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最弱コウモリ幼体に転生したので、血を吸って進化する  作者: HATENA 
第6章 魔境を拓く者

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第083話 三本爪の向こう

 コボルトの血は、まだ乾ききっていない。


 床へ落ちた跡が、奥へ続いている。


 その周りを灰殻ムカデの脚跡が囲んでいた。


 先へ声を出す。


 細長い体が六匹。


 壁に三匹。


 床に二匹。


 残る一匹は、低い天井に張りついている。


 さらに奥の大きな形は動かない。


 その手前に、コボルトが二人いた。


 一人は立っている。


 もう一人は、岩へ背をつけて座っている。


 聞き覚えのある心音だった。


『フィナ』


 念話を送る。


 奥で、立っていた一人の耳が動いた。


「ミナト?」


 声はフィナだ。


『怪我は』


「兄さんの脚。噛まれた」


 レグもいる。


 水路の両側から、灰殻ムカデに挟まれていた。


「そっちに何匹いる?」


『六匹。奥に大きいのが一匹』


「こっちからは三匹しか見えない」


 壁と天井の三匹が、岩の影へ隠れている。


『上にもいる』


 フィナが灯りを持ち上げる。


 天井の灰殻ムカデが動いた。


 石を掻く音が一斉に広がる。


「見つかった」


『もう見つかってた』


「なら、もっと早く言って」


 先頭の一匹が床を走ってくる。


 狩猟刀を構える。


 背中へは当てない。


 頭が上がるのを待つ。


 黒い顎が開いた瞬間、音撃を正面から放った。


 狭い水路の中で音がぶつかる。


 灰殻ムカデの頭が跳ね、白い腹が持ち上がった。


 節の隙間へ狩猟刀を入れる。


 一度で脚の半分が止まる。


 刃を横へ引き、腹を裂いた。


 残る五匹が壁から動き始める。


「今!」


 フィナの声がする。


 奥で石が倒れた。


 細い縄が床へ張り、灰殻ムカデの脚へ絡む。


 フィナが二匹を同時に止めている。


 レグの槍が、その一匹の腹へ入った。


 座っていたはずなのに、片膝で体を支えている。


「無理するな」


 フィナが言う。


「今言うことか」


 天井にいた一匹が、二人の後ろへ落ちようとしている。


『上』


 フィナが灯りを捨て、横へ転がった。


 灰殻ムカデが空いた場所へ落ちる。


 レグの尾が巻き込まれそうになった。


 俺は次の一匹を避け、壁へ手をつく。


 灰殻ムカデの背中を踏み、天井近くの出っ張りへ跳んだ。


 人型では翼がない。


 代わりに、指で石を掴める。


 壁を蹴り、フィナたちの側へ降りた。


 落ちた灰殻ムカデの頭を、踵で床へ押さえる。


 今度は左の靴も脱げなかった。


 顎の下へ刃を入れる。


 黄色い体液が床へ流れた。


「人の姿の方が重いね」


 フィナが縄を引きながら言う。


『今話すことか』


「兄さんも言った」


 レグが槍を抜く。


「喋るな。次が来る」


 壁の一匹が体を丸める。


 跳ぶ前に、レグの槍が横から入った。


 穂先は背中の殻を滑ったが、体を壁から剥がす。


 俺が腹側へ狩猟刀を刺した。


 フィナの縄に絡んだ二匹は、脚を一本ずつ外し始めている。


 残る一匹が、奥へ引いた。


 大きな形の方へ戻っていく。


「追わないで」


 フィナが言う。


『逃げる』


「呼びに行った」


 奥の大きな形が動いた。


 水路の壁へ、硬いものが擦れる。


 一歩進むたび、細い砂が天井から落ちた。


 竜眼を使う。


【大灰殻《おおはいがら》ムカデ】


 頭だけで、さっき倒した個体の胴ほど太い。


 灰色の節殻が、岩のように盛り上がっていた。


「あれが来て、兄さんが噛まれた」


 フィナが縄を離す。


 動ける二匹が、すぐ大灰殻ムカデの方へ戻った。


 倒した三匹だけが床に残る。


 狩猟刀についた黄色い体液を舐める。


 苦みと土のような匂いが口に残った。


――――――――――

灰殻ムカデを三匹討伐しました。

経験値を取得しました。


因子【灰殻ムカデ因子】の蓄積量が増加しました。

――――――――――


 大灰殻ムカデは、すぐには近づいてこない。


 こちらの振動を確かめるように、前脚だけを動かしている。


 レグの右脚から血が落ちた。


 膝の下に、顎で挟まれた傷が二つある。


『戻る』


「黒巣は?」


 フィナが聞く。


『まだ見てない』


「この先は、あれの巣になってる」


『いつから』


「三日前は一匹だけだった。昨日、道を閉じに来たら増えてた」

「今日、内側へ石を戻すつもりだった」


 レグが槍を杖にして立つ。


「間に合わなかった」


 大灰殻ムカデが少し前へ出る。


 残る三匹も、壁と天井へ広がった。


 ここで戦えば、レグは走れない。


 フィナ一人では運べない。


 灰灯苔の採取袋も背中にある。


『集落へ戻る。道は後で取り返す』


 レグが何か言おうとする。


「分かった」


 フィナが先に答えた。


「兄さんは私につかまって」

「歩ける」

「さっき座ってた」

「立った」


『早くしろ』


 レグが俺を見る。


「人の姿になっても、言い方は変わらないな」


 倒した灰殻ムカデの背中から、割れて浮いた殻を一枚だけ外す。


 手のひらより大きく、狩猟刀の刃を滑らせた時の傷もほとんど残っていない。


 殻を片手に持つ。


 レグが槍を杖にし、フィナの肩へ片腕を回した。


 俺は二人の後ろへつく。


 大灰殻ムカデの心音は、しばらく同じ距離を保っていた。


 集落側の出口まで追ってこず、小さい三匹の脚音も途中で止まった。


 フィナが三本爪の札を置くはずだった石には、切れた紐しか残っていない。


「あいつら、札まで食べたのか」


 レグが壁へ槍を預ける。


「紐を噛んだだけだと思う」


 フィナが出口の石を押した。


「話す前に閉めるよ」


 俺も手をかける。


 三人で石を動かし、水路の隙間を塞いだ。


 端には、指が二本入るほどの隙間が残る。


 小さい灰殻ムカデなら通れるかもしれない。


「土も」


 フィナが隙間へ土と小石を詰める。


 レグは手伝おうとして、右脚へ力を入れた。


 傷から血が滲む。


「座って」

「閉じてからだ」

「もう閉じた」

「隙間がある」


『今は来てない』


「お前まで」


『血が増える』


 レグは自分の脚を見て、壁へ背をつけた。


 フィナが短く息を吐く。


「最初からそうして」

「歩ける」

「集落まで歩いてから言って」


 レグの片腕を肩へ回し、フィナが立たせる。


 俺は後ろを歩いた。


 木々の間に柵が見えると、見張りが二人こちらへ槍を向けた。


「フィナだ!」


 声が飛ぶ。


 門が少しだけ開いた。


 レグの血を見た見張りが中へ叫ぶ。


 ゴルナは取引小屋ではなく、柵の内側から出てきた。


 手には鉈を持っている。


「何が来た」

「灰殻ムカデ。古い水路に六匹と、もっと大きいのが一匹」

「何匹倒した」

「ミナトと三匹」


 ゴルナが俺を見る。


「来てたのかい」

「今日来た」

「町に入って、そのまま消えたかと思ったよ」

「消えてない」

「こっちから見れば同じさ」


 ゴルナはレグの傷へ目を落とす。


「中へ運ぶよ」

「歩ける」

「なら歩いて運ばれな」


 見張り二人がレグの両側へ入る。


 フィナもついていこうとする。


「お前は残って、何があったか話しな」

「でも」

「傷を洗うのは私より薬師の方がうまい」


 レグは何も言わず、柵の中へ連れていかれた。


 ゴルナが取引小屋へ向かう。


 俺とフィナも後を追った。


 机の上には、前と同じ石の器がある。


 中身は空だった。


「三日前、水路の近くで灰殻ムカデを見た」


 フィナが話し始める。


「一匹だけだったから、追い払った。昨日見に行った時は殻が増えてて、今日、兄さんと入口を閉じに行った」

「先に言わなかったのかい」

「昨日は戻ってきたのが遅かったから」

「遅くても起こしな」

「ゴルナ、寝てた」

「起こせと言ってるんだよ」


 フィナの耳が少し伏せる。


 ゴルナは机へ鉈を置いた。


「それで、閉じる前に囲まれた?」

「うん」

「増えた理由は」

「分からない。でも、水路を開ける前はいなかった」


 二人が俺を見る。


「俺だけで開けてない」

「責めてないよ」


 ゴルナが言う。


「開けた時は必要だった。今も必要だから、塞いだままにはできない」

「俺の黒巣にも行けない」

「そっちは自分の都合だね」

「集落も使う」

「だから、どっちが多く払うかの話になる」


 血か、肉か、道具か。


 前なら、それだけだった。


 今は金も使える。


 けれど、コボルトが人間の町で銀貨を使う場所はない。


 持ち帰った灰色の背殻を机へ置く。


「殻は町で売れるかもしれない」


 ゴルナの目が細くなる。


「人間に?」

「硬い殻は素材になる」

「どこで取ったか聞かれる」

「黒骨洞で取ったと言う」

「嘘じゃないね」

「集落は言わない」

「口では何とでも言える」


 ゴルナはすぐに頷かなかった。


 俺が町へ入ったことで、できる取引が増えた。


 同じだけ、売れる情報も増えている。


 机へ採取袋を置く。


「これは町で売る」


 袋から灰灯苔を一束だけ出す。


 フィナが葉先をつまんだ。


「これ、持って帰るの?」

「七束ある」

「水路の外にも生えてる」

「どれくらい」

「いっぱい」


 ゴルナが苔を見る。


「湿った石へ広がるから、見つけたら削って捨ててるよ」

「人間は五束で銅貨九枚払う」


 二人が黙る。


「銅貨九枚って、どのくらい?」


 フィナが聞いた。


「安い服が買える」


 今着ている上着とズボンで銅貨六枚だった。


「それなら、捨ててる分だけでも多い」

「どこに生えてる」

「水溜めの裏と、南の石壁」


 ゴルナがフィナの手から苔を取った。


「人間が採りに来るなら売らない」

「俺が運ぶ」

「何と交換する」

「塩と布と鉄」

「勝手に決めるんじゃないよ」

「欲しくない?」

「欲しいものと、交換する量は別だ」


 ゴルナは苔を机へ置いた。


「まず、あの水路を戻す。その後で、捨ててた苔が何になるか確かめる」

「殻も」

「人間に売れるならね」

「売れなかったら?」

「硬い皿にでもするさ」


 フィナが笑う。


「背中に並べたら鎧になるかも」

「臭いを落としてから言いな」


 俺は紐でまとめた服を机へ置いた。


「借りた服」


 ゴルナが広げる。


 上着の肩と胸は裂け、乾いた血が落ちきらずに残っている。


「服を貸したと思ったけどね」

「服だった」

「今は布だよ」

「返した」

「返せばいいってものでもない」

「何を返す」


 ゴルナはズボンの補修箇所を確かめる。


「これはまだ使える。上は雑巾にする」

「代わりは」

「今決めたら高く取るよ」

「後なら安い?」

「働き次第だね」


 借りは消えていないらしい。


 柵の向こうから、ティオが走ってきた。


 俺の前で止まり、新しい靴を見る。


「人間の足になった?」

「前から人間の足だ」

「前は布だった」

「靴を買った」

「町で?」

「そう」

「ミナト、人間の店に入れる?」

「入れる」


 ティオは少し考え、ゴルナを見る。


「じゃあ、甘いの買える?」

「お前は話を聞いてたのかい」

「苔を売ったら」

「まだ売ってない」


 ティオは机の灰灯苔を見る。


「これ、甘くなる?」

「ならない」


 答えると、興味をなくした。


 柵の中へ戻る途中で、また靴だけ振り返る。


 ゴルナが鉈を持ち直した。


「明日の朝、水路へ行く。フィナと、穴掘りを二人出す」

「レグは」

「寝かせる」

「俺も行く」

「行くから話してるんだよ」


 机には、町へ持ち帰る灰灯苔と、まだ値段のない水路の殻が並んでいた。

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