第149話 八つ目の器は存在しない
銀色の光が、部屋いっぱいに広がった。
ソアは思わず目を閉じる。
次に目を開けたとき、そこはもう地下遺跡ではなかった。
「……わあ」
目の前には、巨大な王宮がそびえていた。
石畳の道。
立ち並ぶ店。
広場で遊ぶ子供たち。
空を横切る、小さな魔力船。
街のあちこちには銀色の結晶が埋め込まれ、淡い光を放っている。
人々の表情は明るく、街には活気が満ちていた。
「これが……北境王国?」
レイナが呟いた。
「ああ。私が生きていた頃の王都だ」
隣に立つエリアスが答える。
その姿も、先ほどまでとは少し違っていた。
銀髪は同じだが、衣装には王国の記録官を示す紋章があり、顔つきにも若々しさが残っている。
ここに映し出されているのは、過去の記録なのだろう。
「すごいね……」
ソアは周囲を見回した。
「こんなに大きな街だったんだ」
「当時は北方交易の中心地だった。多くの種族が行き交い、世界樹の力を利用した技術も発達していた」
「世界樹の力を使って、何をしていたの?」
「街の照明、農地の管理、魔力船の運行。医療にも利用していた。人々の暮らしは、今のお前たちが知る国々より便利だった部分もある」
「へえ……」
ソアは感心した。
そして、街の中央を見上げる。
そこには、巨大な塔が立っていた。
塔の頂上から、銀色の光が空へと伸びている。
「……あれが、世界樹との接続装置?」
「そうだ。王国は世界樹から力を受け取り、必要な場所へ分配していた」
エリアスの表情が曇った。
「少なくとも、最初はな」
その言葉に、ミレイユが反応する。
「最初は、ということは……途中で何かが変わったのね」
「ああ」
エリアスは歩き始めた。
「見れば分かる」
*
場面が切り替わった。
今度は王宮の会議室だった。
長い机を囲むように、十数人の人物が座っている。
その中央には、王冠を身につけた男性がいた。
王だろう。
机の上には、大量の報告書が積まれている。
『北部農地、魔力供給量が不足』
『隣接領との資源配分を巡る衝突が発生』
『接続装置の負荷、許容値を超過』
報告が読み上げられるたび、会議室の空気が重くなっていく。
「世界樹から受け取れる力には限りがある」
王が言った。
「このままでは、すべての地域に必要な力を届けることはできない」
「供給量を増やすことはできないのですか?」
一人の大臣が尋ねた。
「できる。だが、その場合、他の地域への供給を減らさなければならない」
「それでは、別の地域で問題が起きます」
「ならば、優先順位を決めるしかあるまい」
その一言で、会議室がざわついた。
誰を優先するのか。
どの地域を切り捨てるのか。
どれだけ議論しても、全員が納得する答えは見つからない。
ソアは映像を見つめた。
「……難しいね」
「そうだな」
レイナが頷いた。
「全員を守りたいと思っても、すべてを同時に守れない状況はある」
「でも、それで誰かを切り捨てるって決めちゃったら……」
「その決断の責任を、誰が負うのかも問題になるわね」
ミレイユが続けた。
エリアスは黙っていた。
やがて映像の中で、王が一枚の書類を机に置いた。
『世界樹との接続を制限する計画』
その文字を見た瞬間、エリアスの表情が変わった。
「……ここからだ」
彼が小さく呟いた。
*
計画の内容は、単純だった。
王国は、世界樹から供給される力をすべての地域へ均等に届ける仕組みを諦め、王国が管理する範囲だけに供給を集中させようとしていた。
そうすれば、王国の内部では安定した暮らしを維持できる。
だが、その代わりに、王国の外にある集落や小さな村には、十分な力が届かなくなる。
「……これって」
ソアは眉を寄せた。
「管理者がやろうとしていたことと、似てる?」
「完全に同じではない」
エリアスは答えた。
「王国は、世界全体を支配しようとしたわけではない。だが、自分たちの暮らしを守るために、外側の人々を切り離そうとした」
「……」
「最初は、一時的な措置のはずだった。ところが、一度供給を制限すると、切り離された地域では生活が立ち行かなくなった。そこで問題を解決するため、さらに強い制御が必要になった」
映像の中では、会議が続いていた。
『制御範囲を拡大すべきです』
『外部地域への供給は停止するしかありません』
『王国を守るためです』
その言葉が、何度も繰り返された。
やがて、王は決断を下した。
『接続制限計画を承認する』
ソアは唇を噛んだ。
「守るために始めたことなのに……」
「守る範囲を決めた時点で、守られない者が生まれた」
レイナの声は静かだった。
「そして、一度決めた範囲を守ろうとすると、その外側を切り捨てる理由が増えていく」
彼女は、かつての自分を思い出しているようだった。
一人で仲間を守ろうとしたこと。
すべてを受け止めようとして、周囲を頼れなかったこと。
守ることだけを考えていたはずなのに、いつの間にか、自分以外の力を受け入れることを恐れていた。
「……守るって、難しいね」
ソアが呟いた。
「ええ」
レイナは頷いた。
「だからこそ、一人で決めてはいけないこともある」
*
再び、映像が切り替わった。
今度は、王宮の地下だった。
銀色の装置が並ぶ部屋で、数人の技術者が作業している。
その一角に、七つの器を模した装置があった。
巨大な籠手。
翼を思わせる部品。
盾。
鎖。
砲身。
剣。
そして、中央に設けられた空の台座。
「……七つの器の原型?」
ヴァルトが思わず声を上げた。
「そうだ」
エリアスが答える。
「王国は、世界樹の力を制御するため、七つの機能を研究していた。力を生み出すのではなく、受け取り、守り、つなぎ、変換し、余分な力を切り離すための機能だ」
「じゃあ、あの空の台座は?」
ソアが尋ねた。
「第七の器に関わる記録を保存する場所だ。武器を置くための台座ではない」
ヴァルトが目を見開いた。
「待て。では、第七の器は最初から武器ではなかったのか?」
「そうだ。七つの器という呼び方が広まるうちに、すべてが武器の形をしていたかのように伝えられた。だが、本来は役割の総称だった」
ソアは少し考えた。
「じゃあ……第八の記録も、器の一つじゃないんだね?」
「その通りだ」
エリアスは頷いた。
「第八の記録は、力を扱うための機能ではない。力を扱った者たちが何を選び、その結果、誰が取り残されたのかを記録するために作られた」
銀色の板が、ソアの胸元のペンダントに反応して輝いた。
「七つの器が力の循環を支えるのなら、第八の記録は、その循環の中で見落とされた声を残すものだった」
「……力をどう使ったかだけじゃなくて、誰が困ったのかも残すんだ」
「そうだ」
エリアスは静かに答えた。
「力を持つ者が、自分の選択だけを正しいと思い込まないために」
ミレイユは腕を組んだ。
「でも、記録を残すだけで、問題が解決するわけではないでしょう?」
「その通りだ。記録を残しても、誰も読まなければ意味はない。読んでも、何も変えようとしなければ同じことだ」
エリアスはソアを見た。
「だからこそ、記録を次へ渡す者が必要だった」
ソアはペンダントを握りしめた。
受け取って、次へ渡す。
シードが選んだ役割と、よく似ている。
けれど、シードは記憶を受け取ることを自分で選んだ。
誰かに命じられたからではない。
「……ねえ、エリアス」
「何だ?」
「あなたは、この記録をずっと一人で守ってきたの?」
エリアスは、すぐには答えなかった。
やがて、小さく頷いた。
「そうだ」
「……寂しくなかった?」
ミレイユが何か言おうとしたが、エリアスは先に口を開いた。
「寂しいかどうかを考える余裕はなかった。記録を守ることが、私の最後の役目だったからな」
「でも、それはあなたが決めたこと?」
ソアの問いに、エリアスは顔を上げた。
「……何?」
「記録を守ること。ずっとここに残ること。それって、あなた自身がやりたいと思ったことだったの?」
沈黙が流れた。
エリアスは、初めて答えに詰まったようだった。
「私は……」
その瞬間、映像が乱れた。
銀色の光が明滅し、王宮の景色が崩れていく。
エリアスが顔を上げた。
「……時間か」
「えっ、もう終わり!?」
ソアが叫ぶ。
「まだ聞きたいことがいっぱいあるんだけど!」
「心配しなくても、記録は消えない」
「そういう問題じゃないよ!」
ガシャッ。
ソアが一歩踏み出した拍子に、胸当ての補修部分が嫌な音を立てた。
「……あ」
レイナが視線を落とす。
「ソア、胸当てが……」
「大丈夫! まだ壊れてない!」
ガシャン。
小さな金属片が床に落ちた。
「…………」
「…………」
「……修理費、増えるかな」
ソアは青ざめた。
「そこを心配するの!?」
ミレイユの声が、記録の崩れていく部屋に響いた。
エリアスは、その様子を不思議そうに見つめていた。
そして、ふっと笑った。
「……なるほど」
「何が?」
ソアが顔を上げる。
「お前は、力を手放すことを知っている。だが、鎧を手放すつもりはないのだな」
「当たり前だよ!」
ソアは即答した。
「鎧は大事なものなんだから!」
エリアスはしばらく彼女を見つめていた。
「……そうか」
その表情には、先ほどまでとは違う柔らかさがあった。
「ならば、私もそろそろ考えなければならないのかもしれない」
「何を?」
「記録を守り続けることと、記録を誰かに渡すこと。その違いを」
銀色の光が消えた。
ソアたちは、再び地下遺跡の部屋へ戻っていた。
中央の台座には、銀色の板が静かに浮かんでいる。
その表面に、新たな文字が刻まれた。
『次の記録――王領北境、接続制限計画』
『開示条件――記録保持者の承認』
エリアスは、銀色の板を見つめていた。
「……次は、王国が何を隠したのかを見せよう」
彼はソアたちに向き直った。
「そして、その記録を見たうえで、お前たちに判断してほしい」
「何を判断するの?」
「この記録を、世界へ公開するべきかどうかだ」
ソアは目を瞬かせた。
「……私たちが決めるの?」
「いや」
エリアスは首を振った。
「私一人で決めるべきではなかった。だからこそ、今度は誰かと一緒に考えたい」
その言葉を聞いて、レイナが静かに頷いた。
「分かった。まずは、すべての記録を確認しましょう」
「ええ。知らないまま判断するわけにはいかないわね」
ミレイユも同意した。
ヴァルトは腕を組み、銀色の板を見つめている。
「……歴史に残っていないからといって、存在しなかったことにはならない。ならば、知る必要はある」
ソアは笑顔で頷いた。
「うん。みんなで考えよう」
そして、ふと胸元を見下ろす。
「……その前に、鎧を直さなきゃ」
「結局そこに戻るのね……」
ミレイユが深いため息をついた。
しかし、ソアは真剣だった。
大切なものを守ること。
手放すこと。
そして、自分だけで抱え込まず、誰かと一緒に考えること。
その意味を、彼女は少しずつ理解し始めていた。
けれど――
北境王国が世界樹との接続を断った、本当の理由はまだ明らかになっていない。
銀色の板には、次の記録が静かに待っていた。
『王領北境――接続制限計画、最終承認記録』
その記録には、王国が最後に選んだ、もう一つの真実が残されていた。




