第007話 戻れない洞窟
目が覚めた時、まだ洞窟だった。
夢じゃない。
教室でもない。
保健室でもない。
あるのは、湿った石の匂いと、喉の奥にこびりついた黒い血の味だけだった。
体が熱い。
熱いのに、寒い。
薄い羽の内側が震えている。
爪を動かそうとすると、石を掻く前に指先が痺れた。
どれくらい気を失っていたのか分からない。
水音は戻っている。
遠くで何かが這う音もする。
近くでは、黒い骨の奥がまだかすかに軋んでいた。
俺はそこから目を逸らした。
見たら駄目だ。
そう思った。
理由は分からない。
ただ、あれには、もう近づきたくない。
飲んだ後で言うことじゃないけれど。
腹の奥が、まだ焼けている。
石の割れ目に詰まったまま、俺は自分の体を確かめた。
足も羽も動く。
でも、どちらも頼りない。
羽ばたける気がしない。
少し力を入れただけで、体の奥の熱が広がって痛んだ。
頭の奥がずきずきする。
ステータス。
そう念じると、視界の手前に薄い表示が開いた。
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名前:なし
種族:コウモリ幼体
種族ランク:F
進化段階:第1段階
Lv:2
HP:2/6
MP:0/1
筋力:1
耐久:2
敏捷:4
感知:7
魔力:1
器用:2
精神:7
状態:
飢餓
軽度出血
因子過負荷
種族特性:
夜目Lv1
微弱音波Lv1
天井把握Lv1
吸血未熟Lv1
嗅覚・最下位Lv2
竜眼・最下位
固有スキル:
因子吸収Lv1
スキル:
竜因子適応Lv1
因子吸収補助Lv1
称号:
異界より転じた魂
最弱幼体
古き帝の血を啜ったもの
保有因子:
洞窟鼠因子
血吸い蛭因子
古代竜帝因子
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HPは半分もなく、MPは空だった。
飢餓、軽度出血、因子過負荷と、状態異常が三つも残っている。
黒い血まで飲んだのに、空腹は消えず、体の内側には熱が残っていた。
体の中に入った何かが、餌を寄こせと暴れている。
俺は石に顔を押しつけた。
冷たさで痛みは少し和らいだが、すぐに熱が戻ってきた。
このまま隠れていても駄目だ。
飢えで動けなくなれば、今度こそ食われる。
裂け目の外には、水場がある。
蛭も、あのトカゲも、まだ近くにいるかもしれない。
俺は喉を鳴らしかけて、止めた。
鳴けば周りの形は分かるが、俺の場所も知られる。
耳を使う代わりに、匂いを探した。
湿った石と古い血の中に、小さな生き物の匂いが混じっていた。
たぶん、虫だ。
俺はゆっくり体をずらした。
裂け目の端から外を見る。
暗闇の中に、細い羽が見えた。
反対側の石のくぼみに、小さな虫が引っかかっている。
羽は片方が破れていた。
何かに噛まれたのか、腹のあたりも潰れている。
まだ動いている。
弱っているなら、餌だ。
そう思った瞬間、目の奥が熱くなった。
視界の端が赤く滲む。
頭の奥に、短い通知が走った。
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名称:薄羽虫
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分かったのは名前だけだったが、今はそれで十分だった。
その直後、目の奥を細い針で突かれたような頭痛が来た。
竜眼・最下位は、名前を見るだけでも頭が焼けるほど痛い。
使い物になるのか、これ。
俺は薄羽虫を見た。
距離は近くても、飛べない俺には遠い。
壁を這って近づけば、途中で落ちるかもしれない。
薄羽虫は、石のくぼみから抜けようとしている。
その下には浅い水たまりがあり、黒い蛭がいた。
待っていれば落ちるかもしれないが、その時は蛭に取られる。
俺の獲物だ。
ためらうより先に、そう思った。
俺は裂け目の内側を見た。
黒い骨の欠片がある。
薄く剥がれた鱗のようなものも混じっている。
触りたくないが、使える。
俺は爪をかけた。
小さな欠片を、少しずつ押す。
重い。
体は小さくて、力もない。
それでも、欠片はほんの少しだけ動いた。
石の縁まで押す。
その間にも、薄羽虫はくぼみから抜けかけていた。
焦るな。
無理に押せば、俺まで落ちる。
爪を立て、羽を畳み、腹を石に押しつける。
もう一度、押す。
欠片が縁を越えた。
落ちる。
かすかな音を立てて、黒い欠片が水たまりの端に当たった。
水が跳ねる。
薄羽虫がびくりと震えた。
逃げようとして、破れた羽が石に引っかかる。
体が傾き、落ちる。
俺はその瞬間に、壁を蹴った。
飛ぶんじゃない。
落ちる。
ただ、落ちる場所を選ぶ。
視界がぶれ、石と薄羽虫の体が近づく。
俺は羽を広げた。
風を掴むほどの力はない。
でも、少しだけゆっくり落ちた。
薄羽虫にぶつかる。
軽い体が潰れかけ、俺の方も石に叩きつけられた。
痛い。
息が詰まる。
それでも、爪を離さなかった。
薄羽虫が暴れる。
細い脚が顔に当たる。
羽の粉が鼻に入る。
気持ち悪い。
でも、逃がさない。
俺は噛みついた。
硬い。
虫の殻が、思ったより硬い。
一度目は滑った。
二度目で、腹の柔らかいところに牙が入った。
薄い体液が口に広がる。
血とは違う。
水っぽくて、青臭くて、かすかに鉄の味がする。
うまくはない。
それでも、喉は飲み込んだ。
体が欲しがった。
俺は吸った。
虫が震え、羽が石を叩く。
その音に、水の中の蛭が寄ってきた。
俺は薄羽虫を引きずった。
重くはないが、足の傷が開いてうまく力が入らない。
俺は薄羽虫の腹から牙を抜き、必死で壁のひびへ戻った。
羽と脚が口に絡んでも、蛭に取られたくなくて離さなかった。
これは、俺が落として、俺が掴んだ。
俺が食う。
壁の途中で一度滑り、薄羽虫が口から抜けかけた。
下では黒い蛭が石に張りつき、こちらへ体を伸ばしている。
俺は薄羽虫を噛み直し、爪をひびにかけて体を引き上げた。
何度か爪を滑らせながら、ようやく元の裂け目へ体と獲物を押し込んだ。
俺はそこで、ようやく薄羽虫を食った。
羽はまずく、脚は邪魔で、殻は硬くて口の中に残る。
それでも飲み込むたび、空腹と体の熱が少しだけ弱くなった。
頭の奥に、通知が走った。
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薄羽虫の体液を摂取しました。
経験値を取得しました。
HPが微回復しました。
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続けて、少しだけ遅れて通知が来る。
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固有スキル【因子吸収Lv1】が発動しました。
因子取得には至りませんでした。
種族特性【吸血未熟Lv1】の熟練度が上昇しました。
古代竜帝因子の適応率がわずかに上昇しました。
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因子は取れなかったが、喉の奥の熱は少し下がった。
古代竜帝因子は、今も腹の奥で燃えている。
強くなったわけではなく、食い続けなければならない理由が増えただけだった。
俺は薄羽虫の残りに、もう一度牙を立てた。
まだ食える。
そう思うより先に、体が動いていた。
頭の奥に、また小さな通知が走る。
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進化条件の一部を満たしました。
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