6.持参品と少女
「持参品はいかがなさいますか」
「お兄さまには不要だと申し上げました」
「その陛下が、適切な支度を整えるように、と」
「ならば、手持ちのもので。十分すぎるほどあります」
着飾るのが好き、かわいらしい小物を好む、最高品質の物でなければ受け取らない等々勝手に言っている連中がいたようだが、オーレリア自身は物に執着はない。シンプルな物、落ち着いた色合いの物、そもそも物が少ない方がいいという自分の好みをすべて否定されるうちに、どうでもいいとしか思えなくなった。
買いたいと言うなら勝手に買えばいい。贈りたいと言うのなら好きに贈ってくればいい。飾りたいなら自由に飾ればいい。欠片の真心も籠っていない礼を、真心を込めたふりで言ってあげる――それで有頂天にさせて、破滅に向かわせる。
ずっとそうやって生きてきたのに、なぜここにきて敢えて輿入れの品の準備を拒否するのか?
同じことだ。まともな品を持っていかなければ、ハイドランドとヴォーバリア両方の面子をつぶすことになり、両国間の火種になる。オーレリアの向こうでの立場もなくなるだろうが、それこそ望むところだ。
(ヴォーバリアが私を厄介者扱いするよう、そして将来的に私を害すよう仕向ける。そうなれば、国の体面上ハイドランドはヴォーバリアに抗議せざるを得ない)
双方の民を巻き込んで、両国の関係悪化は必至だ。全員苦しめばいい。
「ですが、」
「知っているでしょう、ソフィーナも手持ち品のみで嫁いで行きました」
ソフィーナがカザックに嫁ぐ際も、オーレリアは同じ考えで、父らがソフィーナの支度を妨害するよう仕向けた。
それを知っている侍従長は、個人的な感情ゆえに、敬愛するソフィーナ以上の支度をオーレリアに強く勧めてこないはずだ。
「……」
目論見はあたった。口を閉じた侍従長を、オーレリアは内心でせせら笑う。
「あの子は私と違って大国に嫁いでいったのに、本当にひどい話だわ。向こうでさぞかし肩身の狭い思いをしたでしょうね……」
白々しく愁えてみせつつ、テーブル上にずらりと並べられたドレスと宝飾品に目を移した。ソフィーナが持っていた物より質のいい、最高級のものばかりだ。
(あの子のドレスで人目を引いたのは、職人たちが一生懸命施した刺繍ぐらい。宝飾品も使い回しの利く物ばかり……)
――それでもあの子は格上の国に向かって、堂々とこの城を出ていった。
当然だ。あの子の価値は、王女という肩書でも所有するドレスでも宝石でもなんでもなく、あの子の内側にこそあるのだから。
オーレリアは、自室にある巨大な姿見に向き直る。
絹糸を思わせる、白金色の豊かな髪、青く透き通った瞳、深海珊瑚そのものの桃色の唇、白磁のような肌とほのかに染まった頬、小さな卵形の顔――美しい以外の形容がない。
それに引きかえ、緩く癖のある茶色の髪とくすんだ青灰色の瞳の、どこにでもいそうな姿をしていたソフィーナ。
『その冴えない姿を鏡で見るたびに、思い知ればいい』
あの子がカザックの太子から求婚された晩に、彼女に投げつけた言葉が脳内に響いた。
(思い知らされているのは、いつだって私のほうなのに)
鏡を見るたびに、外皮を整えてあるだけの自分の空っぽさとおぞましさを思い知らされる――。
オーレリアは手近にあったティアラを手に取った。
飾られている質も大きさも見事な碧玉は、十五の誕生日に父が贈ってきたものだ。
三か月後のあの子の誕生日には何もなかったそうだ。彼は兄に諫められてなお、ソフィーナにその価値はない、オーレリアにやるほうが宝石も喜ぶ、と開き直っていたという。
外の世界から目を背け、狭い城に閉じ篭って追従を口にするだけの取り巻きに囲まれていたあの愚か者は知らなかったのだろう。ソフィーナのほうにこそ価値を見出す人がたくさんいることを。
『確かに着飾る必要のない人ですね。内面と行いこそが彼女を際立たせる』
「……っ」
その最たる人間がカザックの王太子だ。ソフィーナを蔑んだオーレリアに怒った彼の侮蔑が蘇った瞬間、オーレリアは手にしていたティアラを姿見に投げつけた。
破砕音と共に錫とガラスでできた鏡に蜘蛛の巣のようなひびが走り、ガラス片がきらきらと飛び散る。
(私と同じ、外見を取り繕っただけの醜悪な人間の分際で、自分だけ知ったような顔をして――)
「……では、あのティアラは持参品から除外ということで。ミーナ、入ってきなさい」
ため息に続いて、侍従長は扉の外に声をかけた。
「ご存じでしょうが、改めてご紹介を。このたびオーレリア殿下の輿入れに同行いたしますミーナ・フヴリタです」
「よ、よろしくお願いいたします……っ」
(この子……)
扉の奥からおずおずと現れ、緊張を露わにする少女に、オーレリアは目を見開く。
数の多さもだが、存在自体鬱陶しいだけの侍女たちの顔などいちいち覚えていない。だが、目の前の少女の癖の強い、青みがかった黒髪と、透き通るように青白い肌、その顔に浮かぶそばかすには覚えがあった。
この国では珍しい特徴で、貿易を手掛ける某子爵が少数民族の出の妾に産ませた子で、正妻に疎まれて王宮に厄介払いされたらしい、と侍女たちが噂していた。
そのせいだろう、いじめられているのを目撃したこともあるし、食事もまともに与えられていないのではないかと思うこともあった。役に立たないからこんなふうに扱われるのか、と泣いているのも見た。
ここに居場所はないけれど、他に行く宛ても、庇護してくれる者もいない――。
(だ、から、先の見えない異国にやられる私の侍女、にされた……)
まだ幼い彼女を愕然と凝視するうちに、強烈な怒りが込み上げてきた。
「必要ありません」
「そういうわけにはまいりません。陛下のご命令です」
「たった一人、しかもこのように幼い子であれば、いないほうがましです」
オーレリアは咄嗟に、“我がままなオーレリア第一王女は大勢に傅かれていなければ我慢できない”という噂に乗った。
この子個人の問題ではないという体をとって、少女の同行を拒む。
「ソフィーナさまがお連れになった侍女も一人でした」
「なら、私がゼロでもまったく不思議ではないわね。ハイドランドに尽くしていたあの子が一人なのだから」
目論見通りの反論をしてきた侍従長に、用意していた言葉を言い放ち、二人とも出ていくよう促そうとした瞬間、
「あ、あのっ、一生懸命お仕えします……っ」
少女に必死な顔で見上げられて、オーレリアは口を噤んだ。
「私、オーレリアさまのお供に選ばれて本当に嬉しいですっ」
(……なんて愚かなの……)
目をキラキラさせて自分を見上げてくる少女に、憐憫と苛立ちが湧いてきて、思わず唇を引き結ぶ。
選ばれたんじゃなくて、押し付けられただけなのに、ついてきても何一ついいことはないのに――。
「……とりあえずそのガラスを片付けなさい。それからそのティアラ、あげるわ」
「はい! って……はい?」
「少し休みます」
視線をオーレリアとティアラ、侍従長に順番に向けて、おろおろするミーナに背を向けると、オーレリアは隣の部屋の扉を開いた。
「……あれを持って逃げればいいのに」
閉じた扉を背に、オーレリアはぼそりと呟いた。
お金に変えて、身なりを整えて、誰も知らない土地に行って、新しい人生を生きればいい。
だが、そのための伝手もなさそうな子だ。そんなことをしようものなら簡単に捕まって、死罪にでもなるかもしれない。
(まるっきり私と同じだわ)
ここに居場所はないのに、行く宛てもなければ、逃げるのに必要な頭もない。
「私に関わると、みんなろくなことにならない」
自嘲が漏れた。
ソフィーナの周囲の人たちは、特に言わないけれど、みんな幸せそうだった。
対照的に、オーレリアの周りはみんな幸せだと声高に吹聴した。
馬鹿なオーレリアでも知っているのだ、本当に幸せな人はわざわざ周りにアピールしたりしない。
だってオーレリア自身がそうだから。私はこんなに美しい、恵まれている、それに引き換えあなたは、とソフィーナにずっとやってきたのは、そうでも言っていないと、自分の惨めさを認めることになるから、そして、それに耐えられなかったからだ。
それこそが自分を惨めにすると薄々わかっていたのに、それでもやめられなかった。
ソフィーナがカザックに嫁ぐ前だったら、あの子は間違いなく彼女つきになっていた。そうしたら、周囲に助けてもらいながら、この国で穏やかに幸せにやっていけた、居場所を見つけられたはずなのに。
(私の周りにいても居場所が見つかることはない。人として腐っていくだけ)
オーレリアは視線を伏せる。
オーレリアの地位や見た目を目的に近づいてくる人は分かる。独特の表情を見せるから、こっちもそのつもりでいられる。
耐えがたいのは、そうじゃなかった人たちが徐々に変わっていくことだった。
最初は率直に接してくれていた人たちの顔に、いつしかへつらいが浮かび、心にもないことを言い出す。そうでない人たちは、静かな軽蔑と共に離れていく。
あの少女もいつかそのどっちかになる。
オーレリアはさらに奥の扉を開いた。
ささやかな窓と机と椅子があるだけの小さな部屋だ。
その窓から遥か下に目を向ければ、紅葉に彩られたハイドの街が見えた。街中に張り巡らされた運河の水が秋の青空を映している。
「……」
おもむろに机の引き出しを開いた。
中にあるのは、水色に白と銀の筋が不規則に入った石の耳飾りと、ビリビリに破られた紙屑――メリーベルの形見と今際の彼女から送られた手紙だ。
視線を壁に移し、そこにかけられたドライフラワーでできた輪を見つめる。色褪せてボロボロ、花弁もほとんど残っていない。もう十年も前に、ソフィーナがくれたものだ。
それを手に取った。
頭上に振りかざし、勢いよく引き出しの中に叩きつけ……ようとして結局できなかった。
みじめになりながら、花冠を引き出しに残して音を立ててそこを閉める。唇を噛みしめれば、口内に血の味が広がった。
ソフィーナだけだ。最後の最後までオーレリアに対する態度を変えず、ありもしない善意を信じてくれたのは、オーレリアがこの世で一番嫌うあの子だけ。
「ほんとムカつく、いい子ぶって……。お姉さまなんか嫌い、性悪ってあの子にこそ言わせたかったのに」
オーレリアは悪意を持って、様々な場面で彼女を陥れた。なのに、あの子はそれが悪意ゆえだと、オーレリアが露骨にそう示すまで気づかなかった。それが苦しい。
視界が滲んできて、余計嫌になる。
「良いわよ、認めればいいんでしょ、私の頭じゃあの子を思い通りになんてできないって」
オーレリアはずずっと音を立てて洟をすすると、「上等じゃない、」と誰に聞かせるともなく啖呵を切った。
「負け犬に相応しく、北の海だろうと、地獄だろうと、どこにだって行ってやる」




