第022話 糸を辿る
右のひびへ入る前に、脇腹の傷から血が出ていないことを確かめた。
俺は壁に爪をかけ、灰色の糸へ触れないようにひびの中へ入った。
糸は床に近い場所を通っている。
俺は反対側の壁を進み、途中から天井へ移った。
爪を一本ずつ動かし、石の凹凸を辿っていく。
灰色の糸は曲がり角でも途切れず、石に貼りつきながら奥へ続いていた。
短く鳴く。
近くに動くものはいない。
返ってきた音で、少し先に糸が何本も重なる場所があると分かった。
ひびを抜けると、天井の低い通路へ出た。
床と壁に張られた糸が、三つの細い道へ分かれている。
細い糸が下と左の亀裂へ分かれ、太い糸は回廊の奥へ伸びていた。
黒巣母蜘蛛がいた方角だ。
左の亀裂から、石を掻く音がした。
少し離れた下の道からも、別の脚音が聞こえた。
二匹いる。
どちらかの糸に触れれば、二匹ともこちらへ来る。
俺は天井を伝い、左の亀裂へ続く糸の上まで移動した。
亀裂は細く、灰糸蜘蛛も脚を畳まなければ通れない。
糸の向こうから、一匹の脚音が近づいてくる。
もう一匹は、まだ下の道にいる。
俺は左へ続く糸だけを噛み切った。
切れた糸が跳ね、亀裂の奥で脚音が止まる。
糸を切った振動で、下の道にいる灰糸蜘蛛も動き始めた。
ここにいることは知られた。
だが、左の一匹はもう奥へ振動を送れない。
俺は切った糸を口から落とし、亀裂の上にある石の陰へ入った。
灰色の脚が、亀裂から一本ずつ現れる。
切れた糸を探るように前脚が動き、その後ろから丸い腹が押し出されてきた。
まだ半分。
俺は動かない。
灰糸蜘蛛の腹まで亀裂を抜けた時、石の陰から飛び出した。
下へ落ちながら羽を広げ、灰糸蜘蛛の背中へ回る。
振り向くより先に、頭と腹の間へ牙を立てた。
苦い体液が口へ入る。
灰糸蜘蛛は脚を振り回したが、狭い亀裂の前では大きく広げられない。
前脚が頬をかすめ、別の脚が羽の端を叩いた。
俺は爪を殻へかけ、吸い続ける。
灰糸蜘蛛が亀裂へ戻ろうと体を反転させた。
腹が石へ引っかかり、脚だけが空を掻いた。
灰糸蜘蛛は腹を持ち上げようとしたが、亀裂の縁へぶつかった。
白い糸が狭い石の間へ吐き出され、すぐに絡まった。
吸い込むたび、脚の動きが遅くなる。
やがて、灰糸蜘蛛の体が床へ落ちた。
俺は一度だけ強く牙を入れ直し、残った動きが止まるまで離さなかった。
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灰糸蜘蛛を討伐しました。
経験値を取得しました。
固有スキル【因子吸収Lv1】が発動しました。
因子【灰糸蜘蛛因子】を追加取得しました。
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通知が消える前に、下の道から脚音が近づいてきた。
吸い切る時間はない。
俺は牙を抜き、壁を蹴った。
飛び上がった直後、通路の下から灰糸蜘蛛が現れる。
さっきの一匹より少し大きい。
長い前脚が死骸へ触れ、次に天井へ向いた。
俺は鳴いた。
返ってきた音で、灰糸蜘蛛が天井のどこへ上がってくるのか分かった。
俺は天井から離れ、低い通路の中央へ飛んだ。
灰糸蜘蛛が追ってくる。
腹を持ち上げ、白い糸を吐き出した。
糸が天井と壁の間へ広がる。
俺は羽を畳んで高度を落とし、白い糸の下を抜けた。
床へ触れる直前に羽を開き、右へ曲がる。
灰糸蜘蛛は壁を走り、そのまま俺の前へ回ろうとした。
速い。
正面から噛みつけば、先に脚で捕まる。
俺はもう一度鳴き、左にある細い石柱の位置を確かめた。
石柱の裏へ回り込む。
灰糸蜘蛛の脚音も、反対側から近づいてくる。
俺は速度を落とさなかった。
石柱を一周する直前で上へ飛び、天井へ爪をかける。
灰糸蜘蛛はそのまま石柱の裏から現れた。
さっきまで俺が飛んでいた高さへ、前脚が突き出される。
何も掴めず、灰糸蜘蛛の体が前へ流れた。
その背中へ落ちる。
牙を立てた場所は、最初の一匹と同じ殻の隙間だった。
灰糸蜘蛛が体を捻り、白い糸が俺の後脚へ絡んだ。
爪が一瞬だけ動かなくなる。
俺は牙を抜かず、脚を強く引いた。
糸は伸びたが、体までは壁へ縫いつけられない。
もう一度引くと、糸が毛から外れた。
灰糸蜘蛛の脚が背中へ回る。
俺は片方の羽を開き、その脚を押し返した。
体勢が崩れても、牙は殻の間に残っている。
吸う。
灰糸蜘蛛は石柱へ体をぶつけ、俺を潰そうとした。
ぶつかる直前に牙を抜き、羽ばたいて離れる。
石へ当たった灰糸蜘蛛の脚が大きく開いた。
俺はすぐに向きを変え、反対側から同じ傷へ噛みつく。
今度は、灰糸蜘蛛が体を振るより早く、苦い液体が喉へ流れ込んできた。
前脚が床へ落ちる。
残った脚が石を掻いたが、もう体は進まない。
吸い続けると、丸い腹から力が抜けた。
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灰糸蜘蛛を討伐しました。
経験値を取得しました。
HPが微回復しました。
Lvが7から8に上昇しました。
最大HP:23から24に上昇しました。
敏捷:15から17に上昇しました。
感知:20から21に上昇しました。
器用:9から11に上昇しました。
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固有スキル【因子吸収Lv1】が発動しました。
因子【灰糸蜘蛛因子】を追加取得しました。
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俺は死骸から牙を抜いた。
脇腹の痛みが少し軽くなっている。
二匹目に絡められた後脚も動く。
巣を出てから、傷は増えていない。
灰糸蜘蛛の動きを目で追うだけだった頃とは違う。
音で先の位置を知り、飛ぶ場所を選べば、糸を張られる前に回り込める。
俺は二匹目から吸えるだけ吸い、天井へ戻った。
灰色の糸が集まる場所を避けながら、太い糸の先を追う。
しばらく進むと、通路が急に広くなった。
天井から床まで、何本もの灰色の糸が斜めに渡されている。
糸は一つの巣へ集まっていなかった。
右の穴からは湿った土の匂いが流れ、小型の魔物が何匹も通った跡がある。
下へ続く道からは、古い血と腐りかけた肉の匂いがした。
正面の太い糸だけは、黒巣母蜘蛛がいた回廊の奥へ続いている。
母蜘蛛の巣から伸びた糸が、通路と、魔物が通る道と、血のある場所をつないでいた。
どこかで魔物が糸へ触れれば、近くの灰糸蜘蛛が向かう。
捕まえた魔物は、あの太い糸の先へ運ばれる。
俺が巣で待っている間にも、こいつらは洞窟中から獲物を集めていた。
正面の糸が、重く震えた。
黒巣母蜘蛛に近づくには、まだ早い。
俺は太い糸から離れ、血の匂いがする下の道を見た。
その隣の細い亀裂からは、何匹もの灰糸蜘蛛が石を掻く音が聞こえた。




