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魔女のための童話はない  作者: HoneyApis
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Ch.01 修道院の魔女 002

「はっ、はっ」


少年の荒い息遣いが、狭い空き地に響き渡る。

黄金色の髪は汗で濡れ頬に張り付き、青い瞳は土埃の積もった訓練道具を鋭く見据えている。


「あーもう、これ以上は無理だ!」


がちゃん!アーサーは腕に巻いていた鎖を解き、地面へと荒々しく投げつける。

そのまま青々とした芝生の上に大の字に倒れ込む。


「風が気持ちいい!」


額に滲んだ汗を袖の端で乱暴に拭うと、夕焼けに赤く染まる空を横切る白い雲が鮮やかに目に入る。

そよ風が吹いてきて、汗でじっとりした額を涼しく冷やしてくれる。


「どこへ行ったのかと思ったら、やっぱりここにいたのね」


茶色の髪を長く垂らしたテリサが、茂みの間からひょっこりと顔を出す。

寝転んでいるアーサーの頭の傍に近づいたせいで、アーサーの視界にはテリサの顔が逆さまに映る。


「テリサ、うわっ⋯。髪どけてよ」


「こんな遠くまで探しに来た人への第一声が『うわっ』って何なの、『うわっ』って?」


アーサーは手を振り、顔をくすぐるテリサの髪をはらいのける。

テリサがぶつぶつ言いながら退くと、アーサーは手のひらで頬をざっと擦りながら身を起こす。


「⋯ここはどうして知ってたの?」


「アーサー、あなたここ以外に行く場所ある?頭がごちゃごちゃすることがあると、必ずここに来て体を動かすじゃない。人も通らない場所だから、まさにあなたのアジトよね」


テリサが軽くたしなめながら、冷たい水の入った革の水筒を差し出す。


「もう、見てよこれ。野獣でも暴れたのかと思ったわ。いったい何なのこれ?」


テリサは訓練の痕跡でぼこぼこに削れた空き地の地面を見て、眉をひそめる。


「野獣がよく出るって噂が立てば誰も来ない。そうしてこそ本当に自分だけの空間になるんだよ」


「とにかく散らかす人が別にいて、片付ける人が別にいるんだから」


アーサーはテリサの言葉に照れくさそうにへへっと笑いながら、水筒を傾ける。

ごくごく、冷たい水が喉を流れ落ちて、ようやく生き返った気がする。


「⋯だったら、なんであんなに大事を起こしたの?」


テリサの核心をついた問いに、アーサーは水筒を口から離してごまかす。


「はは⋯」


「また聞いたら笑ってごまかすつもりでしょ?」


「そういえばテリサ、ここには本当に何しに来たの?」


話を逸らそうとする魂胆が丸見えだと、テリサは鋭い目つきでアーサーをにらむ。

アーサーがそっと目を逸らすと、テリサはついに深いため息をつく。


「ダリア修道院長先生がお呼びよ。エドウィン学長先生がもうすぐ到着されるから、あなたを連れてきてって言われたの」


「エドウィン学長先生が⋯」


アーサーは困った顔で両目をぎゅっと閉じ、後頭部をかく。


「アーサー⋯もちろん私も気にならないわけじゃないけど、ねえ、私には言いたくなければ言わなくていい。でもエドウィン学長先生にはちゃんと話さないといけないんじゃないかな?今すぐあなたが⋯」


「自分でなんとかする⋯」


アーサーが語尾を濁して顔を背ける。


「意地っ張りも、こんな意地っ張りはいないわよ」


テリサはもう少し言い聞かせようとして、唇をぐっとつぐんで言葉を飲み込む。


「⋯そろそろ降りよう」


アーサーは水筒に残った水をすべて飲み干し、立ち上がってお尻についた土と草をぱんぱんと払う。


「どこへそのまま行こうっていうの?」


「⋯どこって。迎えに来たんじゃなかったの?ダリア先生が待ってるって言ってたじゃない」


「ちょっとここを一回見てもらえる?」


テリサが指で空き地を指さす。

アーサーの視線が向いた先には、壊れた木材とあちこちにぽっかり開いた穴がぐちゃぐちゃに散らばっている。

自分が作り出した散々な光景に、アーサーはこっそり目を泳がせて視線を逸らす。


「このまま置いて行くつもり?」


「⋯これを全部片付けたらすごく時間がかかるよ」


「それでも散らかしたものは片付けないと」


「大人たちが待ってるじゃない。早く降りるのが助けることになるんじゃない?」


「まあ!それじゃあ遅れないようにさっさと片付けなきゃね!」


テリサがぱんと手を叩いて明るく笑う。

逃げ場がどこにもない。

アーサーはため息をどっとついて諦めた顔で、地面に落ちていた鎖からとぼとぼと拾い上げ始める。


***


ローウェン修道院は、カンディア教会の裏門へと続く険しい土の道の果て、ひっそりとした丘の上に凛と立っている。バンは背に巨大な黒鉄の大剣を背負ったまま、エドウィンの後をしんと歩む。


「エドウィン、私が生きてきて骨身に染みて感じたんだが、歳をとるほど体は動かさなければならない。このなだらかな丘を登っただけでもう息を切らすとは、普段から散歩くらい⋯」


「着きましたよ⋯。どうぞ⋯」


息が顎の先まで上がったエドウィンは、バンの小言を遮るように修道院の古びた正門をどんどんと荒々しく叩く。

ぎいっ、重い扉が開き、あどけない顔の修道女が顔を覗かせる。


「どちら様で⋯あ、エドウィン神父様ですね」


修道女はエドウィンを見てほっとした様子を見せたが、やがて彼の後ろに立つバンを見つけて目を細める。神学校の人間でもない外部の者が、それも大柄な大剣を背に担いで立っているとなれば、警戒するのも当然だ。


「ところで隣にいらっしゃる方は⋯」


「私の古い知人です。修道院長にじかにお話ししたいことがあって、一緒に参りました」


「⋯少々お待ちください」


修道女は扉を少し閉めて中へ入る。しばらくして中から足音が聞こえ、白いベールをかぶった年配の修道女が姿を現す。穏やかな気品の漂う顔、ダリア修道院長だ。


「ダリア修道院長、その間お変わりありませんでしたか」


「おかげさまで。エドウィン学長もお元気そうで何よりです」


二人は長い年月をかけて築かれた信頼の滲む眼差しで、軽く礼を交わす。

バンが一歩前に出る。


「バン・ドミルと申します。バンとお呼びください」


「バン様、ローウェン修道院へようこそ」


「お目にかかれて光栄です」


「緊急にお話ししたいことがおありと伺いましたが」


ダリアはバンの威圧感のある体格と武器にもまったく動じず、穏やかな微笑みを浮かべる。


「お二方とも遠いところお疲れでしょう。ちょうど中で子どもたちと食事の準備をしておりますので、入って温かいスープでも召し上がりながらお話ししましょう。こちらへどうぞ」


***


からからん、食堂の中は子どもたちがフォークとナイフを握って皿を引っかく、にぎやかな音でいっぱいだ。

バンとエドウィン、ダリアは食堂の一角に設けられたテーブルに向かい合って座り、話を続ける。


「⋯最近カンディアへの外部からの往来がめっきり増えました」


「そうなのです。私にとっては大変貴重なお客様なのですが、路上に野宿させるわけにもいかなくて⋯。失礼と存じながらも、数日間こちらのローウェン修道院に滞在できないかと、厚かましくもお尋ねする次第です」


エドウィンが慎重に申し出ると、ダリアは静かに目を閉じて思案する。

しかし沈黙はそれほど長くはない。


「わかりました。エドウィン学長がこれほど保証なさる方を、断る理由はありません」


ダリアは食事中の子どもたちが集まる方へ顔を向ける。


「トゥリアン、少しこちらへ来てもらえますか?」


ダリアが呼ぶと、さきほど正門で一行を迎えたオレンジ色の髪の修道女がエプロンを整えながら足早にやってくる。


「バン様、こちらはトゥリアン修道女です。修道院の雑用を一手に引き受けてくれる、ありがたい子ですよ。お過ごしの間に必要なことがあれば、気軽にトゥリアンに申しつけてください」


「よろしくお願いします」


バンが軽く頭を下げると、トゥリアンもふわりと微笑みながら挨拶を返す。


「トゥリアン、食事が終わり次第、バン様に修道院の内部をご案内して差し上げてください」


「お部屋はどちらに準備いたしましょうか、院長様?」


「三階の一番奥の部屋にしてあげてください。風が入って少し肌寒いですが、冬も過ぎましたし部屋が広いので、大人の男性がお過ごしになるのに不足はないでしょう」


「はい、そのように準備します」


トゥリアンはきびきびと答え、再ぴさえずる子どもたちのいるテーブルへと歩を向ける。


「そういえばバレン修道女がお見えになりませんね」


エドウィンが周りを見回しながら問う。


食堂にいる修道女は、ダリアとさきほどのトゥリアン、それに遠くに一人が見えるだけで、合わせて三人だけだ。


「ああ、バレン修道女は少し体がつらくて、部屋で休んでいます」


「ずいぶん具合が悪いのですか?」


「それほど心配するような大病ではありません。ただ私たちのように歳をとると、ちょっとした風邪でも節々が痛むものでしてね」


ダリアは安心させるように柔らかな微笑みを浮かべ、茶を一口飲む。


「せっかくこうして名乗り合うついでに、バン様にまだご挨拶できていないレイラ修道女もご紹介しなければなりませんね。レイラ!」


ダリアの声に、濃紺のショートヘアを清潔に切りそろえた修道女が子どもたちの食器を拭く手を止め、急いで近づいてくる。


「レイラ、ご挨拶なさい。しばらく私どもの修道院にお泊まりになるお客様の、バン様ですよ」


「バン・ドミルと申します。どうぞよろしく」


ぴたっ、バンの自己紹介が終わった瞬間、テーブルの上の空気が凍りつくように冷える。

レイラの口元に漂っていた柔らかな微笑みがたちまち硬く固まり、ダリアもじっとバンを見つめる。

バンは鋭敏な感覚でその刹那の違和感をすかさず捉え、眉をひそめる。


「⋯私が失礼を犯してしまったようですね。どんな無作法をしてしまったか、お伺いしてもよいですか?」


バンが頭をかきながら問う。


「あまり深刻にお考えにならなくても大丈夫です。外部の方が前もって知って守るのは不可能な決まりですから」


ダリアは再び穏やかな眼差しでバンを見ながら説明する。


「こちらのローウェン修道院の中では、互いを呼ぶときも自己紹介をするときも、絶対に『姓』をつけて言わないことが絶対的な規則なのです。修道女たちはもちろん、子どもたちに接するときも同じです」


「⋯理由がありますか?」


「ここは親を亡くしてひとり残された子どもたちが育つ場所です。ある子どもたちは自分の姓をしっかり覚えていますが、ある子どもたちは姓が何かも知らないまま育ちます。私たちは子どもたちが修道院の中では、そんな些細な違いで傷ついたり疎外感を覚えたりしないよう願っています。それで姓をつけて呼ぶことを禁じているのです」


「なるほど。思いやりのある規則ですね」


「ちなみに私ども修道女たちの本来の姓も、子どもたちに知られないよう秘密にしておりますので、ご了承ください」


バンは思いがけない細やかな配慮に胸の奥がじんとして、なんとなく首の後ろをなでる。


「私の自己紹介が遅れました。女の子たちと食堂の管理を担当しているレイラです」


レイラが場の空気を明るくしようとするように、一段と明るい声で手を軽く叩く。


「お過ごしの間、特に召し上がれないものがあれば前もっておっしゃってください。好きな食べ物を教えていただいてもいいですよ。ただし、好き嫌いは絶対禁止です!なんでも食べてこそ丈夫になれますから」


「私はなんでも食べられますので、ご心配なく」


「おじさん!ほうれん草まずいって言ってください!」


「そうです!朝にほうれん草が出るの嫌なんです!」


隣のテーブルで耳をそばだてて聞き耳を立てていた子どもたちが、バンの返事に一斉にブーイングを送って叫ぶ。


「こらこら!好き嫌いしたら背が伸びないって言ったでしょ?明日の朝は特別にほうれん草たっぷりのサラダよ!」


レイラがわざと厳しい顔で脅すと、子どもたちがうわーっと声を上げて泣き顔になる。

遠くでトゥリアンが子どもたちに近づいてお皿に残った野菜を食べるよう小言を始め、ダリアはその様子を見ながら口に手を当てて声なく笑う。


「ところでアーサーが見当たりませんね」


食事がほぼ終わる頃、エドウィンがハンカチで口を拭いながら周りをきょろきょろと見回す。


「そうですね。さきほどテリサを行かせたのですが、少し遅れているようで。学長、アーサーが来るまでもう少しお待ちになりますか?それとも⋯」


「待ちましょう。急ぎませんから」


「それで大丈夫ですか?今回教皇庁から貴いお客様がいらっしゃると聞きましたが、その準備で神学校全体が目の回るほどお忙しいでしょうに⋯」


ダリアの言葉が終わりきる前に、修道院の重い木の扉がどんっ!と音を立てて荒々しく開く。


「修道女様!アーサーを連行しました!」


テリサがはきはきと叫びながら、食堂の中へ元気よく歩み入る。


「テリサ、なぜこんなに遅かったの。それに室内では静かにしなさい。大切なお客様がいらっしゃっているのよ」


「お客様?エドウィン学長先生の他にもいらっしゃるんですか?どれどれ⋯トゥリアン修道女様、あの大柄なおじさんは誰ですか?」


「⋯しばらくの間うちの修道院にお泊まりになるバン様よ。早くご挨拶しなさい」


「はじめまして!テリサと申します。よろしくお願いします!」


テリサがにこにこ笑いながらバンに挨拶する。


「挨拶はいいとして、アーサーは連れてきたのか?」


「もちろんです。ほら、アーサー!早く入ってきなさい!」


テリサが振り返ってがなり立てると、ついに扉の陰から金髪の少年がしかめ面でゆっくりと歩み出てくる。

アーサーが現れた瞬間、食堂中の子どもたちの視線が一斉に彼へと注がれる。

アーサーはその視線がひどく居心地悪そうに眉をひそめ、目を閉じてまた開く。


「⋯二人ともお疲れ様。お腹が空いているだろうから、早く洗って夕食を食べなさい」


「はい!お腹が空いて死にそうだっ⋯」


「私は大丈夫です」


アーサーがテリサの言葉を遮って、きっぱりと首を振る。


「訓練で土埃をたくさん浴びたので、洗ってきます」


「え?あなたさっき来る途中でお腹が空いて倒れそうだって⋯」


すうっ、アーサーは答える代わりにテリサの顔に手のひらを当て、上から下へと容赦なく引き下ろす。


「もう本当に!それやめてって言ったじゃない!」


テリサがぎゃあと叫んで拳を握りぴょんぴょん跳ねるが、アーサーはもう振り向きもせず廊下の向こうへと歩み去ってしまう。

バンは頬杖をついて、アーサーが消えた廊下の奥をぼんやりと見つめる。


「⋯あの子がアーサーか?」


エドウィンがバンのひとり言に顔を向ける。


「そうですが、知っている子ですか?」


「いや。でも、さっきから首を長くして待っていたのはあの子ではないのか」


バンが顎をしゃくってアーサーが歩いていった方を指す。


「あの子、修道院でよほどの問題でも起こしたのか?」


「と言いますと?」


「あの子が入ってきた瞬間、あんなにうるさかった連中が水を浴びせたみたいにしんとなったからな。それに、お前が今日わざわざ忙しいスケジュールを割いてこの深い修道院まで足を運んだ理由も、あの子と深く絡んでいるようだし。神学校の学長が直々に追いかけてこなければならないとなれば、決して軽い話じゃないだろう」


バンが興味深そうに口角をちらりと上げ、エドウィンを見つめる。


「ここに滞在する間、余計な口実を与えずに空気を読んで動くためにも、あの子についてあらかじめ少し耳打ちしてもらっておく必要がありそうだが。どう思う?」


エドウィンの困り果てた視線がダリアへと向かう。

ダリアは静かにエドウィンを見つめてから、やがて柔らかく頷く。


「⋯わかりました。外で誤った話を聞いてからいらっしゃるより、私が直接ご説明する方がよいでしょう。」

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