第086話 産地を隠す取り分
黒巣から戻ると、大灰殻ムカデの死骸は水路から消えていた。
床には黄色い体液と、殻を引きずった跡が残っている。
「二人で全部運んだの?」
フィナが跡を見る。
「何度か往復したんだろ」
「兄さんが手伝ってないといいけど」
「歩けるって言う」
「言うと思う」
集落側の出口を抜ける。
見張りへ合図すると、柵の小門が開いた。
取引小屋の前には、灰色の背殻が積まれている。
大きな殻は、三本爪に使った一枚を除いて六枚。
小さい殻は割れたものを含めて、両腕でも抱えきれない量があった。
レグが、その横に座っている。
右脚へ木を当て、太い布で固定していた。
「寝てろ」
「座ってる」
フィナが近づき、固定した布へ指を入れる。
「きつくない?」
「さっき緩めた」
「誰が?」
「俺が」
「触らないでって言われたでしょ」
「きつかった」
「今、きついか聞いてる」
レグは答えず、俺の右腕を見る。
「そっちも噛まれたのか」
「殺した」
「聞いてない」
取引小屋の中から、ゴルナが出てくる。
手には木の盆と、水の入った器があった。
「二人とも怪我の話になると、急に耳が悪くなるね」
「悪くない」
レグが言う。
「なら妹の質問に答えな」
ゴルナは俺を小屋の椅子へ座らせた。
巻いていた布を外す。
乾きかけた血が布へ張りつき、皮膚を引いた。
「痛い?」
フィナが聞く。
「痛い」
「言えるようになった」
「前から言える」
「前は大丈夫って言ってた」
ゴルナが傷へ水を流す。
歯形は二つ。
骨までは届いていないが、腕を動かすと奥が痛んだ。
「町で洗わなかったのかい」
「戻る前に黒巣へ行った」
「聞いてない」
今度はフィナが同じことを言った。
ゴルナが鼻で笑う。
「似てきたね」
「誰と」
「怪我の話は終わってからにするよ」
薬草を潰したものが傷へ塗られる。
苦い匂いが鼻まで上がった。
新しい布を巻き終えると、ゴルナは背殻の山へ向く。
「それで、いくらになる」
「小さい殻は、一枚で銅貨二枚くらい」
大きな殻を指す。
「これは中央の厚い殻なら、五枚から八枚」
「全部で?」
「傷と汚れで変わる」
「町へ運ぶ代は?」
「まだ決めてない」
ゴルナが頷く。
「なら、先に決める」
フィナが背殻を一枚持ち上げる。
「大きいのを倒したのは、ミナトだよ」
「一人で道を開けたのかい」
「四人」
「なら四人の取り分がある」
穴掘りの二人は、殻を運んだ後も水路の石を戻しに行っている。
大灰殻ムカデを倒した時も、二本の鉄棒で体を壁から剥がした。
フィナの矢がなければ、右腕ごと顎に残っていたかもしれない。
「四人で同じだけ?」
フィナは俺の包帯を見てから、背殻へ手を伸ばした。
「ミナトの方を多くしても、私はいいよ」
「穴掘り二人の分まで決めるなよ」
横からレグが言う。
フィナの手が止まった。
「自分の分の話」
「それを先に言え」
「二人とも、殻を分ける間くらい待ちな」
ゴルナは大きな殻を六枚と、値段がつきそうな小さい殻を十二枚に分けた。
そこから大きな殻三枚を、俺の側へ寄せる。
「大きいのを倒した分と、町へ運ぶ分だ」
残る三枚と小さい殻は、フィナと穴掘り二人の側に残す。
「売らずに使ってもいい?」
フィナが聞く。
「自分の分ならね」
「腕に巻きたい」
「臭いを落としてからにしな」
昨日と同じことを言われ、フィナは殻を置いた。
「苔は?」
机に残した灰灯苔は、葉先の光が少し弱くなっている。
「集落で採った苔は、集落のものだ」
「運ぶのは俺」
「売るのもね」
「取り分は」
「五つ売ったら、一つ分を渡す」
「少ない」
「採るのはこっちだよ」
「町まで運ぶ」
「道はこっちが開けた」
「俺も開けた」
「だから一つ分だ」
すぐには決まらない。
ゴルナも、俺が言っただけでは引かなかった。
苔を採る手間。
乾かさず運ぶ布。
町で売れなかった時の往復。
場所を聞かれた時に、俺が黙る危険。
何をどちらが負うのか、一つずつ言い直す。
最後に、十束売るごとに銅貨四枚を俺が取ることで決まった。
五束で銅貨九枚なら、二束分より少し多い。
「最初からそれを狙ってた?」
フィナがゴルナへ聞く。
「最初は三枚にするつもりだったよ」
「増えてる」
「話したからね」
ゴルナは細い木札を持ってくる。
表へ、欲しいものを並べた。
塩。
布。
縫い針。
小さい鉄釘。
俺には読めない字もある。
「これを町で買う」
「値段を先に聞きな」
「分かってる」
「買う前に、だよ」
木札と一緒に、細い革紐を渡される。
「品物と金は分けて持つ」
「知ってる」
「町に二日いただけで?」
「何度か取られそうになった」
ゴルナの手が止まる。
「それは先に話しな」
「取られてない」
「そういう話じゃないよ」
小屋の外で、ティオが苔の籠を抱えていた。
他の子供と一緒に採ったらしい。
籠の中には、湿った灰灯苔が十束以上入っている。
「甘いのも書いた?」
ティオが木札を覗く。
「書いてないよ」
「苔を売るんでしょ」
「塩と布を買う」
「甘いのは?」
「お前の取り分があるなら、自分で頼みな」
ティオは籠を見る。
灰灯苔を一束抜き、俺へ差し出した。
「これで買える?」
「一束では無理」
「じゃあ二つ」
「まだ無理」
「三つ?」
ゴルナが額を押さえた。
「その苔は集落のものだよ」
ティオは一度抜いた苔を、ゆっくり籠へ戻した。
「甘いの、集落のものにしたら?」
「ならない」
レグが先に答えた。
ティオは折れた耳を伏せ、俺の新しい靴を見る。
「人間の町、塩しかない」
「そんなことはない」
「じゃあ、ある?」
返事を待っている。
「余ったら」
ゴルナが俺を見る。
「何が余るか、先に値段を聞いてからだよ」
木札を小袋へ入れる。
余るかどうかは、まだ分からない。
その夜は、黒巣で眠った。
血吸いコウモリは外側の天井から動かず、奥へ入ってこなかった。
俺が目を閉じてからも、時々、短い鳴き声が聞こえる。
入口へ何かが近づくと、いくつもの翼が一度に動いた。
金属線より先に分かる。
近づいた魔物は小さく、血吸いコウモリが二匹出ると逃げていった。
朝までに、奥へ入ったものはいない。
外側の巣を使わせる意味はありそうだった。
起きると、右腕の布を外す。
昨夜、角兎の血を分けてもらったため、出血は止まっている。
歯形の周りは腫れたままだ。
指を曲げれば動く。
狩猟刀も抜ける。
外した布を巻き直す。
黒巣の奥へ、使わない金属線と乾いた布をまとめて置いた。
町へ持っていく必要はない。
入口へ戻ると、血牙コウモリが天井にいた。
昨日押さえつけた個体だ。
翼を広げたが、降りてはこない。
「奥へ入るな」
通じていなくても、同じ言葉を残す。
水路へ下り、集落へ向かった。
取引小屋の前には、大きな背負い籠が一つ置かれている。
灰灯苔は湿らせた布に包まれ、その上へ灰殻ムカデの背殻が三枚重ねられていた。
「重いよ」
フィナが籠の紐を引く。
「持てる」
「持てるかじゃなくて、片方に寄ってる」
背負うと、硬い殻が左へ傾いた。
右腕を庇って紐を締めたせいだ。
フィナが結び目を外し、左右の長さを変える。
「これなら?」
立ち上がる。
重さは残るが、背中の中央へ寄った。
「持てる」
「それしか言わない」
ゴルナが取引小屋から木札を持ってくる。
昨日書いた品物の横に、印が増えていた。
「苔は十束」
「数えた」
「殻はあんたの三枚だけだよ」
「分かってる」
「苔の金と、自分の殻の金は分ける」
「紐も分けた」
小袋の中に、革紐を二本入れている。
一方は集落の金。
もう一方は自分の金に使う。
「町の人間に、どこで採ったか聞かれたら?」
「言わない」
「誰が採ったか聞かれたら?」
「俺じゃない」
「それだけだと、盗んだと思われるよ」
「取引した」
ゴルナが俺を見る。
「相手を聞かれたら?」
「言わない」
「全部黙ったら、売ってもらえないんじゃない?」
フィナが言う。
それは町へ行かなければ分からない。
「売れなかったら戻す」
「減ってたら?」
「俺が払う」
ゴルナは少し考え、木札を渡した。
「なら持っていきな」
町へ向かう道では、何度か籠を下ろした。
右腕より、肩へ食い込む紐の方が痛くなってくる。
人型になる前なら、背殻を一枚運ぶだけでも無理だった。
今は十束の苔と三枚の殻を持ち、昼前にはルーヴェン砦町の南門へ着いた。
門番が籠を止める。
「何だ、それ」
「灰灯苔と、灰殻ムカデの殻」
「討伐品か?」
「そう」
正式登録証を見せる。
門番は名前と等級を確かめ、背殻へ目を戻した。
「Fランクが?」
「一人では倒してない」
「同行者は」
「町の冒険者じゃない」
門番の手が登録証から離れない。
「ギルドで先に話せ」
「売りに行く」
「なら、そのまま行け。市場へ先に流すなよ」
登録証を返される。
町へ入っても、背殻は人の目を集めた。
子供が触ろうとし、母親に腕を引かれる。
肉屋の前では、店主が殻の厚さを見ようと近づいてきた。
「売るのか?」
「ギルドで聞く」
「ギルドより銅貨一枚高く買うぞ」
「先に話す」
門番に言われた通り、冒険者ギルドへ向かう。
受付前で籠を下ろすと、床へ硬い音がした。
ネラが書類から顔を上げる。
「前の採取依頼は終わったはずですが」
「別の苔」
湿った布を開く。
「十束ある」
「同じ場所で?」
「違う」
背殻も机へ出す。
「これは、前に見せたものより大きいですね」
「三枚ある」
ネラはすぐ値段をつけず、奥から素材担当の男を呼んだ。
男は殻を叩き、裏側の汚れを布で拭う。
「大灰殻ムカデだな」
「売れる?」
「売れるが、どこで三枚も取った」
「古い水路」
「黒骨洞の近くか?」
「近い」
「その水路を教えろ。次は解体人を出す」
「教えない」
男が手を止めた。
「場所が分からなければ、買い取り後の採取権を確認できん」
「誰かの土地じゃない」
「皆そう言う」
ネラが別の用紙を机へ置く。
「正確な場所を公開しない採取地もあります」
素材担当の男が眉を寄せた。
「Fランクへ教える話か?」
「登録上の規則です」
ネラは俺へ向き直る。
「採取地を非公開にする場合、ギルドは道案内も救助もできません」
「いらない」
「危険が町の街道や採取区域へ出た時は報告が必要です」
「する」
「他人の畑、鉱区、領主の管理地から取った物ではありませんか」
「違う」
「採った人の許可はありますか」
「取引した」
ネラの筆が止まる。
「誰と?」
「魔境で暮らしてる相手」
素材担当の男がこちらを見る。
「亜人か?」
「言わない」
「魔物か?」
「言わない」
男は鼻から息を吐いた。
「面倒なのを登録したな」
「正式登録の審査は終わっています」
ネラの声は変わらない。
「取引相手の種族と居場所をギルドへ申告する義務はありません。ただし、盗品、禁制品、討伐指定種との取引が判明した場合は登録停止になります」
「分かった」
「本当に?」
「盗んでない」
「それだけではありません」
「町を襲う相手でもない」
ネラはしばらく俺を見た後、用紙へ書き始めた。
「採取地は黒骨洞周辺の私有経路、詳細非公開」
「俺の道だ」
「土地の所有権ではなく、採取経路の管理者として記録します」
「何が違う」
「山を全部自分のものにしないためです」
その説明は分かった。
黒骨洞のすべてが俺のものではない。
けれど、黒巣と、そこへ続く道は他の魔物へ渡したくない。
「道は俺が管理する」
「では、そのように」
素材担当の男が三枚へ値段をつける。
一枚目は銅貨七枚。
二枚目は六枚。
三枚目は、端に傷があるため五枚。
合わせて銀貨一枚と銅貨八枚。
灰灯苔十束も、前回と同じ割合で銀貨一枚と銅貨八枚になった。
二つの革紐へ、金を分けて結ぶ。
苔の売値から銅貨四枚を自分の袋へ移す。
集落へ戻す金は、銀貨一枚と銅貨四枚。
自分の殻代と運び賃を合わせ、所持金は銀貨四枚と銅貨一枚になった。
ネラが登録証を返す。
「同じ素材を継続して持ち込むなら、次から数量も記録します」
「何で」
「採りすぎればなくなり、急に増えれば危険が動いた可能性があります」
「苔は増える」
「だから、増える量も知ってください」
籠は軽くなった。
代わりに、二つの革紐が小袋の中で触れ合う。
どちらも同じ銅貨なのに、使っていい金は片方だけだった。




