第065話 身分と治療の値段
荷車が速度を上げると、馬の心音も速くなった。
俺は追いつける。
足布が土を蹴るたび緩んだが、外れはしなかった。
リオナとユアンは荷台へ上がっている。
町の門が近づく。
街道には、入る者と出る者の列ができていた。
荷車。
馬。
歩く人間。
籠の中で暴れる鳥。
全部の心音が重なっている。
誰が弱っているのか、どこから血の匂いがするのか、すぐには分からない。
黒骨洞の水場より音が多かった。
「道を空けろ!」
荷車の男が叫ぶ。
前にいた人間が振り返る。
荷台のダリオを見て、左右へ避けた。
門の横にいた兵士が二人、槍を持って出てくる。
「止まれ!」
「重傷者だ! 魔境で熊にやられてる!」
「ギルド証は」
ユアンが自分の首元から金属板を外した。
「四人組だ。ダリオ・ベルンの一行」
兵士が板を受け取り、刻印を確かめる。
「治療院へ回せ」
もう一人が門の内側へ声を飛ばした。
「担架を用意しろ!」
荷車は止められなかった。
兵士の一人が横へつき、そのまま門を通っていく。
俺も後を追おうとした。
残った兵士の槍が、胸の前へ出る。
「お前は待て」
「一緒に来た」
「証は」
「ない」
「町民札は」
「持ってない」
「所属は」
「ない」
答えるたび、兵士の顔が険しくなる。
門の脇には、鎖につながれた犬がいた。
俺の匂いを嗅ぎ、低く唸っている。
「出身は」
「魔境」
「ふざけてるのか」
「そこで暮らしてた」
兵士が槍を握り直す。
騒ぎを聞き、詰所から別の男が出てきた。
胸当てに二本の白い線がある。
最初の兵士より年上だった。
「何だ」
「身分なしです。出身は魔境だと」
「名前」
「セイン」
「家名は」
「ない」
「目的は」
「町へ入る」
「入って何をする」
「まだ決めてない」
年上の兵士は、俺の外套と足元を順に見た。
「武器は」
「持ってない」
「外套を開けろ」
言われた通りにする。
コボルトから借りた袖のない上着と、布を巻いた肩が見える。
腰に刃物はない。
爪は、伸ばさなければ人間と変わらなかった。
「その肩は」
「熊」
「大岩熊にやられて、その程度で歩いてきたのか」
「血を止めた」
「どうやって」
「自分で」
犬の唸り声が大きくなる。
年上の兵士が、俺と犬の間へ視線を動かした。
「人間か?」
すぐには答えなかった。
人型の体。
話すための声。
ステータスには、下級吸血鬼と出る。
「人に見える」
「聞いているのは、見た目じゃない」
「今の俺は、この体だ」
「隊長、こいつ」
若い兵士が槍先を上げる。
「下げろ」
年上の男は声を荒らげなかった。
「答えられないなら、門外の詰所で待て。ギルドか教会の確認が要る」
「どのくらい」
「今日中に終わるとは限らん」
門の内側で、リオナが荷車から飛び降りた。
「待ってください!」
兵士に何か言われても止まらず、こちらへ戻ってくる。
「その人も一緒です」
「証はあるか」
「私のじゃ駄目ですか」
「お前はFランクだろう」
「もうすぐEです」
「今はFだ」
リオナが言葉に詰まる。
「身元不明者の保証には、Dランク以上の証か、町民二人の署名が要る」
「ダリオさんならDです」
「治療院へ行った男に今すぐ署名させる気か」
「でも、この人がいなかったら、ダリオさんも私たちも死んでました」
「助けたことと、身元があることは別だ」
「分かってます」
「なら先に治療院へ行け。仲間だろう」
リオナは門の向こうを見る。
荷車はもう見えない。
それでも、ダリオの心音が遠ざかる方向は分かった。
「俺は待つ」
リオナへ言う。
「でも」
「死にそうなのは俺じゃない」
リオナは動かなかった。
年上の兵士が、詰所の中へ声をかける。
「ギルドへ走れ。ダリオ・ベルンが保証できる状態か、治療院で確認してこい」
若い兵士が門の中へ走っていく。
「確認が取れるまで、そいつは詰所だ」
「縛るんですか」
「暴れなければ縛らん」
俺は門の横にある小さな部屋へ入った。
石壁と机と、背のない椅子が一つある。
窓には鉄格子が入っていた。
外へ出る道は、今入った扉だけだ。
「座れ」
「閉じ込めるのか」
「確認が済むまでだ」
俺を狩ろうとしているわけではない。
それでも、出口が一つしかない場所へ自分から入った。
椅子には座らず、扉の近くへ立つ。
リオナは詰所の外に残っていた。
「行かないの」
「確認が来るまでいます」
「仲間のところへ行け」
「行きます。でも、セインさんをここまで連れてきたのは私たちです」
「拾われたのはお前たちだろ」
「ダリオさんが言ったこと、覚えてたんですか」
「一度聞いた」
リオナが少しだけ困った顔をした。
門を通る人間が、格子の向こうからこちらを見る。
犬はまだ唸っていた。
時間が経つほど、町の匂いが風に乗ってくる。
焼いた肉。
汚れた水。
馬の糞。
薬草。
その全部に、人間の血の匂いが薄く混じっていた。
腹は大岩熊の血で満ちている。
それでも、喉の奥が乾いた。
俺は口を閉じた。
格子の外には、リオナの首が見えていた。
ギルドからの返事が来たのは、日が高くなってからだった。
門の詰所へ、若い兵士と一人の女が入ってくる。
女は茶色い上着の胸に、剣と秤を組み合わせた金属章をつけていた。
「セインさんですね」
「そうだ」
「ルーヴェン冒険者ギルドのネラ・オルティスです」
差し出された手を見る。
何をするのか分からない。
ネラは少し待ってから、その手を下ろした。
「握手はしない方ですか」
「初めて見た」
「……分かりました」
手元の紙へ何かを書き足す。
文字は読めない。
「ダリオ・ベルンさんから、あなたが大岩熊との戦闘に加わり、一行を町まで運んだと確認が取れました」
「生きてる?」
「治療中です」
「死にそう?」
「それを私が答えることはできません」
「分からない?」
「治療師ではありませんから」
セルカより声は静かだが、同じような答え方をする。
ネラが木の札を机へ置いた。
片面に町の門と、今日の日付らしい印が焼かれている。
「明日の正午まで有効な仮入町札です」
「これで入れる?」
「町の中へは入れます。ただし、日が変わる前にギルドで身元確認と登録の手続きを受けてください」
「受けなかったら」
「札が失効します。町で見つかれば、今度は確認が済むまで拘束されます」
「今と同じ?」
「今より厳しくなります」
木札には細い紐が通っている。
ネラが手首へ結ぼうとしたため、自分で受け取った。
リオナに足布を教わった時と同じように、結び目を見る。
一度では形が崩れた。
ネラが何も言わず、もう一度結び直す。
「外さないでください」
「切れたら」
「門かギルドへ来てください。自分で似た札を作るのは犯罪です」
「作らない」
「知らなかった、で済まないことも町にはあります」
俺の返事を待たず、ネラは紙を兵士へ渡した。
詰所の扉が開く。
外にいたリオナが、すぐに近づいてきた。
「入れるんですか」
「明日の正午まで」
「先に治療院へ行きましょう」
門をくぐる。
石壁の内側には、細い建物が隙間なく並んでいた。
広い道の両側に、店の布看板が突き出している。
焼いた肉の煙。
革を煮る匂い。
排水溝に溜まった水。
声と車輪と金属を打つ音が、どこからでも聞こえた。
人間は壁の中へ集まりすぎている。
肩が触れるほど近くを歩いても、互いに牙を向けない。
俺が立ち止まるたび、後ろから来た人間が避けていく。
「真ん中で止まらないでください」
リオナに腕を引かれた。
反射的に爪が出かける。
指を握り、引っ込めた。
「急に触るな」
「すみません。でも、馬車に轢かれます」
「聞こえてる」
「だったら避けてください」
治療院は、ギルドと同じ通りにあった。
扉の前まで薬草と血の匂いが漏れている。
中には寝台が六つ並び、三つが埋まっていた。
ダリオは一番奥にいる。
鎧も上着も外され、胸へ白い布を巻かれていた。
セルカが寝台の横に座っている。
ユアンは壁際に立っていた。
「どうだった」
リオナが聞く。
「中の血は止まった」
セルカの声は掠れていた。
「折れた骨も、肺に刺さってたところだけ戻してもらった」
「じゃあ」
「まだ起きない。熱もある」
ダリオの心音を聞く。
炭焼き小屋にいた時より強い。
呼吸も深くなっていた。
「死なない」
俺が言うと、セルカが顔を上げた。
「治療師も、今夜を越えればと言ってました」
「今の音なら越える」
「そうですか」
セルカは眼を閉じた。
笑ったわけではない。
肩から力が抜けただけだった。
「治したのは誰」
「奥の治療師です」
衝立の向こうから、白い前掛けをした女が出てくる。
手には血のついた布を持っていた。
「何か」
「どうやって治した」
「治癒術と止血薬です」
「光る?」
「光るものもあります」
「傷を全部治せる?」
女は俺を見てから、ダリオへ視線を戻す。
「術者の腕と患者の体力次第です。失った血は戻りませんし、砕けた骨を一度で元どおりにもできません」
「死んだら」
「治療では戻せません」
「金は」
ユアンが壁から離れる。
「それは俺たちの話だ」
「どれだけかかる」
「お前には関係ない」
「熊を売れば払えるか知りたい」
ユアンの口が止まる。
治療師は血のついた布を桶へ入れた。
「今日の処置で金貨一枚と銀貨六枚です」
リオナが息を呑む。
「入院と薬は別ですか」
セルカが聞く。
「別です。ギルドの負傷者貸付を使うなら、受付で手続きを」
「使います」
ユアンがすぐに答えた。
「ダリオが起きてから決めるんじゃ」
「待ってたら薬を止められる」
「止めません」
治療師が言う。
「ただ、借りたものは返してもらいます」
ユアンは黙って頷いた。
金貨一枚。
銀貨一枚で、安い宿に何日か泊まれる。
俺は銀貨を一枚も持っていない。
命を助けても、治療は別に要る。
大岩熊の死骸が残っていれば、金になる。
黒骨洞には、まだ売れる魔物がいる。
「セインさん」
入口にいたネラが呼ぶ。
「ダリオさんの確認はできましたね」
「できた」
「では、ギルドへ来てください」
「今から?」
「仮入町札のまま、好きに歩かせるわけにはいきません」
ネラの視線が、俺の外套の裾で止まる。
青い糸で直された場所を見ている。
「その外套についても、聞きたいことがあります」




