第024話 奪った餌場
下の道は、進むほど血の匂いが濃くなった。
新しい血だけではない。
乾いた血と、腐り始めた肉の匂いも混じっている。
灰色の糸は壁際を通り、緩い下り坂の先へ続いていた。
俺は何度か立ち止まり、爪先で糸に触れた。
触れるたび、重い振動が少しずつ遠ざかっていく。
同じ糸には細かな震えも混じっていたが、どれが灰糸蜘蛛なのかまでは分からない。
俺は糸から爪を離し、血の匂いを追った。
曲がり角を二つ越えると、道が急に低くなった。
天井と床の間を、何本もの糸が斜めに渡っている。
鳴けば、糸まで揺らすかもしれない。
俺は声を出さず、壁の凹凸を伝って進んだ。
低い道を抜けた先に、丸い空洞があった。
天井から白い塊がいくつも吊られている。
小さなものは薄羽虫ほどで、大きなものは俺の何倍もあった。
糸の隙間から、毛や鱗、折れた脚が見えている。
床には吸い終わった殻と骨が積もり、その上を細い糸が覆っていた。
吊られた塊から伸びた糸は、壁際の太い糸に一本ずつつながっている。
中の獲物が暴れれば、その振動が壁の向こうまで伝わる。
ここへ運んで終わりではない。
生きている獲物が動けば、灰糸蜘蛛が取りに来る。
灰糸蜘蛛が獲物を運び込む場所だ。
近くから脚音は聞こえない。
俺は天井を進み、一番近い塊へ顔を寄せた。
中に包まれていた薄羽虫は、もう乾いている。
隣の塊からは、腐った肉の匂いがした。
さらに奥で、糸が小さく擦れた。
丸い塊の中から、尖った鼻先が出ている。
洞窟鼠だった。
胴も脚も糸に包まれ、片方の目だけが開いている。
俺が近づくと、その目が動いた。
生きている。
呼吸は浅く、首には牙を刺された跡が二つ残っていた。
傷の周りから、まだ新しい血の匂いがする。
腹は満ちているのに、急に喉が渇いた。
灰糸蜘蛛の苦い体液とは違う。
糸に包まれた洞窟鼠は逃げられず、前脚をわずかに震わせることしかできない。
俺は首の傷へ牙を入れた。
温かい血が口へ流れ込んでくる。
洞窟鼠の体が強く震えたが、糸は緩まない。
吸うほど心音が遅くなっていく。
もう少し吸えば、動かなくなる。
俺は牙を抜いた。
生きたままなら、血は冷えない。
弱くなった心音は、まだ糸へ伝わっている。
ここへ灰糸蜘蛛が戻ってくるなら、この振動を辿ってくる。
俺は洞窟鼠の上に張られた糸に爪先で触れた。
今度は、振動がこちらへ近づいている。
一匹かどうかは分からない。
洞窟鼠の体へ直接つながる糸に触れると、弱い震えが同じ間隔で返ってきた。
心臓が動くたび、糸もわずかに揺れている。
壁際へ続く別の糸からは、それより重い振動が近づいていた。
触れる糸を変えれば、混ざっていた振動を一つずつ確かめられる。
爪を離し、空洞の中を見回した。
洞窟鼠の斜め上に、大きな塊が吊られている。
灰色の糸に包まれているが、隙間から硬い鱗が見えた。
石皮トカゲの死骸だった。
腹はすでに裂かれ、血の匂いも薄い。
三本の太い糸が、重い死骸を天井から支えている。
俺はそのうち一本に牙を立てた。
すぐには切らず、何度も浅く噛んで細くしていく。
糸が揺れるたび、近づいてくる振動が速くなった。
糸の揺れを拾われた。
それでも、洞窟鼠の心音は消えていない。
俺は二本目の糸も半分まで噛み、石皮トカゲの死骸の陰へ入った。
空洞の入口から、灰色の前脚が現れる。
灰糸蜘蛛は壁に残った糸を弾き、まっすぐ洞窟鼠へ向かってきた。
俺の匂いは、血と腐りかけた肉の匂いに紛れている。
灰糸蜘蛛が洞窟鼠の横へ降り、首の傷へ前脚を伸ばした。
灰糸蜘蛛の真上で、細くした糸が軋んでいる。
俺は最後まで残していた一本に噛みついた。
太い糸が切れる。
石皮トカゲの死骸が傾き、残った二本の糸が続けて千切れた。
灰糸蜘蛛が頭を上げる。
黒い影が、その上へ落ちた。
重い音が空洞に響き、八本の脚が死骸の下から飛び出した。
灰糸蜘蛛は床へ押しつけられ、脚だけを激しく動かしている。
石皮トカゲの死骸を押し返そうとしたが、腹が潰れて力が入らない。
俺は天井から降りず、動きが弱くなるのを待った。
一本の脚が、洞窟鼠を包む糸に何度も当たる。
やがて、その脚も止まった。
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灰糸蜘蛛を討伐しました。
経験値を取得しました。
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俺は石皮トカゲの死骸へ降りた。
下から苦い体液の匂いがしたが、死骸をどけるより、空洞に残った血と肉を先に運びたかった。
壁際には、母蜘蛛の巣へ続く太い糸が二本張られていた。
俺は一本ずつ噛み切った。
最初の糸は、切れた途端に激しく跳ねた。
二本目は奥へ引かれ、石の角を擦りながら見えなくなった。
これで、餌場から母蜘蛛へ続く二本の糸は切れた。
だが、振動を伝える糸がほかにもないとは限らない。
別の道から灰糸蜘蛛が来る前に、持てるものを運ぶ。
俺は乾いた薄羽虫の塊を一つ噛み、糸から引き剥がした。
軽い。
これなら巣まで運べる。
もう一つの小さな塊には、死んだ洞窟鼠の肉が残っていた。
糸を噛み破り、持ち運べる大きさだけを引きちぎる。
俺は薄羽虫の塊を咥え、来た道を戻った。
巣まで運び、すぐに餌場へ引き返す。
塊を咥えて飛ぶと、何も持たない時より体が沈んだ。
低い道では壁を蹴り、落とさないよう何度も咥え直した。
戻っても、切った糸はまだつなぎ直されず、洞窟鼠の弱い心音も続いていた。
俺は二つ目の肉を運び、また戻った。
三度目に餌場へ入った時、洞窟鼠が俺を見た。
糸の隙間から出た目だけが、こちらへ向いている。
俺はその目から顔を背け、首の下で続く心音を確かめた。
洞窟鼠の真上の天井へ掴まり、残っている糸へ一本ずつ爪先で触れた。
別の細い糸から、何かが近づいてくる。
この餌場を、蜘蛛へ返すつもりはなかった。




