第002話 魂とコウモリ幼体
薄い翼は、湿った石の上で小さく震えていた。
動かそうとすると、肩から先の骨が人間だった頃とは違う形で動く。
細長い指の間に皮膜が張り、腕から脇腹までつながっている。
足を動かせば、小さな爪が石を掻いた。
舌を動かすと、細い牙の先に触れた。
何より、腹が空いていた。
胃の中が空っぽというだけではなく、体の内側から削られていくような飢えだった。
その感覚と一緒に、俺のものではない記憶が流れ込んでくる。
暗がり。
母親らしき温度。
同じ巣にいた小さな体の匂い。
天井のざらつきと、重なる羽音。
巣から落ちて、上に戻れず、何かが近づいてくる恐怖。
記憶と呼べるほど整ってはいないが、この体に残っていたものだ。
俺は黒瀬湊だ。
そう思って、声を出そうとした。
「ぎ、」
口から漏れたのは、かすれた鳴き声だった。
自分の声が、自分のものではない。
目を開けたつもりだったが、辺りは暗く、ほとんど何も見えない。
もう一度鳴くと、細い音が暗闇へ広がった。
遠くの壁、近くの石、頭上の天井から、わずかに音が返ってくる。
見えていないのに、周りの形だけがおぼろげに分かった。
俺は、洞窟らしい場所の湿った石の上に倒れていた。
体は信じられないほど小さく、丸まれば人間の手のひらに収まりそうだった。
起き上がろうとして翼を広げたが、体は横へ傾いただけだった。
首を持ち上げるだけで、残っていた力が抜けていく。
なんだ、これ。
何になった。
ステータス。
その言葉が頭に浮かんだ瞬間、目の前に薄い表示が開いた。
見たことのない文字なのに、意味だけは分かる。
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名前:なし
種族:コウモリ幼体
種族ランク:F
進化段階:第1段階
Lv:1
HP:1/5
MP:1/1
筋力:1
耐久:1
敏捷:4
感知:6
魔力:1
器用:2
精神:7
状態:
飢餓
衰弱
混乱
種族特性:
夜目Lv1
微弱音波Lv1
天井把握Lv1
吸血未熟Lv1
固有スキル:
因子吸収Lv1
スキル:
なし
称号:
異界より転じた魂
最弱幼体
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種族特性【夜目Lv1】
暗所での視界がわずかに補正される。
種族特性【微弱音波Lv1】
短い音の反響で、周囲の形をおぼろげに把握する。
種族特性【天井把握Lv1】
天井や壁面に掴まる時、姿勢を崩しにくくなる。
種族特性【吸血未熟Lv1】
血を吸うことができる。ただし、傷口や弱った相手でなければうまく吸えない。
固有スキル【因子吸収Lv1】
血液、肉片、骨髄、魔力残滓などに宿る因子を取り込む。
取り込んだ因子は保有因子として肉体に残る。
現在の肉体に適応した性質だけが、既存の種族特性へ統合されるか、新たな特性やスキルとして発現する。
Lv1では、死骸、弱った個体、濃い血痕からの取得が中心となる。
称号【異界より転じた魂】
異なる世界から流れ着き、別の肉体に宿った魂に与えられる。
成長補正小、ステータス理解補助、魂干渉への微耐性を得る。
称号【最弱幼体】
最弱の幼体として生存を始めた者に与えられる。
一度得た後は進化しても失われず、一部の成長条件、進化条件に影響する。
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しばらく、何も考えられなかった。
この体に、黒瀬湊という名前はない。
種族は、コウモリ幼体。
文字を読んでも、すぐには受け入れられなかった。
その間にも腹の奥は強く締めつけられ、空腹が痛みに変わっていく。
何かを食べなければ死ぬ。
近くで、かさ、と音がした。
俺は反射的に体を縮め、石のくぼみに羽を押しつけた。
小さな脚が石を掻き、硬い殻が擦れている。
見えないのに、石を掻く音で場所だけは分かった。
怖い。
教室で魔法陣を見た時とは違い、もっと奥底にある怖さだった。
食われる。
相手の姿も見えないのに、そう分かった。
俺の体は、もう人間ではない。
ステータスに書かれていたからではなく、この体がもうそれを知っている。
俺の召喚は失敗した。
召喚の道を外れて、死んで、落ちて、死にかけのコウモリ幼体と混ざったんだ。




