第138話 シード、開花
ゴォォォォォッ!!
世界樹の中心で、黒い魔力が渦巻いていた。
ミレイユの《願結び》が、仲間たちを繋いでいる。
レイナは盾を構え、ヴァルトは黒い結晶を拳で砕く。
そしてソアは、シードの手を握りしめていた。
「シード、大丈夫?」
「……うん」
シードは頷いた。
けれど、その小さな葉は、先ほどから激しく揺れている。
竜の胸部から溢れ出す記憶。
世界樹が長い年月の中で失ってきた、無数の命の記録。
それらが、シードのもとへ流れ続けていた。
「……いっぱい、くる」
「無理に受け取らなくてもいいんだよ」
ソアは言った。
「シードが苦しいなら、止めよう。別の方法を考えればいいから」
シードは、じっとソアを見上げた。
「……でも」
小さな声。
「……このままだと、きえてしまう」
その言葉に、ソアは唇を結んだ。
記憶を無理に取り込めば、シード自身が壊れてしまうかもしれない。
けれど、何も受け取らなければ、世界樹に閉じ込められた記憶は再び失われてしまう。
どちらを選んでも、簡単な答えはなかった。
「……シード」
ソアは、そっと手を握り直した。
「受け取るかどうかは、シードが決めていいんだよ」
「……わたしが?」
「うん。管理者が決めることでも、私が決めることでもないよ」
ソアは笑った。
「シードはシードだもん」
その瞬間。
シードの葉が、淡い光を放った。
「……シードは、シード」
「そうだよ」
「……ソアは、ソア」
「うん!」
シードは少しだけ考えた。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
「……わたし、うけとる」
ソアは目を見開いた。
「でも……」
シードは続けた。
「……ぜんぶ、じぶんのものには、しない」
小さな手が、胸元へ伸びる。
「……きおくは、だれかのもの」
「……うん」
「……だから、うけとって……つぎへ、わたす」
その言葉とともに、シードの葉が強く輝いた。
◇
ピキッ。
小さな音が響いた。
ソアは思わずシードの頭を見た。
「……あれ?」
葉の根元から、細い緑色の筋が伸びている。
それは、これまでの成長とは違っていた。
葉が大きくなるだけではない。
シードの身体そのものが、内側から光を帯び始めていた。
「シード! 身体が光ってる!」
「……うん」
「うん、じゃないよ! 大丈夫!?」
「……たぶん」
「たぶん!?」
こんなときまで、いつもの調子だった。
だが、シードは苦しそうではなかった。
むしろ、初めて見る景色に驚いているようだった。
「……きこえる」
「何が?」
「……いっぱいの、こえ」
シードの周囲に、無数の光が集まった。
その一つ一つに、誰かの記憶が宿っている。
誰かが初めて立ち上がった日のこと。
誰かが家族と食卓を囲んだ日のこと。
誰かが大切な人と別れた日のこと。
そして、誰かが最後に願ったこと。
それらは、悲しい記憶ばかりではなかった。
喜びも。
怒りも。
後悔も。
小さな幸せも。
すべてが、同じように輝いていた。
「……みんな」
シードは呟いた。
「……いきてた」
その声は、いつもより少しだけはっきりしていた。
「……なくなったんじゃ、なかった」
ソアは静かに頷いた。
「うん」
「……どこかに、のこってた」
「うん」
「……なら」
シードは、両手を広げた。
「……わたし、つなぐ」
◇
ドォォォォォン!!
シードの足元から、緑色の光が広がった。
黒い結晶が、光に触れた部分から崩れていく。
しかし、それは単に結晶を破壊しているのではなかった。
結晶の内部に閉じ込められていた記憶が、解放されていたのだ。
「これは……!」
ヴァルトが目を見開いた。
「魔力を破壊しているんじゃない。閉じ込められた流れを、外へ返しているのか!」
レイナは盾を構えながら頷いた。
「なら、私たちも支える!」
彼女は《絶対鏡盾》を掲げた。
盾が受け止めた魔力を、無理に自分の中へ留めず、仲間たちへと送り返していく。
ミレイユの《願結び》が、その流れを繋ぐ。
ヴァルトの《巨神の籠手》が、押し戻される黒い魔力を受け止める。
そしてソアは、翼を広げた。
「シード!」
「……うん!」
ソアが飛び出す。
迫り来る黒い結晶の腕をかわし、壁を蹴り、空中で身体をひねった。
剣が閃く。
ザシュッ!
結晶の接続部が断ち切られた。
そこから緑色の光が溢れ出す。
「よしっ!」
着地したソアは、すぐにシードを振り返った。
「どう? いけそう?」
「……うん」
シードは微笑んだ。
「……みんなが、いるから」
その言葉に、ソアの胸が温かくなった。
シードは、もう一人で抱え込んでいない。
受け取ることも。
手放すことも。
仲間と繋がることも。
自分自身で選んでいる。
「……そっか」
ソアは笑った。
「じゃあ、私たちも頑張らないとね!」
◇
管理者が、一歩後ずさった。
『……第七ノ器』
その声には、初めて明確な動揺が混じっていた。
『記憶ノ保持機能ガ……変質シテイル』
シードの身体を、緑色の光が包んでいた。
小さな手。
細い腕。
芽吹いたばかりの植物のような身体。
その姿は、まだ大きく変わってはいない。
けれど、頭の葉は以前よりも大きくなり、葉脈には金色の光が流れていた。
そして、その根元から――
もう一枚、小さな葉が顔を出していた。
「……あ」
ソアが気づいた。
「シード、葉っぱが増えてる!」
シードは頭に手を伸ばした。
「……ほんと?」
「ほんと!」
「……ふえた」
シードは、自分の頭を何度も触った。
「……ふたつ」
「うん、二つ!」
「……ふたつ」
その顔に、嬉しそうな笑みが浮かんだ。
「……そあ」
「ん?」
「……わたし、おおきくなった?」
ソアは少し考えた。
それから、シードの目線に合わせてしゃがみ込んだ。
「うん。大きくなったよ」
シードの目が輝いた。
「……でも」
ソアは、優しく続けた。
「大きくなっても、シードはシードだからね」
シードは、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
そして、小さな手でソアの手を握った。
「……ソアは、ソア」
「そうだよ!」
「……シードは、シード」
「うん!」
「……いっしょ」
ソアは笑った。
「うん。一緒に帰ろうね」
「……うん!」
その瞬間、シードの葉が再び輝いた。
緑色の光が、竜の胸部へと伸びていく。
そして、その奥に隠されていた一本の道を照らし出した。
黒い結晶に覆われていた、世界樹の中心へ続く道。
その先から、かすかな鼓動が聞こえてくる。
ドクン。
ドクン。
まるで、世界そのものが目を覚まそうとしているかのようだった。
◇
『……認識ヲ修正』
管理者の声が響いた。
『第七ノ器ハ、記憶ノ保管装置ニアラズ』
シードは、管理者を見つめた。
「……ちがう」
小さな声だった。
けれど、はっきりとしていた。
「……わたしは、シード」
管理者は沈黙した。
シードは続けた。
「……うけとるか、どうか」
「……つなぐか、どうか」
「……わたしが、きめる」
緑色の光が、さらに強くなる。
管理者の胸部に、細い亀裂が走った。
『……ナゼダ』
その声は、先ほどよりも弱々しかった。
『ナゼ、ソノヨウナ選択ガ可能ナノダ』
シードは首を傾げた。
「……だって」
少し考えて。
「……みんな、ちがうから」
管理者の身体が、わずかに揺れた。
「……ちがうから、いっしょに、いられる」
シードはソアを見上げた。
「……ソアも、レイナも、ミレイユも、ヴァルトも」
一人ずつ、名前を呼ぶ。
「……みんな、ちがう」
「……でも、いっしょ」
その言葉に、誰も反論しなかった。
ソアは笑った。
レイナは盾を構え直した。
ミレイユは静かに目を閉じ、ヴァルトは拳を握りしめた。
誰も同じではない。
同じ過去を持っているわけでもない。
同じ願いを抱いているわけでもない。
それでも、ここにいる。
一緒に進むことを、自分の意思で選んだから。
◇
やがて、シードを包んでいた光が静かに収まった。
新しい葉は、まだ小さい。
身体も、劇的に大きくなったわけではない。
けれど、その瞳には以前よりも強い光が宿っていた。
「……つかれた」
シードがぽつりと言った。
ソアは思わず笑った。
「そりゃそうだよ。すごいことしたんだから」
「……おなか、すいた」
「えっ、今!?」
「……うん」
「世界樹の危機なんだけど!?」
「……おなか、すいた」
「二回言った!」
レイナが小さく吹き出した。
ミレイユも、思わず口元を緩める。
ヴァルトは呆れたように息を吐いた。
「……緊張感がないな、お前たちは」
「だって、シードが元気ならいいじゃん!」
ソアは胸を張った。
「それに、帰ったらいっぱい食べようね!」
「……いっぱい?」
「いっぱい!」
シードは嬉しそうに頷いた。
「……やった」
その小さな笑顔を見て、ソアは思った。
記憶を受け取ること。
失ったものを忘れないこと。
そして、それを次の誰かへ渡すこと。
それは、過去に縛られることとは違う。
過去を抱えたまま、未来へ進むことなのだ。
「……よし!」
ソアは剣を握り直した。
「じゃあ、次は管理者を止めよう!」
「……うん!」
シードが頷く。
だが、その直後。
管理者の身体を覆う黒い結晶が、一斉に脈動した。
『……最終管理プロトコル、再起動』
『七ツノ器ヲ強制統合スル』
空間が、大きく揺れた。
シードの葉が震える。
「……ソア」
「うん」
ソアは、シードの前に立った。
「大丈夫。今度は、みんなで止めるから」
世界樹の中心で、最後の戦いが再び動き始めた。




