第026話 黒巣の追跡者
黒い脚が、細い道の入口を掻いた。
石の欠片が飛び、俺の背中へ当たる。
脚の先は入ってきても、母蜘蛛の巨体は細道を通れない。
俺は羽を畳んだまま、細い道を這うように進んだ。
後ろで、黒い脚が何度も石を削る。
やがて追ってくる音が止まり、代わりに短い振動が三度続いた。
返ってきたのは、母蜘蛛より軽く、灰糸蜘蛛より重い足音だった。
何かが、細い道へ入ってくる。
俺は一度だけ鳴いた。
折れ曲がった道の向こうに、八本の脚が浮かぶ。
普通の灰糸蜘蛛より大きく、畳んだ脚が両側の壁を擦っていた。
そいつの腹から伸びた太い糸が、さらに奥の暗闇へ続いていた。
俺は前を向き、巣へ急いだ。
狭い道なら、あいつも速くは動けない。
それでも、止まらず追ってくる。
何度か角を曲がっても、石を掻く音は離れなかった。
母蜘蛛が、あいつを俺の後へ寄越した。
外巣から離れれば、追ってはこないと思っていた。
巣の空洞へ戻り、入口を振り返る。
置いていた小さな骨は動いていない。
俺は右のひびに並べた骨を咥え、入口の幅いっぱいに置き直した。
体を押し込めば、脚か腹のどこかが触れる。
次に、空洞の隅へ落ちていた長い骨を引き出す。
一端が折れ、先が斜めに尖っていた。
俺はそれを右のひびの縁へ運び、低い出っ張りの下へ斜めに押し込んだ。
何度置いても倒れる。
足音が近づく。
骨の根元へ小さな石を押しつけると、尖った先だけが通り道へ残った。
巣へ入るなら、腹を低くしなければ越えられない場所だ。
これで死ぬとは思わない。
でも、傷はつけられる。
俺は入口の真上へ爪をかけ、逆さになった。
すぐに、ひびの奥で骨が鳴る。
小さな骨が空洞へ転がり、その後ろから太い前脚が現れた。
灰色の毛に覆われているが、脚の節は黒く、普通の灰糸蜘蛛より硬そうだった。
頭が入口を越える。
――――――――――
名称:大灰糸蜘蛛
――――――――――
大灰糸蜘蛛は、脚を畳んだまま体を押し込んでくる。
胴だけなら俺の倍ほどあり、広げきれない脚が壁と天井を何度も叩いた。
尖った骨へ腹が触れる。
蜘蛛の動きが一瞬止まり、腹の下から苦い匂いが漏れた。
刺さりは浅い。
大灰糸蜘蛛は前へ進み、骨を押し倒して空洞へ入ってきた。
並んだ眼が天井にいる俺の方へ向く。
前脚が持ち上がるより先に、俺は飛んで離れた。
太い脚が天井を叩き、石の粉が落ちる。
着地する前に、灰色の糸が飛んできた。
体を捻って避けたが、右の羽の端へ糸が絡む。
粘りつく糸を引き剥がすと、薄い膜も一緒に裂けた。
痛みで羽が縮む。
大灰糸蜘蛛が床を蹴り、俺との距離を詰めた。
狭い道で遅かったのは、脚を畳んでいたからだ。
空洞へ出た今は、普通の灰糸蜘蛛よりずっと速い。
前脚を避け、壁へ飛びつく。
もう一本の脚が横から来て、脇腹を掠めた。
体が壁へぶつかり、息が詰まる。
蜘蛛の牙が、すぐ下で開いた。
俺は壁を蹴り、頭の上へ落ちる。
爪を立てても、灰色の毛と硬い皮に弾かれた。
大灰糸蜘蛛が体を振る。
振り落とされる前に、頭の横へ回り、並んだ眼へ爪を振った。
柔らかいものが潰れ、前脚が無茶苦茶に天井を叩く。
俺は背中から離れ、入口の横へ降りた。
片側の眼を潰された大灰糸蜘蛛が、俺へ体を向ける。
正面から押し返せる相手じゃない。
それでも、来る場所は分かる。
牙が届く直前に横へ飛ぶ。
大灰糸蜘蛛の頭が壁へ当たり、倒れた骨の根元を太い脚が踏んだ。
支点になっていた石がずれ、反対側の尖った先が跳ね上がる。
俺は蜘蛛の前脚へ爪をかけ、傷ついた眼の側へ回り込んだ。
大灰糸蜘蛛が俺を追って向きを変える。
大灰糸蜘蛛の腹が尖った骨の上を通り、浅い傷がさらに裂けた。
灰色の腹が裂け、苦い液体が石へ垂れる。
蜘蛛が暴れ、俺の爪が前脚から外れた。
低い天井に脚をぶつけながら、傷口を骨から離そうとする。
俺は正面から飛びつき、頭へ両脚を叩きつけた。
大灰糸蜘蛛の体が後ろへずれる。
尖った骨が、さらに腹へ沈んだ。
前脚が胸へ当たり、今度は床へ叩き落とされる。
痛い。
それでも、蜘蛛の動きはさっきより遅い。
体を支えようとした脚の付け根へ噛みつき、首を振る。
硬い殻の隙間で、脚の一本が折れた。
大灰糸蜘蛛が体を持ち上げると、腹へ刺さった骨がさらに深く入った。
残った眼の一つへ爪を入れた。
一度、二度と掻く。
脚が俺の背中へ落ちたが、もう力は残っていなかった。
大灰糸蜘蛛の腹から流れた液体が、床のくぼみへ溜まっていく。
やがて、八本の脚が動かなくなった。
――――――――――
大灰糸蜘蛛を討伐しました。
経験値を取得しました。
Lvが10から11に上昇しました。
最大HP:27から29に上昇しました。
筋力:9から11に上昇しました。
耐久:11から12に上昇しました。
器用:11から12に上昇しました。
――――――――――
俺は死骸の横へ座り込み、裂けた右の羽から滲む血を舐め取った。
空洞の外から、新しい足音は聞こえない。
大灰糸蜘蛛の腹に開いた傷へ牙を入れ、残っていた苦い液体を吸った。
――――――――――
固有スキル【因子吸収Lv1】が発動しました。
因子【大灰糸蜘蛛因子】を取得しました。
因子【大灰糸蜘蛛因子】の一部がスキル【糸感知・最下位Lv1】へ統合されました。
スキル【糸感知・最下位Lv1】が【糸感知・最下位Lv2】へ上昇しました。
――――――――――
――――――――――
因子【大灰糸蜘蛛因子】
強粘着糸、硬殻、振動追跡などが含まれる。
現在の肉体では、振動追跡に関わる一部のみ適応できる。
スキル【糸感知・最下位Lv2】
糸を通じて伝わる振動から、動いた相手の方向とおおまかな大きさを以前より正確に感じ取れる。
――――――――――
俺は大灰糸蜘蛛の脚を一本ずつ畳み、死骸を空洞の奥へ引いた。
重くて何度も爪が滑ったが、入口に残すつもりはなかった。
食える部分が少なくても、しばらく探しに出なくて済む量はある。
死骸を壁際へ寄せてから、ステータスを開いた。
――――――――――
名前:なし
種族:古血蝙蝠
種族ランク:E
進化段階:第2段階
Lv:11
HP:23/29
MP:6/6
筋力:11
耐久:12
敏捷:20
感知:23
魔力:5
器用:12
精神:12
状態:
軽度因子過負荷
種族特性:
夜目Lv2
微弱音波Lv2
壁面適応Lv2
吸血Lv3
古血適応Lv1
嗅覚・最下位Lv2
飛行Lv2
竜眼・最下位
固有スキル:
因子吸収Lv1
スキル:
竜因子適応Lv1
因子吸収補助Lv1
飢餓耐性・最下位Lv1
粘着耐性・最下位Lv1
糸感知・最下位Lv2
称号:
異界より転じた魂
最弱幼体
古き帝の血を啜ったもの
保有因子:
洞窟鼠因子
血吸い蛭因子
古代竜帝因子
骨舐め鼠因子
薄羽虫因子
血吸いコウモリ因子
灰糸蜘蛛因子
石皮トカゲ因子
大灰糸蜘蛛因子
――――――――――
表示を閉じ、右のひびへ戻る。
大灰糸蜘蛛が引いてきた太い糸は、途中で切れずに奥へ続いていた。
爪先で触れると、遠くから重い振動が一度返ってくる。
母蜘蛛がまだこの糸の先にいることを確かめ、その一本だけは切らずに残した。




