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魔女のための童話はない  作者: HoneyApis
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Ch.00 プロローグの魔女 002

「本当にお久しぶりです、村長様」


田舎の夜空、草虫さえ息を潜めた静寂の中で悲鳴が鋭く鼓膜を引き裂く。

村のあちこちを呑み込んだ炎が赤い舌を揺らし、青みがかった三日月さえも血の色に染め上げる。


「⋯エスター」


無精髭の老人が容赦なく震える顎を握りしめ、女を睨みつける。


「覚えていてくださるとは、喜びの涙でも流さなければなりませんね」


女はドレスの裾をほんの少し持ち上げ、老人に向かって気品よく頭を垂れる。


「⋯とうとう魔女となって戻ってきたか」


「再会できて嬉しいですか?」


「いったい何故こんなことをしでかすのだ!」


「何故こんなことをするのかって?」


エスターは指先で顎をとんとんと叩きながら、首を斜めに傾ける。


「何故かですって⋯。それを一番よくご存知のはずの村長様に聞かれるとは笑えますね」


「⋯お前に何の資格があってこんな罪を犯すというんだ!」


「資格、資格をおっしゃるなら私もひとつ伺いましょう」


エスターが静かに歩みを進める。

土埃まみれの大地の上に、彼女のヒールの音が低く響く。


「村長様には何の資格があって私の夫を殺したのですか?」


「私は⋯」


「いつものように今日も『私は知らぬことだ』と言い逃れするおつもりですか?」


「⋯すべて村のための犠牲だった」


「違います。ただあなただけのための、身勝手な欲でした」


エスターの口元がゆがんで吊り上がる。

悲しみより深い憎しみが、その隙間から滲み出る。


「⋯あの者が死ななければ村全体が崩れていた。あれは崇高な犠牲だったんだ」


「犠牲などと呼ばないで!」


エスターの顔から温もりが一瞬で消え失せる。


「お前たちの醜い悪行を覆い隠すための行いに、その汚い身勝手さに、よくも犠牲などという名をつけられるものね!」


冷たく固まった顔とは裏腹に、彼女の瞳の中では炎が狂ったように揺れる。


「私の夫は殺されたの!あなたたちが殺した、あなたたちのせいで犬死にさせられたのよ!」


「⋯それで、私に何を望む?詫びでも求めているのか?今さら私を裁こうというのか?」


村長が杖をきつく握りしめ、エスターに向ける。


「そうだ、お前の言う通りだ!私が何を言い訳しようと私がお前の夫を殺した!この村の者たちは全員共犯だ!我々の身勝手さがあの者を殺した!それで、今さらどうしようというのだ!」


老いた指が杖の先をぶるぶると震わせながらエスターを指す。


「お前とて私と変わらぬと思っているのか?私の行いが間違っていたと言いながら、お前は今何が正しくてこの虐殺を行っているのだ?夫ひとり死んだからといって、いったい何人の命を奪えば気が済むというのだ!エスター、お前がしていることが本当に正義だと思っているのか!」


「⋯それが、あなたの答えですか?」


エスターが頭をがくりと垂れる。


「⋯変わりませんね。最後の瞬間まで心からの懺悔どころか、すべての責任を私に押しつけるだけ」


エスターがゆっくりと顔を上げる。


「もしかして、と思っていました。あなたたちがほんの少しでも後悔しているかもしれないと。もしほんのわずかでも反省の色を見せてくれたなら、今からでも許すべきではないか⋯。ここへ来る直前まで、ずっと思い悩んでいました」


魔女が手を持ち上げる。


彼女の手のひらの上で赤い炎がまばらに咲き上がる。


すべてを焼き尽くす勢いで揺れていた熱気はやがて巨大な蛇の形を成し、彼女の首筋に巻きつく。


「でも変わらないのですね。本当によかった。おかげで心の片隅に残っていた細いためらいまで、きれいに消し去ることができましたから」


炎の蛇が村長に向かって赤い二股の舌をちろりと出す。


「⋯おかげで罪悪感なく締めくくれそうです」


「この者め⋯!」


魔女が手を動かすと、蛇が大きく口を開け牙を剥く。

村長の首筋に向かって炎が放たれた瞬間、老人はきつく目を閉じる。

ぶうん——!鼓膜を打つ、空気を引き裂く異質な摩擦音。

しゅうっ——!鋭い破裂音とともに、四方を圧迫していた熱気が瞬く間に四散する。


「⋯ガーゴイルの槍ですね。村に放っておいたガーゴイルたちを倒されたのですか?この重い鉄槍を軽々と投げるとは。背中に担いだ剣はただの見せかけの飾りだと思っていましたが⋯」


エスターが視線を向ける。

閉じていた目を開いた村長の瞳に、信じられない光景が映り込む。


「覚えていてくださるとは、喜びの涙でも流さなければなりませんね」


漆黒の巨大な大剣を背に斜めに担いだ、灰色の髪の男。

彼が村長の前に立ちはだかり、エスターと対峙する。

今日の午前に村を訪れた、よそ者の旅人だ。


「今夜が明ける前に去れという忠告は、やはり余計なお節介でしたね」


魔女の周囲に再び熱風が渦巻く。切り落とされた炎の断面から新しい頭が生え、鋭く威嚇する。


「これはよそ者が首を突っ込む話ではありません。最後の親切として今すぐここを去ってください。平凡な人間が魔女に勝てないことは、ご自身が一番よくわかっているはずです。命を無駄に捨てないでください」


男は答えの代わりに、剣の柄を握る手にぐっと力を込める。

刃の向く方向はただ魔女のみだ。

エスターがあきれたように低く笑い声を漏らす。


「⋯後悔しないでください」


炎の蛇たちが男の首に向かって放たれる。

ぶうん——!男が大剣を振るい、蛇の頭を容赦なく割る。


「は⋯」


しかし安堵は一瞬に過ぎない。

切られた熱気の軌跡が二つに分かれ、二つの頭として生まれ変わる。

男が再び剣を振るって切り払うが、切り落とされた断面ごとに新たな頭が幾何級数的に生え出てくる。

いつの間にか九つに増えた蛇の頭が男を見据え、目を輝かせる。


「ぐっ⋯!」


四方から押し寄せた九つの口のひとつが、男の太ももを深くえぐる。

男の口から抑えた悲鳴が弾け出るが、炎に慈悲はない。

九匹の蛇が男の四肢を縛り上げ、螺旋状の巨大な火柱を完成させる。

そして、男の身体を黒く焼き焦がしていく。


「哀れにも、はかない光が砕け散りましたね」


黒く焦げて崩れ落ちた男の肉体。

エスターは興味を失った目でその黒い塊を踏み越えて通り過ぎる。

踏まれた足の骨が力なく砕け、風に乗って灰となって舞い散る。


「私たち、どこまでお話ししていましたっけ?」


エスターが再び村長に向き直り、晴れやかに笑う。


「ああ、そうです。この汚れた村が丸ごと灰燼に帰しても、私の心に塵ひとつほどの後ろめたさも残らないだろうという話でしたね?」


真っ赤な炎を背景に咲いたその微笑みは、ぞっとするほど残酷だ。

老人の全身が容赦なくがたがたと震える。

彼の老いた目に満ちているのは、恨みでも怒りでもなく、剥き出しのままの恐怖だ。


「では本当に最後に、遺言はありますか?」


再びエスターの背後に熱気が集まる。

彼女が微笑みを含んだまま、ゆっくりと前へと踏み出した瞬間。

ぽん——。

歩みが何かに引っかかり、ぴたりと止まる。

エスターの視線が下へと向く。

完全に焼けて灰になっているはずの黒い手が、彼女の足首を骨が砕けんばかりに握りしめている。


「何が⋯」


この黒い腕が誰のものか、エスターにはよくわかっている。

確かに自分の目の前で息の根まで焼いて灰に散らしたはずの、よそ者だ。

なのにどうして、この死んだはずの肉体が生きて動き、自分を捕らえているというのか。

しゅうっ——!男の炭化した皮膚の上から、白い奇妙な煙が爆発するように噴き出す。


「これはいったい何が⋯」


白い煙の中から、男がゆっくりと身を起こす。

男の焼け焦げた皮膚の下から赤い新しい肉が奇跡のように芽生え、骨と筋肉を再構成する。

失われていた脚が瞬く間に復元され、大地を踏みしめる。


「なぜ死なないの?」


エスターの瞳が驚愕に染まる。


***


「きゃあああっ——!」


悲鳴とともに、男の黒い大剣が倒れた魔女の腹部を押しつけながら貫く。

エスターの頭が後ろに傾き、顔が苦痛にひどく歪む。


「⋯化け物」


地に押しつけられた魔女が、理解できないという目で男を見つめる。

自分が敗れた理由は、自身が弱かったからか?

違う。自分は復讐のために魂を売って生まれた魔女だ。

人間ごときが太刀打ちできる存在ではない。

なのになぜ自分は腹を貫かれたまま大地に押しつけられているのか。


「⋯なぜ死なないの」


エスターは最も根本的な疑問をかろうじて吐き出す。焼いても、斬っても、骨を削っても。

男は不気味な白い煙を噴き出しながら、ついに再び立ち上がった。

常識を超えた不死の再生力の前に、魔女の傲慢な理性はついに絶望の淵へと落ち込む。


「お前を魔女にした魔女は誰だ?」


男は腹に打ち込んだ大剣に体重をかけて押しつけながら問う。


「お前も他の魔女について知っていることがあるか?」


エスターは歯を食いしばり、溢れ出る呻きを飲み込むばかりで、口を開こうとしない。


「⋯そしてその中に、赤い髪をした魔女はいるか?」


赤い髪の魔女。その言葉が出た瞬間、エスターの目元に何かが宿る。

問いの温度が変わったからだ。

狩りのための追跡ではない。これは凄絶な執着であり、渇望だ。


「⋯なぜその赤い髪の魔女を探しているの?」


「私の質問にだけ答えろ」


男が大剣をより荒々しくねじり、深く押し込む。

エスターの唇の間から血の塊がどっとあふれ出るが、彼女の口元は奇妙な弧を描く。


「赤い髪の魔女か⋯。ああ、わかった」


けらけら——!嘲りの混じった笑い声が魔女の喉から弾け出る。


「ようやく理解できたわ。あなた、呪いを受けたのね?」


エスターが男の灰色の瞳をじっと覗き込む。


「あの赤い髪の魔女があなたにこの凄まじい身体を贈ったの?だから本来死ぬべき瞬間のたびにあの汚い煙を吹き上げながら這い上がってきたのね。奇跡かと思っていたら、ただ呪いにかかった猟犬だったとは!だから私をとても殺せないまま彼女の行方を尋ねていたの?」


「黙って私の質問に答えろ。赤い髪の魔女を知っているか」


「当然知ってるわ。あれほど目も覚めるほど美しく残酷な赤い髪をしているのに、一度見てどうして忘れられるものですか?」


「⋯彼女はどこにいる?今どこで何をしているんだ」


けらけら——!エスターが発作のように笑い出す。


「知りたい?聞きたくて仕方がないでしょう?私が望む復讐は容赦なく踏み潰しておいて、あなたが望むものは簡単に得ようというの?身勝手な奴ね」


エスターが無理やり首をねじる。

彼女の視線が宙でもがく村長に届く。

魔女が残った指を軽く弾くと、村長の体が宙にふわりと浮かぶ。


「ぐっ⋯ げほっ⋯!」


老人は何かに首を絞められるかのように宙で四肢をもがかせ、凄まじい音を立てる。


「⋯今すぐやめろ」


男が血に染まった大剣を高く持ち上げる。


「私を止めたければ今すぐ私の首を打ってみなさい」


この剣を振り下ろせば魔女は死に、すべての悲劇は止まる。

村長も助かるだろうし、村の呪いも散るだろう。

しかしエスターは確信している。

この男は決して自分を殺せない。

彼女が赤い髪の魔女の行方を知っていると言った以上、あの男はその話を聞かなければならないからだ。


「何してるの?早く斬ってみなさいよ!」


魔女は最後の賭けに残りの命を投げ込む。

男の手から大剣が宙を大きく薙ぐ。

かあん——!

肉を切り裂いた刃が地面の岩盤とぶつかり、ぞっとするほど澄んだ音を立てる。


「⋯結局、殺せないのね」


地面を赤く染める血。しかし切り落とされたのは彼女の首ではなく、肩の下の片腕だ。

腕が失われた激痛の中にあっても、エスターの顔には狂気めいた歓喜が広がる。


「魔女を止めたかったなら私の首を切るべきだったのに。死さえも恐れない化け物のくせに、赤い髪の魔女の手がかりが途絶えるのは恐ろしかったの?愚かな奴。目の前で老人の息が途絶えることより、私の口が永遠に閉じられる方が怖かったのよ!」


エスターの腕は地に転がっているが、村長を縛っていた見えない絡め手はほどけない。

老人はついど気管に詰まった音とともに、血の混じった唾を吐き出しながら完全に力尽きる。

エスターはその様子を見ながら狂ったように笑い転げる。


「さあ、今度は赤い髪の魔女について教えてあげなきゃいけないわね?ほら、どう?私の髪もなかなか赤くない?あなたが親切に腕を斬ってくれたおかげで全身血まみれだから。どう、あなたがあれほど探し求めていた赤い髪の魔女と少しは似てる?美しく見えない?」


「私を欺いたか⋯」


「魔女を『愛する者』と定義したわね?なら彼女があなたにこの不死を与えたのも、あなたを愛しているからかしら?ではあなたは?なぜ彼女を探すの?あなたもまた彼女を愛しているの?」


「⋯黙れ」


「それとも今もまだ、その執着を愛だと錯覚している最中なの?」


男が大剣を地面から引き抜き、冷たい金属音を立てる。


「いったいどんな罪を犯したから愛する者にこんな呪いをかけられたのかしら?愛?憎しみ?それとも別のねっとりとした未練?教えて、あなたはどんな感情で彼女を追っているの?」


刃が再び男の頭上高く跳ね上がる。

エスターは首を狙う刃を見つめながらも笑いを止めない。


「多くの者があなたの身体を見て祝福と呼ぶでしょう。摩耗しない命、斬られても蘇る肉体。誰もが望む不老不死があなたの手に握られているのだから」


魔女の充血した瞳が男の灰色の目にしっかりと食い込む。


「でも勘違いしないで。彼女はあなたに祝福を与えたんじゃない。これは永生という名の最も残酷な刑罰よ。あなたが彼女を追って彷徨うその長い長い時間、あなたの脳裏を満たす苦悩と煩悶こそが、彼女が設計した本当の呪いのはずだから。死ぬことさえできない身体で、永遠にこの地を這い続けなければならないでしょうね」


エスターが頭をかしげ、自分の血で赤黒く濡れた髪の束を見下ろす。


「あなたが探しているのは赤い髪の魔女と言ったわね?なら私も祈るわ。あなたがどうかその魔女を必ず見つけ出せるように」


魔女がついに静かに両目を閉じる。


「そのすべての旅路の果てが、あなたにとっては地獄のはずだから」

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