77 清西陵 1
清西陵は直隷省保定府易州(現在の河北省保定市易県)に造成された清朝歴代皇帝、皇后達の陵墓群であり、直隷省遵化直隷州(現在の河北省唐山市遵化市)に築かれた清東陵には、清朝初代皇帝、順治帝を始めとして康熙帝、乾隆帝、咸豊帝、同治帝及び皇后陵等の陵墓群が存在する。
咸陽の発掘は北京の許可が下りず、中止になってしまったので、セガランは掌儀司の崔道光理事官、宗人府の曹強力理事官、同内書堂の丁英泰学長及び楊鬼山と共に皇室専用自動車で帰京した。廃青も丁学長の要請で同行した。
劉保や李来仙は残務整理があるので咸陽に留まっているが、呉石とは契約が切れたので、セガランはそのまゝ別れてしまった。最も西安での歓待の席で、呉が気分を悪くして退席して以来、彼と言葉を交わす機会はなかった。残金は恐らく劉が清算して彼に渡すだろうから良いが、別れの挨拶もせずに西安を去ってしまったのは気掛かりであった。
一行は帰京して直ぐ様、清西陵に向かい、セガランは摂政王に帰京報告をしに、紫禁城へと向かう。
「セガラン殿、咸陽では大変なお仕事に従事され、感謝致しました」
「摂政王殿下に置かれましてはご健勝との事、大変喜ばしく思います。又、直接労いのお言葉を頂き、感激しております」
「セガラン殿もお元気で喜ばしい事です」
「ありがとうございます」
通訳を介さず、支那語で一言、二言帰京報告を交わし、宦官はセガランに退出を促した。セガランも、今迄の対応との違いに気付き、摂政王にそれ以上の言葉を掛ける事なく退室した。微妙なニュアンスをフランス語ではなく、支那語で伝える程、彼の語彙は広くなかったのもあろうか、すんなりしたものだった。
セガランは理解した、これで清国での発掘は終わったと。これ以降は本来業務である満州でのペスト感染予防対策に従事する事になるだろうと思い、紫禁城を後にし、妻の待つ北京の自宅に彼は戻った。
雍正帝の泰陵は異様な雰囲気に包まれていた。咸陽に向かう前、楊鬼山は崔理事官と丁学長を伴い、陵墓で雍正帝の霊魂を招来する法要を行ったが、彼の魂魄と雍正帝の霊魂との交信は、二人には届いていなかったので、楊は摂政王の意向を何者にも邪魔されず伝えられた。しかし、今は泰陵の至る所に新軍の兵士が待機している。
西安では1個中隊約200名の兵士が、始皇帝陵に散らばって警備していたが、此処はその比ではなかった。少なく見積もっても4個中隊、大よそ1個大隊相当の兵士800名程が泰陵に集中して配備されている。2m間隔毎に兵士が並んでいる感覚だ。更に小銃を構えて警邏する隊も複数隊おり、兵士で陵墓が埋め尽くされているように見える。全体として喧騒の中で修法するようなものである。
楊も流石に勝手が違うようだ。祭壇には数多の供物が置かれ、香を焚いた紫煙が幾筋も昇っている。それらを見ても、彼の表情は硬かった。
楊が泰陵前で五体投地を繰り返した後、法衣の袖の中で護身法を修している姿を貴賓席から見ていた丁学長が、傍らに侍らせた廃青に向かって尋ねた。
「阿闍梨様から見て、楊鬼山先生の修法姿は如何ですか?」
「『修法姿』と言いますと?」
「彼は居士仏教家として著名な楊文会先生の弟子なのですが、楊先生は御身体が優れず、著作活動に専念しておりましたので、崔理事官が楊先生の同意を得て彼を推薦した訳で、今回の法要を執行するのです。私は専門が易経ですので、仏教には詳しくなくて。それでお伺いするのですが、阿闍梨様から見て、楊鬼山先生には法力がおありでしょうか? それと彼の宗派は如何ですか?」
「そう言う訳ですか。分かりました。咸陽でもお伝えしたと思いますが、彼には類稀な法力がありますので、恐らく天台の修法を修めたと思います。何処でどの師から得度、灌頂を受けたのかは存じませんが、住持としても務まるでしょう」
「それを聞いて安心致しました。西安に行ってからの彼からは、北京で接した頃と比べて、何か表現し難い異質なものを感じましたので」
「それは如何様な?」
「それが、表現するのが難しいのです。人の様で人でないような・・・ 何と言えば良いのでしょうか」
「それは貴方の勘ですか?」
「そうですね。私は長年易経を学ぶ事に拠って、人の世の移ろう様を理解しました。その経験から、凡才には凡才なりの行動様式があり、偉才には偉才なりの行動様式があるのです。彼からはその両方を感じるのです。勿論、智慧を得た覚者と比較して私は唯の学者に過ぎませんので、この評価が正しいのか疑問ですが・・・」
「愚僧には学長のような博識に基づく判断が出来ませんので、ご了解願いますが。楊鬼山先生が智慧を得た覚者であるとは、愚僧は判断出来ません。それは愚僧が彼程の法力を有していない事から、彼を理解出来るレベルに達していないからです。次に咸陽で愚僧は厲鬼調伏に成功しましたが、これを楊鬼山先生は理解しておりましたので、愚僧のレベル以上である事は間違いありません。以上の点から少なくとも、先生は愚僧以上の修法を積み、覚者に近い智慧を得ているのではないかと」
「そうですか、それ程の法力を持っているのですね楊鬼山先生は」
「そのように考えています」
「分かりました。阿闍梨様にそこ迄説明して頂き納得致しました」
「それは良うございました」
二人の人物評価が続く中、楊鬼山の法要は始まっていた。




