第081話 名前のある部屋
南門へ戻ると、通行止めの柵の前に人が集まっていた。
担架を見た途端、何人かが道を空ける。
灰色の髪の女だけが、その場に残った。
「どっちです」
リオナが答えられない。
女は担架にかけられた外套の下から、片方だけの靴を見つけた。
「ルッツ」
名前を呼び、靴へ触れる。
泣き声は出なかった。
「カルドさんは治療院にいます」
「脚は」
「生きています」
リオナの答えは、少しずれていた。
女は何も言わずに頷いた。
衛兵と一緒に来ていた男たちが、俺とベルクから担架を受け取る。
「外套は、そのままでいい」
ベルクが言った。
血と土で汚れた外套ごと、ルッツは町の中へ運ばれていった。
俺たちはギルドへ向かう。
エッダから借りた解体刀は、南門脇の洗い場で血を落としてから返した。
刃に欠けはない。
「合格」
「何が」
「銀貨一枚を払わなくていい」
俺の短刀は鞘の中で曲がったままだ。
次に硬い骨へ当てれば、本当に折れる。
ギルドへ入ると、朝より人が増えていた。
南古道の依頼札が外された壁だけが空いている。
俺たちを見る声が、小さく広がった。
「狼は」
「二匹とも」
「死体は?」
「森だ。回収班を出す」
ベルクが答えながら奥へ進む。
昨日と同じ小部屋に、支部長とネラが待っていた。
机の上には四枚の報告用紙がある。
「座ってくれ」
今度は全員が座った。
ネラが順番に話を聞く。
ルッツを見つけた場所。
死亡を確認した時刻。
二匹の霧喰い狼の傷。
誰が何をしたか。
残した死骸と、回収に使える帰路の印。
俺が狼の血を飲んだことも、ベルクが話した。
「素材を駄目にする量ではない」
「量の問題では」
ネラが言いかける。
「こいつには食事だ」
「分かっています」
リオナが横から口を挟んだ。
「飲まないと、怪我の治りも遅いです」
ネラが羽根ペンを止める。
「詳しくなった?」
「一緒にいたら、嫌でも」
「嫌?」
「言葉の流れです」
リオナは紙の方を見た。
ネラは少しだけ笑い、また書き始める。
「ゴブリン三匹との接触について」
支部長が俺を見る。
「足跡を追い、干し肉と情報を交換した」
「武器を持っていたな」
「持ってた」
「荷車から取った鋸も」
「拾っただけ」
「返すよう求めなかった?」
「求めた。でも、返さなかった」
「取り戻すより、カルドさんを運ぶ方が先でした」
リオナが言った。
支部長は、しばらく何も言わなかった。
「襲撃者として報告しなかった理由は」
「狼の匂いと傷があった。ゴブリンには血がついてなかった」
「リオナの判断は」
「足跡が後から重なっていました。襲撃とは分けるべきです」
リオナの声は昨日より迷わなかった。
ネラが報告用紙の一部へ線を引く。
「ゴブリン討伐依頼への変更はなし。盗難品の回収は、炭焼き側と別途確認します」
あの三匹を殺す依頼は出なかった。
次に会うかは分からない。
会っても、干し肉を返してもらうつもりはない。
「霧喰い狼三匹は、一匹をセインとリオナ、残る二匹を四名で討伐」
「一匹目は俺が殺した」
「リオナの矢も使っています」
「止めは俺」
「一匹目は臨時パーティの取り決めどおり、残る二匹はギルドの規定で四人に分けます」
リオナが言う。
報酬、治療費、素材、死んだ時の荷物。
出発前に、二人で決めた。
「異議は?」
「ない」
報告が終わると、支部長は一度部屋を出た。
待っている間、リオナは何度も指を組み直していた。
「何してる」
「待ってます」
「見れば分かる」
「なら聞かないでください」
ベルクが小さく息を吐く。
「二人で組むと、いつもこうか」
「違います」
「だいたい同じ」
「セインさんは黙っててください」
「今喋った」
「そういうところです」
エッダは報告用紙の端に描かれた地図を見ている。
口元だけが少し動いていた。
支部長が戻る。
手には、黒い縁の小さな板があった。
俺の仮登録証と似ている。
中央へ刻まれた文字だけが違った。
「仮登録証を」
布袋から出し、ネラへ渡す。
薄い板は、報告用紙の横へ置かれた。
「セイン」
「俺」
「確認のため、手を」
板へ触れる。
淡い光が指の下から広がった。
――――――――――
登録名:セイン
種族:人型亜種・詳細不明
Lv:34
犯罪称号:なし
――――――――――
それ以上は表示されない。
霧適応も、因子も、古代竜帝因子も出なかった。
「三十日の仮登録期間は残っている」
支部長が言う。
「ですが」
「条件を守って戻り、生存者と危険情報を持ち帰った。現場で依頼範囲を越えた後も、勝手に続行せず報告している」
黒い縁の板が机へ置かれる。
「五件のFランク依頼、最初の所在確認、ベルクとリオナからの追加保証も揃った」
「正式?」
「Fランクの正式登録だ」
「上がらない?」
「実力と信用は別です」
ネラがすぐに答えた。
「霧喰い狼を倒せても、文字の読めない冒険者へ隊商護衛は任せられません」
「道は分かる」
「目的地の札を読み間違えます」
古い文字表は、まだ半分も読めない。
「Fのままでも、仮は取れます」
黒い縁の登録証を持つ。
前の薄い板より重い。
「所在確認は」
「五日ごとではなくなります。ただし、この町を長く離れる時は届けてください」
「ガレオのことは?」
俺から聞くと、ネラの手が止まった。
「記録は残ります」
「正式になっても?」
「正式登録は、疑問が消えたという意味ではありません」
外套を拾った場所と、ガレオの足取りは合っていない。
そこは何も変わらなかった。
「分かった」
登録証を布袋へ入れる。
続いて、報酬が分けられた。
南古道の調査、カルドの救助、緊急捜索、霧喰い狼三匹の討伐。
素材はまだ森にあるため、ベルクとエッダの証言をもとに一部だけが先払いされた。
治療院の処置代と、支給された矢の使用分も引かれている。
俺の前へ、銀貨六枚と銅貨五枚が置かれる。
持っていた銅貨五枚と合わせると、銀貨七枚になった。
「多い」
「怪我をして、二日使っています」
「二日で六枚」
「毎回生きて戻れるなら、冒険者はもっと多いです」
リオナは自分の取り分を数えている。
嬉しそうではない。
弟を連れて帰れなかった依頼の金だ。
俺は銀貨を袋へ入れた。
金は金だった。
片靴亭へ戻る。
ベッカは裂けた上着を見るなり、厨房から指を突きつけた。
「そのまま寝台へ上がるな」
「洗う」
「先に脱ぎな」
「また借りる?」
「破ったのは私の服じゃないだろ」
コボルトから借りた上着だった。
もう肩も胸も裂け、何度洗っても血の色が残る。
「部屋を変えたい」
「相部屋が嫌なら、まともな宿へ行きな」
「鍵がある部屋」
「うちにもあるよ。まともじゃないだけで」
ベッカは上を指した。
「三階の突き当たり。前は物置だった」
「今は?」
「空の物置」
「いくら」
「食事なしで一晩銅貨四枚。七日分を先に払うなら銅貨二十八枚」
「見る」
階段を上がる。
三階の廊下は狭く、突き当たりでは屋根が斜めに下がっていた。
扉を開ける。
中には細い寝台と、片脚の短い机がある。
窓は小さい。
立つと、髪が天井へ触れそうになる。
「狭い」
「あんた一人なら入る」
「鍵は」
ベッカが鉄の鍵を見せる。
「一本だけ。なくしたら銀貨一枚」
「高い」
「なくすな」
銀貨二枚と銅貨八枚を渡す。
残りは銀貨四枚と銅貨二枚。
古い文字表と、曲がった短刀を机へ置いた。
布袋は寝台の下へ入れる。
扉を閉め、鍵を回した。
廊下を歩く足音が、扉の前を通り過ぎていった。




