第122話 封印された巨神の籠手
通路の壁には、無数の透明な結晶が埋め込まれていた。
それぞれの結晶の中で、小さな光が揺れている。
青い光。
緑の光。
そして、金色の光。
まるで、遠い昔の星空を閉じ込めたようだった。
「……きれい」
ソアは、思わず足を止めた。
鎧の重い足音が、静かな通路に響く。
ガシャッ。
ガシャッ。
「ソア、あまり離れないで」
レイナが声をかける。
「分かってるよ!」
ソアは返事をしながら、目の前の結晶を覗き込んだ。
「ねえ、これって全部、昔の記憶なのかな?」
「その可能性は高いわね」
ミレイユが結晶に触れないよう、慎重に魔力を探る。
「魔力そのものを保存しているというより、魔力に刻まれた情報を残しているみたい。普通の記録魔法とは違うわ」
「……きおく」
シードが呟いた。
頭の葉が、ほんのりと光る。
「……いっぱい、ある」
「無理して読まなくていいからね」
ソアが優しく声をかける。
シードは頷いた。
「……うん」
そのとき。
通路の奥にあった、一つの結晶が強く輝いた。
金色の光。
その表面に、巨神の籠手と同じ紋様が浮かび上がる。
「……これは」
黒衣の男が足を止めた。
その声は、いつもより低かった。
ソアは振り返った。
「どうしたの?」
男は答えず、結晶を見つめている。
やがて、ゆっくりと右腕を持ち上げた。
巨神の籠手。
その表面に残る黒い結晶が、金色の光に反応して震え始めた。
「……間違いない」
男が呟く。
「これは、俺の記憶だ」
*
金色の光が広がった。
結晶から溢れた光が、空中に映像を描き出す。
そこに映っていたのは、今よりも若い黒衣の男だった。
まだ黒い外套を身につけていない。
右腕には、巨神の籠手。
その表面は今と違い、黒い結晶に覆われていなかった。
純粋な金属の輝きを放っている。
「……やっぱり、元の持ち主だったんだ」
ソアが呟いた。
映像の中の男は、広大な石造りの部屋に立っていた。
正面には、七つの紋様が刻まれた壁。
巨神の籠手。
天翔の翼。
絶対鏡盾。
深淵の呪鎖。
竜皇砲。
終焉の剣。
そして、第七の器。
七つの紋様は、それぞれ淡い光を放っていた。
『七つの器の反応を確認』
無機質な声が響く。
『覚醒段階――未到達』
若い男は、籠手を見下ろした。
『今は、まだ早いか』
その声には、疲れが滲んでいた。
映像が切り替わる。
今度は、同じ部屋の中央に台座があった。
男は巨神の籠手を外し、台座に置いた。
『七つの器が再び目覚める時まで、ここで眠っていてくれ』
男は、籠手に手を添えた。
『誰にも、この力を渡すわけにはいかない』
その言葉とともに、台座の周囲に魔法陣が浮かび上がった。
幾重もの封印。
金色の鎖。
そして、巨大な石扉。
巨神の籠手は、ゆっくりと闇の中へ沈んでいった。
最後に映ったのは、石扉の前に立つ男の後ろ姿だった。
映像が消える。
通路に静寂が戻った。
「……封印していたんだね」
ソアが言った。
黒衣の男は頷いた。
「ああ。あの時の俺は、七つの器を集めることが正しいのか、分からなくなっていた」
「それで、籠手を隠したの?」
「そうだ」
男は、右腕を見つめた。
「俺は、巨神の籠手を使って多くの力を集めていた。だが、力を集めるほどに、もっと大きな力が必要だと思うようになっていった」
その声に、後悔が滲む。
「何かを失うたびに、次こそは失わないための力を求めた。気づけば、何を守りたかったのかさえ、見失いかけていた」
ミレイユが静かに尋ねた。
「それでも、封印したのね」
「……ああ」
男は小さく頷いた。
「七つの器が完全に目覚める前に、誰かが一つの手に集めてしまえば、同じことが繰り返される。そう考えたんだ」
レイナが腕を組んだ。
「では、なぜ再び封印を解いたの?」
男はすぐには答えなかった。
やがて、苦い表情で口を開く。
「……七つの器が、再び反応し始めたからだ」
天翔の翼。
絶対鏡盾。
深淵の呪鎖。
そして、竜皇砲。
それぞれの器が目覚め始めた時、封印していた巨神の籠手もまた、反応を示した。
「俺は、管理者の記録を信じていた。七つの器を集めれば、世界を救えると」
「でも、実際には違ったんだね」
ソアが言った。
「ああ。俺はまた、同じ道を歩き始めてしまった」
男は目を伏せた。
「そして、君が封印された籠手を手にした」
ソアは首を傾げた。
「それで、私から奪ったの?」
「そうだ」
男は、まっすぐソアを見た。
「俺は巨神の籠手の元の持ち主だった。封印を施したのも俺自身だ。だから、籠手が新しい持ち主を認識した後でも、俺の魔力と接続権が残っていた」
「接続権……?」
「簡単に言えば、籠手が俺を覚えていたということだ」
男は右腕を握った。
「君が籠手を手にした時、俺はその繋がりを利用した。君の手から強制的に引き戻したんだ」
ソアは、しばらく考えた。
それから、ぽつりと呟く。
「……そっか」
「怒らないのか?」
「怒ってるよ?」
男が目を見開いた。
ソアは頬を膨らませた。
「せっかく手に入れたのに、勝手に奪われたんだもん!」
「……そうだな」
「しかも、あの時はすっごく悔しかったんだから!」
「……すまない」
ソアは少しだけ表情を和らげた。
「でも、理由が分かったのはよかった」
男は、意外そうに彼女を見つめた。
「君は……不思議な人間だな」
「よく言われる!」
「褒めてはいない」
「えっ、そうなの?」
レイナがため息をついた。
「ソア、今は真面目な話をしているのよ……」
「分かってるよ!」
ソアは笑った。
「でも、理由が分かったからって、勝手に奪っていいわけじゃないよね」
男の表情が引き締まる。
「……ああ」
「次はちゃんと相談してね」
「……分かった」
短い返事だった。
けれど、男は初めて、言い訳をしなかった。
*
シードが、金色の結晶へ近づいた。
「……これ」
小さな指が、結晶の表面を指し示す。
「……まだ、つづき、ある」
「え?」
ソアが覗き込む。
結晶の奥に、別の映像が残っていた。
封印を終えた若い男が、石扉の前で立ち尽くしている。
その手には、一枚の記録板。
『七つの器は、世界を支えるために生まれた』
『一つの手に集めるためではない』
そこまでは、以前にも見た記録だった。
だが、その下に、小さな文字が刻まれていた。
『元の持ち主であっても、器の意思を支配することはできない』
『器は、持ち主を選び直す』
ソアは目を見開いた。
「……えっ?」
黒衣の男も、息を呑んだ。
「そんな記録が……」
映像の中の若い男は、記録板を握りしめていた。
『もし、いつか再びこの器を手にすることがあれば』
彼は、ゆっくりと籠手を封印した石扉を振り返った。
『その時は、俺自身が変わっていなければならない』
映像が消えた。
誰も、すぐには口を開かなかった。
やがて黒衣の男が、静かに息を吐いた。
「……俺は、忘れていたのかもしれない」
「何を?」
ソアが尋ねる。
「力を持つことと、力を支配することは違うということを」
男は、巨神の籠手を見つめた。
「俺は、元の持ち主だから奪い返せた。だが、それは俺が正しいからではなかった」
拳を開く。
「ただ、昔の繋がりが残っていただけだ」
シードが、小さく頷いた。
「……もの、じゃない」
「……ああ」
男はシードを見た。
「そうだな。器もまた、ただの道具ではないのかもしれない」
ソアは、胸元の《巡りの雫》を握りしめた。
その光は、穏やかに明滅していた。
「じゃあ、これからはさ」
ソアは笑った。
「力を集めるんじゃなくて、みんなで繋いでいこうよ」
レイナが頷く。
「ええ。私たちならできるはずよ」
ミレイユも、紫色の鎖を指先で揺らした。
「簡単ではないでしょうけれどね」
「うん。でも、やってみよう!」
ソアは一歩、通路の奥へ踏み出した。
シードが、その手を握る。
黒衣の男も、今度は少し距離を置きながら、彼女たちの後を歩き始めた。
背後では、金色の結晶が静かに輝いている。
そこに残された過去は、消えない。
犯した過ちも、失ったものも、なかったことにはならない。
それでも。
過去に縛られたままではなく、そこから先を選ぶことはできる。
黒衣の男は、右腕を見つめた。
巨神の籠手は、まだ完全には彼のものではなかった。
そして、彼自身もまだ変わり始めたばかりだった。
――本当の償いは、ここから始まる。




