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最弱コウモリ幼体に転生したので、血を吸って進化する  作者: HATENA 
第6章 魔境を拓く者

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第114話 一匹足りない

 個室へ入り、鍵をかけた。


 右手の甲は、まだ赤い。


 トアスから渡された壺を開ける。


 薬は白く、鼻へ刺さる匂いがした。


 指先で薄く塗る。


 冷たい。


 すぐに痒みが消えたわけではない。


 掻かずに済む程度には弱くなった。


 壺を閉じ、机へ置く。


 古い文字表。


 ヴァルカ商会の札。


 二十日契約の紙。


 どれも、出た時と同じ場所に残っていた。


 財布を開く。


 銀貨四枚と銅貨五枚。


 最初にこの部屋を七日借りた時は、銀貨二枚と銅貨八枚を払い、銅貨五枚しか残らなかった。


 同じだけ払っても、今度は銀貨一枚と銅貨七枚が残る。


 金を数えている間に、眠っていた。


 朝、手の赤みは薄くなっていた。


 指を曲げる。


 痒みはあるが、痛みはない。


 右腕の古い傷も、昨日より軽い。


 荷物を机へ残したまま、食堂へ下りる。


 片靴亭の主人が、俺の前へ手を出した。


「鍵」

「まだ朝」

「朝までの契約だよ」

「もう七日」

「借りるのかい」

「借りる」

「また途中で怪我して戻らないんじゃないだろうね」

「戻った」

「井戸の魔物を連れて?」

「連れてない」

「ならいい」


 銀貨二枚と銅貨八枚を渡す。


 主人は一枚ずつ数え、木札へ新しい線を七本入れた。


「今日から七日」

「部屋にいない日も?」

「荷物がいるなら、部屋も使ってる」

「黒巣の方が広い」

「なら、そっちへ置けばよかったね」


 契約書を黒巣へ置く気はない。


 鍵を受け取る。


 残った金は、銀貨一枚と銅貨七枚。


 豆と卵の朝食に銅貨一枚。


 食肉解体店で豚の血に銅貨一枚。


 喉の乾きが消え、所持金は銀貨一枚と銅貨五枚になった。


 治療所へ壺を持っていく。


 入口では、ベンが壁へ手をついて歩いていた。


「もう外?」

「寝台の周りだけだ」

「オルンは」

「飯を食ってる」

「ジル」

「まだ粥だけ」


 三人とも、生きている。


 ベンが俺の手を見る。


「それも井戸か」

「中にいた魔物」

「殺した?」

「逃がした」

「戻ってくる?」

「戻れないように蓋をした」

「完全に?」

「応急」

「じゃあ、まだ二号へは戻れないな」

「井戸も使えない」

「分かってる」


 ベンは、歩くのを再開した。


 一周する前に、寝台へ戻る。


 セルカが薬壺の中を見る。


「一度使った?」

「夜」

「今日は」

「まだ」

「もう一度塗ってください」

「返すのは」

「赤みが消えてから」

「余ったら返せと言われた」

「トアスさんの壺なので」

「使い切ったら」

「それは返さなくていいって、どういう意味なんでしょうね」

「俺も聞いた」


 セルカが薬を塗り直す。


 手の甲に、薄い布を巻かれた。


「右腕は」

「動く」

「見せて」


 古い傷を押される。


 痛みはある。


 指先へ痺れは走らなかった。


「重いものを持たなければ、もう固定はいりません」

「刀は」

「振ってから聞かないでください」

「まだ振ってない」

「今日は?」

「黒巣へ戻る」

「また泊まる?」

「たぶん」

「布を濡らさないで」

「洞窟は濡れてる」

「なら、外してください」

「どっち」

「濡れたまま巻くより、外す方がましです」


 治療所を出る。


 ギルドの掲示板には、第二見張り小屋の紙が残っていた。


 井戸水の汲み出し。


 古い水抜きの修理。


 第一小屋から飲み水を運ぶ荷車の護衛。


 三つに分かれている。


「受けますか」


 ネラが聞く。


「俺が?」

「見つけた場所を知っています」

「誰も受けてない?」

「汲み出しは井戸職人、水抜きは石工組合が受けました」

「護衛は」

「衛兵と別のEランク二人です」

「なら、俺はいらない」

「いなくても進みます」


 紙を見つけた俺が、最後まで行く必要はなかった。


「町を出る」

「何日ですか」

「二日か三日」

「戻る予定は」

「苔があれば運ぶ」

「長引く場合は、門から伝言を入れてください」

「五日の確認はなくなった」

「確認ではなく、行方不明者にしないためです」


 東門で行き先を北東の岩場とだけ書いてもらう。


 黒骨洞とは言わない。


 門を出る前に、狩猟刀を抜いた。


 右手で一度だけ振る。


 古い傷の奥に重さは残るが、痺れなかった。


 鞘へ戻す。


 七日分の鍵を持ったまま、黒巣へ向かった。


 三本爪の水路へ着く前に、日が沈んだ。


 町で巻かれた布は外してある。


 手の甲の赤みは、ほとんど消えていた。


 痒みも歩いている間に気にならなくなった。


 古い水路へ入る。


 入口へ重ねた背殻は閉じている。


 動かされた跡もない。


 いつもなら、その前に黒い糞がいくつか落ちていた。


 今日はなかった。


 天井を探す。


 心音は返ってこない。


「いない」


 血吸いコウモリは、黒巣へ戻ったのかもしれない。


 背殻へ手をかける。


 隙間に、長い羽が挟まっていた。


 黒い。


 先へ向かうほど灰色になり、縁だけが硬く光っている。


 引き抜こうとして、指を止めた。


 羽の端が、手の皮へ浅く食い込んだ。


 鳥の羽にしては硬い。


 血の匂いも残っていた。


 俺のものではない。


 血吸いコウモリの匂いだった。


 周囲を見上げると、水路の高い場所に爪で石を掻いた跡が三本残っていた。


 血吸いコウモリよりずっと長い。


 背殻を動かして荷置き場へ入ると、棚には乾いた灰灯苔が六束並んでいた。


 葉の厚みは減り、弱い光だけが残っていた。


 横に置かれた木札には六本の短い線があり、その後ろに日を示す印が四つ続いている。


 俺が来なかったため、三日を越えたところで乾かしたらしい。


 ゴルナたちは、決めた通りに動いていた。


 棚の下には、薄羽虫の殻が二つ落ちている。


 前に血吸いコウモリが食べたものかもしれない。


 新しい糞はない。


 長い羽を布へ包み、荷物へ入れる。


 乾いた苔は、ここへ残した。


 明日、ゴルナに繰越札と数を確かめてから運ぶ。


 黒巣へ向かう。


 入口の金属線は切れていない。


 外側から、六つの心音が返ってきた。


 血牙コウモリが一匹。


 血吸いコウモリが五匹。


 荷置き場にいた一匹は、ここにもいない。


 中へ入ると、天井の六匹が少し奥へ寄った。


 餌を奪われた跡はない。


 床の小さな骨も、乾いた肉も残っている。


 外から何かが入った匂いもなかった。


 襲われたのは、荷置き場の外だけだった。


 服を脱ぎ、右腕をかばいながら蝙蝠の姿へ変わった。


 骨が縮んで腕が翼へ戻る途中、古い傷が一度だけ引きつった。


 それでも、翼は最後まで開いた。


 天井へ飛び、黒巣の高い割れ目を一つずつ見る。


 知らない羽はない。


 血吸いコウモリの死骸もなかった。


 外へ出た。


 夜の空気が翼へ当たる。


 周囲へ音を広げる。


 岩。


 低い木。


 古い水路の入口。


 少し離れた場所に、鳥が二羽いる。


 小さい。


 枝で眠っているだけだった。


 大きなものは返ってこない。


 荷置き場の上を一度回ると、石の隙間に少量の血が乾いていた。


 ここで噛まれたか、爪を立てられた。


 死骸がないなら、持っていかれた可能性が高い。


 黒巣へ戻って天井へ止まると、血牙コウモリが近づいてきた。


 俺の翼へ鼻先を寄せる。


 違う血の匂いを探している。


「一匹、いない」


 返事はない。


 血牙コウモリは羽を畳み、少し離れた。


 翌朝、人型へ戻って集落へ向かった。


 小門の見張りは、俺を見る前に空を見た。


「何か来る?」

「今はいない」

「昨日も見た?」

「黒い大鳥が一度」

「どこ」

「荷置き場の方から飛んでいった」

「何か持ってた?」

「小さい黒いもの」


 血吸いコウモリだ。


 取引小屋で、包んだ羽を机へ置いた。


 フィナが開こうとする。


「端を持つな」

「切れる?」

「少し」


 布ごと広げる。


 ゴルナが羽の根元をつまんだ。


「鎧羽(よろいばね)ガラスだね」

「一匹?」

「見たのは一匹」


 小門の見張りが答える。


「普通は?」

「二羽で来ることもある」

「何を食う」

「小鳥、鼠、飛ぶ魔物」


 フィナが羽を光へ透かす。


「苔も?」

「苔は食わない」

「でも、ここに来た」

「虫を食ってたコウモリを見つけたんだろう」


 ゴルナが羽を机へ戻す。


「一度餌を取った場所には、また来る」

「いつ」

「腹が減った時だよ」


 黒巣には、まだ六匹いる。

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