第147話 地下遺跡と、第八の記録
石段は、思っていたよりも深かった。
壁に埋め込まれた銀色の結晶が、一定の間隔で淡く光っている。
その光は、世界樹の緑色の輝きとは違っていた。
冷たく、静かで。
まるで、ずっと昔に止まった時間が、ここだけ残されているようだった。
「……なんだか、不思議な場所だね」
ソアは足元を確かめながら、一段ずつ階段を下りていく。
ガシャッ。
鎧が鳴った。
ガシャッ。
もう一度、鳴った。
「……やっぱり、階段は鎧に厳しい」
「今さら気づいたのか?」
後ろを歩くヴァルトが呆れた声を出す。
「違うよ。階段の設計が悪いんだよ」
「階段に責任を押しつけるな」
「だって、もう少し幅が広ければ、もっと格好よく下りられるのに!」
「そこなの!?」
ミレイユが思わず振り返った。
レイナは小さくため息をつく。
「……警戒は怠らないように。何がいるか分からないからね」
「はーい」
返事だけは元気だった。
ソアは剣の柄に手を添え、周囲を見回す。
銀色の結晶は、ただ光っているだけではない。
近づくと、表面に細かな文字が浮かび上がり、ソアたちが通り過ぎると再び消えていった。
「……私たちを調べてる?」
「その可能性はあるな」
ヴァルトが結晶を観察した。
「魔力を感知しているのかもしれない。だが、こんな仕組みは見たことがない」
「古代魔術とも違うわね」
ミレイユも壁に手をかざした。
「魔力の流れがあるのに、術式の起点が見当たらない。まるで、魔法そのものを使わずに動いているみたい」
「魔法を使わない魔法?」
「ソア、言葉が矛盾しているわよ」
「じゃあ、魔法じゃない何か!」
「……それなら、最初からそう言いなさい」
そんな会話を交わしているうちに、階段の終わりが見えてきた。
その先には、大きな扉があった。
扉の中央には、見覚えのある紋章が刻まれている。
小さな王冠。
その周囲を囲む、七本の線。
「……やっぱり、これだ」
ソアは胸元のペンダントを握った。
《巡りの雫》が、淡く光り始める。
すると。
扉の紋章にも、銀色の光が走った。
『認証対象を確認』
無機質な声が響いた。
『世界樹の巡環反応を検出』
『照合を開始します』
「……じゅんかん?」
ソアが首を傾げる。
「世界樹の力に反応しているんだろう」
レイナが慎重に扉へ近づいた。
「でも、どうしてこの遺跡に……」
『照合完了』
扉の中央が、音もなく開いた。
『第八の記録への接続を許可します』
「……第八の記録」
ミレイユの表情が変わった。
「やっぱり、七つの器とは別のものなのね」
「でも、八つ目の器ってわけじゃないんだよね?」
ソアが尋ねる。
ヴァルトはすぐには答えなかった。
「……少なくとも、俺が知る七つの器の伝承に、第八の器は存在しない」
「じゃあ、これは何なんだろう?」
「それを確かめるために来たんだろう」
レイナが剣を構え直した。
「進もう。何かあれば、すぐに引き返す」
「了解!」
ソアは元気よく答えた。
そして扉の向こうへ足を踏み入れた。
*
部屋の中央には、円形の台座があった。
その周囲には、七本の柱。
それぞれの柱には、七つの器を思わせる紋様が刻まれている。
しかし、その中央にあるものは、武器でも防具でもなかった。
透明な結晶の中に、一枚の銀色の板が浮かんでいる。
その板には、細かな文字がびっしりと刻まれていた。
「……記録媒体、かしら」
ミレイユが呟いた。
「これだけの情報を保存しているなら、相当なものだな」
ヴァルトが台座の周囲を調べる。
ソアは銀色の板を見つめた。
なぜだろう。
初めて見るものなのに、どこか懐かしい気がした。
ペンダントの光が強くなる。
その瞬間。
部屋全体が銀色に輝いた。
『第八の記録を起動します』
空中に、文字が浮かび上がった。
『記録名称――王領北境』
『記録目的――世界樹の循環から失われた事象の保存』
『記録対象――七つの器、世界樹、そして人々の選択』
「……失われた事象?」
レイナが眉をひそめた。
さらに文字が続く。
『七つの器は、世界を巡る力の一部を担う』
『しかし、器の記録だけでは、世界のすべてを残すことはできない』
『勝者の記録には、敗者の声が残らない』
『力の記録には、力を持たなかった者の選択が残らない』
『世界樹の記録には、世界樹から離れた者の歩みが残らない』
ソアは息を呑んだ。
それは、ただの歴史の記録ではなかった。
誰かが、意図的に残そうとしたもの。
大きな力を持つ者たちの物語から、こぼれ落ちてしまうもの。
そのすべてを、忘れないために。
「……だから、第八の記録なんだ」
ソアが呟いた。
「七つの器とは違う。器が何をしたかじゃなくて、その外側にいた人たちのことを残すための記録……」
銀色の板が、ひときわ強く輝いた。
『記録保持者の確認を開始します』
『旧王領北境――登録情報なし』
『代替認証――世界樹の巡環反応』
『継承者候補――ソア・ミュスカ』
「……えっ?」
全員の視線がソアに集まった。
「なんで私!?」
「こちらが聞きたいわよ!」
ミレイユが即座に突っ込む。
ソアは慌ててペンダントを持ち上げた。
「いやいや、私はただの冒険者だよ!? 鎧が好きなだけの!」
「その説明で納得する人間が、今ここにいると思うか?」
ヴァルトの言葉はもっともだった。
「うっ……」
反論できない。
レイナは台座を見つめたまま、慎重に尋ねた。
「継承者というのは、何を継承するの?」
『回答――記録保持者の役割』
『世界樹の循環から失われた記録を受け取り、次代へ引き渡すこと』
『ただし、継承は強制されない』
『候補者自身の意思によってのみ、成立する』
ソアは、ゆっくりと瞬きをした。
受け取る。
そして、渡す。
その言葉を聞いたとき、世界樹に残った小さな植物の精霊が、ふと頭に浮かんだ。
シード。
記憶を受け取り、次の命へつなごうと決めた、小さな友達。
「……そっか」
ソアはペンダントを握り直した。
「これも、何かをつなぐためのものなんだね」
『継承者候補に確認します』
『記録を受け取りますか?』
静寂が訪れた。
ソアはすぐには答えなかった。
知らないものを、何でも受け取ればいいわけじゃない。
その先に何があるのか。
何を背負うことになるのか。
それを知らないまま、簡単に頷くことはできなかった。
「……まずは、中身を見せてほしい」
ソアは銀色の板を見つめた。
「受け取るかどうかは、それから決めるよ」
『……』
一瞬、光が揺らいだ。
やがて。
『回答を受理しました』
『閲覧権限を解放します』
台座の奥から、低い音が響いた。
壁の一部がゆっくりと開く。
その向こうには、もう一つの部屋があった。
壁一面に、無数の小さな光が浮かんでいる。
村の風景。
人々の暮らし。
笑い合う子供たち。
畑を耕す人々。
そして――
世界樹の根元から、北の大地へと伸びる、銀色の道。
「……この村の人たち?」
レイナが呟いた。
ソアは首を振った。
「分からない。でも……」
光の中の人々は、まるで昨日までそこで暮らしていたかのように、生き生きとしていた。
しかし、その映像の端には、何度も同じ文字が浮かび上がっていた。
『記録削除の要請』
『王領北境――歴史からの除外』
『承認者――始源の管理者』
「……っ!」
ヴァルトが息を呑んだ。
ミレイユの表情からも、いつもの余裕が消えていた。
「始源の管理者……あいつが、ここにも関わっていたの?」
銀色の光が揺れた。
最後の映像が浮かび上がる。
そこには、王冠の紋章を胸につけた、一人の人物が立っていた。
顔は、光に覆われて見えない。
その人物は、こちらを見つめるようにして口を開いた。
『もし、この記録にたどり着いた者がいるのなら』
『世界樹の循環は、再び動き始めたのだろう』
『ならば、ひとつだけ確かめてほしい』
映像が乱れた。
それでも、声は途切れなかった。
『あの人が守ろうとしたものは、本当に失われたのか』
ソアは思わず一歩踏み出した。
「待って! あの人って、誰のこと!?」
返事はない。
映像が消えていく。
そして最後に、銀色の板へ一つの文字列が浮かんだ。
『記録保持者――行方不明』
『最終接触地点――北境王都』
『現在の所在――不明』
その瞬間。
部屋の奥から、カチリ、と小さな音がした。
壁に隠されていた扉が開く。
その向こうに、細長い通路が続いていた。
通路の先には、銀色の光に包まれた巨大な門。
そして、その門には、今までのどの紋章とも違う文字が刻まれていた。
『帰還者、入場を許可する』
「……帰還者?」
ソアが呟く。
すると、胸元の《巡りの雫》が強く輝いた。
まるで、門の向こうから誰かが呼びかけているように。
その時だった。
『継承者候補、ソア・ミュスカ』
部屋に、再び声が響いた。
『記録保持者との接触を許可します』
門が、ゆっくりと開き始めた。
その向こうから聞こえてきたのは――
「……ようやく、会えるな」
若いとも、年老いているともつかない、不思議な声だった。
「世界を変えた者よ」
銀色の光が、ソアたちを包み込んだ。
「お前は、本当に――あの選択を正しかったと言えるのか?」
ソアは剣を握り直した。
そして、門の向こうを真っすぐに見つめた。
「……それは」
一歩、前へ。
重い鎧が、ガシャリと鳴った。
「会ってから、ちゃんと話そうよ」
門の奥で、誰かが小さく笑った。
それは敵意のある笑いではなかった。
長い時間、誰かを待ち続けた者の笑いだった。
そしてソアたちは、忘れられた王国の記録へと足を踏み入れた。




