第115話 昼の空
「どこへ飛んだ」
小門の見張りへ聞く。
「北の割れ角岩」
「巣がある?」
「見たことはない」
「鎧羽ガラスは昼に動く」
ゴルナが羽を布へ包み直す。
「今から追えば、向こうも見つけるよ」
「見つかる前に探す」
「空を飛ぶ相手に?」
「俺も飛べる」
服を着た人型のままではない。
ゴルナは一度、取引小屋の外を見る。
「集落の上では変わるな」
「分かってる」
「人の道からも離れて」
「分かってる」
「二回言う時は、あまり分かってないね」
フィナが机の羽を見る。
「割れ角岩までなら、私が道を知ってる」
「一人で行く」
「地面の跡は見ないの?」
「鳥だ」
「食べたものは地面へ落ちる」
言い返せなかった。
「私も行く」
入口にレグが立っていた。
槍を持っている。
「走れる?」
「走らなければいい」
「大ガラスが来たら」
「槍で落とす」
「上まで届く?」
「低く来れば」
「来なかったら」
「うるさい」
フィナがレグの右脚を見る。
「斜面はまだ無理」
「歩ける」
「逃げる時は?」
レグは答えなかった。
「俺とフィナで見る」
「戦うのか」
「見てから」
「一羽なら」
「普通は二羽の時もある」
「だから俺も行く」
「二羽いたら、脚が治る?」
レグの耳が後ろへ倒れた。
ゴルナが机を指で叩く。
「レグは小門」
「俺が決める」
「見張りを抜けるなら、代わりを決めてからにしな」
「フィナは抜ける」
「朝の罠を見た後だ」
「俺は」
「今から代わりを探せば、昼になる」
レグは槍の石突きを床へついた。
「見つけたら戻れ」
「先に襲われたら?」
フィナが聞く。
「逃げろ」
「兄さんが言うんだ」
「脚が治ったら追う」
取引小屋を出る。
フィナは短弓と三本の矢、細い縄を持った。
俺は人型のまま、小門から離れる。
集落が木々の向こうへ隠れてから、服を脱いだ。
「そこに置く?」
「戻る」
「大ガラスに取られたら」
岩の割れ目へ押し込む。
「食わない」
「光るものを取るって聞いた」
登録証と鍵は、服の内側にある。
上から石を一つ置いた。
「あれを動かせる鳥なら?」
「追って殺す」
「今から追う鳥でしょ」
蝙蝠の姿へ変わる。
フィナが視線を外さず、骨と皮膚が縮むところを見ていた。
『何』
念話で聞くと、フィナは俺の翼を指した。
「変わるの、進化した時より早い」
『慣れた』
翼を開く。
昼の光は強い。
夜より遠くまで見えるが、影へ入るたびに明るさが変わった。
低く飛び、フィナの少し前を進む。
割れ角岩は、黒骨洞の北側に立つ二本の岩柱だった。
上が途中で割れ、獣の角に見える。
近づく前に、フィナがしゃがんだ。
「ここ」
草の上に、白い汚れが落ちている。
鳥の糞。
中へ、小さな骨が混じっていた。
「鼠?」
「頭は」
フィナが細い骨を並べる。
「鳥か、コウモリ」
黒い毛も落ちている。
血吸いコウモリのものだった。
『近い?』
「新しい」
草の先が、まだ白く固まっていない。
音を広げる。
岩柱の上から、大きな輪郭が返ってきた。
一羽。
翼を畳んでも、俺より大きい。
少し離れた裂け目に、もう一羽いる。
『二羽』
「見える?」
『上』
竜眼を向ける。
最初の一羽へ名前が出た。
【鎧羽ガラス】
もう一羽も同じだった。
「つがい?」
『分からない』
「巣は」
岩柱の裂け目には、枝がない。
卵も雛も見えなかった。
休む場所にしているだけらしい。
一羽が頭を動かした。
俺たちへ横顔を向ける。
気づいている。
『下がる』
フィナが草の陰へ入る。
俺も低い枝へ移った。
鎧羽ガラスは飛ばない。
黒い目が、しばらくこちらを見ていた。
「来ない?」
『待ってる』
「何を」
岩柱の上で、鎧羽ガラスが嘴を足元へ入れた。
小石を一つくわえる。
首を振った。
『動いて』
フィナが横へ転がる。
次の瞬間、小石が草へ突き刺さった。
さっきまでフィナの頭があった場所だった。
「石を投げた?」
『落とした』
「同じでしょ」
二羽目が翼を開く。
硬い羽同士が擦れ、薄い金属みたいな音がした。
一羽ではなかった。
餌を取りに来るだけの鳥でもなかった。
二羽目が岩柱から飛び立った。
硬い羽音が近づく。
『岩の下へ』
フィナが身を低くする。
割れ角岩の根元には、人一人が入れる隙間があった。
そこまで走る。
鎧羽ガラスは、俺ではなくフィナへ向かった。
翼を畳み、嘴を前へ出す。
速い。
横から音撃を当てた。
黒い体が揺れる。
狙いは外れたが、落ちなかった。
翼を一度広げるだけで向きを戻す。
フィナの背後へ着地した。
嘴が土を抉る。
「近い!」
フィナが前へ転がった。
振り向きながら矢を放つ。
矢尻は胸の羽へ当たり、横へ弾かれた。
鎧羽ガラスが口を開く。
低い声が、岩の間へ響いた。
もう一羽が飛ぶ。
上に残っていた方だ。
俺へ向かってくる。
正面から音撃を放った。
頭が下がる。
嘴を避け、背中へ爪を向けた。
硬い羽に触れる。
掴めない。
爪先が滑り、そのまま翼の上を通り過ぎた。
鎧羽ガラスが体を捻る。
羽の縁が、左翼の膜へ当たった。
薄い痛みが走る。
空気が抜けた。
片方の翼だけが遅れる。
落ちる前に、低い枝へ爪をかけた。
「ミナト!」
『岩へ』
「そっちが」
『行って』
フィナの近くにいる一羽は、地面へ降りている。
岩の隙間まで、あと少し。
俺が枝から離れる。
左翼が引っ張られた。
飛べる。
速くはない。
フィナの上へ回り、音を落とす。
鎧羽ガラスが俺を見上げ、嘴を開いた。
黒い舌が見えた。
その口の中へ音撃を当てる。
声が途中で潰れた。
頭を振って一歩下がった隙に、フィナが岩の隙間へ滑り込み、俺も後を追った。
入り口へ突き込まれた硬い嘴が、岩を噛む。
欠けた石が、俺の翼へ落ちた。
さらに奥へ下がると、鎧羽ガラスの頭は入ってこなかった。
外でも翼が動き、もう一羽も降りたらしい。
「怪我は」
『左』
「見せて」
翼を広げると、膜に細い切れ目があったが、血は少ない。
「羽で切られた?」
『硬い』
「矢も弾いた」
フィナが残る二本を数える。
「目か腹じゃないと刺さらない」
『脚』
「翼の下も」
外から小石が転がってきた。
鎧羽ガラスが、岩の隙間へ落としている。
一つ。
もう一つ。
中までは届かない。
「待ってたら諦める?」
『分からない』
「さっきから、それ多いね」
『初めて戦う』
「私も」
フィナは、少し笑った。
外の心音を数える。
二つ。
一羽は隙間の前。
もう一羽は、少し高い場所にいる。
片方だけが近づき、片方は周りを見ていた。
交代する。
嘴が引っ込むと、上にいた一羽が降りてくる。
休まず追うのではなく、一羽ずつ動いている。
『二羽で一つ』
「片方を離せたら?」
『殺せる』
「今は」
左翼を動かす。
切れ目が広がりそうになった。
『無理』
岩の隙間は、奥で別の穴へつながっていた。
フィナが土へ鼻を近づける。
「風が来る」
『通れる?』
「私なら」
『先』
細い穴を進む。
フィナの尾が、土へ擦れた。
俺は翼を畳み、爪で這う。
途中から暗くなった。
昼の光より動きやすい。
後ろで、嘴が岩を叩く音が続いている。
穴の出口は、割れ角岩の裏側にあった。
先にフィナが顔を出す。
「いない」
外へ出る。
飛ばず、木の根元へ入った。
鎧羽ガラスは、まだ反対側の隙間を見ている。
音を立てないよう、低い木の下を離れた。
割れ角岩が見えなくなってから、フィナが息を吐く。
「逃げた」
『見つけた』
「何を」
『二羽と、硬い羽』
「負けた場所も?」
『まだ負けてない』
「勝ってもない」
変化を解き、人型へ戻る。
左の上腕に、細い傷が現れた。
翼の膜より短い。
血は止まりかけている。
服を置いた岩へ戻る。
上の石は動いていなかった。
登録証も鍵も残っている。
服を着ている間、フィナが空を見張った。
「追ってこない」
「岩を見てる」
「あそこが縄張り?」
「たぶん」
「荷置き場までは離れてる」
「飛べば近い」
集落へ戻る。
レグは、小門の外で待っていた。
俺の左腕を先に見る。
「倒したか」
「二羽いた」
「倒したのか」
「逃げた」
「何で」
「フィナを連れてた」
「私がいたから?」
フィナの声が低くなる。
「左翼を切られた」
「私がいなくても同じでしょ」
「地面の一羽を見なくていい」
「じゃあ、逃げる穴は誰が見つけたの」
フィナの鼻先には、狭い穴を抜けた時の土がついていた。
「フィナ」
「私も逃げたかったから探したんだよ。連れてたから逃げたみたいに言わないで」
左腕へ目を落とす。
今の翼で一人になっても、二羽には勝てない。
レグが二人の間へ槍を置いた。
「中でやれ」
取引小屋へ戻る。
ゴルナは俺の傷を見ても驚かなかった。
「二羽だった?」
「二羽」
「追われた?」
「岩の隙間まで」
「次はどうする」
「分ける」
「何を使う」
残る六匹の心音が浮かんだ。
「黒巣のコウモリは使わない」
「じゃあ、肉だね」
ゴルナが言う。
「鎧羽ガラスは、生きたものが好きでも、ただの肉を捨てはしない」
「地面へ下りる?」
「安全だと思えば」
フィナが細い縄を机へ置いた。
「一羽が下りた時、もう一羽は上で見てる」
「上の一羽を俺が狩る」
「下のは」
「罠で残す」
次は、二羽のまま戦わない。




