第025話 巣を削る
爪先へ伝わる振動が、餌場の手前で止まった。
俺は糸から爪を離し、石皮トカゲの死骸の陰へ入った。
細い道から、灰色の前脚が一本だけ現れる。
続いて出てきた灰糸蜘蛛は、これまでの個体より一回り小さかった。
脚を広げても、俺より少し大きいくらいしかない。
灰糸蜘蛛は空洞へ入らず、入口から何度も糸を弾いた。
返るはずの振動がないことを確かめている。
やがて中へ入り、石皮トカゲの死骸の下から出た仲間の脚を前脚で押した。
次に、切れた太い糸へ触れる。
今なら、後ろから飛びつける。
俺は動かなかった。
こいつが戻る先を見たかった。
灰糸蜘蛛は生きた洞窟鼠にも触れず、来た道へ引き返した。
俺は天井を伝い、見失わない距離で後を追う。
灰糸蜘蛛は何度も立ち止まり、後ろへ向き直った。
そのたびに石の出っ張りへ体を伏せ、動き出すまで待った。
道は餌場から離れるほど細くなり、途中から上へ傾いていた。
壁には新しい糸が増え、乾いた石の匂いが薄れていく。
一本の糸が脚へ触れそうになり、俺は羽を畳んで下を抜けた。
糸を揺らせば、追っていることを知られる。
前を進む脚音だけを追った。
灰糸蜘蛛が縦に伸びた亀裂へ入る。
俺も入口まで進み、中を見上げた。
亀裂の先には、床のない空洞が広がっていた。
人間の背丈ほど下に、尖った石がいくつも突き出ている。
その上へ、空洞を横切るように大きな網が張られていた。
五本の太い糸が網を支え、壁と天井の割れ目へ食い込んでいる。
網の奥には、白い塊が固まっていた。
一つ一つが、丸まった俺と同じくらいある。
表面の薄い糸越しに、小さな脚が透けて見えた。
卵だ。
孵ったばかりらしい幼体が、白い塊の間を三匹這っている。
俺が追ってきた灰糸蜘蛛と合わせて、四匹。
網の端には、破れた卵の殻が何枚も重なっていた。
母蜘蛛の姿はなく、ここにいるのは灰糸蜘蛛と卵だけだ。
ここで孵った蜘蛛が、回廊や餌場へ散っている。
網のさらに奥から、黒ずんだ太い糸が下の亀裂へ伸びていた。
あれだけは、他の糸より張りが強そうだ。
触れなくても、遠くから引かれるたびに網全体がわずかに沈んだ。
この先に、母蜘蛛がいる。
四匹を相手にして網へ落とされれば、逃げられない。
俺は入口から離れ、空洞の外側を回った。
壁のひびを伝えば、網を支える糸の根元まで近づける。
一番手前の支えへ爪先で触れた。
四匹分の細かな振動が重なっている。
奥の太い糸からは、もっと遅く重い震えが返ってきた。
俺は支え糸の根元へ牙を立てた。
一度では切れない。
表面を裂くだけにして、隣の支えへ移る。
二本目にも傷を入れた時、網にいた一匹が動きを止めた。
前脚で糸を叩き、こちらへ向きを変える。
気づかれた。
俺は傷を入れた糸から離れ、空洞へ飛び出した。
灰糸蜘蛛が糸の上を走り、俺を追ってくる。
網の端まで来たところで、俺は急に上へ曲がった。
灰糸蜘蛛も壁へ移ろうと前脚を伸ばす。
俺は振り返り、その顔へ爪を振った。
爪先が並んだ眼の一部を裂く。
灰糸蜘蛛の前脚が顔を覆った。
その横腹へ体ごとぶつかる。
灰糸蜘蛛が網から外れ、空洞へ落ちた。
網へつながっていた一本の糸が、灰糸蜘蛛の落下を途中で止める。
俺はその糸へ飛びつき、牙で噛み切った。
灰糸蜘蛛が尖った石へ叩きつけられた。
乾いた音がして、脚が一度だけ大きく開いた。
もう起き上がらない。
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灰糸蜘蛛を討伐しました。
経験値を取得しました。
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上の網では、残った三匹が一斉に動き始めた。
一匹は奥の太い糸へ向かい、二匹はこちらへ走ってくる。
俺は傷を入れておいた支えへ戻った。
一本目を噛み切る。
網の手前側が沈み、白い卵がいくつも転がった。
二匹の灰糸蜘蛛が脚を広げ、傾いた網へしがみつく。
俺は二本目の支えへ飛び、牙を入れた箇所へ爪をかけた。
体を捻り、糸をさらに裂く。
糸が耐えきれずに切れた。
網の半分が落ちる。
白い塊と灰色の脚が絡まり、下の尖った石へ叩きつけられた。
一匹は卵の塊と網の下敷きになり、脚だけを動かしている。
もう一匹は途中の壁へぶつかり、切れた網に絡まっていた。
俺は絡まった一匹へ降りた。
灰糸蜘蛛は前脚を振るが、腹に巻きついた糸が邪魔でこちらまで届かない。
背中へ爪を立て、柔らかい腹の側面を何度も引き裂いた。
灰色の表面が裂け、苦い匂いが広がる。
蜘蛛が体を捻るたび、俺の体も絡んだ糸へ引かれた。
一度離れ、今度は反対側から傷へ爪を入れる。
腹が裂けると、八本の脚から力が抜けた。
吸わなくても、倒せる。
下では、卵の塊と網の下から出ていた脚も動きを止めていた。
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灰糸蜘蛛の幼体を二体討伐しました。
経験値を取得しました。
Lvが9から10に上昇しました。
最大HP:26から27に上昇しました。
耐久:9から11に上昇しました。
敏捷:18から20に上昇しました。
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網の上に残った一匹が、奥の太い糸を走っていく。
追えば、母蜘蛛のいる場所へ入る。
俺は追わず、残った支え糸へ向かった。
まだ網に張りついていた卵の塊へ爪をかける。
表面の糸は柔らかいが、何重にも巻かれていた。
中の脚が動いても、爪は止まらなかった。
孵れば、次に狙われるのは俺の巣だ。
牙で裂き、支えから引き剥がす。
白い塊が二つ、崩れた網ごと尖った石へ落ちた。
中で動いていた脚が、落ちた衝撃で止まる。
それでも、崩したのは外巣の半分ほどだ。
残った卵も、逃げた一匹もいる。
もう一つへ爪をかけた時、奥の太い糸が強く張った。
空洞に残ったすべての糸が、一度に震える。
俺の体より長い黒い脚の先が、下の亀裂の奥で石を掻いた。
遠いのに、爪が石へ食い込む音まではっきり聞こえた。
母蜘蛛が動いた。
俺は卵から爪を離し、来た亀裂へ飛ぶ。
背後で、残った網が大きく引かれた。
振り返らない。
細い道へ入り、羽を畳んだ直後、入口の向こうへ黒い脚の先が現れた。




