第148話 門の向こうの記録保持者
銀色の門が、ゆっくりと開いていく。
その向こうに広がっていたのは、巨大な部屋だった。
天井は高く、壁には無数の銀色の結晶が埋め込まれている。
床の中央には円形の紋様。
その奥に、一人の人物が立っていた。
長い銀髪。
白を基調とした古風な衣装。
胸元には、小さな王冠と七本の線を組み合わせた紋章がある。
年齢は分からない。
若者のようにも見えるし、長い年月を生きた老人のようにも見えた。
その人物は、ソアたちを見ると静かに口を開いた。
「……ようやく、来たか」
「えっと……こんにちは?」
ソアは片手を上げた。
沈黙。
「……」
「……」
「……あれ?」
ソアは首を傾げた。
「こういうときって、まず挨拶じゃないの?」
「相手が何者かも分からないのに、気軽に挨拶するな」
ヴァルトが小声で注意した。
「でも、向こうも話しかけてきたよ?」
「だからといって、警戒を解いていい理由にはならない」
「……こんにちは、でいいじゃない」
ミレイユが呆れたように言った。
「ほら!」
「あなたは少し黙っていなさい」
「なんで!?」
そんなやり取りをしている間も、銀髪の人物は黙ってソアを見つめていた。
やがて、その視線が彼女の胸元へ移る。
「そのペンダント……《巡りの雫》か」
「知ってるの?」
「知っている。だが、私が知るものとは少し違う」
人物は目を細めた。
「以前は、世界樹の力を導くためのものだった。今は……その力を無理に導く必要がなくなっている」
ソアはペンダントを握った。
淡い光が、指の間から漏れる。
「世界樹の循環が戻ったから?」
「そうだ」
人物は頷いた。
「だが、循環が戻ったことと、世界が変わったことは同じではない」
その言葉に、レイナが一歩前へ出た。
「あなたは何者なの?」
「それを説明する前に、ひとつ聞きたい」
人物はレイナの問いには答えず、ソアを見た。
「お前は、始源の管理者を止めたのだな」
「うん」
「世界樹に集められていた力を解放し、再び世界へ流した」
「そうだよ」
「ならば、もう誰も力を独占しないと保証できるか?」
「……え?」
ソアは言葉に詰まった。
人物は淡々と続ける。
「人々は、力を手にすれば使いたくなる。使えば、さらに多くを求める。やがて他者から奪い、守るためだと言いながら争いを始める」
「……」
「それを止めようとした者がいた。お前たちが倒した管理者も、その一人だ」
ヴァルトの表情が険しくなった。
「だからといって、すべての力を一人に集めていい理由にはならない」
「分かっている」
人物は静かに答えた。
「だから私は、あの者のやり方を認めてはいない」
「……じゃあ、何が聞きたいの?」
ソアが尋ねた。
「世界は、本当に変わったのか。それを知りたい」
人物の声には、怒りも憎しみもなかった。
ただ、長い時間をかけて積み重なった疑問だけがあった。
「お前たちは、世界樹を救った。だが、その先にあるものを見たのか?」
「その先?」
「力を独占する者がいなくなれば、争いもなくなるのか。誰かが大切なものを失ったとき、他人から奪わずにいられるのか。自分の正しさを信じた者が、再び誰かを傷つけることはないのか」
ソアはすぐには答えなかった。
世界樹を救ったとき、すべての問題が消えたわけではない。
ヴァルトには償うべき過去がある。
管理者にも、向き合わなければならない過去がある。
そして、自分たちだって、いつも正しい選択ができるとは限らない。
「……分からない」
ソアは正直に答えた。
人物の目が、わずかに動いた。
「分からない、か」
「うん。たぶん、これからも間違えると思う」
ソアは自分の鎧を見下ろした。
胸当てには傷が残っている。
肩当ても、腕当ても、完全には直っていない。
「でも、間違えたら考えるよ。何が悪かったのか。次はどうすればいいのか。自分だけで分からなかったら、仲間にも相談する」
「それで、世界が変わると?」
「それだけで変わるとは思わない」
ソアは顔を上げた。
「でも、何も変えられないとも思わないよ」
銀髪の人物は黙っていた。
ソアは続ける。
「管理者だって、最後には自分のやったことと向き合うって決めた。過去が消えたわけじゃないし、許されたわけでもない。でも、これからどうするかは、まだ決められる」
人物の表情が、初めてわずかに揺らいだ。
「……あの者が、自分の意思で?」
「うん」
「誰かに命じられたのではなく?」
「うん。自分で決めたんだよ」
長い沈黙が流れた。
やがて、人物は小さく息を吐いた。
「そうか……」
その声には、ほんの少しだけ安堵が混じっていた。
しかし、すぐに表情を引き締める。
「ならば、もうひとつ確かめなければならない」
「まだあるの!?」
ソアが思わず叫んだ。
「……何だ?」
「いや、だって! さっきから質問が多いよ! 私たち、ここまで結構歩いてきたんだけど!」
「ソア」
レイナがそっと肩に手を置いた。
「気持ちは分かるけれど、今は大切な話だから」
「……はーい」
ソアは口を尖らせた。
人物は、そんな彼女を見てわずかに笑った。
「なるほど。確かに、記録に残された人物像とは違うな」
「えっ、私の記録があるの!?」
「いや。お前自身の記録ではない」
人物は壁に手をかざした。
すると、空中に銀色の映像が浮かび上がった。
そこに映っていたのは、かつての北境王都だった。
高い塔。
賑やかな市場。
人々が行き交う広場。
そして、中央にそびえる王宮。
「ここは、かつて王領北境の中心だった場所だ」
人物が説明する。
「世界樹の力を利用する技術が発達し、多くの人々が暮らしていた。だが、ある時から、王国の記録に不自然な欠落が生まれ始めた」
「記録の欠落……?」
「人が消えた。村が消えた。あるはずの歴史が、最初から存在しなかったかのように書き換えられた」
ミレイユが眉をひそめた。
「それを、始源の管理者が?」
「一部は、そうだ」
人物は肯定した。
「だが、すべてではない」
「……どういうこと?」
レイナが問い返す。
「人々の中にも、記録を消そうとした者がいた。誰かを守るために。あるいは、自分たちの過ちを隠すために」
銀色の映像が切り替わる。
今度は、王宮の一室。
机を囲む複数の人影が映し出された。
彼らは何かを激しく言い争っている。
やがて、一人が立ち上がり、机の上に置かれた文書を破り捨てた。
『この記録は残してはならない』
映像に文字が浮かんだ。
『北境の民は、世界樹から切り離されたのではない』
『自ら、世界樹との接続を断ったのだ』
「……え?」
ソアは目を見開いた。
銀髪の人物は、静かに告げた。
「お前たちが見つけた村は、世界樹から見捨てられた場所ではない」
「……」
「彼らは、自分たちの意思で離れたのだ」
部屋の空気が変わった。
世界樹の循環から切り離された土地。
歴史から消えた人々。
そして、帰還者の村。
これまで考えていたことが、少しずつ違う形を見せ始めていた。
「……どうして?」
ソアが尋ねた。
「世界樹から離れなければならない理由があったの?」
「そうだ」
人物は、映像の中の王都を見つめた。
「彼らは、世界樹の力を失うことを恐れたのではない」
一瞬、銀色の光が揺らいだ。
「世界樹の力を持つことで、自分たちが何をしてしまうのか。それを恐れたのだ」
ソアは、ゆっくりと息を吸った。
力を独占しようとした者たち。
力を手放そうとした者たち。
そして、力を持つことそのものに疑問を抱いた者たち。
北境王国には、七つの器の伝承だけでは語れない歴史があった。
人物はソアを見た。
「私は、この記録を守るために残された」
「……あなたの名前は?」
ソアの問いに、人物は少しだけ目を伏せた。
「名前か……」
まるで、その言葉を口にすること自体が、遠い記憶を呼び起こすようだった。
「今の私に、その名を名乗る資格があるかは分からない」
「資格なんて、別にいらないと思うけど」
ソアはあっさりと言った。
「名前は名前でしょ?」
人物が顔を上げた。
そして、初めてはっきりと微笑んだ。
「……そうだな」
彼は胸元の紋章に手を添えた。
「私の名は、エリアス」
「エリアス……」
「かつて、北境王国で記録官を務めていた者だ」
エリアスは、壁に浮かぶ王都の映像を見つめた。
「そして、王国が最後の日を迎えたとき、私は一つの選択をした」
映像が暗転する。
その中央に、赤い文字が浮かび上がった。
『北境王都――最終記録』
『記録開示条件――記録保持者本人の承認』
エリアスは静かに言った。
「お前たちに見せなければならないものがある」
ソアは剣の柄から手を離した。
「それは……何?」
「私が守ろうとしたもの。そして、私が守れなかったものだ」
銀色の光が、部屋いっぱいに広がった。
「すべてを知ったうえで、それでもお前が世界は変わったと言えるのか――」
エリアスはソアを見つめた。
「それを、確かめさせてほしい」
ソアは少しだけ考えた。
そして、いつものように笑った。
「うん。見せて」
鎧が、ガシャリと鳴る。
「ただし、見終わったら質問してもいいよね?」
「……もちろんだ」
「あと、できれば椅子があると嬉しいな。鎧が重くて……」
「ソア!」
「だって、本当に重いんだもん!」
ミレイユが額を押さえ、ヴァルトが深いため息をつく。
レイナだけは、苦笑しながらソアの隣に立った。
エリアスは、その光景を見つめていた。
そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……そうか」
「世界は、まだ……変わることができるのかもしれないな」
次の瞬間、銀色の光がすべてを包み込んだ。
北境王国、最後の日。
その真実が、今、明かされようとしていた。




