第131話 始源の管理者
光の通路は、どこまでも続いていた。
壁も、床も、天井も。
すべてが淡い緑色の光で形作られている。
まるで、世界樹の内側を歩いているようだった。
「……不思議な場所ね」
ミレイユが周囲を見回した。
「竜皇砲の内部とは思えないわ」
「うん。なんだか、あったかい感じがする」
ソアは胸元に手を当てた。
鎧を外している今、世界樹の魔力を以前よりも近くに感じる。
けれど、それだけではなかった。
通路の奥から、誰かが待っているような気配がする。
「……いるね」
ソアが呟いた。
ヴァルトが頷く。
「ああ。ここまで来るのを待っていたんだろう」
シードの葉が、淡く光った。
「……ここ、むかしの……」
「昔の?」
ソアが尋ねる。
シードは少し考えた。
「……せかいじゅが、まだ……ながれていたころ」
その言葉の意味を、全員が理解するには時間がかかった。
世界樹が、まだ本来の役割を果たしていた時代。
力が一つに留まらず、命から命へと渡されていた時代。
その記憶が、この場所には残っているのだ。
やがて、通路の先に巨大な扉が現れた。
扉の中央には、七つの枝を模した紋章。
その中心には、黒い円が刻まれている。
「……七つの器」
レイナが呟いた。
ソアは扉へ手を伸ばした。
触れる直前。
扉が、ひとりでに開いた。
◇
そこは、巨大な円形の空間だった。
中央には、一本の光の柱が立っている。
天井も床も見えないほど広い。
無数の光が、空間をゆっくりと巡っていた。
その中心に、一人の人物が立っていた。
長い黒衣。
顔を覆う仮面。
人間のような姿をしているのに、その輪郭はどこか曖昧だった。
まるで、魔力そのものが人の形を取っているようだった。
『到達ヲ確認』
声が響いた。
『ソア・ミュスカ』
『レイナ・ヴァルハート』
『ミレイユ・アルカナ』
『ヴァルト・レグナス』
『第七の器』
名前を呼ばれるたび、空間の光が反応した。
「……あなたが」
ソアは剣を構えた。
「《始源の管理者》?」
『肯定』
「やっと会えたね」
ソアは一歩前へ出た。
「シードを回収するとか、勝手に決めないでよ」
『第七の器ハ、世界樹ノ記憶ヲ保持スル存在』
『本来ノ機能ヲ果タス必要ガアル』
「だからって、シードの気持ちを無視していい理由にはならないよ!」
管理者は沈黙した。
そして、ゆっくりと仮面を傾けた。
『感情ハ、判断ヲ誤ラセル』
「……そっか」
ソアは剣を握り直した。
「じゃあ、あなたとは話し合うのが大変そうだね」
レイナが小さく息を吐く。
「ソア、交渉する気はあったの?」
「ちょっとだけ!」
「ちょっとだけなのね……」
ミレイユが額を押さえた。
しかし、ソアの目は真剣だった。
「でも、聞きたいことはあるよ」
ソアは管理者を見つめた。
「どうして、そこまで力を一つに集めたいの?」
その問いに、管理者はすぐには答えなかった。
やがて、空間の光が変化した。
◇
景色が変わった。
そこに映し出されたのは、遠い昔の世界だった。
大きな街。
人々が暮らし、笑い、働いている。
世界樹から流れる魔力が、街の隅々まで行き渡っていた。
しかし、その光景は長く続かなかった。
魔力を巡らせる器が、次々と奪い合われた。
強い者が力を集め、弱い者から奪う。
街が焼かれ、人々が倒れる。
世界樹の流れは乱れ、魔物が各地に現れ始めた。
「……これが、昔の世界?」
レイナが呟いた。
『人間ハ、力ヲ求メタ』
『力ヲ持ツ者ハ、失ウコトヲ恐レタ』
『失ウコトヲ恐レタ者ハ、他者カラ力ヲ奪ッタ』
管理者の声は淡々としていた。
『世界樹ノ循環ハ崩壊シ、争イハ拡大シタ』
ミレイユは唇を噛んだ。
「……だから、全部を管理しようとしたの?」
『管理サレタ力ハ、奪イ合ウ必要ガナイ』
『一ツノ場所ニ集約スレバ、無秩序ナ争イハ終ワル』
ヴァルトが顔を上げた。
「……それが、お前の答えか」
『肯定』
ヴァルトの拳が震えた。
「俺も……同じことを考えていた」
ソアはヴァルトを見た。
ヴァルトは、過去の光景から目を逸らさなかった。
「誰も失わないために、すべての力を集める。そうすれば、守れなかったものも、これから失うものもなくなると思っていた」
彼は一度、目を閉じた。
「……だが、力を集めるほど、俺は周りの声を聞かなくなった」
誰かを守りたかった。
それは嘘ではない。
けれど、守りたいという願いは、いつしか他者の選択を奪う理由になっていた。
「俺は……お前と同じ道を歩いていたんだな」
『貴殿ハ、管理者ノ思想ヲ理解シテイタ』
「理解していたことと、正しいことは別だ」
ヴァルトは顔を上げた。
「俺は、それを間違えた」
管理者は答えなかった。
◇
ソアは、過去の光景を見つめていた。
人々は力を奪い合っていた。
確かに、悲しい光景だった。
もし、すべての力が一か所に集まっていたら。
争いは減ったのかもしれない。
誰かが力を奪うことも、奪われた者が報復することも、少なくなったのかもしれない。
でも。
「……ねえ」
ソアは管理者へ問いかけた。
「その世界で、みんなは自分で何かを決められるの?」
『不要ナ争イガ消エル』
「うん。それは分かった」
ソアは頷いた。
「でも、誰を助けるかとか、何を守りたいかとか……そういうことも、あなたが全部決めるの?」
『最適ナ判断ヲ行ウ』
「それって……」
ソアは少しだけ眉を下げた。
「みんなが自分で生きる意味、なくなっちゃわない?」
『生存ハ維持サレル』
「……そっか」
ソアは小さく息を吐いた。
「あなたは、みんなが生きていれば、それでいいんだね」
『肯定』
「でも、私はそれだけじゃ嫌だな」
管理者の仮面が、わずかに動いた。
『非合理的ナ判断ダ』
「そうかもしれないね」
ソアは笑った。
「でも、私は自分で決めたい。失敗するかもしれないし、誰かを助けられないこともあるかもしれない」
胸元に手を当てる。
「それでも、誰かに全部決めてもらうのは嫌だよ」
レイナが頷いた。
「守る相手の意思まで奪ってしまえば、それは守ることとは違う」
ミレイユも続ける。
「大切な人を失うのは怖いわ。でも、その恐怖を理由に、相手の自由を奪っていいわけじゃない」
シードは、ソアの手を握った。
「……ソアは、ソア」
小さな声。
「……シードは、シード」
そして、管理者を見上げた。
「……みんな、ちがう」
その言葉が、静かに空間へ広がった。
◇
『個体ノ意思ハ、不確定要素デアル』
管理者の声が変わった。
『不確定要素ハ、争イヲ生ム』
『争イハ、喪失ヲ生ム』
『喪失ヲ防グニハ、選択ヲ制限スル必要ガアル』
「……それは違うよ」
ソアは首を振った。
「選べるから、失うこともある。だけど、選べるから、誰かと一緒に進むこともできるんだよ」
『結果ハ保証サレナイ』
「うん」
『救済ハ完全デハナイ』
「うん」
『必ズ、誰カガ失ウ』
ソアは、すぐには答えなかった。
その言葉が、完全な間違いだとは思えなかったからだ。
誰かを助けようとしても、間に合わないことはある。
どれだけ力を持っていても、すべてを守ることはできない。
それでも。
「……だからって、最初から全部を取り上げなくてもいいんじゃないかな」
ソアは管理者を見つめた。
「失わないために、何も選べなくするんじゃなくてさ」
彼女は仲間たちを振り返った。
レイナ。
ミレイユ。
ヴァルト。
シード。
「失うことがあっても、また誰かと歩き出せる世界にしたいんだ」
シードが、ゆっくりと頷いた。
「……なくなったものも、きえてない」
葉が淡く光る。
「……きおくに、のこってる」
ソアは微笑んだ。
「そうだね」
◇
その瞬間。
空間の中央にあった光の柱が、激しく明滅した。
『対話――終了』
『管理方針ヲ変更』
『全器ノ統合ヲ開始スル』
「……え?」
ソアが目を見開いた。
管理者の周囲に、七つの光が現れる。
巨神の籠手。
天翔の翼。
絶対鏡盾。
深淵の呪鎖から変化した願結び。
竜皇砲。
終焉の剣。
そして、第七の器。
それぞれの光が、中央の柱へ引き寄せられていく。
「そんな……!」
ミレイユが鎖を伸ばした。
しかし、光は鎖をすり抜けた。
レイナが盾を構える。
衝撃波が広がり、全員を押し戻した。
「ぐっ……!」
ソアは翼を解放し、空中で姿勢を立て直した。
「やめて!」
剣を構える。
「シードは、あなたのものじゃない!」
管理者の仮面が、ソアを向いた。
『第七の器ハ、世界樹ノ循環ヲ完成サセル』
『他ノ器モ、同様デアル』
『統合ニヨリ、世界ノ不安定性ヲ解消スル』
「……違う」
ソアは、剣を強く握った。
「器は、力を集めるためにあるんじゃない!」
ヴァルトが巨神の籠手を構える。
「なら、止めるしかないな」
レイナは盾を掲げた。
「ええ。今度は、全員で」
ミレイユの紫色の鎖が輝く。
「願いを命令に変えさせるわけにはいかないもの」
シードはソアの手を握りしめた。
「……みんなで、かえる」
ソアは頷いた。
「うん!」
そして、管理者を見据えた。
「あなたがどんなに強くても、私たちは自分たちのことを自分で決める!」
管理者の周囲で、七つの光が一つに近づいていく。
『統合開始――第一段階』
空間が震えた。
『世界樹経路――強制接続』
その声とともに、足元から黒い結晶が広がり始めた。
ソアは一歩、前へ出た。
鎧はない。
けれど、翼はある。
仲間もいる。
そして、手の中にはシードの温もりがあった。
「……行こう、みんな」
ソアは笑った。
「世界を、取り戻そう」
七つの光が、激しく輝いた。
そして、《始源の管理者》との本当の戦いが始まった。




