第071話 七つの心音
黄色い眼が、茂みの中で増えていく。
左に二匹。
右に三匹。
熊の上にいる二匹は動かない。
腐肉ハイエナは、大型犬より少し大きかった。
前脚が長く、背中から尻へ向けて低くなっている。
口の周りには、熊の血と黒い毛がついていた。
「下がるぞ」
ベルクが小声で言う。
「死骸は」
「場所を変える」
「食われる」
「全部は食えん」
ベルクは腐肉ハイエナへ背中を向けず、ゆっくり後ろへ動いた。
エッダも続く。
リオナが弓を構えたまま、俺を見る。
「セインさん」
「分かってる」
分かってはいない。
逃げれば、あいつらは熊を食い続ける。
それでも三人が下がるため、俺もついていく。
茂みを抜けた先に、大きな岩があった。
背中を守れる。
正面も、四人が並べるほど広くない。
「ここで待つ」
ベルクが片手槍を構える。
「追ってこなければ?」
「車へ戻って、燻し玉を持ってくる」
「最初から持ってこなかった?」
「熊しかいないと思ってたからな」
「斥候なのに」
エッダが俺を見た。
「次から、死骸は歩くと思って準備するよ」
腐肉ハイエナの足音が近づく。
一匹だけではない。
前から三匹。
左右の茂みにも、二匹ずついる。
「七匹とも来る」
「熊より、こっちが柔らかく見えたか」
ベルクの声は変わらない。
「リオナ、最初の一匹だけ射て。外したら二本目は待て」
「はい」
「エッダは右。セインは左」
「殺す?」
「来たやつから」
腰の短刀を抜く。
洞窟で拾った骨や金属片より、刃は真っすぐだった。
握る場所には革が巻かれている。
一匹目が正面から走る。
リオナの矢が前脚へ入った。
腐肉ハイエナは転ばない。
体を傾けながら、そのままベルクへ飛びかかった。
片手槍が口の中へ入る。
ベルクは柄を押さず、横へ流した。
ハイエナの体が岩へぶつかる。
「左!」
別の一匹が茂みから出た。
俺へ向かってくる。
短刀を牙の前へ出す。
刃は口の横へ入った。
浅い。
腐肉ハイエナが頭を振る。
血で濡れた柄が、手の中から滑った。
短刀が地面へ落ちる。
牙が左腕へ噛みついた。
皮膚は破れたが、骨までは入らない。
右手の爪を伸ばす。
首の横へ突き立て、押し倒した。
まだ口を離さない。
膝を腹へ乗せ、首を両手で捻る。
骨が折れた。
牙が腕から抜ける。
短刀より、手の方が使いやすい。
「後ろ!」
リオナの声で振り向く。
三匹目が岩際を走り、エッダへ向かっていた。
エッダは革袋を投げる。
空中で袋が開き、灰色の粉が散った。
腐肉ハイエナの顔へかかる。
眼を閉じ、足が止まった。
エッダの曲がった短剣が、後脚の腱へ入る。
「今」
俺は地面の短刀を拾う。
今度は逆手に持った。
毛を左手で掴み、動かないようにしてから喉へ刺す。
刃が奥まで入った。
引き抜く時も、柄から手を離さない。
「使えるじゃない」
エッダが言う。
「押さえれば」
「普通は一人で押さえない」
正面では、ベルクが最初の一匹を槍で岩へ縫い止めていた。
リオナは二本目の矢をつがえている。
残る四匹は、まだ茂みの中にいる。
同時には来ない。
倒れた仲間を見て、左右へ動いている。
「一匹、大きい」
右奥の心音が、他より強い。
竜眼。
黄色い眼の上に、名前が浮かぶ。
【腐肉ハイエナ・群れ長】
群れ長は前へ出ない。
黒爪猟犬と同じだった。
弱い個体から近づけ、こちらの動きを見ている。
「右奥が群れ長」
「見えるのか」
「名前だけ」
ベルクは聞き返さず、槍を抜いた。
「なら、群れ長へ道を開けるな」
「殺さない?」
「こっちへ来たら殺す」
群れ長が短く鳴いた。
茂みの二匹が、同時に動く。
一匹は正面。
もう一匹は、岩の斜面を上っている。
「上!」
リオナが矢を向ける。
「正面を牽制しろ」
俺は岩へ爪を立てた。
壁面適応がある。
斜面を上り、頭上から来た一匹へぶつかる。
空中で体が絡んだ。
腐肉ハイエナの爪が肩の布を裂く。
俺の短刀は、脇腹へ入った。
二匹で地面へ落ちる。
下にならないよう、途中で体を捻る。
腐肉ハイエナが先に土へ当たった。
息が抜ける。
喉へ牙を立てた。
血が口へ入る。
腐った肉の匂いが混じり、苦い。
それでも、相手の力が弱くなる。
吸い切る前に離れた。
斜面から落ちた一匹は、ふらつきながら起き上がった。
血を流したまま、群れ長の方へ下がっていく。
正面の一匹は、リオナの矢先を警戒して足を鈍らせている。
ベルクの槍が前脚を払い、エッダが横腹を切った。
ハイエナは立ち上がらなかった。
四匹が倒れた。
残る三匹の心音が遠ざかる。
群れ長が先に逃げ、二匹が続いていた。
「追う」
茂みへ向かおうとすると、ベルクの槍が前へ出た。
「追わない」
「戻ってくる」
「今追えば、向こうの選んだ場所で戦うことになる」
「場所は分かる」
「車と解体人を置いていく気か」
逃げる三匹。
残した熊。
待たせている人間と手引き車。
全部を追うことはできない。
俺は茂みから離れた。
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腐肉ハイエナ四匹を討伐しました。
経験値を取得しました。
Lvが32から33に上昇しました。
最大HP:284から292に上昇しました。
最大MP:136から140に上昇しました。
筋力:136から140に上昇しました。
耐久:152から156に上昇しました。
敏捷:180から188に上昇しました。
感知:188から196に上昇しました。
魔力:124から128に上昇しました。
器用:140から144に上昇しました。
精神:128から132に上昇しました。
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固有スキル【因子吸収Lv1】が発動しました。
因子【腐肉ハイエナ因子】を取得しました。
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因子【腐肉ハイエナ因子】
強靭な顎、腐肉消化、嗅覚、群れ連携などが含まれる。
現在の肉体では、新たな能力として発現していない。
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通知が消える。
左腕から血が落ちていた。
ベルクが傷を見る。
「噛まれたな」
「浅い」
「腐肉を食うやつの口だ。戻ったら洗え」
「血を飲めば治る」
「洗ってから飲め」
言い方が、少しベッカに似ていた。
大岩熊の死骸へ戻る。
腹は大きく食い破られている。
それでも、背中の硬い毛皮と四本の脚は残っていた。
熊の向こうの茂みから、遠ざかったはずの心音が一つだけ、動かずに聞こえている。
姿は見えないが、群れ長らしい一匹だけ、まだ離れずにいる。
「あそこにいる」
指を向ける。
ベルクは見ようとしなかった。
「眼を合わせるな」
「何で」
「見つけてると教える必要はない」
ベルクは槍を下ろした。
血を布で拭い、俺の左腕を見る。
「動くか」
「動く」
指を曲げる。
噛まれた場所から血は滲んでいるが、骨には届いていない。
「先に洗うぞ」
「熊の血を飲む」
「腐った牙で入れられたものは、血じゃ抜けん」
エッダが水筒を投げてよこす。
「痛くても流して」
「飲み水」
「腕が腐るより安い」
傷へ水をかける。
冷たさの後から、痛みが強くなった。
土と血が流れ、歯形が見える。
エッダは匂いの強い液体を布へ垂らした。
「何」
「消毒」
「毒?」
「似たようなもの」
傷へ押しつけられる。
冷たい痛みが、腕の中まで走った。
「痛い」
「効いてる」
「本当?」
「たぶん」
「たぶん?」
エッダは答えず、布を巻いた。
「そっちを見てて」
群れ長のいる茂みへ顔を戻す。
心音は消えていない。
ベルクが短く口笛を吹いた。
離れた場所で、同じ音が返ってくる。
解体人を呼ぶ合図らしい。
「声で呼ばない?」
「声より遠くへ届くし、言葉を聞かれない」
「魔物に?」
「盗賊にもな」
しばらくして、手引き車を押す音が近づいた。
二人の解体人は、並べられた腐肉ハイエナを見て足を止める。
「増えてるじゃないか」
「四匹減らした」
ベルクが答えた。
「残りは」
「三匹」
「減ってないだろ」
「七匹よりは少ない」
「そういう問題か?」
解体人は帰ろうとはしなかった。
手引き車から刃物と布を下ろす。
「一刻で終わらせる。ベルク、周りを頼む」
「俺とエッダが見る」
「セインは」
「熊の血を飲むそうだ」
二人が俺を見る。
「飲んだ後は働けよ」
「何をする」
「脚を持て。切る時に動かすな」
大岩熊の腹は、腐肉ハイエナに食われていた。
内臓の一部はなくなり、残った肉にも牙の跡がある。
胸の奥には、固まりきっていない血が残っていた。
牙を入れる。
冷えている。
生きている時のように流れ込んではこない。
吸い上げると、重い血が少しずつ口へ入った。
腐肉ハイエナの血より濃い。
熊の力は、死んで時間が経っても残っている。
腕の傷が熱を持つ。
すぐに塞がりはしない。
それでも、指を曲げた時の痛みが弱くなった。
「飲み切るなよ」
解体人が言う。
「血も薬師へ売れる」
「ベルクは好きにしろと言った」
「運ぶ分が減るならって話だ」
「どれだけ残す」
解体人は壺を一つ出した。
「これを満たせ」
血を壺へ吸い出すことはできない。
胸を切り開き、残った血が流れる向きを変える。
血液操作で数滴ずつ動かすより、熊の体を傾けた方が早かった。
四人で脚を持ち上げる。
壺へ黒い血が落ちていく。
「便利なのか、力任せなのか分からんな」
ベルクが周囲を見たまま言う。
「入った」
「なら次は皮だ」
解体人の刃が、熊の脚の内側へ入る。
背中の硬い毛を傷つけないよう、腹側から皮を剥いでいく。
俺は前脚を押さえた。
リオナは反対側で布を広げ、剥がれた皮へ土がつかないよう受け止めている。
「重いです」
「落とすな」
「持ってください」
「脚を押さえてる」
「片手で足りるでしょう」
右手で熊の脚を押さえたまま、左手で皮を持つ。
噛まれた傷が痛んだ。
落とさない。
解体人の刃が進むたび、黒い毛皮が大きくなっていく。
四本の爪。
牙。
硬い背中の皮。
傷んでいない腿肉。
薬になる胆。
持ち帰る物が、布の上へ分けられた。
「全部でいくら」
「町へ戻ってからだ」
「だいたい」
「皮が傷んでる。金貨一枚に届けばいい方だ」
「治療費と同じ」
「五人で割る前にな」
解体人の人件費。
手引き車。
立会人。
売った金が、そのまま五人へ入るわけではない。
「回収した方が少ない?」
「放っておけばゼロだ」
ベルクが答えた。
群れ長の心音が動く。
「来る」
全員の手が止まった。
茂みの奥を走る音。
近づかず、右から左へ移動している。
「場所を変えただけ」
「見えてると気づいたか」
エッダが周囲の枝へ細い糸を張る。
小さな骨片を吊り、触れれば音が鳴るようにした。
「これで解体人へ近づけば分かる」
「俺には糸がなくても分かる」
「全員に分かるようにするの」
黒骨洞で骨を置いた時と同じだった。
自分だけが気づいても、他の人間は動けない。
素材を手引き車へ積む。
熊の皮を畳み、肉と爪を上へ載せる。
腐肉ハイエナの死骸からも、牙と皮を取った。
群れ長は襲ってこない。
見ているだけだった。
「終わった。戻るぞ」
ベルクが隊列を決める。
来た時とは違い、手引き車は大岩熊の素材で沈んでいた。
俺と解体人が前を引く。
斜面を一つ上るだけで、車輪が根へ食い込んだ。
後ろから押しても動かない。
「持ち上げる」
車の枠へ両手をかける。
「壊すなよ」
「分かってる」
力を入れる。
前輪が根を越えた。
木の軸が嫌な音を立てる。
「ゆっくり!」
解体人が叫ぶ。
壊れはしなかった。
森の中を、来た時より遅く進む。
群れ長と二匹の心音は、しばらく後ろにあった。
途中で消える。
「諦めた?」
リオナが聞く。
「分からない」
エッダは足を止めず、前方の地面を見ている。
木々の間に、来る時にはなかった足跡があった。
三匹分。
俺たちより先に、帰り道へ回っている。
「諦めてない」
エッダが顔を上げた。
「前で待ってる」




