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最弱コウモリ幼体に転生したので、血を吸って進化する  作者: HATENA 
第5章 名前のない冒険者

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第061話 人の腕とセイン

 盾の持ち方が分からない。


 左腕へ通す革帯はある。


 手で握る横木もある。


 両方を使うと、盾が腕へ張りついた。


 重い。


 血牙魔蝙蝠の体より重いものを、片腕で持っている。


 それでも走れた。


 大岩熊がこちらへ向く。


 鼻の横には矢が刺さり、前脚の内側から血が落ちていた。


 背中は石みたいな毛で覆われている。


 正面から牙を立てられる場所はない。


 熊が前脚を上げた。


 盾をその前へ出す。


 受け止めた瞬間、左腕が肩まで沈んだ。


 足が地面から離れる。


 盾ごと横へ飛ばされ、倒木へ背中からぶつかった。


 息が抜けた。


 蝙蝠の時なら、翼を開いて衝撃を逃がせた。


 今は背中と腕で受けるしかない。


「だから待ってって言ったのに!」


 短弓の女が叫ぶ。


 大岩熊がこちらへ来る。


 俺は盾の陰から起き上がった。


 左腕は動く。


 骨も折れていない。


 盾を正面へ構えるから、力を全部受ける。


 次は受けない。


「槍」


 男へ声をかける。


「何だ」

「横へ回れ」

「お前は?」

「こっちを向かせる」


 大岩熊が走る。


 今度は盾を斜めにした。


 前脚が当たる直前、右へ踏み込む。


 盾の表面を爪が滑った。


 体は回ったが、飛ばされない。


 大岩熊の頭が横へ流れる。


 槍の男が左から突いた。


 穂先が前脚の付け根へ入る。


 熊がそちらへ向く前に、盾の縁を鼻先へぶつけた。


 硬い音がする。


 盾の方が割れた。


 大岩熊は一歩下がり、頭を振る。


「眼を狙え」


 短弓の女へ言う。


「狙ってます!」


 矢が飛ぶ。


 熊が顔を伏せ、額の硬い毛で弾いた。


「当たらないんです!」

「上を向かせる」

「どうやって」


 答える前に、大岩熊の前脚が来た。


 割れた盾を捨てる。


 腕が軽くなった。


 人型の脚へ力を入れ、前脚の内側へ潜る。


 黒い爪が外套を裂いた。


 肩の皮も一緒に開く。


 痛みはある。


 それでも、熊の顎の下まで入れた。


 喉へ向けて音撃を放つ。


 蝙蝠の時より音が太く、狙った場所から少し外れた。


 衝撃は顎と耳へ入る。


 大岩熊が驚き、頭を上げた。


 矢が右眼へ刺さる。


 熊が吠えた。


 槍の男も、前脚の傷へもう一度穂先を入れる。


 大岩熊が立ち上がった。


 腹が見える。


 俺は地面を蹴った。


 人型の体は、飛べない。


 それでも、熊の胸まで跳べた。


 左手で毛を掴む。


 右手の爪へ力を入れると、指先が伸びた。


 腹の皮へ突き立てる。


 背中ほど硬くない。


 五本の爪が肉へ入った。


 大岩熊が体を倒す。


 地面へ押し潰される前に脇へ転がった。


 立とうとしたところへ、後脚が当たる。


 腹を蹴られ、斜面を転がった。


 口の中へ血の味が広がる。


 自分の血だ。


 起き上がると、大岩熊は四人の方へ向いていた。


 盾役の男はまだ動かない。


 薬草の女が覆い被さるようにして庇っている。


 短弓の女は残る矢を確かめていた。


 槍の男だけが前にいる。


「こっちだ」


 声を出す。


 大岩熊は振り向かない。


 槍の男が、大岩熊の突進を避けきれず肩から地面へ落ちた。


 熊の口が開く。


 足元には、さっき捨てた盾がある。


 割れた表面と革帯には、盾役の男の血が残っていた。


 拾い上げ、両手で振りかぶる。


 人の腕でなければ、できなかった。


 盾を大岩熊の鼻先へ投げる。


 血の匂いをまとった盾が顔の横を抜け、倒木へぶつかった。


 大岩熊の頭がそちらへ向く。


 俺も倒木へ走った。


 盾へ鼻を寄せた熊が、近づいた俺に気づく。


 前脚が地面を叩く。


 飛び退く。


 熊の胸が、倒木から突き出た太い枝へ当たった。


 枝は折れた。


 それでも勢いが止まり、体が横を向く。


 俺は肩へ飛びついた。


 硬い背中ではなく、耳の下へ腕を回す。


 大岩熊が頭を振る。


 人の腕では、首を押さえきれない。


 牙を出す。


 耳の下にある、矢と枝で開いた傷へ口をつけた。


 血が流れ込んでくる。


 大岩熊の体が跳ねた。


 両腕で首へしがみつく。


 吸うほど、失った自分の血が戻ってきた。


 肩の傷から出る血も弱くなる。


 大岩熊が木へ体をぶつけた。


 背中と腕に衝撃が来る。


 牙は抜かなかった。


 もう一度ぶつけられる。


 指が毛から外れかけた。


 その時、槍先が大岩熊の腹へ入った。


 倒れていた男が、片膝をついたまま柄を押している。


「吸ってないで、押さえろ!」


 俺が血を吸う姿を見ても、男は逃げなかった。


 短弓の女が最後の一本を熊の残った眼へ向ける。


 俺は首へ回した腕へ力を入れた。


 大岩熊の頭が少し上がる。


 矢が左眼へ刺さった。


 熊が立ち上がろうとする。


 槍が腹の奥へ入る。


 血液吸収を強めた。


 心音が乱れる。


 太い前脚が土を掻き、やがて動かなくなった。


――――――――――

大岩熊を討伐しました。

経験値を取得しました。


Lvが30から32に上昇しました。

最大HP:272から284に上昇しました。

最大MP:128から136に上昇しました。

筋力:128から136に上昇しました。

耐久:144から152に上昇しました。

敏捷:172から180に上昇しました。

感知:180から188に上昇しました。

魔力:116から124に上昇しました。

器用:132から140に上昇しました。

精神:120から128に上昇しました。

――――――――――


――――――――――

固有スキル【因子吸収Lv1】が発動しました。

因子【大岩熊因子】を取得しました。

――――――――――


――――――――――

因子【大岩熊因子】

筋力、岩毛、強靭な骨格、嗅覚などが含まれる。

現在の肉体では、新たな能力として発現していない。

――――――――――


 大岩熊の血は、まだ口へ流れてくる。


 槍の男が、俺から少し距離を取った。


 短弓の女も、弓を下ろしていない。


 俺が熊の血を吸っていたところを見ている。


 薬草の女だけは、すでに盾役の男へ戻っていた。


「息が浅い」


 鎧の留め具を切り、へこんだ胸当てを外している。


「左の肋骨が折れてる。中も傷ついてるかもしれない」


 左脚も、膝から下が不自然に腫れていた。


 俺は大岩熊から牙を抜いた。


 自分の肩には裂けた跡が残っている。


 血は止まっていた。


「そいつは町まで持つのか」


 薬草の女が顔を上げる。


「分かりません」

「なら、血を止めろ」

「やってます」

「足りないものは」

「静かにしてください!」


 また怒鳴られた。


 俺は口元の血を手の甲で拭い、少し離れた。


 大岩熊が動かなくなっても、誰もすぐには武器を下ろさなかった。


 槍の男は、穂先を熊へ向けたまま息を整えている。


 短弓の女は俺を見ていた。


 矢はもう残っていない。


 それでも、弓から手を離さなかった。


「リオナ、こっち」


 薬草の女が呼ぶ。


 リオナと呼ばれた女は、一度だけ俺を見てから弓を下ろした。


「何をすれば」

「荷物から赤い瓶。割れてなければ持ってきて」


 リオナが斜面へ走る。


 散らばった荷物の間から、布で包まれた小瓶を拾い上げた。


「これ?」

「貸して」


 薬草の女は瓶の中身を盾役の男の口へ少しずつ流し込んだ。


 甘い薬草の匂いが、血に混じる。


 傷が塞がる気配はない。


 呼吸だけが、わずかに深くなった。


「治らないのか」


 俺が聞くと、薬草の女は手を止めずに答えた。


「痛みを弱くするだけです」

「さっきより心音が遅い」


 女の手が止まった。


「分かるんですか」

「聞こえる」

「どのくらい」

「弱くなってる」

「それは私にも分かります」


 低い声で返される。


 怒鳴らなかっただけ、さっきより余裕がない。


 盾役の男の胸の奥には、外へ出ていない血の匂いがある。


 吸える距離ではない。


 吸うつもりもなかった。


「胸の中でも血が出てる」


 薬草の女が顔を上げた。


「どこです」

「左。折れた骨の近く」

「……セルカ」


 戻ってきた槍の男が、女の名を呼ぶ。


「信じるのか」

「ダリオの胸を開いて確かめる?」

「そういう意味じゃない」

「だったら枝を探して。太くて、なるべくまっすぐなものを二本」


 槍の男は俺へ視線を残したまま、木々の方へ向かった。


 セルカはダリオの体を横へ傾け、背中へ畳んだ外套を挟む。


 呼吸が少しだけ楽になる。


「動かすのか」

「ここに置いていけないでしょう」

「どこまで」

「ルーヴェン」


 知らない名前だった。


「町?」

「砦町です。ここからなら、怪我人を運んで半日以上」

「暗くなる」

「分かってます」


 森の中は、もう明るくない。


 木の隙間から入る光が細くなっている。


 夜になれば、俺には見える。


 こいつらには見えない。


 大岩熊の血の匂いを残したまま立ち止まれば、別の魔物も来る。


「先に道を確かめる」

「待ってください」


 リオナが俺の前へ回った。


「まだ、あなたが何者か聞いてません」

「後でいい」

「よくないです」

「ここにいれば、血の匂いで魔物が来る」


 リオナが大岩熊を見る。


 反論する前に、茂みの奥で小さな羽音がした。


 俺はそちらへ顔を向ける。


 近づいてはいない。


 だが、森が静かになるまで待つ理由もない。


「道はどっちだ」

「……南です」


 リオナが指した。


「でも、一人で行かないでください。道を知ってるのは私です」

「なら来い」

「その言い方」

「リオナ」


 セルカが呼ぶ。


「今は手を借りる」


 リオナは口を閉じた。


 納得したわけではない。


 俺の口元に残った血を見てから、短弓を背負った。


 南へ少し進む。


 道と呼べるものはない。


 草が踏まれ、木の枝に古い切り傷が残っているだけだ。


 リオナは地面と幹を交互に見ながら進んだ。


「この印を辿ります。二本なら町、三本なら採取場です」


 樹皮に、刃で刻んだ二本の線がある。


「誰がつけた」

「冒険者です。迷わないように」

「魔物も覚える」

「文字が読める魔物なんて、普通はいません」

「線は読めなくても、匂いは残る」


 リオナが自分の手を見る。


 さっき木へ触れた指に、泥と血がついていた。


「……そういうの、先に教えてください」

「今、分かった」

「あなたも知らなかったんですか」

「人の道は初めて見た」


 リオナの足が止まる。


「初めて?」


 俺はそのまま進んだ。


 前方に大きな足跡はない。


 獣の糞は古く、血の匂いも後ろからしか来ない。


 今すぐ襲ってくる魔物はいない。


 戻ると、槍の男が二本の枝を運んでいた。


 太さは揃っていないが、人を乗せるには足りる。


 セルカとリオナが外套と背負い帯を枝の間へ結び、担架を作った。


「そっちを持てますか」


 セルカが俺へ聞く。


「持てる」


 担架の前を持ち上げる。


 ダリオの体と装備が、両腕へかかった。


 盾より重い。


 それでも、四本の爪だけで獲物へしがみついていた時より持ちやすかった。


 槍の男が後ろを持つ。


「ユアン」

「何だ」

「熊の爪」


 リオナが大岩熊を見ていた。


「討伐した証拠がないと」

「そんな暇あるか」

「戻って、誰が信じるんですか」

「ダリオを運ぶのが先だ」

「私が取ります」

「弓を持て」

「矢はありません」


 二人の声が重なる。


 セルカは聞いていなかった。


 担架の横で、ダリオの呼吸だけを見ている。


「これでいい?」


 俺は右手を離し、爪を伸ばした。


 大岩熊の前脚から、一番長い爪を切り落とす。


 硬いが、根元には刃が入った。


 リオナが黙る。


「持っていけ」

「……ありがとうございます」


 受け取る時、俺の指へ触れないようにしていた。


 怖いなら、それでいい。


 俺も、こいつらを信用していない。


 ダリオが小さく咳をした。


 閉じていた眼が、少しだけ開く。


「熊は」

「死にました」


 セルカがすぐに答えた。


「盾」

「壊れました」

「そうか」


 ダリオはそれだけ言って、また眼を閉じた。


 ユアンが担架の後ろで息を吐く。


「起きて最初に聞くのが盾かよ」

「ダリオさんらしいです」


 リオナが少しだけ笑った。


 すぐに、その目が俺へ戻る。


「名前を聞いてもいいですか」


 俺の名は、湊だ。


 ステータスにもそう出ている。


 コボルトたちも、その名を知っている。


 だが、黒瀬湊は教室で死んだ。


 この顔を見て、その名前に気づく者はいない。


「セイン」


 考えるより先に、口から出た。


「セイン……さん」


 リオナが確かめるように繰り返す。


「町まで案内しろ」

「助けてくれるんじゃないんですか」

「町へ入る道が欲しい」


 リオナは何か言いかけ、やめた。


 ユアンが担架を持ち直す。


「理由はどうでもいい。運ぶなら行くぞ」


 俺たちは、血の匂いが残る場所を離れた。

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