第067話 分け前と片靴亭
仮登録証を受け取っても、寝る場所まではついてこなかった。
「次は何をする」
ネラに聞く。
「普通は、自分で決めます」
「決めるための金がない」
「本当に一枚も?」
「ない」
ネラが俺の服を見る。
外套を預けたため、肩に巻かれた布まで見えていた。
コボルトから借りた上着には、金を入れる場所もない。
「今日はギルドの紹介宿を使えます」
「宿代と食事代は、いったんギルドが立て替えます」
「借りる?」
「そうなります」
「利息は」
ネラが少しだけ眉を上げた。
「その言葉は知ってるんですね」
「金を借りれば増える」
「一晩分にはつきません。ただ、三日以内に返せなければ泊めてもらえなくなります」
「なら、今日から働く」
「その前に、ダリオさんたちと討伐の分配を決めてください」
「分配」
「大岩熊を誰が倒し、誰が素材を持つのかです」
熊の血と因子は、もう俺の中にある。
死骸は森に残した。
あれを持ち帰れば金になる。
「俺が殺した」
部屋の外で、ユアンが咳払いをした。
扉は開いている。
「俺とリオナもいただろ」
「槍と矢がなければ殺せなかった」
「分かってるなら、最初からそう言え」
「最後に心音を止めたのは俺」
「討伐の分配は、最後に刺したやつが全部取る決まりじゃない」
ユアンが部屋へ入ってくる。
リオナも後ろにいた。
「五人で分ける?」
俺が聞く。
「まずはダリオが起きてからです」
リオナが言った。
「もう起きてる」
「え?」
「さっき心音が変わった」
三人が治療院へ向かう。
俺も後を追った。
ダリオは寝台の上で眼を開けていた。
朝より顔色は悪くない。
胸には厚い布が巻かれ、体を起こすことは止められている。
「お前ら、声が大きい」
掠れた声で言う。
「治療院の外まで聞こえました?」
リオナが聞く。
「聞こえてない。ユアンの顔で分かる」
「俺の顔は関係ないだろ」
「金の話だと、口が曲がる」
ユアンが自分の口元へ触れる。
少しだけ曲がっていた。
セルカは寝台の横で、薬を分けている。
「長く話させないで」
「分かってる」
ダリオは答えたが、セルカは信用していない顔だった。
「熊の素材は五等分だ」
ダリオが先に言う。
「四人と、セインで一つずつ」
「待ってください」
リオナが口を挟む。
「ダリオさんの盾は壊れて、治療費も」
「それは俺の取り分から払う」
「足りません」
「足りない分は借りる」
「借りたら、治る前に依頼を受けるつもりでしょう」
「受けられないから困ってる」
ダリオが笑おうとして、胸を押さえた。
セルカがすぐに睨む。
「喋らないで」
「今、俺が決めないと揉める」
「もう揉めてます」
ユアンが言った。
「俺の分も治療費へ回す」
「やめろ」
「仕送りは今月分まで送ってある」
「来月は」
「来月考える」
「それで毎回困るんだろ」
「今その話するか?」
ダリオの声が少し強くなる。
すぐに咳へ変わった。
セルカが水を含ませた布を口元へ当てる。
「話は終わりです」
「まだ」
「終わり」
ダリオが黙った。
セルカの言葉には逆らわないらしい。
「五等分でいい」
俺は言った。
四人の視線が集まる。
「回収する時は別に払え」
「しっかりしてますね」
リオナが呟く。
「金がないから」
「助けた人の治療費ですよ」
「俺が払わなくても治すんだろ」
「それは」
「ただで全部渡したら、俺が宿から追い出される」
リオナは反論しなかった。
セルカが薬包を一つ閉じる。
「それでいいと思います」
「セルカさん」
「自分の分をどう使うかは、その人が決めることです」
「でも」
「リオナも、自分の分を治療費にするか、弓を直すか選べばいい」
リオナは背負った短弓を見る。
弦は緩み、矢筒は空になっている。
町へ戻っても、何も元どおりではなかった。
「熊を回収する」
ユアンが言う。
「明日でも」
「お前の足で?」
ダリオが聞く。
「歩ける」
「槍を杖にしてただろ」
「明日には治る」
「治らない」
俺が言うと、ユアンがこちらを向いた。
「何でお前まで」
「歩く音がずれてる」
「見るな」
「聞いてる」
「もっと嫌だな」
リオナが少し笑った。
セルカも口元を緩めたが、すぐ薬へ目を戻す。
ダリオは天井を見ていた。
「俺が戻るまで待てとは言えない」
誰も返事をしない。
「ユアンには仕送りがある」
「セルカは治療院から声がかかってるし、リオナはまだ上へ行きたいだろ」
「一時解散ってことですか」
リオナの声が小さくなる。
「俺が立てるまでだ」
「どのくらい」
「治療師は二月」
セルカが答えた。
「盾を持って戦えるまでは、もっとかかるかもしれない」
「長いですね」
「死ぬより短い」
ダリオが言う。
リオナは弓の弦を指で触った。
ユアンは壁を見ている。
一緒に戦った四人でも、一人が動けなくなれば同じ形ではいられない。
群れなら、弱った一匹を置いて移動することもある。
こいつらは置いていかなかった。
その代わり、残った三人の生活まで変わる。
「セインさん」
治療院を出たところで、ネラが紙片を差し出した。
「紹介宿の宿泊票です」
文字は読めない。
紙の端に、片方だけの靴が描かれていた。
「【片靴亭】。この通りを南へ進み、井戸の手前を右です」
「分からない」
「何が」
「南」
洞窟では、上か下か、匂いと音で道を覚えていた。
町の方角は知らない。
ネラが額へ指を当てる。
「リオナさん」
「はい」
「案内してあげてください」
「私ですか」
「保証人の一行でしょう」
「Fランクは保証人になれないって」
「案内人にはなれます」
リオナは宿泊票の片靴を見た。
「分かりました」
「嫌なら一人で探す」
「たぶん、違う町に着きますよ」
町の中にいるのに、それはないと思った。
言わずに、リオナの後を歩いた。
リオナは歩くのが速かった。
森の中では何度も先を見て戻ってきたが、町では人の間をすり抜けていく。
俺も同じ場所を通ろうとすると、肩がぶつかった。
「前を見ろ」
ぶつかった男に言われる。
「見てた」
「見てて当たるな」
男は俺の眼を見て、続きを言わずに離れた。
リオナが少し先で待っている。
「町の中では、避ける方向も考えてください」
「向こうも避ければいい」
「みんながそう思ったら、ずっと通れません」
道の端へ寄る。
今度は店先に並べられた籠へ足が当たりそうになった。
「端も駄目です」
「どこを歩く」
「人の後ろです」
リオナのすぐ後ろを歩く。
「近いです」
「後ろを歩けと言った」
「もう少し離れてください」
町は、洞窟より歩きにくかった。
片靴亭は、井戸の手前を曲がった先にあった。
入口の看板には、片方だけの茶色い靴が描かれている。
建物は三階建てだが、上へ行くほど壁が傾いていた。
「倒れない?」
「ずっとこのままです」
「いつから」
「私が知ってる時には」
「なら、分からないだろ」
「泊まった人が潰れた話は聞いてません」
「死んだら話せない」
「そういう考え方、やめません?」
扉を開ける。
中には長い机が並び、奥で鍋から湯気が上がっていた。
昼を過ぎているため、客は少ない。
机で眠っている男と、角の欠けた兜を磨く女がいる。
「泊まり?」
鍋の向こうから、太い声が飛んだ。
肩幅の広い女が、濡れた手を前掛けで拭きながら出てくる。
「ギルドの紹介です」
リオナが宿泊票を渡した。
女は片靴の印を確かめ、俺を上から下まで見た。
「一泊、夕飯、朝の粥つき。風呂は別」
「金は」
「ギルドから取る」
「後で俺から取る」
「ならギルドに払え」
女は宿泊票を前掛けのポケットへ入れた。
「血と泥は落としてから寝な。敷布を駄目にしたら銅貨三枚」
「血は止まってる」
「他人の血もだよ」
口元は拭いた。
上着にも、大岩熊の血が乾いて残っている。
「洗う場所は」
「裏」
「服は」
「着たまま洗う気?」
「脱いだら何を着る」
女がリオナを見る。
「この子、どこで拾ったの」
「魔境です」
「聞かなきゃよかった」
女は棚から、色の褪せた長いシャツを一枚出した。
「洗ってる間だけ貸す。破ったら銅貨五枚」
「違う値段?」
「物が違うからね」
借りたものには、全部値段がつく。
コボルトの服には言われなかった。
あれは取引の中で借りたままだ。
「名前は」
「セイン」
「私はベッカ」
「呼ぶなら大声で呼びな。耳は悪くないけど、厨房から出るのが面倒だから」
「出ないなら呼んでも同じじゃない?」
「声が大きければ返事くらいするよ」
ベッカは鍋の方へ戻っていった。
裏の水場で、上着とズボンを洗う。
井戸水は冷たかった。
血が染みた場所を擦ると、水が薄い赤になる。
その匂いへ、体が反応した。
大岩熊の血は古くなっている。
水と泥と汗に混じり、もう飲めるものではない。
それでも、指についた赤を舐めそうになった。
水へ流す。
「今、何しようとしました?」
リオナが少し離れたところに立っている。
「何も」
「嘘つく時、返事が早いですね」
ガレオのことを思い出している。
「お前もネラに全部話した」
「隠す理由がありません」
「俺が血を吸えると知られた」
「本当のことでしょう」
「嫌われる」
「隠して後で見つかる方が、もっと嫌われます」
「お前も?」
リオナはすぐには答えなかった。
洗った服から水が落ちる。
「大岩熊の時は、怖かったです」
「今は」
「今も、急に牙を出されたら怖いです」
「出さない」
「そういう約束を守る人か、まだ知りません」
リオナは水場の石へ腰を下ろした。
「でも、私たちを置いて逃げなかったことも知ってます」
「町へ入るため」
「何度も言わなくていいです」
「本当だ」
「それだけなら、門まで運んだ後にいなくなってます」
答えなかった。
仮登録が必要だった。
ダリオの証言も。
治療費になる熊の素材も残っている。
まだこいつらを使う理由はある。
それだけなのかは、考えなかった。
「ガレオさんには、本当に会ってないんですか」
「会ってない」
また、すぐに答えた。
リオナが俺の顔を見る。
「分かりました」
信じた声ではなかった。
服を干し、借りたシャツで宿の中へ戻る。
ベッカが夕食には早いと言いながら、椀へ豆と野菜の煮込みを入れた。
「紹介初日は昼も出る」
「さっき言ってない」
「今言った」
黒いパンも一切れついている。
椀を持つ。
温かい。
パンより水分があり、塩と豆の味がした。
体へ入っても、血ほど力にはならない。
それでも、嫌ではなかった。
「食べられるんですね」
リオナが向かいで見ている。
「昨日も食べた」
「パンを一口だけでしょう」
「見てたの」
「全員見てました」
煮込みを食べ終わるまで、リオナは帰らなかった。
用事があるわけでもないらしい。
空になった椀を見てから立つ。
「明日、ギルドへ来ますか」
「依頼を受ける」
「文字は」
「ネラに読ませる」
「忙しい時は怒られますよ」
「お前が読めばいい」
「私も依頼を探すので、朝なら」
「分かった」
リオナが扉を出る。
途中で振り返った。
「宿の人を吸わないでくださいね」
「許可があればいいと言われた」
「聞かないでください」
扉が閉まった。
ベッカが厨房から顔を出す。
「何の話?」
「血」
「あとで聞く」
今は聞かないらしい。
二階の大部屋には、寝台が八つあった。
空いているのは入口に一番近い下段だけだ。
自分の荷物を置く場所はない。
持っているのは仮登録証だけだった。
横になる。
天井が近い。
壁の向こうから、別の部屋の心音が聞こえる。
下の食堂。
廊下。
隣の寝台。
どこにいても人間の音がした。
眼を閉じると、近くの首筋ばかりが分かる。
俺は起き上がった。
寝台では眠れなかった。




