第108話 返事のない見張り小屋
その夜は黒巣で眠った。
朝、外側の心音は六つ。
荷置き場へ動く一匹を足せば、七匹のままだった。
町へ戻る。
東門で登録証を出すと、門兵が深緑の縁を見る。
「上がったのか」
「一昨日」
「なら、町を出る時の届けも忘れるな」
「さっき戻った」
「次に出る時の話だ」
片靴亭の残りは五泊になっていた。
荷物はそのまま残っている。
自分の金だけが、銅貨三枚しかない。
ギルドへ向かう。
Fランクの依頼札より、一段上に別の札が並んでいた。
前にも見ていたが、自分で取ることはできなかった場所だ。
「どれを読む?」
横から声がした。
リオナが、弓を背負って立っている。
「全部」
「一日かかりますよ」
「読める?」
「全部は無理です」
「なら同じ」
「セインよりは読めます」
リオナは、俺が手を伸ばしかけた札を横から覗いた。
「最初から全部受ける気じゃないでしょうね」
「選ぶために聞いた」
「なら、何をしたいんですか」
「次の宿代を残したい」
「……もう次の宿代ですか」
俺の手元から依頼板へ目を戻したリオナが、少し考えて一枚の札を取った。
上に、見張り台の絵と数字の二がある。
「何」
「北東第二見張り小屋への補給と確認」
「第二?」
「砦町から北東へ続く道に、小さい見張り小屋が三つあります。農地へ下りてくる魔物と、街道の火を見る場所です」
「火?」
「夜に決まった回数、覆いを開けて灯りを見せるんです」
一つ目の小屋から二つ目。
二つ目から町の壁。
灯りが順に見えれば、見張りがいると分かる。
「二度、見えなかった」
「昨日と一昨日」
「いない?」
「分からないから見に行く依頼です」
札を受付へ持っていく。
ネラが補給品の一覧を読む。
「灯油一缶、乾燥豆一袋、交換用の灯り覆い、伝令用紙」
「重い?」
「一人で運ぶには」
リオナが俺を見る。
「二人なら持てます」
「俺が油?」
「傷が治ったなら」
「治った」
「強く握っても?」
「少し痛い」
「治ってないじゃないですか」
「使える」
ネラが依頼票を置く。
「見張り小屋には、衛兵二名と補助員一名がいる予定です」
「予定?」
「交代記録が正しければ」
「最後に見たのは」
「三日前、農家の荷車が近くを通っています」
「その時は?」
「煙が出ていたそうです」
襲撃の跡を確認したわけではない。
合図が二度なかっただけ。
「中に誰もいなかったら」
「周囲を確認し、戦闘痕や魔物の痕跡があれば戻ってください」
「誰か倒れてたら?」
「救助できる範囲で安定させ、一人が町へ知らせます」
「魔物がいても、依頼は補給と確認です。戦わず帰ってください」
「分かった」
報酬は一人、銀貨一枚と銅貨八枚。
二日以内。
何も起きていなくても、補給品を届ければ受け取れる。
「受ける」
「私が先に取った依頼です」
「二人必要」
「まだ誘ってません」
「誰を誘うつもりだった」
リオナが少し黙る。
「ベルクさんか、エッダ」
「二人とも上だ」
「断られたら、受付へ組める人を聞こうと思ってました」
「俺がいる」
「油を落とさない?」
「落とさない」
「右腕は」
「使える」
リオナはネラを見る。
「Eランクへ上がったばかりでも大丈夫ですか」
「条件上は」
「条件以外は」
「リオナさんが決めてください」
依頼を先に取ったのはリオナだ。
俺がEになっても、そこは変わらない。
「明日の朝、東門」
「今日じゃない?」
「補給品の受け取りが夕方です」
「今受け取れば」
「油缶を持って片靴亭へ泊まらないでください」
前に服へついた油の匂いは、何度洗っても残った。
「明日でいい」
臨時同行の欄へ名前を書く。
Eランクで最初の依頼は、リオナの名前の下に並んだ。
朝、東門で油缶を受け取った。
蓋を革紐で二重に縛る。
振っても、中の油は漏れなかった。
「振らないでください」
リオナが言う。
「漏れるか見た」
「道の途中でやってください」
「漏れたら遅い」
「ここで漏らしたら、門兵に怒られます」
門兵はもうこちらを見ていた。
油缶を背負い籠へ入れる。
リオナは乾燥豆の袋と、布へ包んだ灯り覆いを持つ。
「そっちの方が軽い」
「弓と矢もあります」
「油も重い」
「落とさないと言ったでしょう」
東門を出る。
北東農道の途中までは、道標の確認で通った道だった。
塗り直した三本目の白が、朝日を返している。
六本目の分岐には、道番らしい男が二人いた。
寝かせた石標を起こさず、橋の下を見ている。
丘沿いの木杭も残っていた。
「あれ、セインが?」
リオナが聞く。
「ドレルとサーナも」
「誰ですか」
「道を動かした二人」
「また何かあったんですね」
「粉車が沈んだ」
「その話、今日の帰りに聞きます」
「今は?」
「見張り小屋が先です」
リオナが歩く速さを上げる。
町の農地を抜けると、道は低い丘へ続いた。
畑が減り、背の高い草と小さな林が増える。
右腕に、油缶の重さが少しずつ残った。
肩紐を左へ寄せる。
「痛む?」
「少し」
「持ちますか」
「弓がある」
「交代で持つ話です」
「まだ持てる」
「持てなくなってから言わないでください」
セルカとベッカの顔まで浮かんだ。
「リオナは何してた」
「何がですか」
「見なかった間、何をしてた」
「エッダと何度か組んで、あとは町の近くで一人。ダリオさんが盾を持って歩けるまでは、元の四人では受けられませんから」
「ユアンは?」
「隊商の護衛補助です。セルカさんは治療所へ」
「セルカには会った」
「仕事で?」
「腕を巻かれた」
「また?」
「大モグラ」
リオナが足を止めた。
「大モグラって、どれくらいですか」
「牛くらい」
「それを先に言ってください」
「もう死んだ」
「死んだ後に聞いてるから言えるんです」
歩きながら、閉鎖石切り場の話をした。
子供。
落とした石板。
投降した者と、まだ武器を持っていた者。
未払いの賃金板。
リオナは途中で何度か聞いたが、善悪を決めるようなことは言わなかった。
「それでEに?」
「十件目は道標」
「大モグラじゃないんだ」
「十件必要だった」
「変なところで順番を守りますよね」
丘の上に、最初の見張り小屋が見えた。
石積みの土台へ、木の小屋が載っている。
屋根の端には、黒い覆いのついた灯り台があった。
見張りが一人、外へ出てくる。
「二号へ行くのか」
「補給と確認です」
リオナが依頼票を見せる。
「昨夜も見えなかった」
「煙は」
「一昨日の昼から上がってない」
「誰か見に行かなかったんですか」
「こっちも二人しかいない」
一人が離れれば、最初の見張り小屋が空く。
「三号は」
「昼の煙は上がってる」
二号だけが止まっていた。
見張りは、水を入れた革袋を一つ渡した。
「向こうの井戸は使うな」
「何で」
「三日前に通った農夫が、臭ったと言ってた」
「それを町へ」
「昨日の朝、伝令へ話した」
「依頼票にはない」
リオナが紙を見る。
「私たちが依頼を受けた後に届いたのかもしれません」
「飲んだ?」
「見張りが?」
「二号の三人」
男は答えなかった。
分からないらしい。
水袋をリオナが受け取る。
「先に行きます」
二号の小屋までは、さらに一刻ほどだった。
途中から、人の足跡が減った。
雨の後についた新しい跡はない。
小屋は、斜面の途中に立っていた。
扉は閉じている。
窓の覆いも下りたまま。
煙もない。
心音は三つあった。
どれも遅く、動いていない。
「中にいる」
俺が言う。
リオナが扉を叩く。
「ギルドの補給です!」
返事はない。
もう一度叩く。
中で、一つの心音が速くなった。
何かを引きずる音がする。
扉の向こうから、掠れた声がした。
「水を、飲むな」




