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第24話 そば処たしろ再訪(見栄)

 清治が飲んだ酒は、現役時代に料亭でたしなんだ純米大吟醸とは別次元の飲み物だった。コップを鼻に近づけるとツンとするだけで、芳香などなく、口当たりは最悪で、喉越しはガリガリした。それでも酒の勢いを借りるだけなら十分だった。

「私は、サンちゃんの老後が羨ましい!」

 清治は酔いが回って大声を発した。その時まで静かな場だっただけに、店の隅々にまで響いた。そして、思わぬ波紋を呼んだ。

「岡谷さん、なーに言ってんだ。羨ましいのは、あんたの方だよ。大銀行の支店長を経て子会社の社長にまでなったあとは、あんな高級老人ホームに入って悠々自適な生活じゃないか。いったい、なんの不満があるって言うんだよ」

 小西がやっかみ半分で言い返した。聞き役専門の得ちゃんが首肯したついでに思わず発した。

「岡谷さんは自己中だから、俺たち庶民にどう見られてるかが、分かってないんじゃないの?」

 きつい一発だった。田代が慌てて助け船を出した。

「おいおい、いきなりそんな酷いこと言わないで。岡ちゃんのどこが自己中なのかはひとまず置いといて、年を取ればなんだかんだ言ったって、最後は自分のことしか考えなくなるんだから。だって、みんなもそうだろ?」

 自己中な人ほど、自分は自己中ではないと思いたがるものなので、田代の意見に即座に賛同する人は誰もいなかった。

 清治は自分をかばおうとしてくれた田代に、「すみません」とだけ言った。内心では、得ちゃんの言ったことは偽りのない本心だと受け止めていた。口数の少ない人は短い言葉に感情を凝縮させるものだ。

「確かに、自分で言うのもなんですけど、羨ましがられる部分があるかもしれません。だからといって、皆さんに羨ましがられるほど幸福じゃないんです」

「よく分からないなあ、何が問題なのかなあ」

 ご隠居が溜息まじりに言った。他のメンバーは、話の成り行きをじっと見守っている。

「なら正直に話します。私は常に人より上を目指して生きてきました。例えば、周りより難易度の高い大学に行くこと。普通では入れない一流企業に就職すること。同期より早く出世すること。それらを達成するたびに満足感が得られました。自分を認めて称賛してくれる人たちが周りにいたからです。でも、今は誰も崇めたりしてくれません。誰からも忘れられた寂しい老後なんですよ」

 シーンとした。清治の愁訴は共感を呼ばなかった。小西は参加者全員を見回して、「みんなも寂しい老後か」と訊いた。そもそも崇められるほど立派な人はこの場に存在しない。こんな気さくな集まりがあるのに、寂しいと答える人は一人もいなかった。

「なんともせつない話だなあ。岡谷さん、あんた、退職して何年になるんだよ。いつまで社長の気持ちでいるつもり?プライドの高い人は、死ぬまでチヤホヤされたいものなのかねえ。だけど、いい加減に割り切ったらどうなんだ。自分の思い入れとは関係なく、いつかは組織での仕事や部下たちとの別れが来る。退職したあとの人生は自分で切り開かなくっちゃ。長年働いて定年を迎えた人たちは、みんな寂しさを乗り越えて年を重ねてきてるんだからさあ」

 小西は自分なりにうまく表現できたと得意満面、白髪のオールバックをかきあげて一人悦に入った。

「ところで、岡谷さんの住んでる超高級老人ホームって、入るのにいくらくらいするのかしら?」

 吉江がぶりっ子ヘアを撫でながら言った。入居するほどの財産は無く、興味本位で訊いているのは皆分かっている。小西は土足で踏み込まれるが如く話題を変えられ、苦虫を嚙み潰したような顔をした。

 清治は以前にも吉江から同じ質問をされたことを思い出した。小西には悪いと思いつつ、酔いが少し覚めたうちに吉江への回答をしておくことにした。

 金額の返事をする代わりに、都内の外れでなんとか新築の小さな一戸建てが買えるくらいだと答えた。自分が今のホームに住もうと決めたのは、銀行時代の元同僚がそこに入居できる人が羨ましいと言ったからだと説明した。

 また、四十代半ばで都内のタワマンを買ったのも同様で、そこの上階に住むことにステータスがあると聞いたのが動機だったと続けた。

 自分の虚栄心を満たすことを一番にして妻に事後承諾させ、高所恐怖症で十階以上は苦手なのに、ローンが組める範囲の最上階の部屋を購入し、ベランダから真下の景色など見ようともしなかったことなどを一気に話して聞かせた時、吉江は左右に膨らんだヘアを両手で押さえておかしそうに笑った。

「岡谷さんって、偉かった割にはいじけたことばかり言ってるし、もっと難しい人かと思ってたわ。でも、案外単純で分かりやすい人なのね」

 吉江はそう言ったあとで、「かわいらしいわ」と付け加えた。昔の清治なら、うるさい黙れと激高しただろうが、怒る気力さえ湧かなかった。



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