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最弱コウモリ幼体に転生したので、血を吸って進化する  作者: HATENA 
第1章 最弱幼体と太古の血

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第006話 三年後、召喚殿

 白い光が消えたあと、白峰紗月は床に膝をついていた。


 冷たい。


 最初に思ったのは、それだった。


 頬に触れている床が、教室の床じゃない。


 あるのは、石の冷たさだけだった。


「……え」


 誰かが、すぐ近くで声を漏らした。


 その声が反響する。


 紗月はゆっくり顔を上げた。


 白い石でできた広い部屋。


 天井は高く、柱には金色の線が走っている。


 床には、さっき教室に現れたものと似た魔法陣が刻まれていた。


 けれど、こちらの魔法陣はずっと大きい。


 円の外側には、白い服を着た人たちが並んでいる。


 そのさらに外に、鎧を着た人たちがいた。


 剣や槍、知らない旗があった。


「ここ、どこ」


 佐倉の声だった。


 いつもなら少し明るく聞こえる声が、今は沈んでいた。


「落ち着け」


 天城が言った。


 そう言った本人も、床に片手をついたままだった。


 紗月は立ち上がろうとして、膝に力が入らなかった。


 周りで、誰かが息を呑む。


 制服の袖が擦れ、鞄が床に当たる音がした。


 みんな、いるように見えた。


 でも。


「黒瀬くん」


 返事はなかった。


 もう一度、周りを見る。


 制服。


 見慣れた鞄。


 机はない。


 椅子もない。


 窓もない。


 制服のまま座り込むクラスメイトたちだけが、ここに残されていた。


 その中に、黒瀬湊の姿がない。


「湊」


 直也が立ち上がった。


 立ち上がったというより、跳ね起きた。


「湊は」


 誰も答えない。


 直也は人を押しのけるようにして周りを見た。


 それから、魔法陣の外にいる白い服の男たちを睨んだ。


「おい、湊はどこだよ」


 男たちは、すぐには答えなかった。


 その沈黙が、嫌だった。


 紗月の息が、喉の奥で詰まった。


 光の境界に、黒瀬くんがいて円の外へ出ようとしていた。


 手を伸ばしかけた気がする。


 けれど、光が強くなって。


 そこから先を、思い出したくなかった。


「灰原もいない」


 低い声で、榊が言った。


 その言葉で、何人かが後ろを振り返った。


 教室の後ろの端にいた灰原透。


 普段から目立たない生徒だった。


「ふざけんなよ」


 二階堂が言った。


「なんだよ、これ」


 その声に反応したのか、鎧の男が一歩前へ出た。


 金属の音がする。


 それだけで、周りが少し静かになった。


 白い服の集団の中から、年配の男が進み出た。


 細い銀の杖を持っている。


 表情は落ち着いていた。


 落ち着きすぎていて、余計に気味が悪い。


「異界より招かれし方々」


 男は、ゆっくりと言った。


 言葉は日本語ではない。


 なのに、意味だけが頭に入ってくる。


 その気持ち悪さに、紗月は顔をしかめた。


「ここは聖アーデル王国、王都召喚殿です」

「王国?」


 佐倉が小さく繰り返した。


「皆様には、勇者候補としてこの地にお越しいただきました」


 勇者。


「待ってください」


 天城が一歩前に出た。


 動きはいつもより固い。


 それでも、誰かが前に出なければいけなかった。


「俺たちは学校にいました。なぜ俺たちを召喚したんですか」

「召喚は、女神の導きと王国の願いによるものです」


 別の男が答えた。


 白い法衣。


 胸には太陽みたいな紋章がある。


「あなた方は選ばれました。この世界を救うために」

「質問に答えてください」


 久我が言った。


 声は冷静だった。


 でも、指先が少し震えている。


「元の場所に戻してください。そもそも、元の世界へ戻る方法はあるんですか」


 白い法衣の男は、すぐに答えなかった。


 その沈黙だけで、戻る方法がないのかもしれないと思ってしまった。


 代わりに、銀の杖の男が視線を動かした。


 彼の後ろにいた若い術士が、羊皮紙のようなものを広げている。


 名前が書かれているのかもしれない。


 人数を確認しているのかもしれない。


 紗月は、それを見ているだけで胸の奥が冷えた。


「召喚名簿と人数を確認しろ」


 銀の杖の男が言った。


 若い術士が、召喚陣の横に置かれた羊皮紙に目を落とす。


 指先が、並んだ名前の上を滑っていく。


「二名が確認できません」


 二名。


 誰もすぐには受け止められなかった。


「いないって、どういうことですか」


 紗月の声は震えていた。


 銀の杖の男がこちらを見る。


 その目には、同情らしいものがほんの少しだけあった。


 でも、それだけだった。


「召喚対象として名簿には残っています。ですが、召喚殿には現れていません」

「それ、どういう」

「名簿上で召喚完了の印がないのは、黒瀬湊様、灰原透様です」


 名前を呼ばれた瞬間、直也が走り出した。


 魔法陣の縁まで行く前に、鎧の男が槍を横にした。


「どけ」

「下がりなさい」

「どけって言ってんだろ」


 天城が直也の腕を掴んだ。


「三枝、待て」

「待てるかよ」


 直也の声が割れた。


「さっきまでいたんだぞ。湊は、俺のすぐ後ろに」


 紗月は目を閉じそうになった。


 閉じたら、教室の光が戻ってきそうだった。


 光の境界に、半分だけ外に出ていた黒瀬くん。


 声をかけた。


 かけたはずだった。


 でも、届いたかどうか分からない。


「現時点では」


 銀の杖の男が言った。


「召喚時に失われたものと思われます」


 失われた。


 その言い方が、ひどく嫌だった。


 人ではなく、物みたいだった。


「死んだってことかよ」


 二階堂が言った。


 誰も止めなかった。


 誰も、代わりに聞けなかった。


 銀の杖の男は、少しだけ目を伏せた。


「この場に肉体は確認されていません」

「答えになってねえ」

「蓮司」


 佐倉が名前を呼んだ。


 二階堂は舌打ちしたが、それ以上は進まなかった。


 鎧の男たちは、守るためではなく、逃がさないためにそこにいた。


 そのことに気づいたのは、紗月だけではなかったと思う。


 天城の手が、直也の腕から離れない。


「皆様には、まず休息と説明の場を用意しております」


 王女らしい少女が前へ出た。


 白と青のドレス。


 年は自分たちとそれほど変わらないように見える。


 柔らかく微笑んでいる。


 けれど、その背後には騎士がいる。


「突然のことで、恐ろしい思いをされたと思います」


 少女の声は優しかった。


 優しいからこそ、逃げ道がないことを隠しているみたいに聞こえた。


「その後、ステータスと資質の確認を行います」

「ステータス」


 誰かが呟いた。


 ゲームみたいな言葉なのに、誰も何も言わなかった。


「どうか、私たちにお力をお貸しください」


 誰も返事をしなかった。


 紗月は床を見た。


 魔法陣の線が、まだうっすら光っている。


 教室にあった光より、こちらの方がずっと整っている。


 整っていて、きれいで、冷たい。


 その線のどこかに、黒瀬くんが残っている気がした。


 そんなはずはないのに。


「白峰」


 榊が近くで呼んだ。


 紗月は顔を上げた。


「立てる?」

「……うん」


 返事をしてから、自分がまだ座り込んでいたことに気づいた。


 榊に手を借りて立ち上がる。


 足の裏が冷たい。


 靴を履いているのに、冷たい。


 召喚殿の扉が開いた。


 遠い鐘の音がした。


 紗月は一度だけ振り返った。


 魔法陣の上に、黒瀬湊はいない。


 灰原透もいない。


 それだけは、もう変わらなかった。


     *


 聖アーデル王国での召喚から数日後、ヴェルド辺境王国の王城では、夜の会議が開かれていた。


 長い卓の上に、燭台の火が揺れている。


 窓の外は暗い。


 山脈の向こうから吹く風が、古い石壁をかすかに鳴らしていた。


「聖アーデル王国にて、異界人召喚が成功したとの報告です」


 伝令の声に、会議室の空気がわずかに重くなった。


「人数は」


 王座に近い席から、老いた宰相が尋ねる。


「詳細は伏せられております。ただし、勇者候補として複数名を確保したと」

「確保、か」


 誰かが苦く笑った。


 笑いはすぐに消えた。


 聖アーデル王国が勇者を得た。


 それは、魔物との戦いだけの話では終わらない。


 ひとつの召喚が、国力や戦力だけでなく、周辺国との関係まで変えてしまう。


「我が国への影響は避けられません」


 別の大臣が言った。


「特に北東部。アーデルが勇者を旗印に動けば、辺境領は真っ先に影響を受けます」


 何人かの視線が、卓の端へ向いた。


 そこには、黒い礼服の若い男が座っていた。


 年齢だけ見れば、この場にいる誰よりも若い。


 けれど、その席は軽くない。


 辺境伯。


 北東の山脈と魔の森に接する領を預かる者。


 若すぎる、と陰で言われることもある。


 人間らしくない、と囁かれることもある。


 男は何も言わなかった。


 ただ、伝令の報告を聞いている。


 燭台の火が揺れた。


 その一瞬だけ、黒い瞳の奥に赤い光が差したように見えた。


 誰かが息を呑む。


「勇者候補の中に、名の判明している者はいるか」


 男が初めて口を開いた。


 低く、静かな声だった。


 伝令は一瞬だけ言葉に詰まり、慌てて紙束をめくった。


「一部だけですが」


 紙の擦れる音がする。


「天城陽斗、白峰紗月、久我颯真、佐倉玲奈、三枝直也、榊美緒、二階堂蓮司」


 名前が、一つずつ読み上げられていった。


 若い辺境伯は、表情を変えなかった。


 ただ、指先だけが卓の上で止まっていた。


「召喚時に確認できなかった者が二名」


 伝令は続けた。


「黒瀬湊、灰原透。聖アーデル側は召喚時の事故として処理する見込みです」


 会議室の誰かが、顔をしかめた。


「事故で済ませるつもりか」

「アーデルらしい」


 小さな声が交わされる。


 その中で、若い辺境伯だけが黙っていた。


 燭台の火が、また揺れる。


 彼の影が、壁に伸びた。


 人の影にしては、少しだけ大きく見えた。


 報告は続いている。


 勇者。


 聖アーデル王国。


 いなかった二人。


 そのすべてを聞き終えるまで、黒い礼服の若い辺境伯は何も言わなかった。


 ただ一度だけ、目を閉じた。

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