なことはまだ分からない。この村がいつまで存続し、何を守り、なぜ記録から姿を消したのか。それを知るには、残された記録を調べる必要がある」
「よし!」
ソアは勢いよく立ち上がった。
「じゃあ、調べよう!」
「……ずいぶん簡単に言うな」
「だって、気になるじゃん!」
ソアは胸を張った。
「ここまで来て、分からないまま帰るなんてもったいないよ!」
「お前の場合、調査より先に遺跡の床を壊さないか心配だ」
「壊さないよ!」
ヴァルトが視線を落とす。
ソアの足元には、細かな石片が散らばっていた。
「……さっき、立ち上がったときに踏んだだろ」
「これは床が古かっただけ!」
「便利な言い訳ね」
ミレイユが呆れた声を出した。
「その理屈なら、あなたが転んでも地面の責任になるわね」
「そうだよ!」
「認めるな!」
レイナのツッコミが、静かな遺跡に響いた。
◇
地下遺跡を出ると、森には薄い霧が立ち込めていた。
村の入口へ戻ったソアたちは、改めて周囲を調べ始めた。
崩れた家屋。
苔に覆われた井戸。
倒れた柵。
どれも長い年月を感じさせるものばかりだ。
しかし、不思議なことに、すべてが完全に朽ちているわけではなかった。
家の扉には、最近ついたような傷がある。
井戸の縁には、誰かが何度も触れたような跡が残っている。
そして、村の広場にある石造りの台には、薄く埃をかぶった金属板が置かれていた。
「……ここ、誰かが来てるよね?」
ソアがしゃがみ込み、金属板を覗き込む。
「足跡も残っているわ」
レイナが地面を確認した。
「ただし、少なくとも数日は前のものね」
「魔物の足跡も混じっているな」
ヴァルトが周囲を警戒する。
「銀色の結晶を持った連中か?」
「おそらくね」
ミレイユは魔力を探るように目を閉じた。
「この場所には、まだ微弱な魔力が残っている。けれど、単なる魔物の巣という感じではないわ」
「守ってる……とか?」
ソアの問いに、ミレイユは目を開いた。
「その可能性はあるわね。少なくとも、無差別に襲いかかってくるだけの魔物とは違う印象を受ける」
ソアは金属板へ視線を戻した。
そこには、見覚えのある紋章が刻まれていた。
小さな王冠。
その周囲を囲む、七本の線。
《巡りの雫》が、胸元でかすかに震える。
「……やっぱり、これも関係あるんだ」
ソアが金属板に触れようとした、そのとき。
「待て」
エリアスが静かに制した。
「不用意に触れるな。これは記録装置の一部かもしれない」
「……あ、そっか。ごめん」
ソアは素直に手を引っ込めた。
すると、エリアスは金属板の周囲を調べ、縁にある小さな刻印を指でなぞった。
「ここに、古い文字がある」
「何て書いてあるの?」
「……『記録の開示には、帰還者の意思を必要とする』」
その言葉に、全員が顔を見合わせた。
「帰還者の意思……?」
レイナが繰り返す。
「記録を開くために、誰かの意思が必要ってことかしら」
「そうだろうな」
エリアスは金属板から手を離した。
「王都の装置は、記録を残すためのものだ。だが、すべてを無条件に公開する仕組みではなかったのだろう」
ソアは眉を寄せた。
「でも、村の人たちはもういないんじゃ……」
言いかけて、口を閉じる。
それは、まだ分からない。
村が滅びたのか。
人々が別の土地へ移ったのか。
それとも、あえて記録を閉じたのか。
何も確かめられていないのだ。
「……決めつけるのは、まだ早いね」
ソアは小さく頷いた。
「まずは、ここに何が残っているのか調べよう」
◇
村の奥には、他の建物よりも大きな石造りの建物があった。
入口の上には、王冠と七本の線。
その下に、かろうじて読める文字が刻まれている。
――帰還者記録庫。
「記録庫……!」
ソアの目が輝いた。
「ここなら、村のことが分かるかもしれない!」
「待ちなさい。今度こそ慎重に――」
ミレイユが言い終える前に、ソアは入口の前へ駆け寄っていた。
ガシャッ!
鎧が大きな音を立てる。
「……ソア」
「大丈夫! 今回は触ってないよ!」
「走って近づくこと自体を慎重にしなさい!」
レイナが額を押さえた。
ソアは入口の前で立ち止まり、扉に刻まれた紋章を見上げた。
すると。
胸元の《巡りの雫》が、ひときわ強く輝いた。
銀色の光が紋章へと流れ込む。
カチリ。
扉の内側から、小さな音がした。
だが、扉は開かない。
代わりに、石壁の一部が淡く光り、文字が浮かび上がった。
――記録保持者の意思を確認してください。
「……また、意思?」
ソアが首を傾げる。
続いて、別の文字が浮かんだ。
――記録保持者、所在不明。
――代替認証を開始します。
――継承者候補、ソア・ミュスカ。
「えっ!?」
ソアは思わず自分を指さした。
「私!?」
ヴァルトが剣の柄に手を置く。
「おい。何かが起きるぞ」
レイナも盾を構え、ミレイユは魔力を集中させた。
エリアスだけが、浮かび上がった文字を見つめたまま動かなかった。
「……そんなはずはない」
「エリアス?」
「この記録庫は、王都の管理者でさえ自由には開けなかった。継承者を選ぶ機能が残っているとは……」
彼の声が、わずかに震えていた。
そのとき。
扉の向こうから、かすかな音が聞こえた。
コツン。
コツン。
まるで、誰かが内側から扉を叩いているような音。
ソアは息を呑んだ。
「……誰か、いるの?」
返事はない。
もう一度。
コツン。
今度は、扉の向こうから声が響いた。
『……まだ、記録を受け取る者がいたのか』
古びた声だった。
けれど、確かに生きた人間の声のように聞こえた。
ソアは一歩、扉に近づいた。
「ねえ! あなたは誰?」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、声が答えた。
『私は、この村の最後の記録を守る者』
『そして――』
扉の紋章が、ゆっくりと輝き始める。
『お前たちが知ろうとしている歴史を、あえて閉ざした者の一人だ』
ソアの表情が変わった。
エリアスが、かすれた声で呟く。
「……まさか」
扉の奥から、再び声が響いた。
『世界樹との繋がりを失ったあと、我々は何を選んだのか』
『その答えを知る覚悟があるのなら――』
ゴゴゴゴゴ……。
重い音とともに、石の扉がわずかに開き始めた。
『入るがいい』
銀色の光が、隙間から溢れ出す。
ソアは剣の柄を握り直した。
そして、仲間たちを振り返る。
「……行こう」
いつもの明るい声ではなかった。
けれど、迷いもなかった。
「この人たちが何を守ろうとしたのか、ちゃんと聞きたい」
レイナが頷く。
「ええ。一緒に行きましょう」
ミレイユも微笑んだ。
「今度は、扉を壊さないで済むといいわね」
「私、そんなに扉を壊してないよ!?」
「否定できるほどではないな」
「ヴァルトまで!?」
小さな笑いが、張り詰めた空気をほんの少しだけ和らげた。
ソアたちは、ゆっくりと開く扉の向こうへ足を踏み入れる。
そこに残されているのは、失われた村の記録。
そして、歴史から消えることを選んだ人々の、本当の意思。
その選択が正しかったのかどうか。
まだ、誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは――
**この村の人々は、ただ歴史から消されたわけではなかった。**
彼ら自身もまた、何かを守るために、記録を閉ざしたのだ。
その理由を知るための扉が、今、開かれた。




