第035話 魔蝙蝠
左脚の痺れが、腹の近くまで上がっていた。
進化可能種を開く。
そう考えただけで、頭の奥に文字が並んだ。
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進化可能種
【血牙コウモリ】
吸血と牙に適応した上位コウモリ。
傷を作る力と、血から生命力を得る効率が上がる。
この世界では、血吸いコウモリの群れに交じる危険な上位個体として知られる。
【影羽コウモリ】
暗闇と奇襲に適応した上位コウモリ。
羽音と気配を抑え、暗所で見つかりにくくなる。
冒険者の間では、夜間の偵察や待ち伏せを行う魔物として知られる。
【魔蝙蝠】
体内に魔力器官を持つ上位コウモリ。
感覚器官と魔力を結びつけ、個体ごとに異なる魔法を扱う。
この世界では、下級魔法を使う危険な飛行魔物として知られるが、詳しい進化条件は分かっていない。
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三つある。
前の進化とは違う。
選ばなかった二つへ、もう進めないかもしれない。
それでも、ここで考え続ける余裕はなかった。
「兄さん、毒が上がってる」
「分かってる」
レグの声は近い。
フィナが何かの布を裂く音もした。
二人とも、針尾オロチとの戦いで傷ついている。
俺も同じだった。
浅い水から這い出し、壁際の割れ目へ向かう。
右脚だけで体を引くたび、左脚の傷から冷たい痺れが広がった。
「待って」
フィナが動く。
「追うな」
レグが止めた。
「でも、あれも毒を受けてる」
「だからだ」
俺は振り返らなかった。
近づかれれば、今度こそ噛むかもしれない。
壁の割れ目は、奥で少し広くなっていた。
針尾オロチは入れず、コボルトの腕も届かない。
俺はそこへ体を押し込み、冷たい石に腹をつけた。
血牙コウモリなら、今よりうまく血を吸える。
傷を作る力も増える。
針尾オロチのような相手でも、牙さえ届けば、もっと早く力を奪えるかもしれない。
影羽コウモリなら、見つかる前に隠れられる。
逃げるにも、狩るにも使える。
どちらも、今までの俺には必要だった。
でも、どちらを選んでも、最後は牙を届かせなければならない。
母蜘蛛にも、針尾オロチにも、そこへ行くまでに何度も殺されかけた。
もっと先に手を出せる力が欲しい。
相手へ触れる前に、崩せる力が。
魔蝙蝠。
音が、周りを知るだけのものではなくなる。
それがどこまで使えるのかは分からない。
けれど、分からないまま選ぶのは、これが初めてじゃなかった。
左脚から力が抜ける。
石にかけていた爪が外れた。
俺は一つの名前を選んだ。
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進化先【魔蝙蝠】を選択しました。
進化を開始します。
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胸の奥で、何かが強く縮んだ。
息が止まる。
次に来たのは、前とは違う痛みだった。
骨が伸びるより先に、喉の下が熱を持つ。
何もなかった場所へ、熱い塊が押し込まれてくる。
心臓とは別の脈が生まれ、胸の内側を叩いた。
どくん。
音が、骨の中へ広がる。
自分の心音だけじゃない。
水の流れ、フィナの浅い呼吸、レグが布を巻く音。
遠くで石の隙間を這う虫の脚まで、一度に頭へ入ってきた。
多すぎる。
俺は耳を塞ごうとしたが、塞ぐ手はない。
体が石の上で跳ねる。
背中の骨が軋み、羽の付け根が左右へ引かれた。
羽膜に走っていた古い裂け目が閉じ、その上から新しい膜が薄く広がっていく。
爪が石を削り、牙の根元が顎の奥へ深く沈んだ。
左脚の傷から、黒ずんだ血が押し出される。
傷口が熱を持ち、痺れが一度だけ強くなった。
そのまま、冷たさが引いていく。
胸にできた新しい脈が、吸い込んだ血と体の奥に残る魔力を混ぜていた。
流れるたび、骨も肉もそれまでとは違う速さで作り直される。
狭かった割れ目が、少しずつ狭くなる。
いや、俺の体が大きくなっている。
人間の腕ほどもなかった翼が伸び、畳んだままでも左右の石へ触れた。
黒い毛はさらに色を深め、光のない場所では輪郭まで暗闇へ沈んで見える。
最後に、頭の奥で何かが開いた。
赤黒い月が見えた。
黒い角を持つ巨大な影は、以前と同じ場所にいる。
閉じていた眼が、今度はわずかに開いていた。
その奥にあるものを見ようとした瞬間、視界が焼ける。
俺は目を逸らした。
今はまだ、見るな。
そう言われた気がした。
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種族【古血蝙蝠】が【魔蝙蝠】へ進化しました。
進化段階が第2段階から第3段階へ上昇しました。
種族ランクがEからDへ上昇しました。
Lvは20を維持します。
最大HP:45から88に上昇しました。
最大MP:9から30に上昇しました。
筋力:18から33に上昇しました。
耐久:21から40に上昇しました。
敏捷:32から60に上昇しました。
感知:33から68に上昇しました。
魔力:8から28に上昇しました。
器用:18から35に上昇しました。
精神:17から33に上昇しました。
状態異常【針尾毒・中度】が解除されました。
状態異常【軽度因子過負荷】が解除されました。
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痛みが消えたわけではない。
作り直された骨も、広がった羽も、まだ自分のものとは思えなかった。
それでも左脚の爪は動いた。
続けて、新しい通知が開く。
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種族特性【魔力器官Lv1】を獲得しました。
種族特性【微弱音波Lv2】が【音波感知Lv1】へ変化しました。
種族特性【古血適応Lv1】が【古血適応Lv2】へ上昇しました。
種族特性【竜眼・最下位】が【竜眼・下位】へ上昇しました。
因子【針尾蛇因子】と因子【針尾オロチ因子】の一部が現在の肉体へ適応しました。
種族特性【熱感知・最下位Lv1】を獲得しました。
スキル【音撃・最下位Lv1】を獲得しました。
古代竜帝因子への適応が進行しました。
封印領域の一部が開示されます。
竜核/竜鱗/詳細不明/詳細不明
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種族特性【魔力器官Lv1】
体内で魔力を巡らせ、種族に適した形で外へ放つための器官。
現在は音へ魔力を乗せることができる。
種族特性【音波感知Lv1】
放った音の反響から、暗所にある物体の形、距離、動きを捉える。
狭い場所ほど精度が上がるが、複数の大きな音が重なると乱れやすい。
種族特性【古血適応Lv2】
古い血や強い因子による拒絶反応を抑える。
現在の肉体へ適応できる因子の範囲が、わずかに広がる。
種族特性【竜眼・下位】
対象の名前と種族を読み取り、人間以外であれば種族ランクも表示する。
周囲に残る魔力の濃淡を見分ける。
ステータスや保有因子の詳細は読み取れない。
種族特性【熱感知・最下位Lv1】
近くにいる生物のおおまかな位置を、体温の違いから感じ取れる。
石や水を隔てた相手や、体温の低い魔物は捉えにくい。
スキル【音撃・最下位Lv1】
狭い範囲へ魔力を乗せた音をぶつける。
小型の相手を怯ませるか、平衡感覚を一瞬乱すことができる。
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竜核。
竜鱗。
名前が見えただけで、使えるわけではない。
それでも、黒い骨から吸い込んだものは、今も俺の中で少しずつ形を持ち始めている。
俺は割れ目の中で翼を開こうとした。
すぐに石へ当たった。
前より大きい。
ここから出られないほどではないが、同じつもりで飛べば壁へぶつかる。
体を横へ向け、ゆっくり割れ目から出た。
フィナがこちらを見ている。
レグは槍を拾い、座ったまま穂先を俺へ向けた。
二人の体温が、暗闇の中に淡く浮かんでいた。
俺は鳴いた。
水場の形が、以前より深く、遠くまで返ってくる。
その音へ、胸の奥の熱が重なった。
まだ、ぶつける相手はいない。
けれど、声にならなかった音が、初めて牙より先へ届こうとしていた。




