78 清西陵 2
楊鬼山は先ず、法衣の袖中で主印を結び、口に真言を唱え、眼を瞑り、最後に「うん」と気合を入れた。数珠を両手の中で交差させ、数珠を擦る音を響かせる。
両手を己の額よりも高く押し戴き、壇前普礼。独鈷杵を手に取り、左右に振る。
印契を組み、精神統一をして無我の境地に入る。そして五体投地の三拝。加持香水、加持供物そして開経偈と経文の読誦が続く。
法衣の袖中で、楊鬼山が頻りに両手を動かしているのが見える。彼の唱える真言に合わせて、様々な印契を結んでいるのだろう。地界金剛橛、金剛墻と続き、護摩壇の周りに結界が出来た。
次に彼は始皇帝の魂魄を迎える準備を進めた。己の魂魄と始皇帝の魂魄が同期するように身口意の三密を修して、無我の境地に入る。
護摩木を焚き上げて、多量の供物を捧げる。護摩木が護摩壇に投下される度に火勢が強くなり、彼の顔は赤鬼の如く、朱に染まった。
「ノウバサッタナン、サンミャクサンボダ、クチナンタニャータ、オンシャレイ、シュレイ、ジュンテイソワカ。ノウバサッタナン、サンミャクサンボダ、クチナンタニャータ、オンシャレイ、シュレイ、ジュンテイソワカ」
身に印契、口に真言、意に観想。楊が護摩壇の前で、孤軍奮闘する様を貴賓席から眺める丁と廃青。廃青は結界の中に諸仏諸尊の降臨をイメージする。丁は違和感を抱きながら見つめる。
掌儀司の崔道光理事官、宗人府の曹強力理事官は緊張感を漂わせながら、楊の修法を見る。貴賓席の前後には警備の兵士が小銃を携えながら、楊と辺りを伺っている。
楊の法要は続くが、廃青が何かを感じたのか、丁の耳元に口を近づけ囁いた。
「丁学長の仰る通り、些か奇妙な法要ですね」
「『奇妙な法要』とは?」
「愚僧も諸仏諸尊の来臨を修する時には、曼荼羅を使いまして観想する訳ですが、楊先生は曼荼羅を使用せずに、観想なされております。まあ、それは法力の強い方なら有りかも知れませんが。大日如来様の降臨が愚僧には見えません」
「それは可笑しなものなのですか?」
「大日如来は密教の本尊でございますので、宗派は違えど降臨して頂くものです。それを愚僧は感じられないのです」
「大日如来が降臨していないのですか?」
「そう感じました」
「私の感じた違和感はそこから来ているのでしょうか?」
「それは何とも申し上げられません。私の感覚ですので」
「そうですよね。阿闍梨様と私のでは、違うものですからね」
二人が楊の法要を訝しんでいる時に、楊は始皇帝の来臨準備を終えて、まさに始皇帝の魂魄を召喚しようとしていた。
「秦始皇帝陛下。大清帝国第12代皇帝、宣統帝の命を受け、楊鬼山が陛下を召喚したく、我が意を汲み給え。驪山老母の後裔たる祖龍、秦始皇帝陛下。秦人たる政、若しくは真人たる政。大清帝国第12代皇帝、宣統帝の命を受け、鬼谷が此処に陛下を召喚す。魂魄が仙境に在ろうとも、蓬莱山に在ろうとも。此処、大清帝国西清陵に降臨し給え」
「朕が諱を呼ぶは鬼谷先生か?」
「我が声忘れたるか? 我、楚人なり」
「朕が楚人、まさに鬼谷先生なり」
「真人政。我と同期せよ。しかる後、真実を伝えるが良い」
秦始皇帝、真人政の魂魄が異界から現世に降臨した瞬間である。東海中の蓬莱山に遊ぶとも、先達の思念に同期して、真人政は降臨した。果たして単独か? 若しくは眷属を従えての降臨か?
楊は次に雍正帝の霊魂の招来を始めた。
「世宗憲皇帝陛下。大清帝国第12代皇帝、宣統帝の命を受け、楊鬼山が魂魄の声を聞き給え・・・ 仙境に遊びし時は過ぎ、現世の先達の声を聞き給え。清浄なる我が魂魄に同期せられよ」
暫しの沈黙、天候は穏やか、風も心地よい。静寂の時間が流れる。
「朕が廟号を呼ぶは鬼谷先生か? 朕が諡号を呼ぶは先達か?」
「如何にも。真人たる鬼谷、汝の先達にして、真人政を導いた者なり」
「先生。朕、未だ真人たりえず。仙境に游行すと言えども、朕が心満たされず」
「これは異な事。汝が霊魂、既に実体なし。むべなるかな。汝、尸解仙なればなり」
「未だ現世の理、忘れられず」
「汝、煩悩を捨てざるなり。然れども汝、仙界に住する霊魂なりぬれば、その海上に留まるべし」
「先達たる、鬼谷先生。真人たる鬼谷先生。朕、如何にすべきなりや」
「空しかるべし。汝、未だ阿羅漢果を得ず。暫し待て」
「何時迄か?」
楊鬼山の魂魄と世宗憲皇帝霊魂の長い同期に、業を煮やした真人政の魂魄が割って入って来た。
「汝、些末に拘泥すべからじ」




