第063話 朝までの心音【別視点・リオナ】
リオナがセルカを起こした時、ダリオの息はほとんど聞こえなくなっていた。
「ダリオさん」
肩へ触れようとした手を、セルカに払われる。
「揺らさないで」
セルカはダリオの顎を持ち上げ、口の中を確かめた。
次に、背中へ挟んでいた外套を少しだけ抜く。
「セインさん、今は」
「さっきより速い」
扉の前に立ったまま、セインが答えた。
「どれくらいですか」
「数えればいい?」
「お願いします」
セインはダリオへ近づかなかった。
薄暗い小屋の外から、耳を澄ませているようにも見えない。
赤い眼が、横たわるダリオを見ているだけだった。
「一、二、三」
一定の速さで数え始める。
途中で一度、言葉が止まった。
「今、飛んだ」
「分かりました」
セルカはダリオの胸へ耳を当てた。
小瓶から残った薬を布へ染み込ませ、唇を濡らす。
「死ぬんですか」
リオナが聞く。
「死なせない」
「そうじゃなくて」
「今、答えられない」
セルカは顔を上げなかった。
リオナは黙るしかなかった。
ユアンも起きていた。
壁へ背中を預け、膝の上に槍を置いている。
「俺が見張る」
セインへ言う。
「お前は寝てないだろ」
「お前もだ」
「俺は眠くない」
「そういう種族か」
小屋の中が静かになった。
セインは、何も答えなかった。
聞こえるのは、薪が割れる音とダリオの浅い呼吸だけだ。
ユアンの指が、槍の柄を強く握る。
「人じゃないのか」
「ユアン」
セルカが低く呼ぶ。
「聞いておくべきだろ」
「今じゃなくてもいい」
「町へ連れていくんだぞ」
「連れていってもらうのは私たち」
「同じことだ」
「違う」
二人の声は大きくない。
それでも、セインには全部聞こえているはずだった。
リオナは何か言わなければと思った。
助けてもらった。
熊の首へ牙を立て、血を飲んでいた。
ダリオを運んでいる。
名前以外は何も分からない。
どれも本当で、どれを先に口にすればいいのか分からなかった。
「セインさん」
呼ぶと、赤い眼がこちらへ向く。
「眠らないんですか」
「眠る」
「今は?」
「ここで全員が眠ったら、何か来ても気づかない」
「見張ってくれてるんですか」
「俺も死にたくない」
「……そうですか」
礼を言いかけて、やめた。
セインも、それを待っていなかった。
夜が深くなる。
ダリオの呼吸は何度か乱れ、そのたびセインが先に気づいた。
セルカは眠らず、薬を使う時間と体の向きを変える時間を決めた。
リオナも起きているつもりだった。
気づくと、火が小さくなっていた。
肩から落ちた毛布をかけ直されている。
誰がかけたのかは分からない。
セルカはダリオの横で座ったまま眠り、ユアンは槍を抱えて壁へ頭をつけている。
扉の近くにセインはいなかった。
リオナは慌てて起き上がった。
外へ出る。
空はまだ暗い。
セインは小屋の屋根に座っていた。
片膝を立て、森の奥を見ている。
「何してるんですか」
「見張り」
「どうやって上ったんですか」
返事はなかった。
壁に爪を立てた跡がある。
肩に巻いた布は赤く染まっていたが、血は新しくない。
「傷、痛くないんですか」
「痛い」
「顔に出ませんね」
「出し方を忘れた」
冗談には聞こえなかった。
リオナは小屋の壁へ背中をつける。
屋根の上まで近づく気にはなれない。
「ダリオさん、朝まで持ちそうです」
「まだ朝じゃない」
「分かってます」
「なら、中にいろ」
「少しだけです」
屋根の向こうで、セインの灰色の外套が揺れた。
大岩熊の爪に裂かれ、肩から背中まで大きな切れ目が入っている。
縫わなければ、町へ着く前にもっと裂ける。
「その外套、町で目立ちますよ」
「灰色なのに?」
「色じゃなくて、ぼろぼろだからです」
「町の人間は、服を見るのか」
「見ます。あと、裸足も見ます」
セインが自分の足を見る。
泥と炭で黒くなっていた。
切れてはいない。
魔境を裸足で歩いて、傷一つない。
「足布なら、ユアンが予備を持ってます」
「要らない」
「門で追い返されても?」
少し間があった。
「借りる」
朝になり、ユアンから足布を受け取った。
セインは細長い布を持ったまま、動かなかった。
「巻き方、知らないんですか」
「知らない」
「貸してください」
リオナが片方を受け取る。
「踵からです。きつくしすぎると歩けなくなります」
セインはリオナの手元を見ながら、反対の足へ自分で巻いた。
一度見ただけで、同じ形になった。
「覚えるの早いですね」
「指が使えるようになったばかりだから」
布を結んでいたリオナの手が止まる。
「また、そういうことを」
「何」
「後から気になる言い方をするの、やめてください」
「先に全部話せばいい?」
「それはそれで困ります」
セインは首を傾げた。
本当に分かっていないらしい。
小屋の中から、低い咳が聞こえた。
ダリオが眼を開けていた。
「朝か」
「もうすぐです」
セルカが水を飲ませる。
ダリオは顔をしかめ、周囲をゆっくり見た。
最後に、入口に立つセインで視線が止まる。
「あんたが、熊を」
「一人では倒してない」
「そうか」
ダリオは息を整える。
「助かった。礼は町で払う」
「町へ入れればいい」
「身分証は」
「ない」
「出身は」
「魔境」
ダリオが眼を閉じた。
痛みのせいか、答えを考えているのか分からない。
「面倒なのを拾ったな」
「拾われたのは俺たちです」
ユアンが言う。
「違いない」
ダリオは短く笑い、すぐ胸を押さえた。
出発する頃には、木々の間へ朝の光が入っていた。
担架の前をセインが持ち、後ろをユアンが持つ。
リオナは先を歩いた。
昨日より、声をかける回数は少なくて済んだ。
森の傾斜が緩くなり、土へ残る轍が増えていく。
やがて木々が途切れた。
「あれが街道です」
リオナが指す。
セインは足を止めた。
魔境の外へ続く道は、荷車二台がすれ違えるくらいの、広い土の道だった。




