第124話 暴走する竜皇砲
回廊の奥から、低い振動が響いていた。
ゴゴゴゴゴ……。
壁に埋め込まれた記憶の結晶が、一つ、また一つと明滅する。
そのたびに、足元を流れる魔力が黒く染まっていった。
「……近いわね」
ミレイユが呟いた。
「ええ。竜皇砲の魔力が、ここまで流れ込んでいる」
レイナは《絶対鏡盾》を構えたまま、通路の先を見つめていた。
ソアの胸元では、《巡りの雫》が強い光を放っている。
「……あっちだね」
ソアは迷わず歩き出した。
ガシャッ。
ガシャッ。
「ソア、少しは警戒しなさい」
「してるよ!」
「その割には、ずいぶん勢いよく進むわね」
「だって、竜皇砲が困ってるんでしょ?」
ミレイユは言い返そうとして、口を閉じた。
「……まあ、そうだけど」
「だったら、早く助けてあげないと!」
「あなた、巨大な魔力砲を助けるって言ったの?」
「うん!」
「……もういいわ」
レイナが小さく笑った。
「ソアらしいわね」
その後ろを、シードとヴァルトが続く。
ヴァルトは右腕の《巨神の籠手》を見つめていた。
かつて、自分が封印した器。
そして、自分の執着とともに、再び力を集めるために使ってしまった器。
「……今度こそ、間違えない」
小さな呟きは、誰にも聞こえなかった。
ただ、隣を歩くシードだけが、ちらりと彼を見上げていた。
*
通路の先に、大きな扉が現れた。
竜の紋様が刻まれた石扉。
その中央には、七つの器を表す紋様が円を描くように並んでいる。
だが、そのうち五つの紋様には、黒い結晶が食い込んでいた。
「……また、これか」
レイナが眉をひそめる。
「管理者の接続ね」
ミレイユが魔力を探る。
「しかも、かなり深いところまで侵食しているわ」
ソアは扉に手を触れた。
すると、《巡りの雫》が一際強く輝いた。
カチリ。
扉の奥で、何かが動いた。
ゴゴゴゴゴ……!
重い音を立てて、石扉が左右に開いていく。
その向こうには、巨大な円形の空間が広がっていた。
天井は見えないほど高い。
壁には幾重もの魔法陣。
床には、世界樹の根を思わせる光の経路が張り巡らされている。
そして、中央には――
巨大な砲が浮かんでいた。
竜の頭を模した砲身。
何重にも重なった金属の装甲。
その中心で、赤い魔力が脈打っている。
《竜皇砲》。
第五の器。
かつて世界樹の力を変換し、必要な場所へ送り出すために作られた、巨大な魔力装置。
しかし、今は違った。
黒い結晶が砲身のあちこちに食い込み、赤い光を無理やり一方向へ集めている。
その砲口は、空間の奥にある巨大な光の柱へ向けられていた。
「……あれが、世界樹への経路?」
ソアが呟いた。
「ええ。あの先に、世界樹の循環路があるはずよ」
ミレイユの顔が険しくなる。
「このまま砲撃すれば、世界樹の魔力を強制的に吸い上げることになるわ」
「そんなことをしたら……」
レイナが言いかけた、その瞬間。
空間全体に、無機質な声が響いた。
『第五の器、接続率――八十二パーセント』
『世界樹循環路への接続を確認』
『統合処理を再開します』
砲身が唸った。
ゴォォォォ……!
「みんな、伏せて!」
レイナが叫ぶ。
次の瞬間、竜皇砲の砲口に赤黒い光が集まった。
「撃つ気!?」
ソアが盾を構える。
『出力、上昇』
『八十五パーセント』
魔力が渦巻く。
砲口の前に、巨大な光球が生まれた。
「……まずいわ!」
ミレイユが《願結び》を発動する。
紫色の鎖が床を走り、レイナの盾とソアの鎧へと繋がった。
「レイナ、受け止めるだけでは駄目よ! 魔力を逃がす経路を作って!」
「分かった!」
レイナが盾を床に叩きつける。
《絶対鏡盾》が輝き、光球から伸びる魔力の一部を受け止めた。
しかし――
ドォォォォン!!
凄まじい衝撃が空間を揺らした。
「ぐっ……!」
レイナの足が床を滑る。
「レイナ!」
「大丈夫! でも、長くは持たないわ!」
砲口から放たれた光が、盾にぶつかって弾けた。
その余波だけで、壁の一部が崩れ落ちる。
「ちょっと! これ、強すぎない!?」
ソアが叫んだ。
「巨大な魔力砲なのだから、当然でしょう!」
「もっと手加減してほしいよ!」
「誰に言っているのよ!」
ミレイユが叫び返す。
ヴァルトは巨神の籠手を握りしめた。
「……俺が、接続を引き受ける」
「ヴァルト?」
ソアが振り返る。
「巨神の籠手には、魔力を集める性質がある。俺なら砲の出力を引き受けて、少しは抑えられるかもしれない」
「待って!」
ソアは即座に首を振った。
「それじゃ、また一つの器に力を集めることになるよ!」
「だが、このままでは全員が危険だ!」
「だからって、ヴァルト一人で全部受け止めなくていい!」
ソアは剣を構えた。
「みんなで分けようよ!」
ヴァルトは、言葉を失った。
以前の自分なら、迷わず力を集めていた。
一人で背負えばいい。
一人で耐えればいい。
そうすれば、誰も失わずに済む。
けれど、その考えが何を生んだのか。
彼は、もう知っていた。
「……分かった」
ヴァルトは拳を開いた。
「俺も、力を流す側に回ろう」
*
「ソア、あなたの鎧で魔力の流れを変えられない?」
ミレイユが叫んだ。
「やってみる!」
ソアは右肩の装甲を動かした。
ガシャン!
肩当てが外れ、空中へ浮かび上がる。
以前なら、ただの防具だった。
だが今は、魔力の流れを変えるための小さな導体として使える。
「いっけー!」
肩当てが回転し、砲口から伸びる魔力の経路へ飛び込んだ。
キィィン!
黒い結晶から伸びる光が、わずかに逸れる。
『出力、八十五パーセント』
『八十四パーセント』
「下がった!」
ソアの顔が輝いた。
「ほんの一パーセントだけどね!」
ミレイユが叫ぶ。
「喜んでいる場合じゃないわ! すぐに修復される!」
その言葉どおり、砲身に食い込んだ黒い結晶が脈動した。
逸れた魔力の経路を追いかけるように、黒い線が伸びていく。
『異常経路を検出』
『修正を開始』
肩当てが弾き飛ばされた。
「わあっ!」
ガァン!
肩当ては空中を一回転し、ソアの兜に直撃した。
ゴンッ!
「いたっ!」
「……ソア」
シードが心配そうに見上げた。
「大丈夫! いつものことだから!」
「いつものことにしないでちょうだい!」
ミレイユの突っ込みが響く。
しかし、ソアの目は真剣だった。
「……そっか。あの黒い結晶が、魔力を元に戻してるんだ」
砲身の各所で、黒い結晶が同じ間隔で明滅している。
それらは独立しているように見えて、一本の太い経路で繋がっていた。
「ミレイユさん! 黒い結晶って、全部繋がってるの?」
「ええ。砲の制御回路を通して、世界樹の経路と接続されているみたい」
「じゃあ、砲を止めるには、魔力の流れを逆にすればいい?」
「理論上はね。でも、流れを逆転させるだけでは、砲そのものが壊れる危険があるわ」
「……そっか」
ソアは砲身を見つめた。
壊せば止まる。
けれど、それでは第五の器を失うことになる。
世界樹の力を必要な場所へ送り返すための器を。
「……壊したくないな」
ソアが呟いた。
レイナは盾を支えながら、わずかに笑った。
「あなたなら、そう言うと思ったわ」
「だって、まだ助けられるかもしれないもん」
「ええ。なら、助けましょう」
ミレイユが紫色の鎖を張り直す。
「ただし、私たち全員でね」
ヴァルトも頷いた。
「俺の籠手で、魔力の一部を受け止める。だが、溜め込むのではなく、別の経路へ流す」
「うん!」
ソアは大きく頷いた。
「それなら、みんなでできる!」
*
レイナが《絶対鏡盾》を構え直した。
盾の表面に、赤い魔力が映し出される。
「私が砲からの流れを受け止めるわ。ただし、反射する方向はミレイユに任せる」
「分かった。私の《願結び》で、魔力の流れを分けるわ」
ミレイユの紫色の鎖が、床の経路へと伸びていく。
「ソア、あなたの装甲を使って、黒い結晶の接続を少しずつ逸らして!」
「任せて!」
「ヴァルトは、逸れた魔力を受け取って、世界樹側へ戻すのよ。決して自分の中に溜め込まないこと」
「……分かった」
シードは、光の柱を見つめていた。
「……わたし、きおく、みる」
「お願い、シード!」
小さな葉が光り始める。
砲身に刻まれた紋様。
床を走る魔力。
世界樹へ伸びる経路。
シードの瞳に、それらが淡い線となって映った。
「……ここ。ここが、かえす、みち」
シードが指さしたのは、砲身の下部にある小さな紋様だった。
「そこね!」
ソアは装甲を遠隔操作し、紋様の前へ飛ばした。
ガシャン!
装甲が紋様を覆う。
同時に、ミレイユの《願結び》がその周囲を包み込んだ。
レイナが盾を傾ける。
赤い魔力の流れが変わった。
『異常経路を検出』
『修正を開始』
「今よ!」
ミレイユが叫んだ。
ヴァルトが巨神の籠手を掲げる。
しかし、魔力を吸い込むのではない。
籠手の表面に浮かび上がった紋様を通して、受け取った力を別の経路へ押し流す。
「……戻れ!」
金色の光が、黒い結晶の隙間を抜けていった。
ゴォォォォ……!
砲身の振動が変わる。
暴れていた赤い光が、少しずつ落ち着いていった。
『出力、八十五パーセント』
『七十八パーセント』
『六十九パーセント』
「下がってる!」
ソアが叫んだ。
「そのまま続けて!」
レイナが踏ん張る。
ミレイユの額に汗が浮かぶ。
ヴァルトの腕が震えた。
それでも、誰も力を独占しなかった。
一人が受け止めた力を、別の誰かが繋ぐ。
繋がれた力は、また別の場所へと流れていく。
その流れが、少しずつ竜皇砲の内部に広がっていった。
だが――
『管理者権限による制御を再開』
無機質な声が響いた。
黒い結晶が一斉に輝く。
「……っ!」
ミレイユの鎖が弾けかけた。
レイナの盾に亀裂のような光が走る。
ヴァルトの籠手が、黒い光に覆われた。
『接続経路を修復』
『世界樹循環路への統合を再開』
「そんな……!」
ソアは歯を食いしばった。
ここまで戻した魔力が、再び砲口へと引き寄せられていく。
「まだ終わってないよ!」
ソアは残る装甲を遠隔操作した。
胸当ての外側に取り付けられた補助板。
左腕の装甲。
腰の防具。
それらが一斉に浮かび上がり、黒い結晶の接続経路へと飛び込んだ。
ガガガガッ!
装甲が衝突するたび、黒い光が揺れる。
しかし、制御回路は完全には止まらない。
そのとき、シードの葉が強く輝いた。
「……ソア!」
「シード?」
「……まだ、つながってる。でも……」
シードは、砲身の奥を指さした。
「……もっと、おく。ほんとうの、みち」
ソアは目を見開いた。
黒い結晶が作り出しているのは、無理やり力を集めるための経路。
そのさらに奥に、本来の循環路が眠っている。
そこへ辿り着かなければ、管理者の制御を完全には外せない。
「……そっか」
ソアは剣を握り直した。
「じゃあ、次はあそこだね」
レイナが頷いた。
「ええ。今度は、内部へ進む必要があるわ」
ミレイユは鎖を維持しながら、苦い顔をした。
「ただし、今の状態で全員が動くのは難しいわ。誰かがここで魔力の流れを支えなければならない」
ヴァルトが一歩前に出た。
「俺が残る」
ソアはすぐに首を振った。
「一人で全部背負わないって、さっき約束したよね?」
「……ああ」
「だから、みんなで考えよう」
ソアは、仲間たちを見渡した。
「まだ方法はあるはずだよ」
砲身の奥で、赤い光が再び脈動した。
黒い結晶が、まるで生き物のように蠢く。
『統合処理――再試行』
『管理者権限――維持』
竜皇砲は、まだ止まっていない。
それでも。
ソアたちは、確かに一つの流れを取り戻した。
その小さな変化は、誰にも奪わせない。
ソアは胸元の《巡りの雫》を握りしめた。
「……待っててね」
その視線は、砲身のさらに奥へ向けられていた。
「今度こそ、ちゃんと助けてあげるから」
竜皇砲の赤い光が、静かに明滅した。
まるで、その言葉を聞いているかのように。




