81 秦始皇軍 2
「兵を大紅門と木陰に退避させろ。それと2個小隊を朝房と班房に向かわせろ」
大隊長が中隊長に命じた。勝手に兵卒に退避されては、軍の態をしていない事が露呈してしまう。大隊長の命令は早かった。雷鳴と雷光の間隔が徐々に短くなり、天に稲妻が走るのが見える。
「ノウバ、サッタナン、サンミャク、サンボダ、クチナン、タニャータ、オン、シャレイ、シュレイ、ジュンテイ、ソバカ」
楊の真言は、激しく降る雨音に搔き消されながらも続く。楊の法衣は護摩の炎による発汗から、雨水に打たれ、身体にまとわり付き、彼の裸体を浮き上がらせた。
兵は各自大紅門や木陰に避難した。学長達の貴賓席は天蓋に覆われていたが、雨量が激しくなり、隆恩殿に退避するよう大隊長から要請された。
「崔理事官殿、隆恩殿に退避願います。既に一部の兵を朝房と班房に向かわせておりますので、警備体制は盤石です。ご安心して退避願います」
崔道光理事官、曹強力理事は大隊長に促され、その要請に応じたが、丁学長と廃青は、楊の法要が気になり、貴賓席に留まると応じた。
雷鳴と雷光の間隔がなくなり、落雷が近付く。雨水は激しく泰陵に流れ込む。
泰陵は清西陵の中心に位置し、他の皇帝、皇后陵を東西に配置した構造で、石牌坊、大紅門、石像生、隆恩門、隆恩殿、方城明楼などで構成されている。 壁で囲われた陵内は、ほゞ石畳が敷設されており、陵の周りは何十万本もの植林された松や柏の木々で覆われている。遠くから眺めると、永寧山の麓から山頂に向かって建築物が建てられており、遠くからでも全景が伺える。
降水量は一向に減らず、激しい雨が天から降り注ぐ。まさにバケツをひっくり返した様な雨量である。それが山麓の高所から低所に流れ、陵の排水路はその容量を超えた雨水を排出する事が出来ず、一部は低地の広場に流れ、広場は水没している。その広場から8段の石段を登ると楊鬼山が修している護摩壇になる。未だ祭壇は雨水に侵されていないので、楊の法要は続き、丁も廃青も見守っている。
護摩壇近くに雷が落ちた。続けて二発目が又しても近くに落ちた。近くの石牌坊や石像生に落ちたらしいが、落雷の被害者は出なかった。
それを境にして雨天は晴れ上がり、薄暮の景色が一変する。気温が急に上がり、湿気の多い気候が気分を落ち込ませる。辺りが明るくなり、護摩壇に投入した段木の燃え残りが雨に流され、基壇の下に流れ出ている。護摩壇からは炭化した段木が無残な姿を晒している。周りは炭の色で黒く染まり、墨絵のように見える。
楊は雨が上がると護摩壇から降りて、丁学長の許へ向かう。それを待つ二人。
「失敗しました。始皇帝は降臨したのですが、雍正帝の招来は先に招来しました始皇帝によって阻止されました」
「それで、始皇帝は?」
丁学長は縋るような眼で楊を見て尋ねた。
「始皇帝だけを招来すれば良かったのです。なまじ雍正帝の招来をした為、始皇帝の憤怒を買い、激しい叱責を受けました」
「それでは・・・」
「雍正帝はもう降臨する事はないでしょう。そして、始皇帝は降臨の勅許を受けたとしても無駄でしょう。彼、唯一人を呼べば良かったのに。始皇帝のプライドを甚く傷付けたようでしたから、こちらも二度と応じないでしょう」
「・・・」
「丁学長。これも御仏のお示しです。気を落とさずに」
廃青が丁を慰めるが、彼の落ち込みは尋常ではなかった。顔は青ざめ、目は虚ろになり、開いた口が塞がらない状態が続いた。とてもではないが善後策など考えられないだろう。
全身から活力が抜けたように、ヨロヨロとあらぬ方角に歩き出す丁学長。心配した廃青が脇に付いて支えるが、それを振り払うかのように拒絶する丁学長。
それを見ている楊鬼山は何を思っているのか。そして丁の後ろ姿に付き従う廃青。
「大清帝国の再建が・・・ 新軍の創設が・・・」
丁は大紅門へ向かって、よろけながらも進んでいる。多くの兵卒が彼らに向かって近づく丁の姿を見詰める。
「南蛮、北狄、東夷の征伐が・・・」
大紅門を通り過ぎ、神道と呼ばれる泰陵全体を南北に貫く巾10mの石道を南の石碑坊に向かい歩く丁。
廃青は、大紅門迄付き従ったが、何を思ったのか踵を返し、楊鬼山の許に帰って行った
「楊先生。教えて頂けますか、護摩供について」
楊は小首を傾げた。何を言っているのだ、とでも言いたげに。
「教えて頂けますかな」
尚も、問い質される楊鬼山。楊は色々と思いを巡らした。この坊主は何を知りたいのか。何を知っているのか。何の意図を以って聞くのか。暫く、頭の中を整理し、楊は言葉を選んで応える。
「廃青殿は何を知りたいのですか?」
「護摩修法中、丁学長が言っておりました。『何か、違和感がある』と。愚僧共の修法では大日如来に降臨して頂く訳ですが、先生の護摩供ではそれが観応出来ませんでしたので」
「私の修法は、廃青殿の宗派と違います」
「それは理解しております。何故、先生は祈雨修法を為したのかと聞いております」
「それは簡単な事。秦始皇の降臨の前に、竜神招来を修したのです。始皇帝は神仏ではありません。真人政となった以上、神仙として迎えなければなりません。その為、応供の竜神を招来し、秦始皇の露払いをした訳です。竜は皇帝の使いですからな。大日如来の降臨を観想した訳ではありませんから、貴方が観応出来なかった事は真っ当です」
「それでは雍正帝の降臨は?」
「中華に於いて、真の皇帝は一人しかおりません。それが答えです」
「分かりました」
廃青は己が感じた疑問を投げ掛けてみたが、楊は何の淀みもなくこれに応えた。その説明に疑義を挟む余地はなかった。




