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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第十二章 帰還と、忘れられた王国

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第145話 世界を救ったのに、修理費が足りない


「……で、修理費はいくら?」


 冒険者ギルドの受付カウンター。


 ソア・ミュスカは、両手を膝の上に置いて、神妙な顔で座っていた。


 目の前には、ギルドの受付嬢。


 その隣には、損傷した装備の一覧表。


 そして、ソアの背後には――


「……だから、私は最初に言ったのよ。戦いが終わったら装備の状態を確認しなさいって」


 ミレイユが腕を組んでいた。


「確認したよ!」


「傷が増えていたでしょう!」


「確認した結果、傷が増えていたことが分かったんだよ!」


「そういう意味じゃないわよ!」


 受付嬢が、こほん、と咳払いした。


「それでは、装備の確認結果をお伝えしますね」


「お願いします……」


 ソアは両手を握り締めた。


 大丈夫。


 今回は世界樹を救った。


 管理者の暴走を止めた。


 世界中に広がっていた魔力の異常も、少しずつ収まり始めている。


 きっと、冒険者ギルドから何らかの報酬が出るはずだ。


 その報酬で修理費を払えばいい。


 うん。


 完璧な計画である。


「まず、胸当ての補修費が――」


「はい」


「肩当ての補修費が――」


「はい」


「腕当てと脚甲の調整費が――」


「はい……」


「それから、各部位の魔力伝導路の再調整が必要です」


「…………」


 ソアの笑顔が、少しずつ消えていく。


 受付嬢は、最後に合計金額を告げた。


「以上で、合計金貨十二枚となります」


「…………」


「ソア?」


 ミレイユが顔を覗き込む。


「…………」


「ソア、聞いてる?」


「……金貨」


「ええ」


「……十二枚」


「ええ」


「…………」


 ソアは、ゆっくりと両手で顔を覆った。


「世界を救ったのにぃぃぃぃ!!」


 ギルド中に悲鳴が響いた。


 周囲の冒険者たちが、一斉に振り向く。


「世界を救ったのに、修理費が足りないぃぃぃ!!」


「ちょっと! ギルドで叫ばないで!」


「だってぇぇぇ!!」


 レイナが頭を抱えた。


「……結局、いつも通りね」


 ヴァルトは、どこか呆れたように笑った。


「世界を救っても、金は降ってこないらしい」


「そんな現実、知りたくなかった……」


 ソアはカウンターに突っ伏した。


     *


 もちろん、世界樹の事件が何の報酬にもならないわけではなかった。


 世界樹の異常を解決した功績は、冒険者ギルドだけでなく、各地の冒険者組合や王国にも伝えられることになった。


 ただし、今回の事件は規模が大きすぎた。


 被害の確認。


 各地の魔物の動向調査。


 失われた記録の整理。


 そして、世界樹に関する情報の取り扱い。


 すぐに報酬額を決められるものではない。


「正式な報酬については、各方面との調整が終わり次第、お知らせします」


 受付嬢は申し訳なさそうに説明した。


「……つまり?」


 ソアが顔を上げる。


「少し時間がかかる、ということですね」


「……今すぐは?」


「難しいですね」


「……前払いは?」


「難しいですね」


「……鎧の修理費だけでも?」


「お気持ちは分かりますが……」


 ソアは再び机に突っ伏した。


「うわあああああん!」


「泣かないの!」


 ミレイユがソアの兜を軽く叩いた。


 ガンッ。


「いたっ!?」


「あなた、兜をかぶったまま泣くと声が響くのよ!」


「そんなことまで分かるの!?」


「今、分かったわ!」


 レイナは苦笑しながら、受付嬢へ向き直った。


「報酬の件は理解しました。ところで、私たちに何かできる仕事はありませんか?」


「仕事、ですか?」


「ええ。報酬がすぐに支払われるものがあれば、受けたいと思っています」


 ソアが、がばっと顔を上げた。


「受ける!」


「まだ依頼の内容も聞いていないでしょう!」


「お金が必要なんだもん!」


「……本当に分かりやすいわね」


 受付嬢は苦笑しながら、依頼書の束を取り出した。


「そうですね……。魔物の討伐や護衛の依頼でしたら、いくつかあります。ただ、皆さんの実力を考えると、少し物足りないかもしれません」


「物足りなくてもいいよ!」


 ソアは即答した。


「鎧の修理費が稼げるなら!」


「……あなた、もう少し言い方というものがあるでしょう」


「だって大事だよ!?」


 受付嬢は、困ったように笑った。


 そして、依頼書を一枚取り出した。


「それでしたら、こちらはいかがでしょう」


 紙には、少し古びた文字でこう書かれていた。


 ――北方街道沿い、旧王国領付近における魔物の異常発生調査。


 報酬は、金貨二十枚。


「……二十枚」


 ソアの目が輝いた。


「二十枚!?」


「はい。ただし、通常の討伐依頼とは異なります。最近、旧王国領の周辺で魔物の出現が増えているそうです」


 受付嬢は地図を広げた。


「特に、この街道沿いですね。以前は魔物がほとんど出なかった地域なのですが、ここ数週間で状況が変わったと報告されています」


 レイナが地図を覗き込む。


「世界樹の異常が収まった後なのに、別の場所で魔物が増えている……?」


「ええ。現時点では、原因が分かっていません」


 ミレイユが眉をひそめた。


「魔力の流れが変わった影響かしら」


「可能性はあります。ただ、断定はできません」


 ソアも地図を見つめた。


 世界樹の循環は、確かに戻り始めている。


 けれど、長い間歪められていた流れが、すべて元通りになったわけではない。


 どこかに、影響が残っているのかもしれない。


「……調査してみよう」


 ソアは言った。


「原因が分かれば、困っている人たちも助けられるかもしれないし」


 そして、依頼書の報酬欄をもう一度見る。


「それに、金貨二十枚!」


「……結局、そこなのね」


「大事だよ! すっごく大事!」


 受付嬢は、ようやく笑顔になった。


「それでは、こちらの依頼を皆さんにお願いしてもよろしいでしょうか?」


「もちろん!」


 ソアは勢いよく立ち上がった。


「任せて!」


 その瞬間。


 ガシャァン!


 椅子が後ろへ倒れた。


「……あ」


 ソアは固まった。


 ミレイユが、ゆっくりと振り向く。


「……ソア?」


「…………」


「今度は何?」


「……椅子の修理費って、依頼報酬から引かれるのかな?」


「自分で聞きなさい!!」


     *


 その日の午後。


 一行は、北方街道へ向かう準備を整えていた。


 ソアは鎧の各部位を確認し、剣と盾を装備している。


 修理はまだ済んでいない。


 ひどい損傷がないことは確認できたものの、魔力伝導路の調整には時間がかかる。


 そのため、今は応急処置を施した状態で出発することになった。


「……うん。大丈夫そう!」


 ソアは胸当てを軽く叩いた。


 ガンッ。


「よし!」


「……その確認方法、必要なの?」


 レイナが尋ねる。


「必要!」


「そう……」


 ソアは満足そうに頷いた。


 そして、腰の《巡りの雫》に手を添える。


 以前のような強い輝きはない。


 けれど、石の奥には、穏やかな光が宿っていた。


 世界樹との繋がりが消えたわけではない。


 ただ、もう無理やり力を引き出す必要はなくなったのだ。


「……よし、行こう!」


 ソアは歩き出した。


 その時だった。


 ピィィィン……。


 胸元の《巡りの雫》が、小さく震えた。


「……ん?」


 ソアは足を止めた。


 石の表面に、一瞬だけ見慣れない模様が浮かび上がる。


 それは、七つの器の紋章ではなかった。


 細い線が円を描き、その中心に、小さな王冠のような形が浮かんでいる。


「……何だろう、これ」


 ミレイユが近づいた。


「また何か反応したの?」


「うん。でも、世界樹の時とは違う感じがする」


 ヴァルトも、表情を引き締めた。


「見せてくれ」


 ソアがペンダントを差し出す。


 ヴァルトはしばらく模様を見つめていたが、やがて首を横に振った。


「……分からない。少なくとも、俺が知っている七つの器の紋章ではない」


「じゃあ、何なんだろう?」


 誰も答えられなかった。


 やがて、模様は消えた。


 《巡りの雫》も、いつもの穏やかな光に戻っている。


「……まあ、いっか!」


 ソアは、あっさりと歩き出した。


「ちょっと! 気にならないの!?」


 ミレイユが声を上げる。


「気になるよ?」


「なら、もう少し考えなさい!」


「でも、今は依頼が先!」


 ソアは振り返って笑った。


「魔物が増えて困ってる人がいるんでしょ?」


 レイナは、少しだけ目を細めた。


「……そうね。まずは目の前の人たちを助けましょう」


 ヴァルトも頷く。


「その後で、この模様のことを調べればいい」


「うん!」


 ソアは再び前を向いた。


 新しい鎧が、重い音を立てる。


 ガシャッ。


 ガシャッ。


 その足取りは、相変わらず少し遅い。


 けれど、彼女は迷わず歩いていた。


     *


 同じ頃。


 北方街道のさらに北。


 地図にもほとんど記されていない、深い森の奥。


 崩れかけた石造りの建物が、木々に埋もれていた。


 かつて、そこには小さな王国が存在した。


 今では、その名を知る者も少ない。


 建物の地下。


 暗闇の中で、一つの石板が淡く光っていた。


 刻まれているのは、古い文字。


 その文字の上を、細い緑色の光が走る。


 そして、石板の中央に刻まれた紋章が、ゆっくりと浮かび上がった。


 小さな王冠。


 その周囲を囲む、七本の線。


 石板の奥から、かすかな声が響く。


『……循環の回復を確認』


『管理者権限の解除を確認』


『次段階への移行を開始します』


 静寂。


 そして――


『……第八の記録を、解放します』


 石板の光が、一瞬だけ強くなった。


 その直後。


 地下の奥で、何かが動いた。


 ゴゴゴゴゴ……。


 長い間閉ざされていた扉が、ゆっくりと開き始める。


 その向こうから漏れ出したのは、黒い光でも、緑色の光でもなかった。


 淡い銀色の光だった。


 まるで、月明かりのような。


 そして、扉の向こうから、誰かの声が響いた。


『……ようやく、道が繋がった』


 声の主は、まだ見えない。


『今度こそ……』


 そこで、声が途切れた。


 地下の暗闇に、再び静寂が戻る。


 ただ一つ。


 石板の上に刻まれた文字だけが、淡く輝き続けていた。


 ――第八の記録。


 世界樹の歴史に記されていない、もう一つの記録。


 その存在を、ソアたちはまだ知らなかった。

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