③シー・ラブズ・ユー
「佐藤くん、話があるの」
杉左近松江に突然言われて、実一朗は面食らった。
普段は下の名前で呼ばれることがほとんどなので、「佐藤くん」と言われて、ああ俺のことかと思ってしまったほどだった。
「話って何?」
「どうしても聞いて欲しいことがあって」
松江がいやに改まった様子だったので、実一朗はなんだか居心地が悪い。
実一朗は他の男子たちのように、松江をマドンナなどと崇めたりはしていない。
むしろ松江のような、何を考えているのかよくわからないミステリアスな女子は、実一朗は苦手だった。
松江はどんどん廊下を歩いて行き、人けのない場所まで実一朗を誘い出すものだから、後をついて行く実一朗はますます落ち着かなくなった。
一体どこまで歩いて行くつもりなのか、松江がなかなか話し出す気配がないので、
「杉左近さん、あのさ」
と、実一朗が声をかけた途端に、松江はいきなり立ち止まり、振り向いた。
「佐藤くん、私と一緒にビートルズ見に行かない?」
松江の口から飛び出した言葉に、実一朗は唖然とした。
「佐藤くんビートルズ好きでしょ?だからよかったらと思って」
そりゃもちろん見に行きたい。実一朗は急に心臓がドキドキしてきた。
………いや、でもちょっと待てよ。
「でも、杉左近さんは平安、じゃなかった、廣瀬雅実と一緒にビートルズを見に行くんじゃないの?」
「あれは嘘。単なる噂よ」
松江はしれっと言ってのける。
「だって杉左近さん、入場券持ってるの?」
「あるわよ、ちゃんと」
「当選したってこと?」
「そうよ。私のよ」
どこまで本当のことを言っているのか、実一朗は松江が何を考えているのかさっぱり分からなかった。
「どうして?」
「え?」
「どうして俺なんだよ。杉左近さんモテるんだから、一緒に行きたいやつなんか他にたくさんいるだろ」
「どうしてって、佐藤くんと一緒に行きたいからに決まってるじゃない」
松江は堂々と答える。
「私、ずっと佐藤くんのことが好きだったの」
………は???
まさかこんな展開になるとは考えてもいなかったので、実一朗は慌てた。
「え? い、いつから?」
と間抜けなことを聞いてしまったが、松江は真面目に答えた。
「佐藤くん、私を生徒会長の取り巻きから助けてくれたじゃない。あの時からずっと」
ここで話は1年前に遡る。
実一朗たちの通う高校で当時生徒会長だった長曾我部隆司は、学園のマドンナ杉左近松江に恋をしていた。
しかも長曾我部氏は松江を生徒会の書記に任命し、常に自分の側に置いた。
権限乱用、公私混同も甚だしいが、松江の参加に反対する男子生徒は生徒会内に誰一人いなかった。
むしろ松江にぽうっとして生徒会の職務がおろそかになる有り様だった。
当然女子生徒は猛反発した。
長曾我部氏に恋い焦がれていた生徒会副会長の高橋美加の反発はとりわけ大きかった。
このままでは生徒会が駄目になると危機感を覚えた美加は、意を決して長曾我部氏を説得し、同時に自らの思いを打ち明けたがあっさりふられた。
逆にそのことが長曾我部氏の松江に対する恋心に火を付けてしまい、彼は暴走した。
あろうことか生徒会の会合の席で松江に愛の告白をしたのである。
しかし元々長曾我部氏のことなど何とも思っていない松江は、一刀両断に斬って捨てた。
むしろ松江にとっては迷惑千万でしかなく、松江はそのまま生徒会を去った。
公衆の面前で松江にふられた長曾我部氏もまた、失恋の痛手で突然生徒会長を辞めた。
後を引き継いだのは高橋美加だったが、愛する長曾我部氏を袖にした上に、生徒会を散々引っかき回した杉左近松江許すまじと、美加の怒りは全て杉左近松江に向かった。
この話を聞く度にまるで日本史の授業を受けているようで、実一朗はいつもうんざりするのだが、とにかくそれから美加とその取り巻きの岩本久美子、池田智佳子、千葉みどりによる松江への露骨な嫌がらせが始まった。
松江の長い髪が挑発的でふしだらだとか、松江の存在自体が学校の風紀を乱すとか、何をやっても目立つ松江の一挙一投足をあげつらい、わざと松江の前でコソコソ陰口を叩いたり、男にだらしないやさぐれ女だなどとあらぬ噂を流したり、本当にくだらない、しょうもないやり口である。
そんなろくでもない生徒会長で学校が良くなるはずがなく、事実、堅物で高圧的な美加が生徒会長になってからというもの、学校には閉塞感が漂い、すこぶる雰囲気が悪くなった。
大柄でふくよかな美加が巨体をゆすって、取り巻きを引き連れて学校中を闊歩する様子は、まるで大病院のお偉い先生の総回診さながらで、生徒たちは恐れおののいた。
実一朗もまたそういう空気を苦々しく思っていた。
ある時学校の創立記念日のお祝い品として、全校生徒に地元で有名な和菓子屋の紅白もなかが配られた。
しかし、どういうわけか松江に配られたもなかだけ、皮がつぶれて見るも無残な姿になっていた。
受け取ったもなかの箱を開けて茫然とする松江に、
「あらあらどうしたのかしら。杉左近さんのもなか潰れてるじゃないの。運ぶ時にうっかり誰かが落としたのかしらねぇ、ごめんなさいねぇ」
もなかを配っていた岩本久美子がわざとらしく言い放った。
それを見ていた実一朗はどうにも我慢がならなくなった。
「うっかりじゃなくて潰れたやつをわざと配ったんだろ。見え透いたこと言うなよ」
「佐藤くん、人聞きの悪いこと言わないで頂戴。私のせいだって言いたいの?」
「そうじゃないなら新しいものと取り替えてやれよ」
「無理よ、もう余ってないもの」
久美子の態度に、実一朗の堪忍袋の緒が音を立ててぶっつり切れた。
「いい加減にしろよ!言いたいことがあるならもっと正々堂々はっきり勝負すればいいだろ!それを何だよ、陰でコソコソしみったれたみっともない真似してさ。お前ら生徒会がそんなだから、この学校の雰囲気までおかしくなるんだよ!」
実一朗の剣幕にクラス中がシンと静まり返り、さすがの久美子も黙ってしまった。
「生徒代表なら学校を良くするためにもっとしっかり活動しろって生徒会長にちゃんと言っとけよ、このコンコンチキ!!」
「何ですって!?」
久美子は色をなしたが、その瞬間思いがけないことが起きた。
実一朗の発言に賛同するかのように、教室内でパラパラと拍手が沸き起こったのだ。
最初に手を叩いたのは山本悦子だった。
やがてそれは大きな拍手となり、いたたまれなくなった久美子はすごすごと退散するしかなかった。
「佐藤くん、さっきはありがとう」
礼を言いに来た松江に、
「いいんだよ、悪いのはあいつらなんだから」
実一朗はちょっと憤慨しながら言った。
「杉左近さん、どうして怒らないの? もっとガツンと言ってやればいいんだよ」
「腹は立つわよそりゃ。だけど相手にするの馬鹿馬鹿しいじゃない。あんなくだらない連中と同じ土俵に立ちたくないのよ私」
「杉左近さんは大人だね。俺なんかああいうドテカボチャ見てると頭にきてすぐ文句言いたく言っちゃうんだよな」
「ドテカボチャ?」
「役立たずって意味だよ」
「佐藤くんって面白いわね」
松江はクスクス笑った。
実一朗はなんだか気恥ずかしくなって、
「そうだ、これ杉左近さんにあげるよ」
と、松江に自分のもなかを渡した。
「そんなのいいわよ、別に」
「俺、もなかそんなに好きじゃないんだ。つぶれてたって味は変わらないから、俺のと交換しようぜ」
「………」
松江は黙って実一朗からもなかを受け取った。
実一朗は松江のもなかを開けると、その場でむしゃむしゃと頬張った。
「ほら、潰れてたって味は変わらないよ」
松江は微笑んで、自分ももなかを口にした。
それ以来、生徒会の連中による松江に対する嫌がらせはぴたりとやんだ。
「あの時のもなか、今まで食べた中で一番美味しかった。少なくとも私はそう思ったの」
「俺は別に、生徒会の連中に本当に腹が立ったから…」
それを好意と取られてしまったのなら、とんだ誤解である。
「わかってるわ。佐藤くんは損得勘定で動く人じゃないって。私に近付いてくる男子は、こうすれば好かれるとか、見え透いた下心のある人ばかりだもの。でも佐藤くんは違う。そういうところが私は好きになったの」
図らずも随分と気に入られてしまったようである。実一朗は変な汗をかいてきた。
それにしても、だ。
「でも杉左近さん、一度は平安、いや、廣瀬と行くって約束したんだろ。あいつにはちゃんとそれ伝えたの?」
「どうだっていいわよ、あんな人のことなんか。私は佐藤くんと一緒に行きたいの」
「どうでもよくないよ。廣瀬は嫌なやつだけど、あいつだって杉左近さんと一緒に行きたいから誘ったんだろ。杉左近さんが俺に好意を持ってくれるのは有り難いけどさ、だったら杉左近さんも人の気持ちをないがしろにするようなことするのはやっぱり良くないよ」
実一朗は諭すように言った。
「せっかく誘ってくれたのに申し訳ないけど、俺杉左近さんとは一緒には行けないよ。本当にごめん」
頭を下げる実一朗を、松江は黙って見つめていた。そして言った。
「…やっぱり山本さんなの」
「え?」
「私とは行けないけど、山本さんとなら一緒に行くんでしょ」
「は?」
「やっぱり佐藤くんは山本さんが好きなんでしょ。そうなんでしょ」
山本って、山本悦子のことを言ってるのか?
突然悦子の名前を持ち出されて、実一朗は本気で戸惑い、焦った。
「何言ってるんだよ、急に。そんなんじゃないよ」
「じゃ、どうして私の誘いを断ったの?山本さんに遠慮してるからでしょ」
「違うってば!そんなんじゃないって言ってるだろ!」
思わず声を荒らげてしまった。
「………」
松江はしばらく無言だったが、不意に実一朗から視線を逸らすと、背を向けて足早に立ち去った。
追いかけることもできず、立ち去る松江を見送りながら、実一朗はその場に立ち尽くすしかなかった。




