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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第十一章 竜皇砲と、集められる力

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第144話 鎧を脱いでも、私は私


 世界樹の中心に、穏やかな光が満ちていた。


 黒く染まっていた幹には、新しい緑が芽吹いている。


 閉じ込められていた魔力は、根から枝へ、枝から葉へ。


 そして、世界の隅々へと流れ始めていた。


「…………」


 ソアは、ぼんやりとその光景を眺めていた。


「……終わったんだね」


「ええ」


 レイナが頷いた。


「少なくとも、世界樹の力を無理やり統合する計画は止まったわ」


「……よかった」


 ソアは、その場にぺたりと座り込んだ。


「よかったぁぁぁ……」


「ちょっと、ソア!?」


「もう動けない……」


「さっきまであんなに走り回っていたでしょう!?」


「それはそれ! これはこれ!」


 ソアは両手を地面についた。


「体力がないの! あと、お腹も空いた!」


「……緊張感がないわね」


 ミレイユが呆れたように言った。


 けれど、その声には安堵が混じっていた。


 誰もが疲れ切っていた。


 傷もある。


 失ったものもある。


 それでも、全員がここにいる。


 それだけで、今は十分だった。


     *


 少し離れた場所で、管理者が世界樹を見上げていた。


 黒い装甲はすでに崩れ、その身体は人間に近い姿へ戻っている。


 かつて世界樹を管理していた存在。


 そして、自らの願いを守ろうとするあまり、世界のすべてを支配しようとした存在。


 彼は、長い間、何も言わなかった。


 やがて、ゆっくりと口を開く。


「……私は、これから何をすればいい」


 ソアは首を傾げた。


「え?」


「私は多くの力を奪った。記憶を閉じ込め、世界樹の循環を歪めた。私がしたことは、消えない」


「うん」


 ソアは素直に頷いた。


「消えないね」


 管理者は目を伏せた。


「ならば……」


「でもさ」


 ソアは、彼の言葉を遮った。


「これから何をするかは、決められるんじゃない?」


「……」


「間違えたことを、なかったことにはできない。でも、間違えたからって、この先ずっと何もできないわけじゃないよ」


 ソアは世界樹を見上げた。


「あなたは、世界樹を守ろうとしていたんだよね」


「……ああ」


「だったら、今度はちゃんと世界樹を守ってよ。みんなが自分で生きていけるように」


 管理者は、ゆっくりと顔を上げた。


「……私に、できるだろうか」


「さあ?」


「……さあ、だと?」


「だって、私には分からないもん」


 ソアはあっさり答えた。


「これからどうなるかなんて、誰にも分からないよ」


 そして、にっこり笑った。


「だから、一緒に考えればいいんじゃない?」


 管理者は、しばらくソアを見つめていた。


 やがて、静かに目を閉じる。


「……私は、償わなければならない」


「うん」


「失われた記憶を整理し、歪めた循環を修復する。私に残された役割を、今度こそ正しく果たす」


「うん!」


 ソアは大きく頷いた。


「じゃあ、よろしくね!」


「……ずいぶんと簡単に言うのだな」


「だって、難しいことはこれからなんでしょ?」


 管理者は、ほんのわずかに口元を緩めた。


「……そうだな」


 その顔から、長い間張り付いていた緊張が、少しだけ消えた。


 彼はもう、世界を自分一人で支配しようとはしない。


 失ったものを取り戻すこともできない。


 それでも、これから先を選ぶことはできる。


 その事実を、ようやく受け入れ始めていた。


     *


「……ソア」


 小さな声がした。


 振り向くと、シードが立っていた。


 頭の葉は以前より大きくなり、その隣には、小さな二枚目の葉が伸びている。


 身体の輪郭にも、以前よりはっきりとした変化があった。


 けれど、その表情はいつものシードだった。


「……わたし、きめた」


「うん?」


「……ここに、のこる」


 ソアは目を瞬かせた。


「……世界樹のところに?」


「……うん」


 シードは、世界樹の幹にそっと手を触れた。


「……うけとった、きおく。つぎへ、わたす」


 緑色の光が、指先から広がっていく。


「……ここなら、できる」


 ソアは黙ってシードを見つめた。


 分かっていた。


 シードが世界樹と深く繋がっていることも。


 ここでしかできない役割があることも。


 けれど。


「……そっか」


 ソアは、少しだけ寂しそうに笑った。


「シード、ここにいるんだね」


「……うん」


「そっか」


 ソアはしゃがみ込み、シードと目線を合わせた。


「……寂しくなるなぁ」


 シードは、少し考えた。


「……わたしも」


 そして、ソアの服の裾をきゅっと握った。


「……でも、ソア」


「うん?」


「……また、あえる」


 ソアは目を丸くした。


「……うん!」


 すぐに笑顔になった。


「絶対会いに来るからね!」


「……うん」


「お土産も持ってくる!」


「……おみやげ?」


「そう! お菓子とか!」


 シードの目が、少しだけ輝いた。


「……たべもの?」


「もちろん!」


「……たのしみ」


 その返事に、ソアは思わず笑った。


「よし、約束!」


 小指を差し出す。


 シードは不思議そうにそれを見つめたあと、小さな指を絡めた。


「……やくそく」


 二人は、しばらくそのままでいた。


 やがてシードが、そっと口を開いた。


「……ソア」


「なに?」


「……ソア、すき」


 ソアの顔が、ぱっと明るくなった。


「……私も、シードが大好き!」


 ぎゅっと抱きしめる。


 シードも、小さな腕でソアを抱き返した。


「……みんなで、かえる」


「うん。みんなで帰ろう」


 それは、もう一緒に旅を続けられないという意味ではなかった。


 離れていても、繋がっている。


 受け取ったものを、次へ渡していく。


 それぞれの場所で、自分の役割を果たしていく。


 シードはシードとして。


 ソアはソアとして。


 それぞれの未来へ進んでいくのだ。


     *


「……さて」


 ソアは立ち上がった。


「帰ろう!」


「どこへ?」


 レイナが尋ねる。


「決まってるよ!」


 ソアは胸を張った。


「鎧のところ!」


 その瞬間、ミレイユが額を押さえた。


「……本当に、最後までそれなのね」


「だって、置いてきちゃったんだよ!?」


「分かっているわよ」


「ちゃんと安全なところに置いたけど……壊れてないかな」


 ソアの顔が急に曇った。


「……誰かに踏まれてたらどうしよう」


「そんな場所に誰が来るのよ!」


「魔物とか!」


「魔物が鎧を踏む理由は何!?」


「分からないけど、可能性はゼロじゃない!」


「……もう好きにしなさい」


 ミレイユは深いため息をついた。


 しかし、ソアは気にしなかった。


 むしろ、帰り道を想像して、少しずつ足取りが軽くなっていた。


 自分の鎧。


 世界を巡るために作られた、新しい鎧。


 狭い通路に置いてきたままだ。


「……早く会いたいなぁ」


 ぽつりと呟く。


 レイナが、微笑んだ。


「そんなに大切なのね」


「うん!」


 ソアは迷いなく頷いた。


「大好きだから!」


     *


 世界樹の中心を離れ、長い通路を戻る。


 道中の黒い結晶は、ほとんどが崩れていた。


 壁を流れる魔力も、穏やかな緑色へと変わっている。


 やがて、一行はあの狭い通路へ辿り着いた。


「……あった!」


 ソアが駆け出す。


 通路の奥。


 そこには、きちんと並べられた鎧の各部位があった。


 胸当て。


 肩当て。


 腕当て。


 脚甲。


 兜。


 どれも、置いてきた時のままだった。


「……よかったぁぁぁ!」


 ソアは膝から崩れ落ちそうになった。


「無事だった……!」


「だから言ったでしょう。誰も踏まないって」


 ミレイユが呆れたように言う。


「いや、でも! もしかしたらって!」


「はいはい」


 ソアは鎧の前にしゃがみ込んだ。


 ひとつひとつ、丁寧に状態を確かめる。


 傷はある。


 戦いの中でついた傷も、そのまま残っている。


 それでも、大きな破損はなかった。


「……おかえり」


 ソアは、そっと胸当てを撫でた。


 その声は、いつもの明るい声よりも、少しだけ優しかった。


「……待たせちゃったね」


 誰かが笑った。


 ヴァルトだった。


「鎧に話しかけているのか?」


「うん!」


「……そうか」


 ヴァルトは何か言いたげな顔をしたが、結局それ以上は何も言わなかった。


 ソアは気にせず、鎧を持ち上げた。


 そして――


 ガシャッ。


 胸当てを身につける。


 ガシャッ。


 肩当てを装着する。


 ガシャッ。


 腕当て。


 脚甲。


 最後に兜。


「…………」


 ソアは、その場で深く息を吸った。


 重い。


 肩にかかる重量。


 身体を包み込む金属の感触。


 動きにくさ。


 視界の狭さ。


 全部、知っている。


 そして、全部が好きだった。


「……ああ」


 ソアは満面の笑みを浮かべた。


「やっぱり、これだよね!」


 その場で一歩踏み出す。


 ガシャッ。


 もう一歩。


 ガシャッ。


 腕を動かす。


 少し重い。


 走ろうとする。


 やっぱり遅い。


「…………」


 ソアは、ぴたりと止まった。


「……うん」


 そして、力強く頷いた。


「重い!」


「当たり前でしょう!」


 ミレイユの声が通路に響いた。


「でも、いいの!」


 ソアは両腕を広げた。


「この重さがいいんだよ!」


「理解できないわ……」


「いつか分かるよ!」


「分からなくていいわよ!」


 いつものやり取りに、全員が笑った。


 けれど、ソアはふと、自分の手を見つめた。


 鎧を脱いでいた時。


 自分は確かに、今まで以上に速く動けた。


 《SKIN BOOST:ORIGIN》も目覚めた。


 仲間と力を繋ぎ、世界樹の循環を取り戻すこともできた。


 そして今。


 鎧を着た自分は、再び重くなっている。


 それでも――


「……ねえ、みんな」


 ソアは顔を上げた。


「私、強くなれたのかな?」


 レイナが少し考えた。


「ええ。少なくとも、戦い方は大きく変わったわ」


 ミレイユも頷く。


「自分の力だけで押し切ろうとしなくなった。それは大きな変化よ」


 ヴァルトは、空になった右手を見つめてから答えた。


「強さの形を、一つに決めなくなったんだろう」


 ソアは、しばらく考えた。


 そして、兜の奥で笑った。


「……そっか!」


 鎧を着ていても。


 鎧を脱いでいても。


 強い時も、弱い時も。


 自分は、自分だった。


 装備があるから価値があるわけじゃない。


 装備を失ったから価値がなくなるわけでもない。


 ただ、自分が好きなものを好きだと言える。


 必要な時には手放すこともできる。


 そして、また身につけることもできる。


「……うん!」


 ソアは剣を腰に差した。


「私は、私だ!」


「……急にどうしたの?」


 ミレイユが眉をひそめる。


「なんでもない!」


「絶対、何か考えていたでしょう」


「考えてたよ!」


「何を?」


「鎧って最高だなって!」


「……そこに戻るの!?」


 全員が、また笑った。


     *


 帰路につく前。


 ソアは一度だけ、世界樹の方を振り返った。


 遠くに見える緑色の光。


 その根元には、シードがいる。


 これから、記憶を受け取り、次の命へと渡していく。


 管理者もまた、償いながら世界樹を支えていくだろう。


 ヴァルトは、これまでの行いに向き合っていかなければならない。


 誰もが、すべてをやり直せるわけではない。


 失われたものが戻るわけでもない。


 それでも。


 次へ進むことはできる。


 ソアは、そっと手を振った。


「……またね、シード」


 遠くで、緑色の光が一度だけ強く輝いた。


 まるで、返事をしてくれたようだった。


「……よし!」


 ソアは仲間たちへ向き直る。


「帰ったら、お菓子食べよう!」


「まず報告が先よ」


 レイナが即座に言った。


「えーっ!」


「それから装備の損傷確認も必要だな」


 ヴァルトが続ける。


「……あ」


 ソアの動きが止まった。


 ミレイユが、嫌な予感を覚えた顔をした。


「……何?」


「鎧の修理費……」


「…………」


「…………」


「……ソア」


 ミレイユが、ゆっくりと口を開いた。


「まさか、また壊したの?」


「いや! 今回は前よりずっと大丈夫!」


「前より?」


「…………」


「ソア?」


「……ちょっとだけ、傷が増えたかな?」


「ちょっとだけ、の基準を説明しなさい!」


 ソアは全力で走り出した。


 ガシャガシャガシャッ!!


「待ちなさい! 逃げるんじゃないわよ!」


「だって、怒られると思って!」


「怒られるようなことをした自覚はあるのね!?」


「あるよぉぉぉ!!」


 世界樹へ続く通路に、いつもの騒がしい声が響いた。


 重い鎧を着た少女は、相変わらず走るのが遅かった。


 それでも、彼女の足取りは軽かった。


 守りたいものがある。


 大切な仲間がいる。


 そして、自分が好きなものを、好きなままでいられる。


 それだけで、十分だった。


 ソア・ミュスカ。


 鎧を着ていても、脱いでいても。


 強くても、弱くても。


 彼女は、彼女のままだ。


 そして、その冒険は――


 まだ、終わらない。

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