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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第十一章 竜皇砲と、集められる力

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第123話 力を封じた理由


 金色の結晶を通り過ぎて、ソアたちは回廊の奥へと進んでいた。


 壁に埋め込まれた記憶の結晶は、先ほどよりも数が増えている。


 その一つ一つに、遠い昔の光景が眠っていた。


「……ねえ」


 ソアが、隣を歩く黒衣の男に声をかけた。


「さっき、七つの器が目覚め始めたから封印を解いたって言ってたよね?」


「ああ」


「でも、封印したときは、集めちゃいけないって思ってたんでしょ?」


「……そうだ」


「だったら、どうして考えが変わっちゃったの?」


 男は黙った。


 責めるような口調ではなかった。


 ソアは本当に、不思議に思っているだけだった。


 だからこそ、男は簡単に答えられなかった。


「……失いたくなかったんだ」


 やがて、彼は言った。


「何を?」


「すべてを」


 その言葉は、回廊の中に静かに響いた。


「俺は、一度大切なものを失った。それからずっと、同じことが二度と起こらないようにと考えていた」


 男は右腕の籠手を見つめた。


「巨神の籠手には、力を蓄える性質がある。鍛えれば鍛えるほど、集めれば集めるほど、強くなれる。最初は、その力で誰かを守れると思っていた」


「……うん」


「だが、守れなかった」


 男の声が低くなる。


「どれほど力を集めても、失ったものは戻らなかった。それでも俺は、まだ力が足りないのだと思い込んだ」


 レイナが、静かに目を伏せた。


 彼女にも、守ることの難しさは分かる。


 けれど、力を求め続けることと、守るために強くなることは同じではない。


「だから、籠手を封印したのね」


 ミレイユが言った。


「……ああ。自分がこれ以上、力を求め続けないようにするためでもあった」


「自分自身を止めるために?」


「そうだ」


 男は苦笑した。


「俺は、自分の意思だけでは止まれなくなっていたのかもしれない」


 ソアは少し考えた。


 それから、自分の胸当てをぽんと叩いた。


「……私も、鎧を脱げって言われても脱がないけどね」


「今の話と何の関係があるのよ!」


 ミレイユが即座に突っ込んだ。


「えっ、だって好きなものって、なかなか手放せないでしょ?」


「好きなものと、世界中の力を集めることを一緒にしないで!」


「そっか。鎧は世界中にはないもんね」


「そういう問題でもないわ!」


 レイナが額を押さえた。


 シードは、ソアの胸当てを見上げていた。


「……ソア、よろい、すき」


「うん! 大好き!」


「……でも、みんなも、すき?」


「もちろん!」


 ソアは即答した。


「鎧も好きだし、みんなも好き。どっちか一つじゃなくていいんだよ」


 シードは少し考えた。


「……そっか」


 小さな葉が、淡く光った。


 男は、そのやり取りを黙って見つめていた。


 自分が失ったものを取り戻すためには、すべてを一つに集めなければならない。


 長い間、そう信じていた。


 けれど、目の前の少女は、好きなものを大切にしながら、仲間も同じように大切にしている。


 何かを選ぶために、別の何かを支配する必要はない。


 その当たり前のことが、今の男にはひどく遠く感じられた。


     *


 しばらく進んだところで、ソアがふと足を止めた。


「……そういえばさ」


「何だ?」


 男が振り返る。


「私、あなたの名前を知らないんだよね」


 男は、わずかに目を見開いた。


「……名前?」


「うん。ずっと聞く機会がなかったから」


 ソアは首を傾げた。


「これから一緒に行動するなら、名前で呼べた方がいいかなって」


 レイナが少し驚いた顔をした。


「ソア、あなた……本当に、この人と一緒に行動するつもりなの?」


「うん。でも、全部を許したわけじゃないよ?」


 ソアは男を見た。


「籠手を奪われたことも、私たちを利用しようとしたことも、ちゃんと覚えてる」


「……ああ」


「でも、今は管理者を止めるために協力してくれてる。それなら、いつまでも名前を知らないままっていうのも変かなって」


 男は、すぐには答えなかった。


 自分の名前を口にすることなど、いつ以来だろう。


 かつては、その名で呼ばれていた。


 誰かを守ろうとしたときも。


 力を求め始めたときも。


 そして、大切なものを失ったときも。


 けれど、いつからか名前で呼ばれることはなくなった。


 人々は彼を恐れ、やがて黒衣の男と呼ぶようになった。


 本人も、その呼び名を否定しなくなった。


 過去の自分と向き合うことを避けるように。


「……ヴァルト」


 男は、静かに口を開いた。


「ヴァルト・レグナス。それが俺の名前だ」


「ヴァルト・レグナス……」


 ソアは、その名前を確かめるように繰り返した。


「そっか。じゃあ、ヴァルトだね!」


「……それだけか?」


「え?」


「俺が何者だったのか、聞かないのか」


 ソアは少し考えた。


「うーん……。それは、これから知っていけばいいんじゃない?」


 ヴァルトは言葉を失った。


「……俺は、お前たちに危害を加えた」


「うん。籠手も奪われたしね」


「俺は、七つの器を集めるために、お前たちを利用しようとした」


「うん。それも知ってる」


「それでも……名前で呼ぶのか?」


 ソアは不思議そうな顔をした。


「名前を呼ぶのと、悪いことを許すのは別でしょ?」


 ヴァルトの目が、わずかに揺れた。


「……別、か」


「うん。やったことがなくなるわけじゃない。でも、これからどうするかは、自分で決められるでしょ?」


 ソアは笑った。


「だから、ヴァルト。これからはその名前で呼ぶね!」


 ヴァルトは、すぐには答えられなかった。


 ただ、長い間閉ざしていた何かが、ほんの少しだけ動いた気がした。


「……好きにしろ」


「うん!」


「……本当に、変わった奴だな」


「よく言われる!」


「褒めてはいない」


「えっ、そうなの?」


 レイナがため息をついた。


「ソア、話が進まないわよ」


「ごめんごめん!」


 ミレイユは小さく笑った。


「でも、名前が分かったのはよかったわね」


 ヴァルトは何も言わなかった。


 名前を明かしたからといって、過去が消えるわけではない。


 自分が犯した過ちも、失ったものも、何一つ変わらない。


 それでも。


 過去の呼び名に隠れ続けるのではなく、自分の名前でこれからを選ぶ。


 それが、彼にとって小さな一歩になるのかもしれなかった。


     *


「……あれ?」


 先頭を歩いていたソアが、再び足を止めた。


 正面に、四角い記録板が浮かび上がっていた。


 周囲の壁には、細かな文字がびっしりと刻まれている。


「また記録?」


「そうみたいね」


 ミレイユが近づき、文字を読み取るために魔力を流した。


 すると、記録板の表面に七つの紋様が浮かび上がった。


 その下に、文章が表示される。


『七つの器の再覚醒を確認』


『世界樹循環率――低下』


『管理者による補正が必要』


 レイナが眉をひそめた。


「世界樹の循環率が低下している……?」


「この遺跡で起きている異常とも関係がありそうね」


 ミレイユが続きを読み上げる。


『七つの器を一つの経路へ統合することで、循環を安定させる』


『統合完了後、すべての損失を防ぐことが可能となる』


 ソアの表情が曇った。


「……すべての損失を、防ぐ?」


 その言葉を聞いた瞬間、ヴァルトが記録板へ近づいた。


「これだ……」


 彼の声が震えていた。


「俺が見た記録と同じだ」


「でも、さっきの記録には、一つの手に集めるなって書いてあったよね?」


 ソアが尋ねる。


「……ああ」


 ヴァルトは記録板を見つめた。


「封印を解いた後、俺は別の遺跡でこの記録を見つけた。そこには、七つの器を統合すれば、世界樹の循環が安定すると書かれていた」


「その記録を信じたの?」


「そうだ。俺は、これこそが失ったものを繰り返さないための答えなのだと思った」


 ミレイユが記録板を注意深く調べる。


「待って。この文字……少しおかしいわ」


「何が?」


「文章の一部だけ、刻まれた時期が違う」


 彼女は指先から細い魔力を伸ばした。


 文字の表面をなぞると、記録板の奥から黒い線が浮かび上がった。


「ここだけ、別の魔力で上書きされている」


 レイナが剣の柄に手を置いた。


「後から書き換えられたということ?」


「ええ。しかも、かなり古い時代にね」


 ソアは記録板を覗き込んだ。


「じゃあ、誰かが嘘を書いたってこと?」


「断定はできないわ。でも、少なくとも最初からあった記録ではない」


 ミレイユがさらに魔力を流す。


 黒い線が一つずつ剥がれ、下に隠されていた文字が現れ始めた。


 そこに記されていたのは、まったく違う文章だった。


『七つの器の再覚醒を確認』


『世界樹循環率――低下』


『各器の自律的な循環を優先する』


 その下には、こう続いていた。


『器を一つの経路へ強制統合した場合、循環は一時的に安定する』


『しかし、力の偏在が進み、世界樹の枝は枯れ始める』


 静寂が落ちた。


「……強制統合は、解決策じゃなかったんだ」


 レイナが呟いた。


「一時的に安定したように見せて、その先で循環を壊してしまうのね」


「そういうことね」


 ミレイユは険しい顔で頷いた。


「しかも、書き換えられた文章は、その危険性を完全に隠している」


 ヴァルトは、動かなかった。


 目の前の記録を見つめたまま、唇を噛みしめている。


「……俺は」


 声が掠れた。


「俺は、これを信じていた」


 ソアはヴァルトを見た。


「……うん」


「俺が見た記録は、間違っていたんだ」


「うん。でも……」


 ソアは、少しだけ言葉を選んだ。


「記録を信じたことと、その力で何をしたかは、別の話だと思う」


 ヴァルトが顔を上げる。


「……ああ」


「だから、これからどうするかは、ちゃんと自分で決めよう」


 ソアは笑った。


「私たちも一緒に考えるから」


 ヴァルトは、すぐには答えなかった。


 ただ、右腕の籠手を握りしめていた手を、ゆっくりと開いた。


     *


 そのときだった。


 記録板の奥から、低い音が響いた。


 ゴゴゴゴゴ……。


「な、何!?」


 ソアが飛び退く。


 記録板の表面に、先ほどとは異なる文字が浮かび上がった。


『不正な記録改変を検出』


『管理者権限による修復を開始』


「……修復?」


 ミレイユが目を細めた。


「まさか、今の記録を元に戻すつもり?」


 黒い光が記録板を覆い始める。


 剥がれかけていた黒い線が、再び文字の上へ伸びていく。


「そんなこと、させない!」


 ソアは反射的に手を伸ばした。


 しかし、指先が触れる直前、見えない壁に弾かれた。


「わっ!」


 ガシャン!


 鎧が大きく揺れる。


「ソア、無茶をしないで!」


「だって、せっかく本当の記録が出てきたのに!」


 レイナが《絶対鏡盾》を構え、黒い光の流れを受け止めた。


 ミレイユは《願結び》を発動させ、記録板の周囲に細い紫色の鎖を巡らせる。


「長くは持たないわ! シード、何かできる?」


 シードは結晶に向かって両手を伸ばした。


「……きおく、のこす」


 頭の葉が、緑色に輝く。


 記録板から剥がれかけていた文字が、淡い光となってシードの手元へ集まり始めた。


『記録の複製を検出』


『第七の器への接続を開始』


 黒い光が、一気にシードへ伸びた。


「シード!」


 ソアが駆け寄ろうとする。


 だが、シードは逃げなかった。


 小さな手を広げ、集まった光を胸元へ抱きしめる。


「……うけとる」


 その葉が、さらに強く輝いた。


「……でも、ぜんぶは、あげない」


 緑色の光が弾けた。


 黒い接続経路が、途中で断ち切られる。


 記録板は大きく震えた後、静かになった。


 黒い文字は残ったままだった。


 けれど、その下にあった本来の記録もまた、シードの中に保存されていた。


「……できた?」


 ソアが恐る恐る尋ねる。


 シードは頷いた。


「……うん。ほんとうの、きおく。のこった」


「よかったぁ……!」


 ソアはその場にしゃがみ込み、シードを抱きしめた。


 ガシャッ。


「……ちょっと、くるしい」


「ごめん!」


 ソアは慌てて腕を緩めた。


 ミレイユが小さく笑う。


「まったく。記録を守るのも一苦労ね」


「でも、これで管理者が何を隠していたのか、少し分かったわ」


 レイナが記録板を見つめた。


「あなたが信じていた記録は、意図的に書き換えられていた。そして、その改変を今も維持しようとしている」


「……ああ」


 ヴァルトは静かに答えた。


「俺は、あいつの望む方向へ導かれていたのかもしれない」


 回廊の奥で、何かが低く唸った。


 遠くから伝わってくる魔力の振動。


 竜皇砲のある方向だった。


 《巡りの雫》が、強く輝く。


 ソアは立ち上がった。


「……急ごう」


 もう、迷っている時間はなかった。


 管理者は記録を書き換えるだけではない。


 今もなお、世界樹の力そのものを一つに集めようとしている。


 そして、その中心にあるのが――


 暴走を続ける《竜皇砲》だった。


 ソアは剣を握り直した。


「今度は、ちゃんと力を返してもらおう」


 その言葉に、レイナとミレイユが頷いた。


 シードも、小さな手でソアの指を握る。


「……みんなで、かえる」


「うん!」


 ソアたちは、回廊のさらに奥へと進んでいった。


 背後の記録板には、誰にも読まれないはずだった一文が残っていた。


『力は、集められるほど安定するのではない』


『流れ続けるからこそ、世界は生きている』


 その文字を、黒い光が覆い隠そうとしていた。


 けれど、もう遅い。


 本当の記憶は、次の命へと渡されたのだから。

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