第117話 記録にない八つ目の声
竜皇砲の唸りが、少しずつ低くなっていた。
けれど、それは暴走が収まったからではない。
砲身の奥に集められた魔力が、別の場所へと流れ始めているのだ。
床を這う黒い結晶。
壁の向こうへ伸びる魔力回路。
そして、世界樹へと向かう謎の接続。
ソアは《巡りの雫》を握りしめた。
「……この先に、制御してる何かがあるんだよね?」
「そう考えるべきだろう」
黒衣の男が答えた。
「竜皇砲そのものが、勝手に世界樹へ接続しているわけではない。誰かが、その経路を利用している」
レイナが警戒したまま尋ねる。
「その誰かについて、あなたは何か知っているの?」
「……断片的な記録なら」
「断片的?」
ミレイユが眉をひそめた。
「七つの器を集めれば、すべての力を一つにできる。あなたは、そう信じていたのよね?」
「ああ」
男は竜皇砲を見上げた。
「古代の記録には、七つの器を集めることで、世界を再び安定させられると書かれていた」
「でも、実際には違った」
ソアが言った。
「うん。器は、力を集めるためじゃなくて、巡らせるためのものだったんだよね」
男は何も答えなかった。
否定できなかったからだ。
自分が信じていた記録。
長い旅の中で追い求めてきた目的。
その根本が、間違っていた。
それでも。
「……私は、失いたくなかった」
男が、ぽつりと呟いた。
ソアは彼を見た。
「大切な人を?」
「ああ」
男は拳を握った。
「かつて、私は守れなかった。力が足りなかった。判断が遅れた。そして、失った」
声には、長い時間をかけても消えなかった悔恨が滲んでいた。
「だから、すべての力を集めればいいと思った。誰にも奪われない場所へ、すべてを集めれば。もう二度と、同じことは起きないと……」
ミレイユは、静かに男を見つめた。
かつての自分も、同じことを願った。
大切な人を失いたくない。
届かない手を、もう見たくない。
その願いが、誰かを縛りつける力へ変わってしまった。
「……あなたの気持ちは、分かるわ」
ミレイユが言った。
「でも、失いたくないからといって、すべてを自分の手に集めてしまえば……誰も、自分の意思で歩けなくなる」
男は目を伏せた。
「分かっている。今なら、少しだけ……」
そのとき。
遺跡の壁が、低く唸った。
ゴゴゴゴゴ……。
ソアの胸元で、《巡りの雫》が再び輝く。
「……来る!」
次の瞬間、床に刻まれた魔法陣が一斉に点灯した。
【管理者接続――第二段階】
【制御対象の再評価を開始】
黒衣の男が顔を上げた。
「再評価……?」
壁に、古代文字が浮かび上がる。
その文字列を見た瞬間、男の顔から血の気が引いた。
「そんな……馬鹿な」
「何が書いてあるの?」
レイナが尋ねる。
男は震える声で答えた。
「七つの器を集める計画……その記録の続きだ」
ソアは息を呑んだ。
「続きがあったの?」
「ああ。私が見つけた記録には、ここから先がなかった」
男は壁に近づいた。
浮かび上がった文字を、ひとつずつ読み取っていく。
「……『七つの器が一つの幹へ集まるとき、管理者は世界樹の権限を回収する』」
沈黙が落ちた。
レイナが険しい顔をする。
「管理者が……権限を回収する?」
「待って。まだ続きがある」
男の指が止まった。
その先には、別の記述があった。
「『器を集める者は、権限の回収を助けるための導き手として選ばれる』……」
男の手が震えた。
「……導き手?」
ソアは、ゆっくりと男を見た。
「それって……」
「私のことだ」
男の声が掠れた。
「私が七つの器を集めていたのは、世界を救うためではなかった……。誰かが、私を利用するためだったんだ」
黒い結晶が、壁の中で脈打った。
まるで、その言葉を肯定するように。
ミレイユが杖を構える。
「つまり、あなたは最初から計画の一部だったのね」
「ああ」
男は拳を握りしめた。
「私が器を集めれば集めるほど、管理者は力を回収しやすくなる。私自身が、そのための道を作っていたんだ」
ソアは唇を結んだ。
自分たちもまた、知らないうちに誰かの計画へ巻き込まれていたのかもしれない。
けれど。
「……まだ、終わってないよ」
ソアが言った。
男が顔を上げる。
「何?」
「だって、まだ全部の器が集まったわけじゃないんでしょ?」
「ああ。だが、竜皇砲は起動してしまった」
「だったら、止めよう」
ソアはまっすぐに男を見た。
「あなたが作った道なら、あなたも一緒に閉じるのを手伝ってよ」
男は、目を見開いた。
「……私を、まだ仲間として扱うのか?」
「仲間って決めたわけじゃないよ」
ソアは少しだけ首を傾げた。
「でも、今は一緒に戦うって決めたから」
その言葉に、男はしばらく動けなかった。
やがて。
「……分かった」
彼は、初めて自分から頭を下げた。
「私にできることなら、何でも協力しよう」
「何でも、は危ないわよ」
ミレイユが即座に釘を刺した。
「これまでの行いについては、全部終わってから説明してもらうから」
「……ああ。逃げるつもりはない」
「よし!」
ソアは頷いた。
「じゃあ、まずは竜皇砲を止めよう!」
*
遺跡の最深部へ続く扉は、竜皇砲の背後にあった。
巨大な石扉。
その中央には、七つの器を示す紋様が刻まれている。
だが、よく見ると、その紋様の周囲には不自然な傷があった。
何かを無理やり繋ぎ足したような、黒い線。
「……これ、後から刻まれたものね」
ミレイユが指先でなぞる。
「古い紋様の上から、別の回路を付け足している」
レイナが盾を構えたまま言った。
「その先に管理者がいるの?」
「分からない。ただ、この先から強い魔力を感じるわ」
シードが扉の前に進み出た。
頭の葉が、ゆっくりと揺れる。
「……ここ」
シードは石扉に手を触れた。
「……しってる、きがする」
「シード?」
ソアが隣にしゃがむ。
シードは目を閉じた。
「……むかしの、きおく」
その瞬間、石扉の紋様が淡い緑色に輝いた。
黒い回路の一部が、わずかに揺らぐ。
「……反応しているのか?」
黒衣の男が呟いた。
ソアは、シードの葉を見つめた。
「シード。何か分かる?」
「……わからない」
シードは小さく首を振った。
「でも……」
ゆっくりと、言葉を続ける。
「……ここ、かえす、ところ」
ソアの胸元で、《巡りの雫》が輝いた。
返す。
その言葉は、以前、世界樹の記憶を受け取ったときにも聞いたものだった。
失われた力を集めるのではなく。
受け取ったものを、次の命へ渡す。
ソアは、石扉に手を伸ばした。
「……開いて」
その瞬間。
鎧の胸元から光が走り、扉の紋様へと流れ込んだ。
ゴゴゴゴゴ……。
石扉が、ゆっくりと動き始めた。
しかし、開いた隙間から流れ出したのは、温かな光ではなかった。
冷たい、重い魔力。
それはまるで、長い時間、閉じ込められていた何かが目を覚ましたかのようだった。
扉の向こうに、巨大な空間が広がっていた。
中央には、黒い結晶に覆われた装置。
その奥には、世界樹の根に似た巨大な光の筋が伸びている。
そして、装置の前に。
人影はなかった。
代わりに、空間全体へ響く声があった。
『導き手の到達を確認』
ソアたちは、一斉に身構えた。
『七つの器の接続状況を確認』
『世界樹権限の回収準備を再開します』
黒衣の男が叫んだ。
「姿を見せろ! お前は何者だ!」
声は、淡々と答えた。
『私は、世界の循環を管理するもの』
『始源の管理者』
その名が響いた瞬間。
シードの葉が、強く輝いた。
ソアの鎧が震える。
そして、《巡りの雫》の表面に、見たことのない文字が浮かび上がった。
【世界樹経路――接続確認】
【管理者権限――干渉を検知】
【固有能力――応答】
ソアは息を呑んだ。
「……私のスキルに、何をしようとしてるの?」
返答は、すぐにあった。
『あなたの能力は、想定外の進化を続けています』
『管理対象として、再評価する必要があります』
ソアは剣を握りしめた。
「……管理対象?」
その言葉を、ゆっくりと繰り返す。
そして、はっきりと言った。
「私は、誰かに管理されるためにここにいるんじゃないよ」
光の筋が、空間全体を走った。
『選択の意思を確認』
『制御手順を変更します』
黒い結晶が、いっせいに輝いた。
竜皇砲の唸りが、再び強くなる。
レイナが盾を構える。
ミレイユが杖を掲げる。
シードがソアの手を握る。
そして、黒衣の男は《巨神の籠手》を握りしめた。
「……もう、利用されるつもりはない」
ソアは仲間たちを見た。
「みんな、準備はいい?」
レイナが頷く。
「いつでも」
ミレイユも笑った。
「今度は、私たちの意思で繋ぐわ」
シードが小さく言った。
「……みんなで」
ソアは笑顔を浮かべた。
「うん。みんなで止めよう!」
その瞬間、遺跡の最深部が光に包まれた。
始源の管理者が、次の命令を告げる。
『制御を開始します』
そして。
世界樹へと伸びる黒い回路が、ソアたちへ向かって一斉に動き出した。




