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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第十章 深淵の呪鎖

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第104話 鎖に選ばれた魔女


 エルディアの城門が見えてきたのは、昼を少し過ぎた頃だった。


「……やっと着いたぁ!」


 ソア・ミュスカは、両手を上げて大きく伸びをした。


 世界巡鎧の装甲が、ガシャガシャと音を立てる。


「長かったねぇ……」


「途中で三回も休憩したでしょう」


 レイナが冷静に指摘した。


「それはそれ、これはこれ!」


「どういう理屈よ……」


 シードはソアの隣で、城門を見上げていた。


「……おおきい」


「うん! 立派な街だね!」


 エルディアは、古代魔法の研究で知られる都市だった。


 城壁には魔力を通す紋様が刻まれ、街のあちこちに魔法灯が浮かんでいる。


 空中には小さな荷物運搬用の魔法装置が行き交い、通りには魔法道具を売る店が並んでいた。


 しかし――


「……なんか、変じゃない?」


 ソアは足を止めた。


 街の入口にある魔法灯が、一定の間隔で明滅している。


 明るくなったかと思えば、急に弱まり、また元に戻る。


 その繰り返しだった。


「魔力の流れが不安定なのね」


 レイナが周囲を見渡した。


「ミレイユが言っていた異常と関係がありそうだわ」


「……ミレイユ」


 シードが、街の奥を見つめる。


 頭の葉が、かすかに震えていた。


「……くるしい」


 ソアの表情が変わった。


「ミレイユさん、近くにいるの?」


「……うん。でも……」


 シードは胸元に手を当てた。


「……くろいものが、からまってる」


「黒いもの……」


 ソアは、すぐに歩き出そうとした。


 しかし、レイナが腕をつかむ。


「待って。まずはギルドで情報を集めるわ」


「でも!」


「ミレイユがどこにいるかも分からないまま走り回っても、見つけられるとは限らないでしょう?」


「……うっ」


「それに、相手が何をしているのかも分かっていない。焦る気持ちは分かるけれど、今は情報が必要よ」


 ソアは少しだけ唇を尖らせた。


 それでも、やがて頷いた。


「……分かった」


 レイナは優しくソアの肩を叩いた。


「大丈夫。必ず見つけるわ」


「うん!」


 ソアは再び前を向いた。


「ミレイユさん、待っててね!」


     *


 エルディア冒険者ギルド。


 三人が建物に入ると、受付嬢がすぐに駆け寄ってきた。


「もしかして、ソアさんたちですか?」


「えっ? 私たちを知ってるんですか?」


「はい! ミレイユ様から連絡がありました。皆さんがこちらへ向かっていると」


「ミレイユさんから!」


 ソアの顔が明るくなる。


「それで、ミレイユさんはどこに?」


 受付嬢は、少し困ったような表情を浮かべた。


「それが……昨夜から連絡が取れなくなっているんです」


「……え?」


 ソアの笑顔が消えた。


「地下図書館の調査に入ると聞いていたのですが、今朝から通信が途絶えてしまって」


 レイナが身を乗り出した。


「地下図書館はどこにあるの?」


「街の北側にある研究区画です。ただ、現在は立ち入りが制限されています」


「どうして?」


「魔力異常が発生しているためです。研究員の方々も、原因を調査している最中で……」


 ソアは、剣の柄を握った。


「……行こう」


 今度は、レイナも止めなかった。


「ええ。まずは研究区画へ向かいましょう」


 シードも頷いた。


「……ミレイユ、さがす」


 三人はギルドを出た。


 その背後で、受付嬢が小さく呟いた。


「……どうか、間に合いますように」


     *


 街の北側。


 研究区画へ近づくにつれて、魔法灯の明滅は激しくなっていった。


 壁に刻まれた魔法陣が、一部だけ黒く変色している。


 通りには人影が少なく、遠くから警備兵の声が聞こえた。


「この先は立ち入り禁止だ!」


 研究区画の入口には、数人の警備兵が立っていた。


 ソアたちが近づくと、一人が前へ出る。


「冒険者か? ここから先は危険だ。立ち去ってくれ」


 レイナが一歩前へ出た。


「私たちは冒険者ギルドから来た者です。ミレイユ・アルカナを捜しています」


「ミレイユ様の知り合いか?」


「仲間です!」


 ソアが即答した。


 警備兵は一瞬、表情を変えた。


「……そうか」


 そして、声を落とした。


「なら、ひとつ頼みがある」


「頼み?」


「研究区画の地下で、魔力の逆流が起きている。内部にいた研究員の一部が戻ってこないんだ」


 ソアは息を呑んだ。


「ミレイユさんも、その中に?」


「確認できていない。だが、最後に連絡があったのは地下図書館だ」


 レイナが頷いた。


「分かったわ。私たちが確認する」


「待て。地下には危険な魔法装置がある。無闇に触れれば――」


「大丈夫です!」


 ソアは胸を張った。


「私、こういう遺跡には慣れてますから!」


 警備兵は、ソアの鎧を見た。


 肩当て。


 胸当て。


 腕当て。


 脚甲。


 どれも重厚で、ところどころに新しい傷がある。


「……慣れている人間の装備には見えないが」


「えっ?」


「いや、何でもない」


 レイナは小さくため息をついた。


「……行きましょう」


     *


 地下図書館。


 ミレイユは、暗闇の中で膝をついていた。


 手首に巻きついた紫色の鎖。


 その一部は黒く染まり、腕へと這い上がっている。


 彼女の目の前には、かつて救えなかった人々の幻影が立っていた。


 リナ。


 街の住民。


 助けを求めていた冒険者。


 彼らは何も言わない。


 ただ、ミレイユを見つめている。


「……もう、やめて」


 ミレイユは顔を伏せた。


「分かっているわ。私は、あのとき何もできなかった」


 声が震える。


「もっと力があれば、救えた人がいたかもしれない……」


 幻影は答えない。


 代わりに、鎖が小さく鳴った。


 ジャラリ。


 ――ならば、力を得よ。


 ――二度と、失わぬために。


 ミレイユの前に、新たな光景が浮かび上がった。


 ソア。


 レイナ。


 シード。


 三人が、黒い魔力に覆われた遺跡の中を進んでいる。


 そして、その先には巨大な魔物がいた。


 ソアが剣を構える。


 レイナが盾を掲げる。


 シードが根を伸ばす。


 しかし、魔物の攻撃は強烈だった。


 ソアの鎧が砕ける。


 レイナの障壁が割れる。


 シードの身体が、黒い魔力に包まれる。


「……っ!」


 ミレイユは立ち上がろうとした。


「やめて!」


 手を伸ばす。


 だが、映像の中の三人には届かない。


 そして――


 ソアが、暗闇の中へ消えた。


「……ソア?」


 ミレイユの呼吸が止まった。


 もう一度、映像を見る。


 そこには誰もいない。


 レイナも。


 シードも。


 大切な仲間たちが、すべて消えていた。


「……嘘」


 ミレイユは首を振った。


「こんなの、嘘よ……!」


 鎖が、強く光った。


 ――失いたくないか。


 ミレイユは、すぐには答えられなかった。


 当然だった。


 失いたくない。


 誰も失いたくない。


 ソアも、レイナも、シードも。


 せっかく出会えた仲間たちを、もう二度と失いたくない。


「……当たり前でしょう」


 ミレイユは、震える声で呟いた。


「……私は、もう誰も失いたくない」


 鎖が、大きく脈打った。


 紫色の光が、彼女の身体を包み込む。


 ――ならば、願え。


 ――二度と、誰も失わぬために。


 ミレイユは目を閉じた。


 そして、唇を動かした。


「……みんなを」


 声がかすれる。


「……みんなを、守れる力が欲しい」


 その瞬間。


 鎖が、彼女の手首から腕へと強く巻きついた。


「……っ!」


 黒い魔力が、身体の奥へ流れ込んでくる。


 ミレイユは膝をついた。


 だが、鎖は止まらない。


 肩へ。


 胸元へ。


 身体の周囲へ。


 無数の鎖が現れ、彼女を取り囲んでいく。


 そして、目の前に文字が浮かび上がった。


 【第四の器:《深淵の呪鎖》】


 【適合者:ミレイユ・アルカナ】


 【願いの確認――完了】


 【契約――開始】


「……契約?」


 ミレイユが顔を上げた。


 鎖が、彼女の身体を包み込む。


 紫色の光が強まり、黒い侵食がその内側へと広がっていった。


 しかし、その瞬間。


 ミレイユの脳裏に、別の声が響いた。


『大切なものって、縛りつけておかなくても、大切なままでいられるんだよ!』


 ソアの声。


 ミレイユは、はっと目を見開いた。


「……違う」


 彼女は鎖を握りしめた。


「私は、ただ守りたいだけ……!」


 だが、鎖は答えない。


 ただ、彼女の願いを受け取り続けていた。


 ――守りたい。


 ――失いたくない。


 ――二度と、手の届かない場所へ行かせたくない。


 その願いが、鎖の中で形を変えていく。


 守るための力が。


 縛るための力へと。


     *


 地下図書館へ続く階段。


 ソアたちは、ようやく最深部の入口へたどり着いていた。


「……ここね」


 レイナが扉を見つめる。


 石造りの扉には、紫色の鎖の紋章が刻まれていた。


 その周囲には、黒い魔力がまとわりついている。


 シードが、ソアの手を握った。


「……ソア」


「うん?」


「……このさき、こわい」


 ソアはしゃがみ込み、シードと目線を合わせた。


「大丈夫。私たち三人で行こう」


「……うん」


 ソアは立ち上がり、扉に手をかけた。


 その瞬間。


 内側から、何かが動く音がした。


 ジャラ……。


 ジャラリ……。


 まるで、無数の鎖が床を這っているような音。


 レイナが剣を構えた。


「……来るわ」


 扉の向こうから、低い声が響いた。


「……誰?」


 聞き慣れた声だった。


 しかし。


 いつものミレイユの声とは、どこか違っていた。


 冷たく。


 静かで。


 そして、ひどく寂しそうな声だった。


「……そこにいるのは、誰なの?」


 ソアは、扉を見つめた。


「ミレイユさん?」


 返事はなかった。


 代わりに、扉の紋章が黒く染まり始めた。


 そして。


 石の扉を突き破るように、紫色の鎖が飛び出してきた。


「危ない!」


 レイナが盾を構える。


 ガァンッ!


 鎖が盾にぶつかり、火花が散った。


 ソアは剣を抜いた。


「……ミレイユさん! 私だよ!」


 扉の向こうで、誰かが笑った。


 それは、聞いたことのない笑い声だった。


「……ソア?」


 声が、少しだけ柔らかくなる。


 しかし、次の瞬間。


「……来てくれたのね」


 鎖が、再び動いた。


「よかった」


 その声には、安堵があった。


 そして――


「これで、あなたも守れるわ」


 扉の紋章が、完全に黒く染まった。


 ソアは息を呑んだ。


 扉の向こうにいるのは、確かにミレイユだ。


 けれど。


 彼女の願いは、すでに少しずつ形を変え始めていた。


 守るために、縛る。


 その危険な願いが、《深淵の呪鎖》と結びつこうとしていた。

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