第23話 そば処たしろ再訪(サンちゃんの死)
翌日、清治は予定通りの時間に店の暖簾をくぐった。八人掛けテーブルにいつものメンバーが六人座っている。
「いよっ、岡谷さん、久しぶりじゃない」
最長老の小西が名前を覚えてくれていた。皆も、「お久しぶり」と声を合わせた。厨房で田代が微笑んでいる。無言で二度、三度会釈をしているのを、清治は「昨日はどうも、どうも」という万能な言葉に変換した。
奥さんが、「いらっしゃい」と言って出てこようとするのを田代が両手で止めた。またいらない話をすると邪推したに違いない。
相変わらず誰が参加者を仕切っているのかは明白であり、呉服屋のご隠居はいつも通り一杯飲んでおり、ぶりっ子ヘアの吉江は目の前に玉子焼きを抱えている。他のメンバーの様子も何ひとつ変わっていない。
「あとはサンちゃんだけですね」
清治は自分も覚えているぞとばかり、難聴の元パチンコ店従業員の名前を出した。もうすぐ来るだろう、と誰かが返事をしてくれるのを期待したが、誰もが下を向いて辛そうにしている。
仕切り屋の小西でさえ目を泳がせていた。厨房から出てきた田代が悲しげに口を開いた。
「もう三か月も前のことなんだ。サンちゃんはさあ、ここに歩いて来る途中の一本道で、後ろから来た車に気が付かなかったみたいでね。接触して転んだ拍子に運悪く道端のコンクリートに頭をぶつけて……」
吉江がハンカチを目に当てた。田代が続けた。
「俺は、サンちゃんが連絡を取り合っていた町内の図書館員を知ってたから、亡くなったことを伝えたんだ。彼女はしばらく絶句して涙を浮かべてたよ。告別式の日に、SNS読書会一同という立派な生花が出されていたのを、みんな見ただろ?実は、あの花は彼女たちのグループからだったんだ。会員は全国で何万人もいるらしいんだけど、参列したのは二十人くらいだったかな。彼女が個人的に付き合っている近隣の会員に声をかけたそうだ。お経が終わって棺にお別れの花を納める時に、『先生、ありがとうございました』と口々に囁いていた。SNS読書会の主催者だったそうなんだよ、サンちゃんは。聞けば、物語の弱者に対する優しいコメントが多かったみたいでさ。あいつらしいよな」
田代も図書館員に聞くまでは知らない話だった。自慢話などおくびにも出さなかったサンちゃんが、主催者たる立場をひけらかすことは一度もなかったからだ。
「俺も葬式に参列したけど、そこまでは聞いてないぞ。へえー、あのサンちゃんがねえ。ネットで読書会をやってたとは恐れ入ったよ。人は見かけで判断しちゃいけないってことだね。それにしても、栄ちゃんは、どこでそんな情報を手に入れたんだい?」
小説家の卵とのたまう西野が不思議そうに訊いた。
「別に、自分から訊いたわけじゃないさ。葬式に参列するだけでは分からないんだよ。火葬場での収骨の待ち時間に、誰からともなく生前の話が出るもんなんだ」
田代の発言に、三年前に愛妻を亡くした得ちゃんが頷いている。ここでは珍しく聞き役専門だが、そういう人はどこのグループにもいるものだ。
ご隠居が酒をキュッと飲んで、思い出すように言った。
「サンちゃんは本当にいい奴だったよな。今ごろは天国で、対面での読書会をやってるんじゃないかな。あいつ、難聴が治ってるといいがなあ」
サンちゃんの死を忘れ去られた過去のものにする人は誰もいない。
清治は事実を知ったばかりで言葉も出ず、あらためて故人に思いを巡らせた。色白で人懐こかった、あのサンちゃんにもう会えない。和やかな雰囲気を楽しみ、時には冗談を言って緊張をほぐす気遣いもしてくれた。
人知れず充実した老後を送っていたサンちゃんのほうが、世間から勝ち組と認められる自分よりはるかに輝いて見える。何なんだ、このモヤモヤは。
なんだか無性に飲みたくなった。
「あ、あれ、あれをください」
一升瓶を指さして言った。とっさに名前が出て来ない。
「あの、あの、あの酒を」
田代がきょとんとした。芋焼酎と日本酒の一升瓶が一本ずつ並んでいる。
「どっち?日本酒かい?」
清治は、「うん、それそれ」と答えた。田代は訝しげな面持ちでコップに日本酒を注いだ。清治は田代の手から直接コップ酒を受け取って、半分グイと飲んだ。
つまみに出されたおしんこには箸をつけず、残りの酒も一気に飲んだ。「お代わりください」とコップを高く上げた。田代は黙って二杯目を持ってきた。
清治は飲んだ。――ただ、飲むしかなかった。
「岡谷さんは相当酒が強いみたいだね」
小西が田代の顔をちらちら見て清治に言った。田代は自分にふられても反応のしようがなかった。こんな清治を見たことがない。




