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最弱コウモリ幼体に転生したので、血を吸って進化する  作者: HATENA 
第6章 魔境を拓く者

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第092話 七件目と返す銀貨

 夜が明けるまで、岩角鹿は戻らなかった。


 牧場主の妻が、壊れた柵の前へ水を撒く。


 白く残っていた塩が、土へ流れていった。


 夫は槍を持たず、離れた場所で新しい杭を削っている。


「これで来なくなるのか」

「塩が理由なら」


 リオナが答える。


「また来たら?」

「ギルドへ報告してください」

「また金がかかる」

「勝手に追って罰金を払うよりは安いです」


 男は杭を削る手へ力を入れた。


 妻が横から口を挟む。


「次は先に塩の話をするよ」

「お願いします」


 依頼完了の木札へ、牧場主の印をもらう。


 男は最後まで納得していない顔だった。


 それでも、報酬を減らすとは言わなかった。


 町へ戻り、冒険者ギルドで報告する。


 ネラはリオナの説明を聞きながら、昨日の調査記録と照らし合わせた。


「岩角鹿は討伐していませんね」

「北へ誘導しました」

「負傷者は」

「セインの肩だけ」

「だけ?」


 ネラが俺を見る。


「浅い」

「昨日も聞いた言葉です」

「昨日より浅い」

「比較の話ではありません」


 リオナが笑いそうになり、口元を押さえた。


「硬化で角を止めています。皮膚は破れてません」

「防具なしで、Dランクの突進を受けたんですか」

「牧場主が前にいた」

「避けられなかった?」

「押した」


 ネラの筆が止まる。


「依頼人を?」

「柵の中へ」

「助けたってことです」


 リオナが言い直した。


「本人は角を取りたがってましたけど」

「その件も記録します」


 牧場主が追跡しようとしたこと。


 狩猟権と罰金を説明して止めたこと。


 塩を除き、次に来た場合は再報告すること。


 倒した魔物も、持ち帰った素材もない。


 それでも、依頼は完了になった。


 銀貨一枚と銅貨二枚を、リオナと半分に分ける。


 銅貨六枚を受け取り、所持金は銀貨三枚と銅貨二枚になった。


「Fランクとして数える依頼は、これで七件です」


 ネラが登録証の記録を増やす。


「あと三件?」

「十件だけで昇格とは限りません」

「何がいる」

「採取、町内作業、夜番はできています。次は護衛補助か、複数日の依頼があると判断しやすいです」

「強い魔物を倒すのは」

「戦闘力の記録にはなります」

「昇格は」

「依頼を最後まで終えられるかも見ます」


 黒牙大イタチを倒すより、岩角鹿を殺さずに帰す方が、冒険者の実績になる。


 魔境とは逆だった。


「Eになったら」

「低級魔物の討伐と、護衛補助を単独で受けられる範囲が広がります」

「早く上げる」

「記録を増やすために、危険を増やさないでください」

「増えたら倒す」

「今の話を聞いていましたか」

「聞いた」


 ネラは登録証を返す前に、少しだけ手を止めた。


「なら、覚えておいてください」


 受け取る。


 リオナは隣で、自分の銅貨を小袋へ入れていた。


「今日、何するの?」

「荷置き場を見る。昨日直した場所の苔が腐る」

「忙しいね」

「リオナは?」

「矢を買う。昨日、三本使ったから」

「二本は地面」

「回収したけど、一本は割れた」


 戦わなくても、金は減る。


 片靴亭へ戻る。


 ベッカは新しく書いた帳面を開き、俺の顔を確かめた。


「今朝までじゃなかったかい」

「借り直した」

「そうだったね」

「忘れた?」

「泊まらない客の予定まで、全部覚えてられないよ」


 鍵を受け取る。


 個室の扉を開けると、昨日と同じ机と寝台があった。


 契約書も、古い文字表も残っている。


 黒巣へ戻れば、血吸いコウモリの心音がある。


 集落へ行けば、取引小屋で誰かが待っている。


 町では、鍵を回せば誰も入ってこない部屋が残っていた。


 狩猟刀を机へ置き、肩の腫れを確かめる。


 昼まで少し眠る。


 その後で、また魔境へ戻る。


 昼を過ぎてから、町を出た。


 左肩の腫れは残っているが、腕は上がる。


 右腕も、狩猟刀を抜かなければ痛みは少ない。


 北側の岩場を抜け、三本爪の荷置き場へ入る。


 重ねた背殻は動いていなかった。


 中へ置いた灰灯苔は、昨日より少し光が弱い。


 葉を一枚持ち上げる。


 下側も黒くなっていない。


 空気穴から、冷たい風が細く入っていた。


「腐ってない?」


 入口からフィナが覗く。


「まだ」

「まだなんだ」

「何日持つか分からない」


 フィナは中へ入り、棚の端に置いた苔を嗅いだ。


「昨日より水の匂いが薄い」

「乾きすぎる?」

「そこまでは分からない」


 二人で一束ずつ裏返す。


 運び込んだ時に傷んでいた葉だけを外し、棚の間を広げた。


「町で売れた?」

「全部」


 小袋から、銀貨二枚と銅貨九枚を出す。


 フィナの耳が立った。


「これ、全部?」

「殻を持ってたやつの分」

「ミナトのは?」

「もう取った」

「どれくらい」

「銅貨九枚」


 フィナが並んだ硬貨を見て、それから荷置き場の棚を見る。


「棚を作った方が安いね」

「棚は売れない」

「そうじゃなくて」


 説明しかけて、フィナはやめた。


「ゴルナに渡して」

「一緒に行く」

「町へ戻るんじゃないの?」

「金を置いてから」


 集落側の出口へ進む。


 小門の手前に、レグが立っていた。


 右脚にはまだ木が当てられている。


 槍を杖にしているが、前に見た時より体重をかけていない。


「歩いてる」


 フィナが先に言う。


「見れば分かる」

「どこまで行ったの」

「小門までだ」

「取引小屋にいなかった」

「戻った」

「小門まで二回?」


 レグは答えず、俺が持つ小袋を見る。


「売れたのか」

「売れた。銀貨三枚と銅貨八枚」

「全部持ってきたようには見えない」

「決めた通り、俺の分を先に取った」


 レグは小袋から目を離した。


「ならいい」


 フィナが、固定された脚へ屈む。


「布、ずれてる」

「歩けばずれる」

「歩かないで」

「歩かないと戻らない」

「治る前に歩いたら、もっと戻らない」

「二人とも、そこで止まるんじゃないよ」


 取引小屋からゴルナが呼ぶ。


 机の上には、小さい木皿が三つ置かれていた。


 銀貨と銅貨を全部出す。


 ゴルナは一度数え、俺を見る。


「商会はいくら足した」

「一枚につき銅貨一枚」

「九枚売ったから、九枚」

「取った」

「聞いただけだよ」


 もう一度、硬貨を分け始める。


 木皿ごとに、銀貨と銅貨の数が違う。


「誰の殻か分かる?」


 フィナが聞く。


「運ぶ前に印をつけた」


 ゴルナは小さい背殻を一枚持ってくる。


 裏側に、短い傷が二本あった。


「縦の傷は穴掘りの二人を一本と二本で分けた印で、端を欠いたのがお前だ」

「値段が下がりそう」

「印で下がるほどの殻なら、最初から売れないよ」


 三つの木皿へ分け終える。


「フィナの分は銅貨八枚」

「兄さんの薬に使う」

「自分で決めな」


 レグが小門の側から言う。


「使うな」

「歩いてる人は黙ってて」

「俺の脚だ」

「だから使うの」


 フィナは木皿を持ち上げ、自分の小袋へ入れなかった。


 ゴルナの方へ押し戻す。


「薬師が来た時に渡して」

「足りなければ、集落から出すよ」

「私の分から先に」


 ゴルナは木皿を受け取った。


 礼は言わない。


 代わりに、棚の下から古い布袋を出した。


「次の苔は、まだ運ばない」

「何で」

「荷置き場で何日持つかを見るんだろ」

「見る」

「今ある分が三日持ったら、次を刈る」

「商会の契約は十日」

「腐らせて数を増やしても、銅貨にはならないよ」


 次の量を急ぐより、今ある苔が何日持つかを確かめる。


 集落側も、町へ売れると分かっただけで全部を刈るつもりはなかった。


「殻は?」

「残りは売っていい」

「契約が終わる前に運ぶ」

「終わった後の条件も決めてからだよ」

「産地を探さない」

「書かせられるのかい」

「書かなければ売らない」


 ゴルナが俺の顔を見る。


「前より商人みたいなことを言うね」

「冒険者」

「商会の男にも言った?」

「言った」

「なら、どっちでもいいんだろうさ」


 小屋の外で、木が土を擦った。


 レグが槍を杖にして、こちらへ歩いてくる。


 五歩目で右脚が揺れた。


 フィナが近づこうとする。


「来るな」

「倒れたら行く」

「倒れない」


 六歩目で止まり、取引小屋の柱へ手をついた。


 前より歩ける。


 まだ、道へ出られる歩き方ではない。


「次の殻は俺も運ぶ」

「無理」

「まだとは言ってない」

「いつ」

「歩けたら」

「今、歩けてない」


 レグは柱から手を離した。


「見れば分かる」


 さっきと同じ言葉を返し、取引小屋の椅子へ座る。


 フィナが何か言おうとして、口を閉じた。


 机の上には、町で使える銀貨が残っている。


 その横で、レグの槍はまだ杖の代わりだった。

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