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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第十章 深淵の呪鎖

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第105話 守るための鎖


 ガァンッ!!


 紫色の鎖が、レイナの盾に激突した。


「くっ……!」


 衝撃で、レイナの足が床を滑る。


「レイナ!」


「大丈夫! それより、扉から離れて!」


 ソアは剣を構えながら、扉の向こうへ叫んだ。


「ミレイユさん! お願い、話を聞いて!」


 返事はない。


 代わりに、鎖が石の床を這い、三人の足元へと伸びてきた。


「シード、下がって!」


「……うん!」


 ソアがシードを抱えて飛び退く。


 鎖が床に突き刺さった。


 バキバキッ!


 石畳が砕け、紫色の魔力が周囲に広がる。


「ただの拘束魔法じゃないわね……!」


 レイナが眉をひそめた。


「鎖が床や壁にまで干渉している。魔力そのものを操っているのかもしれない」


「でも、こんなこと……ミレイユさんが?」


 ソアには信じられなかった。


 あの百呪の魔女が、仲間である自分たちに攻撃を仕掛けている。


 しかも、その魔力は明らかに異常だった。


「……ソア」


 シードが小さく呟いた。


「……なかに、いる」


「うん。分かってる」


 ソアは剣を下ろさなかった。


「だから、助けに行くよ」


     *


 扉の向こう。


 ミレイユは、両手を見つめていた。


 指先には紫色の鎖が絡みつき、腕から肩へと黒い紋様が広がっている。


「……私が、やったの?」


 先ほどの攻撃は、確かに自分の意思で放ったものだった。


 けれど、彼女には別の記憶もある。


 ソアが危険にさらされる幻影。


 レイナの障壁が砕ける光景。


 シードが黒い魔力に飲み込まれる姿。


 何度も、何度も。


 大切な仲間たちが失われる未来を見せられた。


「……もう、あんな思いはしたくない」


 ミレイユは唇を噛んだ。


 リナを救えなかった日のことが、脳裏をよぎる。


 伸ばした手。


 届かなかった距離。


 崩れ落ちる瓦礫。


 そして、何もできなかった自分。


「今度こそ……」


 鎖が、かすかに光った。


 ――願え。


 ――失いたくないものを。


 ミレイユは顔を上げた。


「……みんなを、守りたい」


 その言葉に反応して、鎖が広がった。


 床を這い、壁を伝い、天井へと伸びていく。


 地下図書館全体が、巨大な拘束陣へと変わり始めた。


 ミレイユは、その異変に気づいていない。


 彼女の目には、別の光景が映っていた。


 鎖に守られた街。


 倒れない建物。


 傷つかない人々。


 誰も泣かず、誰も失わず、誰も苦しまない世界。


 ただし――


 誰も、自分の意思で動くことはできなかった。


 ミレイユは、そのことに違和感を覚えた。


「……これじゃ、みんな……」


 動けない。


 選べない。


 自由に歩くことも、誰かに手を伸ばすこともできない。


 けれど、鎖は囁く。


 ――動かなければ、傷つかない。


 ――離れなければ、失わない。


 ――あなたの手の届く場所にいれば、誰もいなくならない。


「…………」


 ミレイユは、ゆっくりと目を閉じた。


「……そんなの、守ることじゃないわ」


 鎖が、一瞬だけ輝きを弱めた。


 だが。


 脳裏に、再びリナの姿が浮かんだ。


 瓦礫の向こうで伸ばされた、小さな手。


 助けを求める声。


 届かなかった、あの日。


「……っ」


 ミレイユの呼吸が乱れる。


「でも……」


 声が震えた。


「でも、また誰かを失うくらいなら……!」


 鎖が、一斉に黒く染まった。


     *


「……扉が、変わってる」


 ソアは、目の前の光景に息を呑んだ。


 紫色だった紋章は、半分以上が黒く染まっている。


 さらに、扉の周囲から伸びた鎖が、壁や床に複雑な模様を描いていた。


 レイナが剣を構える。


「このままでは、地下図書館全体が拘束陣になるわ」


「止められる?」


「普通の魔法なら。でも、これはミレイユ自身の魔力と結びついている。力任せに壊せば、彼女にも影響が出るかもしれない」


「……そっか」


 ソアは剣を鞘に戻した。


 そして、扉に近づいた。


「ソア!?」


「大丈夫。攻撃するつもりはないよ」


 鎖が、ソアの足元で動いた。


 しかし、ソアは止まらなかった。


「ミレイユさん!」


 扉に手を当てる。


「私たち、ここにいるよ!」


 しばらく、何も起こらなかった。


 やがて、扉の向こうから声が返ってきた。


「……ソア?」


「うん!」


「……レイナも?」


「もちろんよ!」


 レイナが答えた。


「シードも……いるの?」


 シードが扉に近づいた。


「……いる」


 少し間を置いて、続ける。


「……ミレイユ、いっしょに、かえろう」


 扉の向こうで、息を呑む音がした。


「……一緒に?」


「うん!」


 ソアは笑顔で答えた。


「調査が終わったら、みんなで帰ろうよ。まだ話したいこともあるし!」


 いつもの調子だった。


 まるで、何事もなかったかのように。


「それに……」


 ソアは少しだけ声を小さくした。


「私、ミレイユさんに会いたかったんだよ」


「…………」


「また一緒に冒険したいし。今度は、私が魔法を避ける練習も――」


「……ソア」


 ミレイユの声が、震えていた。


「……あなたは、どうして……」


「え?」


「どうして、そんなに簡単に……危険な場所へ行こうとするの?」


 ソアは、きょとんとした。


「……えっと?」


「鎧が壊れても。強い魔物がいても。危険だと分かっていても……あなたは、いつも先へ進もうとする」


 ミレイユの声が、少しずつ強くなっていく。


「どうして、そこまでして……自分を危険にさらすの?」


「それは……」


 ソアは考えた。


 世界樹の遺跡。


 空に浮かぶ神殿。


 灼熱の炉心。


 仲間と一緒に乗り越えてきた冒険。


 もちろん、怖いこともあった。


 失敗もした。


 鎧だって、何度も壊れた。


「……みんなと一緒に、冒険したいからかな」


「…………」


「知らない場所に行って、いろんなものを見て、困ってる人がいたら助けて……それで、帰ってきたら、みんなでごはんを食べる!」


 ソアは、にっこり笑った。


「そういうの、楽しいでしょ?」


 扉の向こうは、静まり返っていた。


 やがて。


「……楽しい、ね」


 ミレイユが呟いた。


 その声には、どこか寂しさが混じっていた。


「そうね……楽しいわね」


 鎖が、ゆっくりと動き始める。


「でも、ソア」


「うん?」


「楽しいことは……失うと、とても苦しいのよ」


 ソアの笑顔が、少しだけ曇った。


「……うん」


「大切な人がいなくなることは、とても怖い。もう二度と会えないかもしれない。手を伸ばしても、届かないかもしれない」


 ミレイユの声が震える。


「……私は、それが嫌なの」


 ソアは扉に手を当てたまま、静かに答えた。


「……うん。怖いよね」


 否定しなかった。


 軽く考えることもしなかった。


「私だって、みんながいなくなったら悲しいよ」


 ソアは、少しだけ目を伏せた。


「だからって……みんなが危ない場所に行かないように、ずっと閉じ込めておくのは違うと思う」


 その言葉に。


 扉の向こうで、鎖が激しく鳴った。


 ジャラジャラジャラッ!!


「……違う?」


 ミレイユの声が変わった。


「……閉じ込める?」


 床に刻まれた魔法陣が、一斉に輝く。


 ソアたちの足元から、無数の鎖が伸びてきた。


「危ない!」


 レイナがソアを引き寄せる。


 ガァンッ!!


 絶対鏡盾が鎖を受け止めた。


 しかし、鎖は盾に巻きつき、じわじわと動きを封じていく。


「くっ……! この鎖、私の障壁まで拘束しようとしている!」


 ソアは剣を抜いた。


 けれど、振り下ろすことができなかった。


 鎖の向こうにいるのは、ミレイユなのだ。


「ミレイユさん! どうしたの!?」


 扉の向こうから、静かな声が響いた。


「……ごめんなさい、ソア」


 その声は、泣きそうなくらい優しかった。


「でも、もう決めたの」


 鎖が、さらに強く光った。


「あなたたちは、もう危険な場所へ行かなくていい」


「……え?」


「冒険も、戦いも、危険な遺跡も……全部、私が止めてあげる」


 扉の紋章が、完全に黒く染まった。


「そうすれば、誰も傷つかない」


 ミレイユは、ゆっくりと告げた。


「誰も失わずに済むのよ」


 そして。


 扉が、内側から開き始めた。


     *


 現れたミレイユは、いつもと同じ姿をしていた。


 紫色の髪。


 魔女の衣装。


 落ち着いた微笑み。


 けれど、その腕には無数の鎖が巻きついていた。


 鎖は肩から背中へと伸び、まるで黒い翼のように広がっている。


 その一部は紫色に輝いていたが、大半は深い黒に染まっていた。


「……ミレイユさん」


 ソアは、思わず一歩踏み出した。


「よかった……無事だったんだね!」


 ミレイユは微笑んだ。


「ええ。私は大丈夫よ」


 そして、ソアへ手を伸ばした。


「さあ、こっちへいらっしゃい」


「……え?」


「もう大丈夫。これからは私が守ってあげる」


 ソアは戸惑った。


「……でも、私たちは――」


「大丈夫よ」


 ミレイユは、もう一度繰り返した。


「あなたは、もう戦わなくていい」


 鎖が、ソアの足元へ伸びる。


「危険な場所へ行かなくていい」


 レイナが剣を構えた。


「ミレイユ! 正気に戻りなさい!」


 しかし、ミレイユは首を横に振った。


「私は正気よ、レイナ」


 その声には、確かな意志があった。


「あなたも、もう無理をしなくていい。強くあろうとしなくていい。誰かを守るために傷つく必要もないわ」


 レイナの表情が険しくなる。


「……それは、私が決めることよ」


「そうね」


 ミレイユは、穏やかに頷いた。


「でも、あなたが決める前に……私が守ってあげる」


 鎖が、レイナへと向かった。


「っ!」


 レイナは盾を構えたが、鎖は盾そのものに巻きつき、腕ごと動きを封じた。


「レイナ!」


 ソアが駆け寄ろうとする。


 その足にも、鎖が巻きついた。


 ジャラリ。


「……っ!」


 ソアは身体をひねった。


 だが、鎖は離れない。


「ミレイユさん! これ、外して!」


「ごめんなさい」


 ミレイユは悲しそうに微笑んだ。


「でも、これであなたは安全よ」


 シードが、ソアの背後から顔を出した。


「……ミレイユ」


 ミレイユは、シードにも手を伸ばした。


「あなたも、もう苦しまなくていいのよ」


 シードは首を横に振った。


「……いや」


「……え?」


「……ソアと、いっしょ」


 ミレイユの表情が、一瞬だけ揺らいだ。


 しかし、すぐに微笑みを取り戻す。


「そうね。ソアと一緒にいたいのね」


 鎖が、シードの足元へ伸びる。


「なら、二人とも一緒に守ってあげる」


「……違う!」


 シードが声を上げた。


 小さな声だった。


 それでも、はっきりとした拒絶だった。


「……まもる、ちがう」


 ミレイユの笑顔が、止まった。


「……何が、違うの?」


 シードは、ソアの手を握った。


「……いっしょに、あるく」


 ミレイユは何も答えなかった。


 ただ、鎖がわずかに震えていた。


 ほんの一瞬。


 彼女の中に、迷いが生まれた。


 けれど。


 その迷いを押しつぶすように、黒い魔力が鎖を満たした。


「……大丈夫よ」


 ミレイユは、自分自身に言い聞かせるように呟いた。


「私が、守るから」


 そして、三人を見つめた。


「……少しだけ、眠っていてね」


 鎖が、一斉に動き出した。


 ソアは、ミレイユを見つめたまま剣を握りしめる。


 戦いたくない。


 傷つけたくない。


 それでも、このままでは仲間たちが自由を奪われてしまう。


「……ミレイユさん」


 ソアは、静かに呼びかけた。


「私、あなたと戦いたくないよ」


 ミレイユの目が揺れた。


「……私だって、あなたと戦いたくないわ」


 その言葉は、嘘ではなかった。


「だから……」


 ミレイユは、涙を浮かべながら微笑んだ。


「大人しく、私の鎖に捕まってちょうだい」


 その瞬間。


 地下図書館全体が、黒い光に包まれた。


 第四の器《深淵の呪鎖》。


 それは、ミレイユの願いに応え始めていた。


 大切な人を守りたい。


 二度と失いたくない。


 その願いが強くなるほど、鎖は彼女の心を縛りつけていく。


 そして今。


 ミレイユは、守りたい仲間たちを、自分の手で縛ろうとしていた。

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