第116話 囮は俺
ゴルナが用意した肉は、洞窟兎の後脚だった。
「売れば銅貨二枚」
「高い」
「一羽減るよりは安い」
「倒せなかったら」
「運び賃から引く」
「倒したら」
「羽を見せな」
「町で売る」
「値段を聞いてから決めるよ」
ヴァルカ商会と似ていた。
先に全部を渡すとは言わない。
肉を布へ包む。
レグが槍と縄を持ってきた。
「走れない」
「知ってる」
「だから、ここで止める」
地面へ槍の石突きをつく。
「罠の近くから動かない?」
フィナが聞く。
「動かない」
「追わない?」
「落ちたら刺す」
「逃げたら」
「追わない」
今朝とは違い、自分のできないことを先に言った。
フィナは矢を一本足し、三本に戻した。
三人で、割れ角岩から少し南の窪地へ向かった。
低い木と岩が重なり、上から地面全体は見えない。
中央だけが開いている。
フィナが洞窟兎の肉を置いた。
細い縄を二本、草の下へ隠す。
一つは脚。
もう一つは、翼が地面へ触れた時に絡む高さ。
「羽で切られない?」
俺が聞く。
「硬い縁が当たれば」
「切れたら」
「レグの前へ行く」
「俺の槍へ結ぶな」
「結んでない」
「さっき、結ぶと言った」
「脚が動かないなら、槍まで持っていかれる」
「動かないんじゃない」
「走れないんでしょ」
「それは」
「同じじゃない?」
「違う」
罠縄は、地面へ半分埋まった岩へ回されていた。
レグは、その横にある高い石の陰へ入る。
落ちた大ガラスが縄を引きずれば、そこを槍で止める。
フィナは反対側。
俺は、少し離れた割れ目へ服を隠した。
今朝より深い場所へ入れ、上へ石を二つ置く。
「今度は取られない?」
「見えない」
「大ガラスにも?」
「たぶん」
「分からないじゃないんだ」
「同じ」
蝙蝠の姿へ変わる。
左翼の切れ目は閉じていない。
翼を強く張ると痛んだ。
「飛べる?」
『飛べる』
「速くは」
『ない』
「それ、ちょうどいいかも」
囮には向いている。
日が傾くまで、岩の陰で待った。
洞窟兎の肉へ、虫が一匹止まる。
フィナは追い払わない。
レグも槍を構えたまま動かなかった。
空から心音が近づいた。
『来る』
「何羽」
『二羽』
鎧羽ガラスは、すぐには下りない。
窪地の上を一度回る。
肉を見る。
草を見る。
岩を見る。
俺たちが隠れている場所まで、順に見ていた。
一羽が低くなる。
罠の上へは降りず、近くの枝へ止まった。
枝が重さでしなる。
もう一羽は高いまま。
見張っている。
「下りない」
フィナが息だけで言った。
枝の大ガラスが、嘴で細い枝を折る。
肉へ落とした。
縄は動かない。
もう一本。
草の上へ落ちる。
隠した輪の端が、少しだけ見えた。
大ガラスは首を傾けた。
気づいた。
枝から飛び立つ。
肉には近づかない。
このまま待っても、罠へはかからない。
『出る』
フィナが俺を見る。
「何するの」
『俺を追わせる』
「二羽とも来たら」
『一羽だけ低く飛ぶ』
「選べる?」
『選ばせる』
岩の陰から飛び出した。
左翼を少し下げる。
真っすぐ飛ばず、窪地の上をふらついた。
鎧羽ガラスが声を上げる。
一羽がすぐに向きを変えた。
今朝、地面へ降りた方かは分からない。
もう一羽も来る。
高い。
俺を追う一羽と、その外側を回る一羽。
二羽のまま戦わない。
低い方へ音撃を当てる。
翼が揺れた。
怒ったように嘴が開く。
逃げる。
左翼の痛みは、演技ではなかった。
一度羽ばたくたび、傷が引っ張られる。
鎧羽ガラスが距離を詰める。
嘴が尾の近くを掠めた。
窪地へ下りる。
肉の上を通る。
鎧羽ガラスも追った。
罠を知っている。
地面へは降りない。
それでも、俺へ嘴を届かせるためには低くなる。
草の先へ、片脚が触れた。
フィナが縄を引く。
輪が締まる。
鎧羽ガラスの右脚が取られた。
翼を広げる。
縄へ引かれ、体が横へ傾いた。
もう一つの輪が、下がった翼へ絡む。
地面へ落ちた。
「かかった!」
レグが石陰から出る。
槍を低く構えた。
鎧羽ガラスは、すぐに起き上がった。
片翼へ縄を巻いたまま、硬い嘴で脚の輪を切ろうとする。
高くいたもう一羽が、鳴いた。
真っすぐ、フィナへ降りてくる。
罠にかかった一羽は、嘴で脚の縄を噛んでいた。
どちらも近い。
『フィナ、伏せて』
飛び上がる。
左翼の傷が開いた。
速度が足りない。
鎧羽ガラスの方が先に届く。
フィナは伏せず、横へ走った。
追う嘴の前へ矢を放つ。
矢は顔の横を通り、翼へ弾かれた。
鎧羽ガラスの目が、矢を追う。
その一瞬に近づいた。
頭の横へ音撃を当てる。
黒い体が傾いた。
フィナの頭上を外れ、地面すれすれで翼を開く。
硬い羽が草を切った。
「罠の方!」
レグの声がする。
捕らえた一羽が、脚の縄を切っていた。
残るのは翼へ絡んだ一本だけ。
半分開いた翼で、地面を跳ねる。
レグへ向かっていた。
「そっちを押さえて!」
フィナが叫ぶ。
レグは逃げなかった。
槍の穂先を下げ、石へ靴をかける。
鎧羽ガラスが口を開いた。
嘴が槍の柄を挟む。
硬い音が鳴った。
レグの体が前へ引かれ、右膝をついた。
それでも、槍を放さない。
「引け!」
『レグ、離して』
「こいつが先だ!」
鎧羽ガラスが首を振り、レグごと槍を左右へ動かした。
もう一羽が上がってきて、俺を越え、罠の縄へ向かった。
助けるつもりかもしれない。
硬い嘴なら、残った縄も切れる。
フィナが二羽の間の地面へ矢を射ると、降りてきた一羽が翼を上げた。
「ミナト!」
その下へ入り、背中より羽の薄い腹側へ爪を立てると、爪先が肉まで入った。
鎧羽ガラスが鳴きながら翼を打ち下ろし、硬い羽が背中へ当たった。
爪を離し、地面へ落ちて転がる。
背中が熱い。
血は出ているが、深くはない。
傷つけた一羽は上へ逃げ、罠の縄から離れた。
「今!」
フィナがレグの横へ走り、槍の柄を両手で押した。
嘴がずれた瞬間、レグは槍を引き、穂先を首の下へ返した。
大ガラスは前へ跳び、自分から槍へぶつかった。
穂先が柔らかい羽の間へ入り、黒い血が流れた。
鎧羽ガラスは止まらず、レグの肩へ嘴を伸ばす。
フィナが縄を引いた。
絡んだ翼が後ろへ引かれ、嘴が届く前に体が傾く。
「もう一度!」
レグが槍を押し込み、首の下から血が溢れた。
鎧羽ガラスの脚が土を掻く。
硬い翼が一度だけ大きく開く。
絡んだ縄が切れた。
それでも、飛び上がらない。
槍を噛もうとした嘴が、土へ落ちた。
心音が止まる。
一羽目を倒した。
空で、もう一羽が鳴いた。
割れ角岩へ戻らず、俺たちの上を回る。
腹から血が落ちていた。
俺の爪が入った傷だ。
「来る?」
フィナが最後の矢をつがえる。
「来い」
レグが槍を引き抜く。
右脚へ体重をかけないよう、石へ背をつけた。
鎧羽ガラスは降りてこなかった。
一度。
二度。
低い声を落とし、そのまま北へ飛ぶ。
『追わない』
「怪我してる」
フィナが言う。
『俺も』
左翼だけではない。
背中にも羽の縁が当たっている。
レグの右脚は、また少し震えていた。
「戻るぞ」
レグが言う。
「兄さんの脚」
「戻れる」
「槍を杖にしてる」
「今だけだ」
先に、倒した鎧羽ガラスへ近づく。
首の下から流れる血は、まだ温かい。
牙を立てる。
鉄みたいな匂いの奥に、鳥の薄い血があった。
飲む。
硬い羽の下にあった力が、血と一緒に入ってくる。
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因子【鎧羽ガラス因子】を取得しました。
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因子【鎧羽ガラス因子】
硬羽、遠視、飛行制御、空間把握などが含まれる。
現在の肉体では、一部のみ適応できる。
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新しい力は出なかった。
翼も、すぐには硬くならない。
それでも、血の中に残っている。
人型へ戻る。
左の上腕と背中へ、細い傷が増えていた。
服を着る前に、フィナが布を出す。
「これしかない」
「血は止まってる」
「背中は見えないでしょ」
届かない。
フィナに巻かせる。
レグは大ガラスの脚を縄でまとめた。
切れた罠縄をつなぎ直し、胴へ回す。
「持てる?」
フィナが聞く。
「俺が持つ」
「脚は」
「槍がある」
「また悪くする」
「なら、三人で持つ」
大ガラスの体は重かった。
俺とフィナが胴を持ち、レグは硬い翼を引きずらないよう支えた。
一羽を倒しても、空にはもう一羽残っている。




