7.世間知らず
輿入れの道中、ハイドの北にある北部山脈を越えた頃、馬車の窓から見える森の様子が変わった。
(この辺りは昔離宮に行った時にも通った……? でも見覚えがまったくない……)
緑や黄、赤、茶など様々な色の葉で彩られ、明るい日差しが射しこんでいたこれまでの森と違って、オーレリアが今目にしている森は、背の高い、濃緑の木が大半を占めている。下草もほぼ生えておらず、ひどく単調で、そこを突っ切る道は薄暗い。
欝々とした気分になるその森を抜けても町などはなく、何もない草原が広がっていた。所々に背の低い白樺が生えているだけの荒野だ。
オーレリアは基本、城に閉じ込められて育った。
宿泊を伴うような遠出をしたのは、これまでの人生で二度だけ。数年前のオーセリン海洋国への旅と、幼い頃の北部海岸近くにある離宮での滞在だ。そのどちらも人に囲まれていて、せっかく城を出られたのに、外の世界をじっくり見る機会はほとんどなかった。
馬車の窓のガラス越しに、その貴重な経験の一つ、離宮への道中にソフィーナの馬車に乗せてもらった時のことを思い起こす。
(あの時だけ何も気にしないで外を見られたのよね。訊いてもいないのに、あの子ったらあれはなんだこれはなんだってずっと話してた……)
あの時一緒に見た村は、どの辺にあるのだろう、とぼんやりと思いながら、オーレリアは傾いた日に黄金色に染まる大地を見つめる。
頭を傾け、視線を進行方向である北、さらに遠くに投げれば、地の果てが見えた。
(何もない)
そうではないと知っているのに、あの向こうでは本当に世界が終わっているのではないかと思えてくる。
「オーレリアさま、見てください、あそこで地面が切れてます」
護衛の都合というもっともらしい理由で、ハイドを抜けてすぐに馬車は一台となった。あとは持参品を積んだ幌馬車が一台あるだけ。
そのためにオーレリアと同乗することになった侍女のミーナが、無邪気というか能天気というか、オーレリアと同じ大地の彼方を見て、目をまん丸くしている。
「どうなってるんでしょう、崖にでもなってるのかな。あそこに着いたら落ちちゃったりしますかね?」
「そんなわけはありません」
明け透けかつ不穏な発想を咄嗟に否定してみたものの、彼女がそう言いたくなる気持ちはよくわかった。どこにだって行くと言っておきながら、今更不安になるなんて、格好悪いにもほどがある。
「あれは地平線と言うんだ。大丈夫、あの向こうにも大地は繋がっているよ」
並走する馬の上からミーナを宥めたのは、公爵家の嫡男で騎士でもあるガードネル・セリドルフだ。あの日、彼が兄を訪れていたのは、兄に今回のオーレリアの護送を頼まれてのことだったらしい。
「ガードネルさま、ご存じなんですか?」
「セルシウス陛下に従って、国中を訪ねて回ったからね」
彼から見れば木っ端のごとき身分のミーナにも物腰が柔らかいせいだろう、彼女は早々に彼に懐いた。敬意は変わらないものの、当初あった緊張と警戒は今ではすっかり消えてしまっている。
(この人柄の良さといい、最悪に嫌う私の護衛を引き受けたことといい、本当にソフィーナとお似合いだったのに、心にもなく「そういう対象に見られない」とか言うから)
ガードネルとソフィーナの仲を取り持つことができたにもかかわらず何もしなかったオーレリアは、彼女との縁談をみすみす逃した彼を憐憫と共に眺める。
同時に、その点に関してはソフィーナにも少しだけ同情を覚えた。
彼との縁談が流れた結果、彼女は、外面は完璧で中身はどうしようもなく醜悪なオーレリアそっくりなあの男、カザック王太子フェルドリック・シルニア・カザックの伴侶になることになった。
ハイドランドを出られたことと、力ある大国の妃という立場だけは羨ましいけど、あんな悪魔のような男の側に居続けるのは、悪夢そのものだろう。
オーレリアは脳裏に、自分と同じくらい美しいフェルドリックの姿を思い浮かべて、目を眇める。
(シャダとの戦勝祝いの席であれを殺しておけばよかった。そうしたら、私もとっくに死ねていたし、今頃ハイドランドも滅んでいたのに)
鼻を鳴らした瞬間、ギィッと車輪を軋ませて馬車が止まった。
ガードネルの手を借りてコーチから下りた。途端に冷気に包まれる。ミーナが後に続いた。
自分の下にむき出しの地面がある――新鮮な気持ちになりながら、ぐるりと辺りを見回せば、暮れゆく夕空を編隊を組んで飛ぶ鳥の群れが見えた。その方向に朽ちかけた建物群がある。
打ち捨てられた集落だろうか。ここのところ続いた冷夏のせいで、北の方では見捨てられた土地があると、以前兄とソフィーナが深刻そうに話していた。
「師団長、今夜の宿ですが、」
臙脂色の制服を身にまとった騎士がガードネルに走り寄り、敬礼をとった。ちらりとオーレリアへと視線を投げた後、すぐに顔を背ける。
(よくこれだけ嫌われたものだわ)
怒るより何より新鮮な気分になった。
侍女だけじゃない。オーレリアのヴォーバリア行きの護衛を進んで引き受ける者はいなかった。兄の頼みを断り切れなったガードネルと、彼を特に慕っている様子の騎士だけが旅に同行している。
ソフィーナの時はこの十倍近くいて、しかも騎士団長自ら護衛を買って出ていた。
オーレリアは城の窓から眺めた異母妹の輿入れの様子と自らを比較して、皮肉に唇の端を吊り上げた。
同行の人数だけじゃない。父の不興のせいで、早朝の冷たい霧の中、まるで隠れるかのように出立していったというのに、見送りにもたくさんの人影が見えた。
自分の取り巻きの貴族以外を人扱いしない馬鹿な父にはわからなかったのだろうが、昔からだ。昔からオーレリアと彼女には明らかな人望の差がある。
もちろんソフィーナが慕われるのが不満なわけじゃない。彼女のことは嫌いだが、真面目で誠実、有能で優しい。人気があって当たり前だとオーレリアも思う。
気に入らないのは、兄を始めとする者たちがオーレリアの不人気の責をオーレリアに負わせようとしてくることだ。
彼らはオーレリアの今の状況を、何もしなかったせいだと言う。内乱前も最中も王女としての責任を果たさなかった、と。
そのたびに、ふざけるな、という気持ちが湧き上がる。
何もしなかった? オーレリアが何を言おうと、兄も含めた誰もが「かわいいだけの頭の弱い王女がまた世間知らずなことを言っている」と流すだけだった。何かしようとしても、邪魔してきた。
何をしてもしなくても見た目のことしか言われず、努力は必要ないと言われ、失敗しても間違っても「美しいのだからそれだけで十分」と暗にほのめかされた。
皆オーレリアを人形のように扱って満足していたくせに、その期待通りに生きてきてやったのに、いざ問題が起きたら、その人形に『なぜ何もしなかった?』――誰が自分勝手だと?
「……」
オーレリアは眉を逆立てつつ、南を振り返る。
遥か彼方、ピンクと紫の混ざった空に鮮明に浮かぶ青黒い影が北部山脈だ。
その向こうにある故郷ハイドをオーレリアは憎しみを込めて睨んだ。
「オーレリアさま、今晩はこの村の長の家に逗留いたします」
話しかけられて、我に返った。振り返ってガードネルの指す方向を見遣る。
「この街道を利用した際、セルシウス陛下もお泊りに――」
「村の長? ……あれは村? 廃墟の間違いではなく?」
驚きのあまりガードネルを遮る形で独り言を漏らしたオーレリアに、彼はため息をついた。横の騎士が剣呑な目をみせる。
「王都から地方に向かうほど、人々の暮らし向きは質素になります。それでも皆懸命に生きておりますし、私たちに親切を分けてさえくれます」
「っ」
ガードネルの子供に諭すような物言いに、かっと血が上った。
「今のような発言はこの先特にお控えください」
「わかっています」
(ただ驚いただけ、だって知らなかったんだもの、見たことなかったんだもの、苔生した草ぶきの屋根も、窓一つない歪んだ石積みの壁も――)
無知を指摘されて、オーレリアは唇を噛みつつ、ガードネルたちに続いて歩き出した。
(何これ……)
城を離れた。城以外が城と違うことはわかっている、頭では。
それなりに覚悟して足を踏み入れたものの、案内された先の『家』に通されて、オーレリアは再び絶句した。
石を積み上げた壁に窓はなく、夕日の残る今の時点で既に暗い。
所々で明かりが灯されているが、鼻が曲がりそうなほどの悪臭がする。ろうそくがないとしても、一体何の油を使ったらあんな臭いになるのだろう。
足元は板張りだ。だか、土汚れが目立って薄汚い。
奥にはさらに壁があって、その向こうには何か動物の気配がした。鳴き声のみならずその臭いも漂ってくる。天井は息苦しくなるほど低い。
「このような場所ではありますが、オーレリア殿下におかれましては、お寛ぎいただきたく……」
「……」
こんなところでどう寛げと言うのか――困惑が顔に出てしまったのか、村長と紹介された者とその妻が、一瞬恥ずかしさと気まずさを混ぜた表情を見せた。
「……オーレリアさま」
彼らの顔とガードネルの苦い顔つきに、しくじりを悟って、咄嗟にいつもしているように微笑を顔に浮かべた。
二人の表情が和らいでほっとしたのも束の間、何かを期待するように見られて戸惑う。いつもはこれですべて事が済んでいた。次にとるべき行動が思い浮かばない。
「……心遣い感謝する。殿下もお喜びだ」
結局ガードネルが村長に言葉をかけ、それを合図に今晩オーレリアが使う部屋へと案内を受けた。
(牢、というわけではないのよね……)
そこでまた愕然とした。ハイド城のオーレリアの部屋に備えつけられていたバスルームよりなお狭く、どこからか冷たい風が漏れ入ってくる。
その空間の大半を占める寝台と思しき物には、見るからに重たそうな、絨毯のように分厚い毛織物がかかっていた。
思わず村長を見れば、彼は眉根を寄せ、顔を俯ける。
「お食事がご用意できましたら、お声がけいたします」
そのまま頭を下げて下がっていく村長の横にいた妻が、憤りと失望の混ざった一瞥を残して踵を返した。最初にオーレリアの顔を見た時には、呆気にとられた後、顔を真っ赤にして上擦った声で挨拶していたのに。
ガードネルが彼らの後に続き、音を立てて扉が閉まった。
ガードネルが話題を振ったのだろう、ぼそぼそとした話し声が聞こえてきた。
(とことん歓迎されていない……って当たり前か)
そう察してオーレリアは、その寝台にどさりと座った。硬くとげとげした感覚に悲鳴を上げて飛び上がる。
慌てて毛織物をめくれば、マットから枯れ草が飛び出していた。
(ひょっとして嫌がらせ? こんな辺鄙なところにまで悪評が届いているの? ……でも、最初は悪意を感じなかった)
となれば、これは村長夫妻の『当たり前』で、彼らの態度が変わったのは、自分の何かが悪かった可能性が高い。
「……」
手近なクッションを取り、矯めつ眇めつその安全を確認すると、顔を埋める。
知っている。ただ笑うことしかできないオーレリアに相応しい扱いは、本来こういうものだ。
(だってわからないんだもの)
さっきだってそうだ。どう振る舞ったらよかったのだろう。
あんな顔をさせようと思ったわけじゃなかった。傷つける気もなかった。
「……ソフィーナだったら、きっとこんなことにはならないのに」
クッションを抱きしめる腕に力が籠った。目と鼻の奥がどうしようもなく痛い。




