第016話 灰糸の回廊
背中の痛みが引くのを待って、俺は右の道へ出た。
脇腹にはまだ傷が残っているが、羽を動かしても血は滲まない。
広い通路へ上がると、白い菌の周りを薄羽虫が飛んでいた。
前なら、それだけで飛びついていた。
だが、薄羽虫を食って腹を満たすだけでは、左の道にいる血牙コウモリには勝てない。
俺は通路の高い場所を飛び、まだ入ったことのない横穴を探した。
しばらく進むと、音の返り方が変わった。
石の形に混じって、細い線がいくつも浮かぶ。
俺は速度を落とし、壁へ爪をかけた。
横穴の入口に、灰色の糸が張られている。
一本だけなら見落としていた。
奥へ進むほど数が増え、壁と天井の間を何重にもつないでいる。
人間だった頃なら、手で払えたような細さだ。
今の俺には、翼を縛る縄になる。
糸には薄羽虫の羽や鼠の毛が絡み、少し奥には灰色の塊が吊られていた。
中では、何かがまだ動いている。
その近くの糸が小さく震えたが、獲物が暴れた振動とは違う。
一定の速さで、入口へ近づいてくる。
壁と同じ色をした脚が、灰色の糸の上へ一本ずつ現れた。
蜘蛛だ。
丸い腹は俺の胴より小さいが、八本の脚を広げると俺より大きい。
体を低くしたまま糸の上を進み、吊られた獲物の前で止まった。
俺は目の奥へ意識を向ける。
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名称:灰糸蜘蛛
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灰糸蜘蛛は獲物へ牙を立て、灰色の糸を脚で押さえた。
牙を立てられた塊が少しずつ萎み、中の動きも弱くなっていく。
あれを食っている。
少なくとも、今の俺の耳に届く範囲には一匹しかいない。
血吸いコウモリの因子は、もともと持っていた音の力を強くした。
あの蜘蛛を倒せば、糸を使う力か、壁を歩く力が手に入るかもしれない。
俺は入口に近い糸へ後ろ足の爪をかけ、軽く引いた。
灰糸蜘蛛の脚が止まり、もう一度引くと体をこちらへ向けた。
反応した。
俺は糸から爪を離し、少しだけ後ろへ下がった。
灰糸蜘蛛は素早く近づいてきたが、糸の途切れる場所で止まり、有利な足場から出ようとしない。
誘い出すつもりだったが、そこまで簡単ではないらしい。
蜘蛛が奥へ戻る前に、俺は壁から爪を離して灰色の糸の間へ飛び込む。
鳴き声を出すと細い糸が何本も暗闇に浮かび、体を横へ傾けて広く空いた場所を抜ける。
灰糸蜘蛛が糸の上を走り、俺の進む先へ回り込んでくる。
速いが、場所は分かる。
もう一度鳴いて、蜘蛛の位置と次の隙間を確かめた。
右へ抜けようとした瞬間、見えていなかった一本が左の羽へ触れ、そのまま貼りついた。
羽を打つと糸が伸びて別の糸まで絡みつき、動かすほど重くなる。
灰糸蜘蛛が糸を伝って迫ってくる。
俺は右の羽だけを打ち、近くの壁へ体をぶつけた。
爪を石へ立てて左の羽を引いたが、糸は切れない。
羽の薄い皮が引かれ、痛みが走った。
灰糸蜘蛛が脚を縮める。
来る。
八本の脚が糸を離れ、俺へ飛んだ。
逃げられない。
俺は左の羽を畳み、貼りついた糸を体の前へ引き寄せた。
灰糸蜘蛛の前脚が糸へ触れ、そのまま灰色の糸が脚へ絡みついた。
蜘蛛の体が空中で傾く。
俺は石を蹴り、開いた腹の下へ飛び込んだ。
脚の付け根へ牙を立てると、硬い殻の隙間から苦い液体が口の中へ広がった。
血とは違う。
それでも、吸える。
灰糸蜘蛛が激しく脚を動かし、俺の背中を掻いた。
細い爪が毛をかき分け、皮膚を裂く。
牙は離さない。
吸うたびに、蜘蛛の動きが少しずつ弱くなる。
灰糸蜘蛛は腹を持ち上げ、俺の右足へ糸を吐きつけた。
右足が引かれ、牙が殻の隙間から外れた。
蜘蛛の牙が肩へ刺さり、傷口から広がる痺れで感覚が鈍くなった。
俺は首を振り、蜘蛛の頭を肩から引き剥がした。
右足は糸につながったままだ。
灰糸蜘蛛は壁へ戻ろうとするが、糸の中へ逃がせばまた狙われる。
俺は右足を引かれる力に逆らわず、蜘蛛の背中へ飛びついた。
二匹の体がぶつかり、糸の張られていない床へ転がった。
ここなら、動けるのは俺の方だ。
灰糸蜘蛛が起き上がる前に腹と頭の間へもう一度牙を入れ、苦い液体を吸い上げる。
蜘蛛の脚が石を叩き、俺の羽を何度も掠めた。
それでも体を押さえ込み、動きが止まるまで吸い続けた。
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灰糸蜘蛛を討伐しました。
経験値を取得しました。
HPが回復しました。
Lvが4から5に上昇しました。
最大HP:12から13に上昇しました。
器用:3から4に上昇しました。
感知:11から12に上昇しました。
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固有スキル【因子吸収Lv1】が発動しました。
因子【灰糸蜘蛛因子】を取得しました。
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因子【灰糸蜘蛛因子】
糸感知、粘着耐性、壁面移動などが含まれる。
現在の肉体では、一部のみ適応できる。
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スキル【粘着耐性・最下位Lv1】を獲得しました。
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スキル【粘着耐性・最下位Lv1】
蜘蛛の糸や粘液などによる動作阻害をわずかに軽減する。
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通知が消えても、肩の痺れは残っていた。
動かせないほどではないが、右足にはまだ糸が絡んでいる。
牙で糸を噛み、石の角へ何度も擦りつけて切った。
灰糸蜘蛛の体液は苦く、血吸いコウモリのようにうまくはないが、残すつもりはなかった。
俺は柔らかい腹へ牙を立てる。
その時、足元の糸が震えた。
俺が触れた糸だけではない。
壁を走る糸が一本、その先でもう一本と揺れていく。
震えは灰色の回廊の奥へ伝わり、しばらくして別の振動が返ってきた。
一つではない。
細かな足音が、糸の向こうから近づいてくる。
俺は灰糸蜘蛛の死骸へ爪をかけ、糸のない通路へ引きずり出した。
背後で、灰色の糸がまだ揺れていた。




