第029話 洞窟の捕食者
振り上げられた脚にしがみつき、開いた傷へ牙を押し込む。
苦い体液が口へ流れ込んだ。
血とは違う。
舌が痺れ、喉の奥が焼ける。
それでも、吸える。
牙を立てた傷から、体液と一緒に母蜘蛛の力が流れ込んでくる。
腹が満たされるより先に、左脚へ広がっていた痺れがわずかに緩んだ。
母蜘蛛が傷ついた脚を振り回す。
俺の背中が網へ当たり、すぐに持ち上げられた。
爪が一本外れる。
牙だけでぶら下がったまま、もう一度傷へ爪を入れた。
黒い殻の内側を掻くと、母蜘蛛の脚が大きく跳ねる。
長い前脚が、自分の後ろ脚へ向かって曲がった。
脚の先が俺の背中を掠める。
次は潰される。
牙を抜き、振り落とされる勢いのまま羽を広げた。
右の羽に痛みが走り、体が思った方向へ上がらない。
低く沈みながら、吊られた死骸の横を抜ける。
背後で母蜘蛛の脚が網を打った。
何層もの糸が張り、空洞全体へ振動が広がる。
俺は近くの壁へ爪をかけた。
左脚はまだ痺れているが、石を掴める程度には動く。
母蜘蛛は傷ついた後ろ脚を網へ下ろそうとしていた。
一度目は滑った。
二度目は爪先が糸へかかったが、巨体を支える前に脚が折れ曲がった。
吸った分だけ、あの脚から力が抜けている。
だが、残った脚はまだ動く。
母蜘蛛が壁と天井へ前脚を伸ばし、体を引き上げた。
背中に乗った死骸がずり落ちる。
その死骸には、一本だけ太い糸が残っていた。
引き伸ばされた糸が、母蜘蛛の背後にある岩壁まで続いている。
あれが切れれば、死骸は落ちる。
母蜘蛛も、それを分かっている。
前脚の一本が死骸を支え、腹の先から新しい糸が伸びた。
壁へ張り直すつもりだ。
俺は爪を離し、残った一本へ飛んだ。
すぐに母蜘蛛の頭が動く。
残った眼が、飛ぶ俺を追っていた。
糸へ届く前に、前脚が横から伸びてくる。
避ければ間に合わない。
俺は羽を畳み、脚の下へ落ちた。
爪先が背中の毛を掠める。
落ちながら羽を開き、太い糸へ両脚をかけた。
糸が大きく揺れた。
母蜘蛛の前脚が戻ってくる。
一度噛む。
表面が裂けるだけで、切れない。
もう一度、同じ場所へ牙を入れた。
糸が口の中へ貼りつき、顎が開かなくなる。
迫った脚が、すぐ横の網を突き破った。
俺は牙を食い込ませたまま、体を捻った。
裂け目が広がる。
太い糸が千切れた。
支えを失った死骸が、母蜘蛛の背中から滑り落ちる。
母蜘蛛は前脚で押し返そうとした。
だが、持ち上げた巨体を支えているのは、残った脚と巣の網だけだ。
重い死骸が一段下の網へ落ちた。
糸が深く沈み、母蜘蛛の前脚も一緒に引かれる。
張りつめていた何本もの支え糸が、続けて切れた。
母蜘蛛の巨体が傾く。
壁へかけた脚が一本外れ、傷ついた後ろ脚が網を滑った。
黒い腹が、裂けた網の間へ沈んでいく。
母蜘蛛は残った脚を広げ、落ちる体を止めようとした。
その脚へ、切れた糸が何重にも絡む。
巣を支えていた網が、今度は母蜘蛛の脚を引いた。
大きな体が横倒しになり、下の網を突き破る。
さらに一段落ちた先で、黒い腹が岩の張り出しへぶつかった。
鈍い音がした。
腹の下側に、白い亀裂が走る。
それでも母蜘蛛は止まらなかった。
絡んだ糸を引きずり、壁へ脚を伸ばす。
一本が石を掴む。
次の脚も持ち上がる。
起き上がらせれば、もう同じ落とし方はできない。
俺は千切れた糸から口を離し、下へ飛んだ。
右の羽がうまく開かず、落ちる速さを殺しきれない。
母蜘蛛の腹へ体ごとぶつかった。
爪を立てると、白い亀裂がすぐ下にある。
両脚を入れ、左右へ掻いた。
殻の欠片が剥がれ、黒い体液が溢れる。
母蜘蛛の腹が持ち上がった。
網へ絡んだ脚が無茶苦茶に動き、一本が俺の横を叩く。
風圧だけで体が浮いた。
爪を離さず、開いた殻へ牙を立てる。
さっきより多く、苦い体液が流れ込んできた。
喉が焼け、腹の中が冷える。
母蜘蛛の力も一緒に入ってくる。
吸うたびに、壁を掴んでいた前脚が震えた。
一本が外れる。
巨体がまた網へ沈んだ。
母蜘蛛が牙をこちらへ向けようとするが、腹の下までは届かない。
代わりに後ろ脚が迫った。
俺は牙を抜き、亀裂へ爪を入れたまま横へ回る。
脚の先が右の羽を打った。
痛みと一緒に体が振られ、殻の裂け目が爪に引かれて広がる。
母蜘蛛の腹が大きく痙攣した。
俺はもう一度、開いた場所へ噛みついた。
吸う。
脚が網を掻く。
吸い続ける。
黒い体液の流れが弱くなり、八本の脚が一本ずつ動きを失っていく。
最後まで壁にかかっていた前脚が、石から滑った。
母蜘蛛の重さで網が沈む。
もう、起き上がってこなかった。
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黒巣母蜘蛛を討伐しました。
経験値を取得しました。
Lvが11から15に上昇しました。
最大HP:29から36に上昇しました。
最大MP:6から8に上昇しました。
筋力:11から14に上昇しました。
耐久:12から17に上昇しました。
敏捷:20から24に上昇しました。
感知:23から27に上昇しました。
魔力:5から6に上昇しました。
器用:12から15に上昇しました。
精神:12から14に上昇しました。
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体の奥に力が増した感覚はあっても、右の羽の傷は塞がらない。
左脚の痺れも残っている。
俺は母蜘蛛の腹へ爪をかけたまま、浅く息を繰り返した。
口の中に残った体液を飲み込む。
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HPが中回復しました。
固有スキル【因子吸収Lv1】が発動しました。
因子【黒巣母蜘蛛因子】を取得しました。
因子【黒巣母蜘蛛因子】の一部がスキル【糸感知・最下位Lv2】へ統合されました。
スキル【糸感知・最下位Lv2】が【糸感知・最下位Lv3】へ上昇しました。
因子【黒巣母蜘蛛因子】の一部が適応しました。
スキル【毒耐性・最下位Lv1】を獲得しました。
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因子【黒巣母蜘蛛因子】
糸感知、罠作成、毒耐性、壁面移動補正、眷属統率などが含まれる。
現在の肉体では、糸感知と毒耐性に関わる一部のみ適応できる。
スキル【糸感知・最下位Lv3】
糸を通じて伝わる振動から、動いた相手の方向、大きさ、動きのおおまかな違いを感じ取れる。
スキル【毒耐性・最下位Lv1】
弱い毒による症状を和らげ、進行をわずかに抑える。
すでに体内へ入った毒を消すことはできない。
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左脚から力が抜け、体が滑った。
毒が消えたわけではない。
破れた網へ片方の爪をかける。
下では、落ちた死骸と母蜘蛛の脚が折り重なっていた。
空洞を満たしていた重い振動は、もう返ってこない。
俺はしばらく、網から爪を外せなかった。




