第095話 火をつける前に
夜明け前から、外で荷を積む音がしていた。
共同小屋を出る。
荷台には豆袋が八つと、羊毛が五包み。
往路より嵩は増えたが、木箱ほど重くはない。
ハルムが羊毛の間へ手を入れ、濡れていないか確かめている。
「雨は降ってない」
「夜露がある」
「幌がある」
「昨日裂けた」
革紐で塞いだ場所を指す。
「水は隙間を見つけるんだ」
捕らえた三人は、納屋から一人ずつ出された。
手首の革紐は結び直され、三人の腰へ長い縄が通されている。
クレグが荷車を見る。
「同じ道で帰るのか」
「ほかに荷車が通れる道は?」
ベルクが聞く。
「知らん」
村長が横から言う。
「南の畑道はあるが、昨日の雨で車輪が沈む」
「いつ降った」
「ここでは朝まで降ってた」
料金所の側は晴れていた。
山一つ越えるだけで、地面の状態が違う。
「東へ回れば」
ハルムが聞く。
「半日余計にかかる」
「豆は腐らん」
「町の門が閉まる」
「もう一泊すればいい」
「宿代と馬の飼料は誰が払う」
ハルムはすぐに答えなかった。
「同じ道を行く」
ベルクが決める。
「料金所へ近づく前に、一度止まります」
「止まるのか」
「見える所まで進んでから囲まれるよりはいい」
ユアンの左腕には新しい布が巻かれている。
槍は右手。
石突きを地面へつくたび、左の指も少し動いた。
「振れる?」
「昨日よりは」
「昨日も振れると言った」
「振った」
「切られた」
「お前に言われたくない」
俺の右腕と左肩を見る。
「俺は動く」
「俺も動く」
ベルクが二人の間へ入る。
「動くかどうかじゃなく、動かしていいかを考えろ」
村長から、待ち伏せについて書いた紙を受け取る。
捕らえた三人の名前は、クレグ以外まだ分からない。
少年は名前を言わなかった。
鉤の男は、聞いても笑うだけだった。
荷車が村を出る。
朝の道には、羊を連れた子供が二人いた。
三人の捕虜を見ると、道の端へ大きく離れる。
少年がそちらを見た。
「知ってる?」
「知らない」
「同じくらい」
「だから何だよ」
「何も」
少年は前を向いた。
昼前に、料金所の手前へ着いた。
まだ小屋は見えない。
ベルクが荷車を止める。
「心音は」
声を出す。
林の中に小動物がいる。
人間の形は返らない。
「近くにはいない」
「近くは、か」
「届かない場所は分からない」
ベルクは頷き、また進ませた。
道が緩く曲がる。
その先に、大きな木が倒れていた。
根元は土から抜けていない。
幹の片側だけを斧で切り、道へ倒してある。
「昨日はなかった」
ハルムが手綱を引く。
「見れば分かる」
「自然に倒れたんじゃないって意味だ」
ベルクが盾を上げたまま、倒木へ近づく。
俺は道の両側を探す。
心音はない。
代わりに、焦げた匂いがした。
「燃えてる」
倒木の下に、枯れ草が詰められている。
細い煙が一本だけ上がっていた。
火はまだ小さい。
土を蹴りかける。
「触るな」
ベルクが止めた。
枯れ草の間から、黒い紐が道の外へ伸びている。
火種ではない。
踏めば引かれる位置にある。
紐の先を目で追う。
低い枝の上に、陶器の壺が二つ載っていた。
中から油の匂いがする。
「燃やす気だ」
ユアンが言う。
その声で、捕らえた少年が後ずさった。
「知ってた?」
「知らない」
「顔が違う」
「こんなの聞いてない!」
クレグが少年を見る。
「黙れ」
「俺たちも燃えるだろ!」
倒木は荷車を止めるためだけではない。
近づいて紐を踏めば、油が落ちる。
火が広がれば、馬も荷も逃げられない。
「荷車を下げろ」
ベルクが言う。
ハルムはすぐに手綱を引いた。
馬が後ろへ進み、倒木との間が広がる。
捕らえた三人も一緒に戻す。
「どこまで」
「曲がり角の向こうまで」
「それじゃ倒木が見えん」
「向こうからも荷車が見えなくなります」
ハルムは言い返さず、馬を下げた。
荷車を曲がり角へ隠す。
ベルクが盾を持って前へ出る。
「セイン、紐の位置を見てくれ」
「切る?」
「先に壺を下ろす」
「近づけば踏む」
「踏まない場所を探す」
倒木の周りへ声を当てる。
幹。
枝。
地面へ張られた細い紐。
道を横切る一本だけではない。
草の下に、もう一本ある。
「二本」
「見えるのは一つだぞ」
「草の下」
位置を指す。
ユアンが槍を長く持ち、穂先で枯れ草を払った。
黒い紐が出てくる。
「こっちは壺じゃない」
紐は倒木の奥へ続いていた。
先には、小さな鉄片が何枚も立てられている。
倒木を避けて横へ回れば、足か車輪に刺さる位置だった。
「火を避けた方まで潰す気か」
ハルムが曲がり角から覗く。
「声を出すな」
「荷がかかってる」
「だから隠れてろ」
ユアンが槍の先で、油壺へ続く紐を押さえる。
ベルクは盾の陰から短剣を伸ばした。
地面へ触れないよう、少しずつ刃を入れる。
紐が切れた。
枝の上で壺が揺れる。
落ちない。
もう一本も切る。
鉄片は動かなかった。
「壺を取る」
倒木の幹へ足をかける。
「待て」
ベルクが止める。
林の奥で、枝が一度だけ鳴った。
心音を探す。
三つ。
遠いが、昨日逃げた二人より一つ多い。
「右奥に三人」
「距離は」
「音撃は届かない」
「矢は?」
「届くかもしれない」
言った直後、細い音がした。
ベルクの盾へ矢が当たる。
「いたな!」
ユアンが槍を構える。
「出るな」
「このままじゃ壺を取れない」
「相手も近づいてこない」
もう一本、矢が飛ぶ。
今度は倒木の幹へ刺さった。
狙いは俺たちではない。
油壺だった。
「壺を割る気だ」
枝へ上がる。
ベルクの盾より先へ出た。
「セイン!」
三本目の矢が来る。
音で軌道は分かる。
頭を下げると、背中の上を通った。
枝の上にある壺を一つ抱える。
もう一つへ手を伸ばす。
矢が壺へ当たった。
陶器が割れ、油が肩と倒木へかかる。
枯れ草の火が近い。
枝から飛び降り、無事な壺を道の外へ投げる。
割れた壺の油が、幹を伝っている。
「火を消せ!」
ユアンが土を蹴る。
俺も枯れ草を踏みつけた。
靴の裏で赤い火が潰れる。
油が届く前に、煙だけになった。
矢はもう来ない。
三つの心音が、林の奥へ下がっていく。
「追える」
「追うな」
ベルクは同じ言葉を返した。
肩についた油を布で拭く。
「火が残ってないか見ろ」
「分かってる」
枯れ草を全部どけ、地面の熱を手で確かめる。
火は消えていた。
鉄片も一本ずつ抜く。
ハルムが荷車を戻してきた。
「幌へ近づくなよ」
「火は消えた」
「油の匂いが移る」
「先に木を動かす」
倒木の細い枝を、狩猟刀とユアンの槍で落とす。
太い幹へ縄を回し、馬の胸当てへつないだ。
「一頭で動くか」
「動かなきゃ荷を降ろす」
ハルムが馬を進ませる。
縄が張る。
幹は少しだけ土を削り、止まった。
「もう一度」
俺とベルクも枝へ手をかける。
部分硬化は使わない。
硬くしても、押す力は増えない。
馬が引き、三人で押す。
倒木の切れ残った部分が裂けた。
幹が道の端へ動く。
車輪一つ分の隙間ができた。
「通せる」
ハルムは荷車へ戻る前に、捕らえた三人を見る。
クレグと鉤の男は、曲がり角の土へ座っていた。
少年だけが立っている。
「逃げなかった?」
聞くと、少年が油のついた倒木を見る。
「あいつら、俺たちごと燃やす気だった」
「仲間じゃない?」
「もう違う」
クレグが鼻で笑った。
「町へ着くまで同じ縄だ」
ベルクが三人を立たせる。
荷車は、倒木の横をゆっくり抜けた。
油の匂いだけが、俺の上着に残った。




