第137話 繋ぐ者の願い
ピシッ。
竜の胸部に走った亀裂から、緑色の光が溢れ出した。
それは、ただの魔力ではなかった。
誰かの笑い声。
誰かの泣き声。
誰かが大切な人の名前を呼ぶ声。
無数の記憶が、光となって空間を満たしていく。
「……これが、世界樹の記憶?」
ソアは剣を構えたまま、目を見張った。
目の前を、一人の少年が駆け抜けていく。
その隣には、少女がいた。
二人は笑っていた。
まるで、何も恐れるものなどないかのように。
「……あ」
ソアは気づいた。
その少女は、かつて管理者が失った大切な人だった。
『記憶ノ流出ヲ確認』
管理者の声が響いた。
『緊急制御ヲ開始スル』
次の瞬間。
ゴォォォォォッ!!
黒い結晶が竜の身体から噴き出した。
溢れ出した緑の光を、無理やり押し戻そうとしている。
「まずい!」
ヴァルトが叫んだ。
「このままでは、記憶も魔力も押し潰される!」
黒い結晶が床を這い、壁を伝い、空間全体へ広がっていく。
そして――
バキンッ!
緑色の光の道が、一本、断ち切られた。
「……っ!」
シードの葉が大きく揺れた。
「シード!?」
ソアが振り返る。
シードは胸元を押さえていた。
「……きおくが……」
小さな声。
「……くるしい」
「無理しないで!」
ソアが駆け寄ろうとした。
だが、黒い結晶が二人の間に壁を作った。
ドォンッ!
「ソア!」
レイナが叫ぶ。
「こっちは任せて!」
彼女は盾を構え、迫り来る結晶の腕を受け止めた。
ガァンッ!!
衝撃が腕を伝う。
「くっ……!」
結晶は砕ける。
しかし、砕けた欠片が再び集まり、別の形へ変わっていく。
「再生するのね……!」
ミレイユが杖を掲げた。
「なら、再生する前に動きを止める!」
紫色の鎖が伸びる。
《願結び》。
鎖は結晶の腕へ絡みつき、その動きを封じた。
だが、結晶は鎖を伝って魔力を吸い上げようとする。
「……っ、これは!」
ミレイユはすぐに鎖を切り離した。
「単純に拘束するだけでは駄目ね……!」
管理者は淡々と告げた。
『記憶ノ流出ハ、世界樹ノ安定性ヲ損ナウ』
『記憶ヲ閉鎖シ、循環ヲ固定スル』
「……また、閉じ込めるの?」
ソアの声が響いた。
黒い結晶の向こう。
ソアは剣を握りしめていた。
「悲しい記憶も、失敗した記憶も、全部なかったことにするの?」
『肯定』
「そんなの……」
ソアは歯を食いしばった。
「そんなの、違うよ!」
◇
黒い結晶が、シードへ向かって伸びた。
「……っ!」
シードが後ずさる。
その瞬間、過去の光景が空間いっぱいに広がった。
燃える街。
崩れ落ちる建物。
助けを求める人々。
そして、炎の向こうに立ち尽くすミレイユ。
「……リナ」
ミレイユの声が震えた。
彼女の目の前に、かつて救えなかった少女が現れていた。
「どうして……」
リナは、何も言わなかった。
ただ、優しく微笑んでいた。
ミレイユは杖を握る手に力を込めた。
――もっと力があれば。
――もっと強ければ。
――今度こそ、誰も失わずに済むのに。
かつて、自分を縛りつけていた願い。
その願いが、再び胸の奥から蘇る。
「……私は」
鎖が震えた。
「私は、もう二度と……」
『願望反応ヲ確認』
管理者の声が響く。
『喪失ヲ防グニハ、全存在ノ固定ガ最適デアル』
黒い鎖が、ミレイユの杖へ絡みついた。
《願結び》が、不安定に明滅する。
「……違うわ」
ミレイユは、ゆっくりと顔を上げた。
「私は、あの子を失いたくなかった」
鎖が軋む。
「だから、誰も動けなくすればいいと思った」
彼女は、過去の自分から目を逸らさなかった。
「でも、それでは……一緒に生きることにならない」
リナの幻影が、静かに揺れた。
「失うことが怖くても、誰かの未来まで奪っていい理由にはならないわ」
ミレイユは杖を強く握り直した。
「《願結び》――接続対象、選択」
紫色の鎖が広がった。
今度は、相手を無理やり縛るためではない。
レイナへ。
ヴァルトへ。
そして、結晶の向こうにいるソアとシードへ。
それぞれの意思を確かめるように、光の鎖が伸びていく。
「みんな、私の魔力を通すわ!」
レイナが頷いた。
「受け取る!」
ヴァルトも拳を握る。
「こちらも問題ない!」
ソアは笑った。
「もちろん!」
最後に、ミレイユはシードへ目を向けた。
「シード。あなたも、繋いでいいと思ったら、応えてちょうだい」
シードは小さく頷いた。
「……うん」
その瞬間。
五つの光が、一本の流れになった。
◇
ゴォォォォォッ!!
黒い結晶が激しく震えた。
ミレイユの《願結び》を通して、仲間たちの魔力が巡り始める。
レイナの盾が受け止めた衝撃。
ヴァルトの籠手が生み出す力。
ソアの翼と《スキンブースト》が生み出す加速。
そして、シードが受け取った世界樹の記憶。
それらが一つに混ざるのではなく、それぞれの形を保ったまま流れていく。
「……これが」
ミレイユは目を見開いた。
「本当の、繋がり……!」
結晶の腕が、動きを止めた。
レイナが盾を押し返す。
「今よ!」
ヴァルトが拳を振り抜いた。
ドゴォォン!!
結晶の腕が砕け散る。
ソアは翼を広げ、結晶の壁を飛び越えた。
「シード!」
「……ソア!」
ソアはシードの手を取った。
「大丈夫?」
「……うん」
シードは、少しだけ笑った。
「……みんなの、こえ……きこえる」
小さな葉が、緑色に輝いた。
それまでばらばらだった記憶の光が、シードの周囲へ集まり始める。
だが、今度はシードの中へ無理やり押し込まれることはなかった。
光はシードを通り抜け、仲間たちへと流れていく。
受け取る。
そして、渡す。
その循環が、確かに生まれていた。
『……ナゼダ』
管理者の声が揺らいだ。
『記憶ヲ保持セズニ、循環ヲ維持スルコトハ不可能ノハズ』
ミレイユは、静かに答えた。
「保持することと、大切にすることは違うのよ」
鎖が輝きを増す。
「誰かの願いは、その人だけのもの。だからこそ、無理やり奪うのではなく、受け取るかどうかを選べるようにする」
シードが顔を上げた。
「……わたしが、きめる」
その言葉とともに、緑色の光が広がった。
黒い結晶が、一つ、また一つと崩れていく。
◇
やがて、竜の身体が大きく傾いた。
胸部の紋章から、黒い光が剥がれ落ちていく。
その奥には、七つの光が絡み合っていた。
そして、その中央に――
一人の少女の記憶が浮かんでいた。
『……あなたは、世界樹を守るんでしょう?』
幼い日の声。
管理者の身体が、ぴたりと止まった。
『……あなたは、あなたの……やりたいことを……忘れないで』
「……ヤメロ」
管理者の声が、かすれた。
『ソノ記憶ハ……不要ダ』
「……ヤメロォォォォッ!!」
黒い結晶が、再び膨れ上がる。
せっかく生まれた緑色の流れを、押し潰そうとしていた。
ソアは剣を構えた。
「……まだ、諦めないんだね」
管理者は答えない。
ただ、必死に力を集め続けていた。
ソアは、悲しそうに目を細めた。
「……そっか」
彼が何を恐れているのか。
もう、分かっていた。
失いたくない。
二度と、あんな思いをしたくない。
だから、すべてを自分の中に閉じ込めようとしている。
「でもね」
ソアは剣を握り直した。
「ずっと閉じ込めていたら、その子の願いまで届かなくなっちゃうよ」
管理者の身体が震えた。
「……次は、ちゃんと聞こうよ」
ソアは一歩、前へ進んだ。
「あなたが何を失ったのかも。何を守りたかったのかも」
そして、笑った。
「私たち、まだ話し合えるでしょ?」
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
管理者の黒い瞳に、迷いが浮かんだ。
だが――
『……否定』
黒い光が、再び空間を覆い始めた。
『ワタシハ……モウ、失エナイ』
世界樹の中心で、巨大な魔力が渦巻いた。
ミレイユの鎖が軋む。
レイナの盾が揺れる。
ヴァルトの籠手に黒い結晶が食い込んでいく。
シードの葉も、必死に光を保っていた。
「……ソア」
シードが、小さく呟いた。
「……まだ、つづく」
ソアは頷いた。
「うん」
そして、剣を構える。
「だったら、最後まで一緒に行こう!」
緑色の光が、再び走った。
今度こそ、世界樹の循環を取り戻すために。




